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追憶~ロボットと呼ばれた3歳児~(2/4)

Image by Olia Gozha

右足に器具をつけるスタイルになって

初めて公園に遊びに行ったときのこと。


同世代の子どもたちが先に輪をつくっていた。


思い思いに手を動かし

時に声をあげ、時に飛び跳ねる。


実に楽しそうだ。



別の砂場で遊ぶ僕は、彼らの笑い声が気になって仕方がなかった。


自分が笑われているように感じたからだ。


”こっちみて笑うなー!!”

気づくと僕は、涙を流してそう叫んでいた。


みんなと違う、「普通」ができない

ということを受け入れざるを得ないと覚悟した。


それからというもの、公園を独り占めできる

雨の日が大好きになった。


母は雨の日の外出がいまでも嫌いだが、

当時は文句も言わず手をつなぎ、傘を差してくれた。


幼稚園の空き時間、

みんなは孫悟空になったり、

ウルトラマンになったりして

空を飛ぶように走り回る。


僕の遊びはその場で、

それもひとりでできるものに限られる。


姉の影響もあり、縄跳びにハマった。


「足に悪いからやめなって」

大人たちにそう言われるほど、

ますます楽しくなってしまった。


こうして、制限のある中でも

少しずつできることを増やしていく

というのが僕の喜びになった。


できる、得意。

と胸をはれるようになると

普通じゃないことへの嫌悪が薄らいでいった。


プールの日、集会の日 etc..


幼稚園の移動の時、

極力自分の足で歩いていたけど、

急ぎの場合は先生の背中に乗ってワープした。


それをみて、みんなは「いいな」とか

「ずるい」とか言うけど

”何が?”と思う自分がいた。


楽しい、おいしい、楽ちん

感覚に純粋な幼少期にあって

僕はいやに大人だった。


すっかり過去になってしまえば、

この3年間は自分の根っこをつくったと

病気に対して感謝の気持ちさえある。


指をさされることにも慣れたころ、

家族でイギリスに旅行に行った。


右足に正真正銘の機械をつけて

どうゲートをくぐったのかは

覚えていないけど、

目が覚めたら異国の地についていた。


知らない言葉を話す、

今まで見たことのない人たちが

僕の足を見て寄ってくる。


イエスとノーだけ覚えた僕は

ノリと愛嬌で大人たちをいなしまくる。


そこにはもう、

内気で被害妄想な自分はいなかった。


慣れたとはいえ、

定期健診で器具を外した時の解放感は

この上ない喜びだった。


少し賢くなると、

僕は自分で器具をつけたり外したり

できるようになっていた。


親の目がないところで

外して遊んで帰った日、

人生で一番の雷が落ちた。


約束を破った後悔、

母、先生へのごめんなさいの気持ち。


それらがこみ上げて僕の涙は止まらかった。


いま思うことは、このとき母が

他のいつより真剣に叱ってくれてよかったということ。

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