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解き放たれた心 - 新しい一歩 -

Image by Olia Gozha

Buddha Child Walking Road
(仏の子の歩む道)より


 私は「はじまり」にも書かせていただいた通り、2012年10月にこちらと言いますか、イメージの付きやすい言葉で言う「シャバ」と呼ばれる外の世界に戻って参りました。
 最初に外に出た時、皆それぞれに感じることはございますが、私に特に何かがあった訳でもなかったことを覚えています。

 刑務所からまずは出るまでに、食事・着替え・預けていた荷物の確認・外に出る時の注意事項など、やらなければいけないことが怒涛のようにやって来ます。そして私たちは当日、共に外に出るメンバーたちとそれらを受け、最寄りの駅までは刑務官たちが運転する車で連れられて行くのです。

 その時のはしゃぎようは、まぁ忘れもしませんね。
 私はただ冷めた気持ちで窓の外を見つめていました。
 皆はそれぞれに「何を飲む・食べる」「タバコを吸ったら、気分が悪くなる」「自動販売機をちゃんと使えるだろうか」などそれぞれに話しておりました。

 そして最寄り駅に着き、刑務官が付き添いの下、私たちは切符を買い、電車が来るまでの間、身元引受人へ連絡したり、買い物などを簡単にするわけです。
 私は今までしていたいつもと変わらない行動であって、ただ少しの間していなかった行動である電話をし、自動販売機でタバコとジュースを買いました。そして、ウン年振りのタバコに火を点け、一服。

 私は噂と違い気分が悪くなることも無く、フラフラすることも無く、1本の煙草を吸い、ジュースを飲みました。
 「甘い…」 
 確か炭酸のオレンジ・ジュースだったと思いますが、本当に砂糖水でも飲んでいるかのように感じたことは忘れもしません。
 タバコは美味しいとも不味いとも無く、ただ「あぁ、タバコってこんな味だったな」と再確認したことは覚えております。
 このたった1本のジュースとタバコ1箱は、私たちが時給●円何十銭という破格の賃金で稼いだお金から購入しました。それは今でも私の心の中に深く刻み込まれています。


 そして私は同じ方向に行く数人と新幹線を乗り、地下鉄を乗り継ぎ戻らなくてはいけない土地に舞い戻ったのでした。そんな珍道中のお話はいつか、どこかでいたしましょう。

 まずは最初に戻らなければいけない最寄り駅に着いたら、しなくてはいけないことは電話連絡です。私の場合は保護観察期間がございましたので、まずは引受人と保護観察官へ電話するのです。そして法務局の最寄り駅で私たちは待ち合わせをし、引受人と共に向かいました。

 もちろん法務局で何か大きな物事が起きるわけではないのですが、出所する時も法務局でも似たようなことを質問されます。私は相手が目を丸くして驚くのですが、「これを敢えて包み隠すことも、敢えて誰かに伝えなければいけないことも、法律や条例で決められていません。これは私が一生背負うべきことです」と胸を張って言いましたし、今でもそう感じております。
 なぜなら、これは誰も代わってくれないですし、代われない出来事だからです。
 とにかくこの言葉を話した時の刑務官の顔、法務局の皆さんの目、身元引受人の時間が止まったような動き。人が「気圧される」とはこのようになるのだな。と今になって思います。

 私は時々「失敗した後の行動は、成功した時よりも重要で深い意味がある。なぜなら失敗は成功を生み出すための種であり、水であり、栄養であるからです」という話を最近するようになりました。
 時期尚早かもしれませんが、本当にそう感じております。
 そして人生をかけて、私は証明できる人間の一人だと自負しております。


(つづく)

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