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後悔とは言えないけど、後悔に近いものは感じていること

Image by Olia Gozha

父の7回忌が迫って来たこともあり、今でも「これでよかったのか?」と思うことの一つをまとめておこうと思う。

父は自宅療養でホスピスに入ることもなく、在宅介護という形で最期を迎えた。

その日は日曜で、看護師さんが金曜日に「そろそろだ」という話をしていたので覚悟はしていたし、朝起きた時に父がいる部屋の匂いが変わっていたこともあって、「そうなるだろう」という予感もあった。

金曜日、もう少し前くらいからだろうか、父がいる部屋は饐えたような匂いが充満していた。

それが日曜の朝にはなくなっていたのだ。

だから「そうなるのだろう」という予感がしたのだ。

朝、近くに住む伯母がやって来て、もう多分意識が朦朧としている父のベッドの横に座って母と3人でたわいのない話をしていた。

昔話に花を咲かす。そんな感じだった。

父も聞こえていたのだろう。会話に入るように「う〜」だの「あ〜」だの言っていたから。

しばらくして、話もひと段落した時に異変があった。

『息をひきとる』

まさにその瞬間を見た。

「…呼吸止まったね」という私の言葉に、「あ、病院に電話してくる」と母は在宅医療の病院へ電話をかけに行った。

その間、伯母と私は父をただ眺めていた。

「10分しても呼吸が戻らなかったらもう一度電話してだって」

母が戻ってきてそう言ったから、私はただ黙って父を眺めていた。

それは母も伯母も同じで、時計が10分刻むのをただただ固唾を飲んで待っていたのだ。

「10分経った」と私。

「じゃあ、電話してくる」と母。

「うん…あ、着替え用意しておかないと」と私。

死装束として着せる服を準備しておくようにと言われていたので、その用意しておいた服を枕元に持ってくることにしたのだ。

そこからは看護師さんが到着し、伯母からの連絡で親戚が徐々に集まって来て、医師も来て死亡診断書を書いてくれた。

そこから、看護師さんにオススメ(というのも変な話だが)してもらった葬儀屋に電話して来てもらい、葬儀の打ち合わせをして…という流れがあった。

そこでもちょっと色々あったのだが、そんな風にして父の最期の日は過ぎていった。

何が、ちょっとした後悔なのかというと、父が息を引き取ってから10分の間、ただ眺めていたというところである。

ドラマとかでは「おとーさ〜ん!死んじゃやだ〜!!」とか「まだ逝っちゃダメだよ〜!」などベッドサイドにすがりついて泣いている姿とか、「これまでありがとう」などと死ぬ間際に一言残していって、残された方はさめざめと泣くという描写がある。

あれを見ると「やっぱりあれ、やった方が良かったの?」と母と意見を交わすのだ。

ちなみに伯母はやりたかったらしい。

やれば良かったのに。

私たち母子がそうならなかったのは、偏にただ覚悟ができていただけなのだ。

そして、あまりにも安らかだったからかける言葉もなく、ただ淡々と自分たちの役割を全うしただけの話なのだ。

まあ、母はそれでも父が亡くなったことでどうして良いのかわからず、喪主の立場であったが葬儀のほぼ全てを私に丸投げしてよこしたわけで、喪主の挨拶まで私は考えたわけだが。

まさか、自分の結婚式より先に、葬式を取り仕切るとは思ってもみなかったのだが、人間、やるべきことはちゃんとなんとかできてしまうものだと思う。

それはそうとして、あの10分間についてはまだ答えはでない。

声をかけるべきだったか、あれで良かったのか。

でも、あれで良かったのだろうと思う。私たち家族のあり方としてはそれが自然だったと感じるので。

あと、あの場面で「おと〜さ〜ん!」と嘆いたとしても多分不自然。さらに私はいつからか父を「お父さん」とは呼ばず「おやっさん」と呼んでいたので、さらに様にならない。

ただ今も、そういう場面を見ると「あれで良かったのかな?」と話すし、それがすでに笑い話になっているのはご愛嬌なのかもしれない。

90歳を過ぎ、健全な祖父は賑やかに看取ってもらいたいらしいので、もしその場に居合わせるようなことがあったら、盛大に騒ごうかと思っている。

歌曲「魔王」あたりを歌うか…迷惑だな。でも第九は歌っちゃダメだろう。

なにかいい曲はないか…

なぜ歌う前提なのかというツッコミは無しで。歌でも歌うつもりでないとまた同じようにじっくり死にゆく様を眺めてしまう気がしてならないからだ。

結局のところ、後悔したとしても、次リカバリーのできないものなのであれはあれで良かったのだ。父は復活しないし2度は死ねない。

そんなわけでもう7回忌になる。

父も知っているだろうが、私は元気だ。

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