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将棋 プロ挫折後6

Image by Olia Gozha

時間はかなりかかりながらも、少しずつ以前の棋力に近づいていった。

本気で将棋を久しぶりにやり始めた。

昔読んでいた定跡の本も読み直し、詰将棋もやり、最新の研究も行った。

当時でいえば、ゴキゲン中飛車、早石田が猛威を奮い始めた時で注目された戦法だった。


高校の将棋部の大会では年に数回しか行われないこともあり、あまり大会に出ることもなかったが2年になってからは、沢村、島田と俺の3人が上位に食い込む形になっていた。沢村と島田は居飛車党、振り飛車党は俺だけだった。


居飛車対策として、ゴキゲン中飛車、石田流、振り飛車対策として相振り飛車、特に相三間の研究は綿密に行った。


藤原さんとの対局ではコマ落ちということもあり、定跡の良し悪しだけではなく、細かい内容の検討がメインで、いつも気づかないような攻めを魅せられました。

藤原さんは攻めがめっぽう強く、攻め始めたら受け切ることは至難。攻めの極意を学びました。


半年くらい経っと時、ようやく角落ちまで復活しました。



2年になった初めての大会のとき、ある出来事が起きました。

この時二人の相手に負けました。

一人は島田。

大会ではなく、練習対局という形ではあったが島田とは初めてのぶつかりだった。この時負けた戦法は右四間。初心者が初めに学ぶ飛車角銀桂の理想形が簡単に作れる居飛車戦法だ。シンプルなだけにきちんと対策をしていないと、上手くいかないことがある。


基本戦法だけに、右四間に負けたのはかなり悔しかった。


その後大会も進んでいく中で、もう一人の人間とあたった。宇高のトップとあたった。

準々決勝であたった名も知れていなかった相手で、その男も右四間使いだった。

1日に右四間使いに二人も当たるなんてレアなことだ。


そして、対策を立てる時間もなかったせいか、ここでも右四間に負けた。


屈辱だった。

右四間に負けたということもあるが、名の知れない相手にも負けたのがとてつもなく苦痛だった。


対策をきちんとやっていなかったのも確かにそうであるが、右四間は小学生の時にもやられるのは苦手であった。あmり得意ではなかったこともあった。


俺の中で弱点がいくつか浮かび上がった。

右四間

そして当時の振り飛車の天敵、穴熊、天守閣美濃


対策すべきことが増えた。

そして倒すべき相手が増えた。


再度、鍛え直す必要が出たのだ。


そんな自分にイライラした。

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