島田との決着がつき、最後の目標に向かって早速踏み出していた。
個人戦はもうない。
あとは団体戦で不動の宇高を破って優勝し全国に行くことだ。
団体戦では島田は出てこない。
島田の学校では部員が島田一人で団体は組めない。
メンバーの層でいえば、宇高が安定したチーム力を持っており、団体の優勝はいつも宇高だった。
もちろん、あの未だ忘れられないもう一人の敵。
もう一人の右四間使いの男もあの宇高だ。
最後再戦があるとしたら、この団体戦。
俺はこの男と当たる予感があった。
俺の戦いはまだ終わっていない。
最後、この男を倒して、団体を優勝に導いた時、俺の将棋は終わる。
そう確信していた。
一度嫌いになった将棋に完全燃焼を与えてくれたこの部活にはなんだかんだ感謝している。
だからこそ俺にできることは
勝利へと導くこと。
これしかない。
残り、3年の春の大会まで、すべてはこの北里と杉本の育成に力を入れることにした。
やることは至って変わらないが、角谷さん、藤原さんのところに通いながら、俺が考え得るもしもの相手に対する対策をやることだった。
それは
杉本の相振り対策。
振り飛車党が少なかった現状もあり、愛振りは俺としか指す機会がなかった。そして、前回の大会で当たった宇高の石田流、栃木高校の三間党の存在だった。
こいつらに当たったら、杉本が勝てるかどうか。。。
そして、居飛車穴熊や格上の相手に当たった時に勝てる見込みはあるのか?
この時はまだなかった。
北里にも不安要素はあった。
部活では俺と杉本が振り飛車党ということもあり、振り飛車の戦いには慣れていたが、相居飛車の勝率が悪いことには俺も気づいていた。
北里は相居飛車の時が問題。
それぞれ課題はあった。
これをどう克服するかが、優勝の鍵だと睨んだ。
そこで取った俺の対策は。
まず杉本
居飛車の格上に勝つ。穴熊相手に勝つ。当時の穴熊は振り飛車の天敵中の点滴。きちんとした対策が必要だった。
俺は対策として立石流を教えることにした。
そして、相振りに関しては特に相三間の将棋をメインに指した。なぜなら、早石田相手には必ず相振りになり、角道を止めていたら、それだけで相手の要求が通りやすくなり面白くないからだ。
特に例の宇高、栃木高校の谷地に当たったら必ず相三間になる。その時お前が勝てるかが勝負の鍵だ。
といって、強く相振りからは逃げずに取り組ませた。
北里の対策としてはとにかく格上の居飛車党の人に相居飛車で指してもらうようお願いした。そして、俺自身も北里と指すときは相居飛車を指した。
俺にも負けるぐらいだったから、相当訓練が必要だった。
また相振りと違って、相居飛車の場合は研究力勝負になりやすり。だからこそ、最新の定跡本を片っ端からから読ませ基本となるフォームを叩き込ませた。
そして、それぞれの課題の対策を進めながら、自分なりの将棋の構築が進んでいった。
杉本はどちらかというと俺に似た攻めの棋風。
俺のコピーみたいな存在になった。
北里はどちらかというと門屋さんタイプ。
じっくりとした将棋が得意で重厚性のある将棋に仕上がった。
そしてとうとう仕上がってきた。
門屋さん、藤原さんにも三段の実力が認められた。
初心者だったあの頃から比べればもはや別人だ。
個人戦でも十分上位を目指せる実力に仕上がってきた。
そして俺自身、門屋さんとも平手で戦え、藤原さんの香落ちにも勝ち四段の免状まで申請することになった。
俺も、とうとう過去の自分を超えることができた。
そして、残り僅かな時間、調整に調整を重ねていった。
門屋さんの予想では、決勝は俺たちと宇高の戦いになる。
宇高は誰が来るかわからない。
だが俺には確信があった。
あの右四間使いとだけは必ず俺が当たる。という予感。
最後の戦いに向け、想定し得る準備を可能な限り行った。