薄汚れていたからなのか、その犬は茶色っぽいグレーに見えました。友達と遊びに行った公園で変になついてくる犬がいました。小学生だった僕はそんな犬がかわいくて、かわいくて。遅くなっても離れないそいつをとうとう家まで連れて帰ってしまったのです。
僕の家はそんなに裕福でもない漁師の家で、どちらかと言えば貧乏な借家住まいの4人家族。案の定、母親から捨ててこいと言われたのを泣いて、すねて、なんとか一晩だけ置いてもいいと言わせました。雑誌冒険王に付いていた付録の絵本の主人公の名前からとってロリーと名付けたそいつは、それからなんとなくそのまま居着いて、縁の下が住みかの家族の一員になったのです。昭和40年頃のド田舎ですからペットフードなどというしゃれたものはもちろんなく、余った味噌汁にご飯を入れてそれでもおいしそうに食べてました。お袋は近くの縫製工場に勤めていて、朝学校に行く時は、お袋と途中まで一緒に行くのですが、ロリーは必ずついてきて、途中の分かれ道にきた時は、いつもかわいがってるのは僕なのだから絶対僕についてくると期待してるのに、何故かお袋についていく。がっかりしながら「そうなんや。ご飯をあげてる人が一番好きなんや」と幼いながらに悟った僕でした。
それに最初に気づいたのは母親でした。「お腹大きいんとちゃうか?」その一言で、その時はじめてロリーが♀だと気づいたのでした。それから暫くしてロリーは縁の下から出てこなくなりました。そんなある日何かの鳴き声が床下から聞こえてきました。両親が畳をあげてみると横たわったロリーにむしゃぶりつく生まれたての子犬が5匹ほど、小さな体で一生懸命動いていました。小さな、小さな命がとても力強く輝いていたような気がします。その時はただただ可愛くて、食い入るように見ていた僕に母親は言いました。
「餌をやるけんちょっと待っとき」。母親は、用意したいつもの残飯めしを少し離れた所に置いてロリーを読んで、ロリーはいつものように嬉しそうにそれを食べていました。母親が少し離れた場所に餌を置いた理由がすぐにわかりました。出産で疲れていたロリーが夢中で餌を食べている隙に、母親は生まれたばかりの子犬をみんな集めて箱にいれました。その後僕は全く予期していなかった言葉を母親の口から聞くことになり、悲しくて切なくてワンワン泣いたのを覚えています。「この子犬は今から海に捨ててくるからな」しごく冷静に母親は言い、子犬の入った段ボールを持って外へ出て行きました。帰ってきた母親はチョコレートを僕に渡して「しょうがないんや」一言だけ言っていつものように晩御飯の支度を始めました。
その時の僕は、なぜか母親がやったことを憎むこともできず、ただチョコレートを囓りながら泣いていました。あれだけダメだと言いながらロリーの世話をちゃんとしてくれた母親。命の大事さを嫌という程解っていただろう母親。そんな母親が子犬を殺すという選択をした時に、始めてわかったのです。何故犬を飼ってはいけないと言っていたのか。誰にも頼まずに自分の手で子犬の入った段ボール箱を海に流したのか。
その一週間後に繋いであった縄を引きちぎってロリーはいなくなりました。いなくなった子犬たちを探しに行ったのでしょう。それから僕は野良犬を見ても小さな声で「がんばれ」としか言わなくなりました。