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剣道の教え~努力と研究~

Image by Olia Gozha

2019年10月1日。

先月の9月が光陰矢の如しであっという間に時が過ぎたので、過去を振り返り未来をどう生きるかいま内省しているところだ。

僕はいま29歳で、若さは武器といわれる20代はあと251日で終わる。

作業をするうえで欠かせないデスク上の壁紙には、

"最高の状態で20代を終え、最高の状態で30を迎える"という文字が記載されている。

正直、いつこの言葉を自分で書いたのか覚えてないが、インパクトある言葉だからいま見つめ直して感慨深い心情になっている。

そんなこんなで、今回は剣道少年だった頃を振り返りたいと思う。


剣道を始めたのは小学校3年生のときだ。

今は剣道四段を持っていて、カレコレ10年以上も剣道を続けたわけだが、いま考えるとよく続けてこれたなと思っている(今はめっちゃブランクあってヤバい笑)。

もともと体力はある方で、スポーツ心臓だった僕は心電図の検査でよく引っかかっていた記憶がある。

野球とかサッカーとかの球技でよく遊び、山と川の自然と戯れていた僕は剣道をするなんて思いもしなかった。

気づいたら、親父が山梨県内の名門道場に僕を入門させていて、いつの間にか竹刀を握っていた。

この時から、学校では教えてくれない人生の勉強が始まったのだ。

僕が入門した道場は、県内で1位を常にとっていた有名な道場で、練習も厳しいことで知られていた。

厳しい環境に身を置いたことで、僕は精神的にも肉体的にも鍛えられた。

環境が人をつくるというけど、本当にそうだなと大人になってつくづく思う。

そして、今の自分の人格形成は成長著しいこのときにつくられたといっていいだろう。


入門して、すぐには竹刀を持たせてはもらえなかった。

基礎であるすり足を覚え、足さばきを徹底的に練習する。

"エイ"、"ヤー"と発声しながらすり足をして、先輩たちの稽古風景をよくみていた。

剣道では、"観てとれ三段"という言葉があるぐらい観て学び、自分に吸収するというのが上達の鍵となる。

僕が入門当時は、中学の先輩が県内で圧倒的な強さを誇り、団体でも個人でもタイトルをほぼ総ナメしていた。

そんな先輩たちをみて、『カッコイイ!自分も先輩たちのように強くなりたい!』と自然と思うようになっていた。

当時の先輩たちがいなかったら僕は剣道を続けていたか分からない。

それぐらいカッコよくて影響力のある先輩だった。

単に剣道が強いからという理由だけではなく、人間的にリスペクトできたのも大きかったのかもしれない。

気遣いや観察力がズバ抜けていて、視野が本当に広いのだ。

例えば、先生の胴の後ろ紐が解けていたらすぐに修正しに行ったり、先生が帰ろうとしたら防具袋と竹刀袋をすぐに持ったり、先輩たちの感知の速さを僕は見つづけ学んだ。

そして、こういった行動が社会に出てから必ず役に立つというのを道場で教わったのだった。

剣道を通じて、学校では教えてくれない人生の勉強ができる最高の環境。

道場で学んだ体験価値は非常に大きく、今となっては自分の財産だ。

何よりも財産となったのは、師の教えである"努力と研究"という言葉だ。

"人の一生は努力と研究"

この言葉は、道場を卒業して10年以上たった今でも魂の言葉として自分の心の中に常にある。

"紙を一枚ずつ積み重ねるように努力する"という言葉の表現も好きで、恩師から受けた言葉が今の自分を成長させる原動力となっている。


姉兄弟で、恥ずかしがり屋の引っ込み思案だった僕は、剣道を始めたことによって大きく変わっていった。


次回は、試合に出ても全く勝てなかった僕が小学校チームのキャプテンと大将を任せられるようになった話を書く予定です。


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