今回は、中学生〜高校時代の過去、ストーリーについてシェアしていきたいと思います。
前回までのストーリーはこちら
振り返るとこの頃の体験は、僕自身のコア・核となっているものです。
本来の自分、ダイヤモンド
自らの使命(ミッション)、ビジョン
大人になって、29歳からこれらの本質に向き合っていくことになったのですが、
自分のコア・核の部分は、13〜18歳までの6年間に凝縮されていた。
と後になって分かりました。
僕の12歳までの記憶は、ざっくりといえば、挫折とトラウマであり、
中学生〜高校生の6年間は、自己変容の期間でした。
どのような変化・変容があったのかシェアしていきたいと思います。
【中学時代】とにかく全力で生きる3年間
小学生までは周囲と馴染めず、とにかく学校に行きたくなかった僕でしたが、中学進学を期に、引っ越し・転校をします。
それまでは、集合住宅に住んでいましたが、中学進学を期に家族4人(父・母・僕・弟)で中古戸建に引っ越しをしました。
当時築30年近くの中古戸建へ引っ越しをし、新しい生活が始まりました。
強くなろうとした
中学時代を一言で表すと、
がむしゃらに、全力で生きようとした。
強くなろうとした。
ということに尽きます。
小学生の時は、学校に行きたくないほど、人間関係がつらかったので、
自分を守るために、強くなろうとしました。
サッカーや野球など球技は苦手でしたが、
憧れを持ったバスケットボール部に入ろうと思っていたところ、
自分たちの学年から新入部員を募集しておらず、
消去法的に、なぜかサッカー部を選択しました。
今考えると、やはり弱い自分を克服したい。という願望からの選択だったのかな。と思います。
小学生時代に、Jリーグへの憧れから地域のサッカーチームに所属したのですが、
練習のキツさから、2ヶ月も経たず、挫折をしていたのです。
中学のサッカー部も、自分にとってはかなりしんどかったのですが、
なんとか気合と忍耐で3年間やり切ることができました。
レギュラーになれたのは、2年生の一瞬だけで、後から後輩に追い越され、
最後の引退時期には、控えのBチームで試合をするのみになっていましたが、
不思議と悲しさはなく、
むしろ、
どんなことがあっても最後までやり切る力と自信を得ることができていました。
今振り返ると不思議なことですが、
サッカーへの興味はなく、ただただ強くなりたい。の一心で続けていた。という時期でした。
補足ですが、今でも興味があるのは、日本代表の試合や、世界を舞台に活躍する選手(本田圭佑選手、長谷部誠選手)です。
急にモテ始める
小学生の時は、全くと言っていいほど女性関係に疎かった僕でしたが、
中学生になってから、急にモテ始めるようになります。
まだこの時期は男性に対しての不信は強く、同じ部内のチームメイトに対してもどこか恐れを感じているところがありました。
その反面、女性は優しい、大丈夫だ。という信念を持っていたので、自然とコミュニュケーションがうまくできたのかもしれません。
同じ時期に複数の女性からアプローチされたり、
卒業式には、名前も知らない後輩から告白される。ということもありました。
この頃、恋愛というものがよく分かってなかったことや、周囲の目(特に同じ部活の仲間)が異常に気になり、
せっかく付き合いを始めたのに、すぐ別れてしまう。ということもありました。
今となっては、ただ懐かしい話ですが、
この頃の経験は、大人になった今でも、自信となっています。
【高校時代】夢の3年間 「自己表現とエネルギー」
高校は県内で標準的な偏差値の公立高校に入りました。
僕としては、高校受験のために、頑張って内申点を上げ(学力ではないことがミソ)
それなりに受験勉強に真剣に取り組んでいたので、合格できたときは、「ホッとした」くらいの感触でした。
高校を選んだ基準は、そこそこの偏差値であったこと、中学時代に続けていたサッカーを高校でも続けようと思っていたからです。
サッカーを本気でやるのならば、もう一ランクレベルの高い学校に挑戦すればよかったのだと思いますが、
その高校のサッカー部は、市内・県内からエース級の人ばかり集まるサッカー部だったので、
ついていけないだろう。と思い、受験のランクを一つ下げたのでした。
真面目にも、春休みから一緒に合格した中学時代のサッカー部の仲間と合格した高校の練習に参加し、
準備していたのですが、ここでも事件が起こります。
接触事故
普段は、怪我につながるようなぶつかり方はしないのですが、
なぜかその時は、練習中に先輩と激しくぶつかり、相手方が一時的な脳震盪を起こす自体となりました。
幸い大事にはいたりませんでしたが、スポーツのリスクを肌で感じた瞬間でした。
そのことがきっかけとなり、どことなく後ろめたさを感じるようにサッカーへの興味が急激に薄れていきました。
バンドとの出会い、覚醒
そのような経緯で、なんとなく先行き不安な状態で入学した高校でしたが、
待っていたのは、軽音楽・バンド音楽との出会いでした。
部活動の紹介の際、各部活が簡単な紹介をしている中、軽音楽部は、体育館の壇上のステージでパフォーマンスをしていました。
その時のパフォーマンスは衝撃的で、女性のバンドだったのですが、
圧倒的なボーカルと、バンドサウンドに一発でノックアウト
されてしまいました。
衝撃を受ける、という言葉はこういうことを言うのだと、今になっても思います。
バンドに興味を持った僕は、サッカーへの興味は一気に薄れ、
軽音楽部に入部することになります。
中学時代の軽音楽部の知り合い、新しく知り合ったメンバー5人でバンド活動が始まりました。
当初は、男性4人、女性1人のバンドだったのですが、
途中でメンバーの脱退や加入があり、最終的には男性2人、女性3人の男女混合バンドになっていきました。
とにかく音を合わせることが楽しくて仕方がなく、
最初は拙かったギターとボーカルでしたが、
YAMAHA主催のコンテストの楽器店大会で、奨励賞を獲得するレベルにはなりました。
音楽も本当に好きだったのですが、技術や表現力を考えると、
上には上がいて、プロとして生きていく覚悟を持てず、進路も曖昧なままでした。
3年間、バンドとアルバイト、恋愛にエネルギーを注いだ結果、
学力は著しく低下し、テストはいつも赤点。
しまいには、数学はついに0点と取るまでに落ち込みます。
急に高学歴を目指すようになる
当時1年以上付き合っていた他校の彼女がいたのですが、
その女性は、努力家で、非常に勉強のできる女性でした。また、音楽の才能にも溢れ、バリバリのロックを叩くドラマーでした。
彼女との別れは、僕にとって大きな転換点となりました。
きっかけは、僕自身の一方的な理由だったのですが、一つの歴史が終わり、バンド活動も3年生の秋で終わり。
世界から色がなくなってしまったように、世界が色あせていくようでした。
周囲は着実に努力をしていたり、自分の道に向き合っていましたが、一方の僕はただ楽しいことに夢中になるのみ。
周囲とのギャップを、高校卒業半年前に気づき、特に目的もなく、大学受験を目指すようになります。
潜在的に持っていた、父親を超えたい。という願望、何かにもう一度夢中になる感覚を得たくて、
当時の偏差値は30台にもかかわらず、早稲田大学や、明治大学を目指すようになります。
しかし、そんな簡単に学力が上がるわけもなく、全ての志望校に不合格となり、浪人生活へと進んでいくのでした。
つづく。
Witten by Naoya Ichida