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うつ病、という病気になった友人たちの話

Image by Olia Gozha

私は、小学校からの親友が、うつ病になっていま、疎遠、というかほとんど連絡やコミュニケーションが成り立たなかった、という経験をしたことが、あります。

 相手は、私が逃げた、とすら思っている可能性がそのときはありました。うつ病になる芸能人やその家族もいるのですが、程度によりますが、私の体験談を、すこし書きます。


 私がまだ独身のときです。小学校からの親友には男女の2人のお子さんがいて、地元で幸せに暮らしていました。が


 農家に嫁にいき、その旦那さんには嫁にいかないいい歳をしたお姉さんがいて、友人は、そのお姉さん、旦那さんのお母さんと実家で同居をしていました。


 友人の旦那さんは、お姉さんの家賃や食費も払っていたし、友人は全ての家事をこなしても、お義母さんにやり直されたり、なにかしら粗をみつけて注意をされる日々を過ごしており、私に時々愚痴をこぼしつつも、ガス抜きしながら、そこで頑張ろうとしていました。



  私はそのときまだ独身で、子どももいなくて、しかも、専門職なので仕事をしながら好きなことをして一人暮らしをして生活をしており、友人の義実家での同居生活が、実際正確に想像できていなかったと思います。



 話を聞くだけで、旦那さんのお母さんやお姉さんに人格否定まがいのことをされ、「自分のやり方を全否定されて生活していく」と、また「強いストレスを受けつつ生活をしていく」と

人は「うつ病」になりやすいのだと、今ならわかります。私も子どもを産み、同居ではないけど、義実家近くに住み、全否定は、されてないけど、お義母さんと価値観の違いを感じることが多々あるからです。


 ただ、私の場合、お義母さんと同居をしなくていいことが、親友のように追い込まれない理由のひとつだったように思います。



 ある日、仕事が終わってくたくたの私が(まだLINEなどしていなかったとき)メールをみると、

 親友から

タイトルが、「死にたい」とか

「いまから風呂場で手首を切るね」とか


 ホラーな展開になってきて、私はそのたびに、彼女の携帯電話に電話をし、繋がらなければ彼女の実家にかけて、彼女のお母さんに伝えて、なんとか止めてもらうように促しました。

 



 次第に、私は携帯電話をみることが怖くなり、返信が出来なくなってきました。


 私は親友なのに、薄情なのか、力になりたくても私は都内に一人暮らしをしており、もし仮に自殺未遂をしていても地元は東北のとある場所なので、駆けつけることもままならない。


 次第に私もゲッソリしてしまい、ある時自分の叔母さんに(父親の姉)

「このままじゃ、ことねちゃん、引っ張られるよ。ことねちゃんもうつ病のようになってしまうよ。いくら友達でもプロじゃないから、出来ることに限りがあるよ。普通は、家族が支えて相談にのったり力になるものなのに、その子の旦那さん、何しているの?!」


言われて、ハッとしました。



 素人が手を出しちゃいけないのが、メンタルの病気なのかもしれない。


 私には、治せない。友達として支えになるとしても、出来ること出来ないことがあるのは、仕方ない。


 ここは、彼女の実家のお母さんや旦那さんに伝えて、ご家族でなんとかしてもらえないか、伝えました。


 彼女のお母さんは、納得してくれて、すぐに彼女を大きな総合病院の精神科をうけて、薬治療が始まり、そのまま連絡が途絶えました。




 親友なのに、側にいれない罪悪感と、薄情と捉えかねない自分の決断が正しかったのか、全くこのときはわからなくて、ひたすら自分の仕事に打ち込みました。



 うつ病は、こちらから連絡しようにも、言葉を選ばないと追い詰めて自殺未遂になったりしたら、責任重大なので、メールも打てず、なにも言えず、私は私の生活をしないと、誰も私の生活費を払ってくれるわけでもないし、ましてや、彼女の恐怖の死にますメールで、仕事に集中出来なくて、いつ親友が死んでしまったらどうしようという、恐怖、から解放とまでいかなくとも


 しばらく、彼女のことを気にしつつ、仕事に専念しました。自分の生活のために。




 それから6年過ぎて、あの東北大震災が起きて、成人してから携帯電話番号はほとんど変えなかったので


 あるとき、ショートメールが来たのです。




 「これは、ことねさんの携帯電話でしょうか?私は○○です、あのときは怖い思いをさせてごめんね」




 ショートメールの返信ではなく、彼女のうつ病が治ったのかどうかもわからないのに、私は、彼女に電話をかけてしまいました。



 「久しぶり!こちらこそ、あのときは何も出来なくて、ごめんね」




 そう言い合って、二人で電話の向こう側で泣きました。

 生死を、知りたかった。生きてるかどうか、を。でも、彼女が一番辛いときに、私は側にいずに、離れた罪悪感から電話することも、ショートメールさえも打てなかった。


 彼女は、わかってくれてました。逆の立場だったら同じようなことをしたと。まだ完全じゃないけど、人と接することがとても怖いけど、治療は、続けており、旦那さんとも離婚せず生活しており、病気とも向き合って、マイペースにやっていると。




 東日本大震災が、なかったら、連絡をとるキッカケすら、なかったはずです。


 あの震災で、うちの実家の自営業に勤めていた社員さんの娘さんで、私も一度だけ同じバイト先だった、しかも同じ高校だった女の先輩がいましたが、津波に車ごと飲まれて、その車にはまだ生後まもない赤ちゃんも乗っていて、先輩も、赤ちゃんも亡くなりました。


 だから、私も親友の彼女も、意地張ってる場合ではなくて、私も顔向け出来ないから連絡すらしなかったのに、彼女から連絡きたら、プライドとか、顔向け出来ないとかぶっ飛んで、電話をかけていました。



 うつ病は、人によっては怠けているとか、暗くなっただけのように感じている人もいるかもしれないけど、本人は何をしても脳がずーんと重たく、気持ちが沈んでしまうので、本人はとても苦しいのです。


 そして、うつ病になった人と友達だったり、家族だったり、恋人だったりすると、向き合わなきゃいけないし、また自分の性格によっては、うつ病のひとに引っ張られてしまい、自分の生活までめちゃくちゃになってしまう人も、います。


 私は、相手の気持ちを考えすぎてしまう一面があり、もろに相手の感情に引っ張られやすかったために、離れて相手の回復を待つしかなかった。


 端からみたら、薄情でしかない。


 でも、うつ病とは、プロに任せた方がいい病気であることを、みんなに知ってもらいたい。素人がどうこう出来るものでは、ない。脳の問題で、出なきゃいけない脳の伝達物質の異常なので、ちょっとした悩みやプチ鬱的なカウンセリングすれば治るようなものでは、ない。


 親友は、実際二回くらい手首を切っていたし、薬を大量に飲もうとしたこともあって、そのたびに、私は大好きな親友を失う恐怖を味わいながら、何も出来ず、かけつけようにも、一回ならなんとかなるけど、独身の一人暮らしで、地元に戻るには往復新幹線で二万かかるので、度々もどると、もう自分の生活が成り立たない問題があり、メールを全部真に受ける私では、心臓に悪かったです。


 あと、高校時代の仲良かった3人組の一人も、アメリカ留学し、在学中もずっと文通し、交流してきたのに、いざ四年後、卒業した彼女は、日本に戻ってきて、帰国子女というだけで、日本の就職先でいじめにあってしまい、うつ病に。


 3人組のもう一人とは、いまだに連絡とっていますが、うつ病になった彼女と連絡を私も彼女もとれずに、います。


 偏見もあるけど、うつ病やメンタルの病気に関しては、便利な世の中になればなるほど、今後も増えていくでしょう。いろんな人が、その病気の知識を持って欲しい。


 自分の出来ること、出来ないことは、理解したうえで関わらないと、ミイラ取りがミイラになる、ように、自分もうつ病になってもだめだし、対応間違えると、うつ病の場合、相手が自殺をしかねない。


 相手が自殺する、ということは死ぬかもしれないというリスクを背負うこと。それが、出来ないのなら、離れて相手の回復を待つしかない。たとえそれが薄情に思えても、本当に友達なら相手も回復したときに、わかってくれます。


 「思いやりあうのが、友達」逆をいえば「思いやりあえないのなら、それは友達でもなんでもない」ということです。


 物理的距離が問題なのではない、心の距離を離さずに、たとえ物理的に離れてもまた、きっと、自分に必要ならまた繋がりますよ。

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