top of page
いくら良いこと言っても
「行動」が伴っていないと、
その行動を真似るので
子供の教育は、
親の素行を映し出す
非常に忠実な鏡。
単純な行動と発言に
敏感に反応する子供の心理。
例えば、小学生を持つ親。
ある日、母親の実家から
宅配便で果物が送られてきた。
自宅で受け取った父親は、
子供たちの前で荷物の中身を
確認する。
そして
「お礼の電話は、
お母さんにさせたらいいか。」
と発言し、

この何気ない光景を
子供の目と脳は

お母さんが帰宅して
自分の親からの贈り物に
すぐ電話をいれ、
お礼を言っている姿も

こうした風景が
当たり前のように
数十年も性格形成に
加担していく訳だ。
本来なら、
父親が自分の奥さんの実家へ
すぐ電話して、相手の親に
お礼を入れるのがお手本。
その父親の姿をみて、
男として、父親として、
こういった責任ある行動を取って
成長するんだなと子供は判断する。
しかし、上記の場合、
母親の親だから
母親に電話させようとする
父親の「逃げ」の心理を
子供は「当たり前」として
自分にインストールするのだ。
こうして大人になった人間は、

全てにおいて責任を
取らない行動として表現されるのだ。
しかし、その逃げている行動は
「当たり前」とした環境で
育っているので
他人に注意されても

というか、注意されても
何が悪いのか理解できない

誤魔化して生きる無責任さ。
そして
人の話を理解する器の無さ。
私自身もこんな環境で
育ったので、
自分の欠陥を言われても
理解できずに
「一体、私の何が悪いの?」と

が、改めて自分の行動や
発言を繰り返し思い出すと
顔から火が出るほど

でも、人間は
「失敗」しないと
成果は出せないことも
知る必要がある。

その先にあるのが

と、堂々たる態度に
出れるのではないだろうか?
bottom of page