今日は、僕が大学を卒業してからの2年間について書いていこうと思う。
この時期のことを思い返すと、今でもこみ上げてくるものがある。
本当によくがんばって生きてきた。
24歳の自分へ送る。「そのがむしゃらさは、君のダイヤモンド・本質だ」
それでは、書いていく。
これまでのストーリーはこちら
営業の師との出会い
大学を卒業した僕は、東京都内売上No.1のリフォーム会社へと就職することになった。
リフォーム会社を選んだのは、「なんとなく」だった。
特にやりたい仕事もなく、どんな生き方をしたいかも本当の意味では見出すことができていなかった。
だから、なんとなく良さそうで、なんとなくやっていけそうな会社を選んでいた。
大半の大人は、そうなのかと思っていたが、後にそうではない。ということに気づいてく。
僕の最初の2年間の中で一番の財産は、人との出会いだった。
特に、営業のイロハを生き方を通して伝えてくださった、Tさんには本当に感謝しています。
過酷な労働環境の中でも、踏ん張れたのは、Tさんの教えによるものが大きい。
最初に教えてくださった言葉は、今でも忘れない。
「いっちゃん、知恵・工夫だよ」
この言葉に込められたエネルギー・在り方にどれだけ救われたことか。
30歳を過ぎた 今でも、多大な影響を及ぼしている。
たった一つの言葉が、人生を動かすことは珍しくない。
だから、僕はこうして記事を書いている。
どんな状況でも知恵と工夫を凝らすこと。
僕はたった一つのこの教えを今でも守っている。
人間に与えられた最大の能力は、考え、知恵をめぐらせ、進化することだと思っている。
No.1を目指す日々
この頃の僕は、やたら上昇志向が強かった。
なぜか、新入社員研修では、やたら張り切っていたし、
入社直後の総会では、新人賞を取ります!と300人近くいる社員の前で豪語してしまった。
これは、僕自身のパターンだが、
自らの想いを宣言して、意地でも達成する。という武士のような魂がこのような行動を起こしてしまうのだと思う。
今となっては、良い思い出だが、
当時は、自らハードルを上げ、過剰な負荷をかけていたと思う。
入社1年目は、100万円以上の単価の案件を受注することを目標に行動した結果、計画どおり達成、
2年目には、続々とリピートや、紹介、アップセル・クロスセルを駆使し、あっという間に売上を達成していった。
その間パワハラや、理不尽なこともあったが、
とにかく2年間はやり切る。と決めていた。
2年間の努力の末に手にしたものは・・
月日はあっという間に流れ、いよいよ、新人賞を獲得できるかどうかがわかる時がきた。
直前の予想では、新卒社員の中で3〜4位ぐらいだろうということだった。
入社2年目の社員を対象に、売上上位3名に、新人賞が授与されることになっていた。
今思えば、何をそんなに認められたかったのか、
不思議でならないが、相当自己肯定感が低かったのだと思う。
そして、いよいよ発表の時、
1位は中途採用の社員、
2位は、同期
新人賞3位は、、、、「〇〇店 市田直也さん !!」
おお〜〜!!という歓声と、支店長の「おめでとうございます!」
同期や先輩方の祝福
本来なら嬉しいはずであったが、何かが変だった。
そう、僕の心身は限界になっていた。
2年間、ひたすら売上目標を達成することを目指し、
自分の心に蓋をし、
ただ、金を稼ぐことだけに集中した結果、
心身ともに限界を迎えていたのだった。
壇上にあがり、一言「ありがとうございます」
と言い残し、
レッドカーペットを歩いた。
あの時の心境は今でもよく覚えている。
「一体何のために、こんなに頑張ったのだろう・・・」
3200万円を売り上げた報酬は新人賞3位の賞状と、3万円。
「もうここではやっていけない・・」
そう感じ、2年間の新卒生活に終止符を打つのであった。
続く。
Witten by Naoya Ichida