この物語への思い
大切なペット(人)とお別れをするまでの時間は、「大きな悲しみ」をもたらすと同時に、「宝物のような幸せ」も体験する。

お別れが近いと感じた時に、「いなくなってしまう悲しさ」と「今一緒にいる喜び」の両方を感じることは、当然のことである。ただ、どちらに気持ちが支配されるかで、残された日々の過ごし方は大きく変わってくると思う。
1000人近くの患者さんを看取ってきた看護師が、20歳目前になる愛猫ミーシャを自宅で介護し看取った(=向き合った)時間は、ミーシャから「生きる喜び」を沢山教えてもらった時間になった。「いなくなってしまう悲しさ」を抱えながらも、「今一緒にいる喜び」にフォーカスして過ごした日々。
そこには、ミーシャが命をかけて教えてくれたことがあった。
大切なペット(人)のお別れを感じた時、お別れをした後の過ごし方について、私がどのように向き合ったのかを書いてみようと思う。
プロローグ
2018年9月13日に愛猫のミーシャを自宅で看取った。それは、20歳の誕生日を迎える10日前の旅立ちだった。
亡くなる半年ほど前から、出来ないことが増えてきて介護が必要になった。病院が大嫌いなミーシャを思い、自然な形を大切にしながら自宅で看取る覚悟は何年も前から出来ていた。
人も動物も介護の仕方や寄り添い方は同じだと、ミーシャの介護をして改めて気付いた。私がやることは、「安心してミーシャが旅立てるお手伝い」をすることだった。
ミーシャが私の元で過ごして良かったと思えるようすること。
残される私の心残りが最小限となるようにすること。
それは、「一緒に過ごしてくれたミーシャへの感謝」の気持ちを表すことそのものだった。「今一緒に過ごしてくれていること」「子猫の時から一緒に過ごしてくれた全ての時間」への感謝を表していると、「悲しみ」「辛さ」よりも今一緒にいることへの喜びの方がどんどん大きくなっていった。
すると、ミーシャの「生きようとする力」「ミーシャ自身が生きていることを喜んでいる姿」を目の当たりにして、さらに感謝が湧くという幸せの循環が巻き起こっていた。
今回の看取りは、沢山の患者さんの看取りをしてきた私が描く、自分の理想形を実現することになった。
私自身がこのような看取られ方をされたいと願っている形そのものだったのだと、看取った後に気付いたのである。
そして、看取った後の悲しみ方について。母親を看取った時も、沢山の患者さんを看取った時とも違う悲しみ方をしたことで、立ち直るのが早かった。
どのように悲しんだのかについても書いていきたい。
さあ、そんなミーシャと私の物語を始めよう。
私のこと
私は20年以上看護師として過ごし、大学病院、訪問診療のクリニックで1000人近くの患者さんを看取ってきた。
24歳の時に母親を胃癌で亡くし、癌患者の遺族も経験した。
「家で死にたい」と言っていた母の思いを受けて在宅医療を志し、訪問診療を経験した後に癌末期の患者さん専門の訪問看護師になった。
訪問看護では、患者さんが住み慣れた我が家で最期を迎えるお手伝いだけではなく、最期の時間を人生で一番輝ける時間にすること、夢を叶えることに尽力し、看取りのプロ看護師として仕事をしてきた。
仕事一筋で生きてきた私は、まだ看護師2年目の時に生後2か月だった愛猫ミーシャ(ヒマラヤン・雌)と暮らし始め、20年近くに及ぶ2人暮らしをしてきた。
18歳から独り暮らしを始めた私は、両親よりも誰よりも長い時をミーシャと過ごしたことになる。
お互いに寄り添って、2人きりで生きて来たのだった。
2018年3月(19歳6か月)
2018年2月末、仕事でものすごく無理して頑張ってきた私は心身ともに動けなくなり、自宅療養をすることになった。
それと同時に、ミーシャの具合も悪くなってきた。あと半年で20歳。いつお迎えが来てもおかしくない時期だった。
後ろ足に力が入らず転倒を繰り返し、4㎏あった体重が2㎏にまで減った。
いよいよお別れか・・・・。
ずっと2人で生活してきたから、別れる覚悟はしていたものの、やはり悲しい。
しかし、ここまで共に生きてくれた感謝は計り知れない。それをちゃんと伝えたい。
そしてミーシャは今、「生きている」。まだ、死んでいない。「生きている今」、私に出来ることを全部したい、そう思った。
私:「ミーシャ~♡ずっと一緒にいてくれて、ありがとうね~♡」
ミーシャ:「ゴロゴロゴロ・・・・」ご機嫌に喉を鳴らす
私:「ミーシャが私にして欲しいことは何だろう~?」
ミーシャ:「ずっと一緒にいて~~~。ゴロゴロゴロ・・・・」
いつも仕事や旅行で家にいなかった私。
1人ぼっちでの留守番が多かったミーシャ。
昔は1週間旅行に出かけても、自宅での留守番ならば問題なかったミーシャだったのだけど、年齢を重ねるにつれ淋しがるようになっていった。
あれは13歳の頃・・・・
私:「ミーシャ、1週間仕事で留守にするよー」
ミーシャ:「・・・・・・」聞いてないフリ(でも絶対聞いていた!!笑)
そして1週間後、仕事から帰宅すると
私:「ミーシャ~♡ただいまー♡お留守番ありがとう~♡」
ミーシャ:「お、おかえり・・・・・」
私:「何か変だよ、どうしたの?」
ミーシャ:「いや、何でもない・・・私悪くないもん・・・」
視線を合わせないミーシャ。
寝室に行くと、私のベッドに便と尿がまき散らされていた・・・・。
あー、留守番が嫌で淋しかったのかー・・・・それから長期間家を空けることはやめた。
そして今、ミーシャは私の側にいることを願っている。幸いにも自宅療養中だったので、出来る限り一緒に過ごすことにした。
2018年4月:足に力が入らなくなる
4月に入り、ミーシャは右足に力が入らなくなってきた。
我が家は2LDKで、ミーシャはいつもリビングで過ごし、キッチンで食事をし、一番奥の部屋で用を足し、家の端から端を横断する生活をしていた。
足が悪いミーシャにとっては結構な移動距離だったのだけど、どれだけ転びながらでも奥の部屋まで行って用を足すのだった。
だけど、いつの頃からか猫砂トイレに身体は入るのだけど、お尻としっぽだけが外に出て床に排尿するようになった。
今だにその理由はわからない。
身体はすっぽりトイレに入っているのにお尻としっぽだけ出ているのが滑稽で、怒る気にもなれず(笑)
そのうち、足に力が入らないからかトイレに上がることが大変になったようで、今度は前足だけをトイレに入れてほぼ身体は床、という状態で排尿するようになり、とうとう奥の部屋であればどこでも排尿をするようになってしまった。
でも、ヨタヨタ転びながらも一番奥の部屋まで行く健気さに私はすっかり感動していた。
もう生きていてくれるだけでいいと思っていたし、以前ベッドに排尿されたことを思うとフローリングなら拭くだけで済むから全く問題はなかった。
2018年初夏:嘔吐が始まる
初夏に入り、嘔吐が頻回になった。
昔から定期的に手玉を嘔吐していたのだけど、それとは明らかに違う嘔吐。
1日1回~数回嘔吐をするようになった。
ミーシャ:「グエッ、グエッ・・・」
私:「あ、ミーシャ、吐くんだね」
私は急いでティッシュと両手をミーシャの口の前に持ってきて嘔吐物をキャッチ。
ミーシャ:「あー、すっきりしたー。お腹空いたニャー♡ごはん、ごはん♡」
嘔吐した後はケロっとしてご飯をモリモリ食べる。
しかし、食欲はあっても嘔吐するので痩せていき、とうとう夏前には体重が2㎏を切ってしまった。
ああ、いつまで一緒に過ごせるのだろうか。
今まで過ごしてくれたことに感謝しかない。
そんなことを想いながら毎日を過ごしていた。
私は、ミーシャを自宅で看取ること、病院には連れて行かずに自然な形で見守ることを、この時よりも、ずっとずっと前から決めていた。
ミーシャの人生を考える
看護師として沢山の患者さんを看取ってきた私にとって、ミーシャが病気や死期が迫った時の対応について、ミーシャが若い頃から考えることは当たり前のことだった。
なぜならば、病気になった時や死について考えることは結局、「今」をどのように生きるか考えることだから。
だけど、困ったことに「ミーシャはどうしたいのか?」それを直接聞くことが出来ない。
そこで、「私自身がミーシャとどう過ごしたいのか?」を考え、「ミーシャだったらどう思うのか?」をミーシャの行動や性格から感じることにした。
ミーシャは病気知らずだったけれど、爪切りで大暴れして私1人では対処できず、爪切り目的で病院に行くことがあった。
私:「ミーシャ~♡爪切りに、病院行くよ~♡」
ミーシャ:「嫌~!!行きたくない!!何するのよーーーー!!」
移動用の籠を見るなりダッシュで逃げるミーシャ。格闘の末、籠に入れられ動物病院へ。

医さん:「はい、ミーシャちゃん、爪を切りますよ~」
ミーシャ:「嫌じゃ~!!!やめろーーーー!!!」
獣医さん:「○○さん、ちょっと手伝ってーーーー」
ミーシャの肉球は汗でびちょびちょ。
身体も汗でしっとりする程緊張しながら抵抗する。(猫はあまり汗をかくことがない動物なのに)
結局、カラーを装着し3人がかりで何とか爪を切るという具合だった。
また、1度だけ動物病院併設のペットホテルに数日預けたことがあった。
私:「今回は、いつものように家で留守番をさせることが出来ないので、ちょっとホテルに泊まって欲しいの」
ミーシャ:「ホテルって何だ?」
意味がわかっていなかったミーシャ。
用事を済ませてペットホテルに迎えに行った時のことだった。
私:「ミーシャ、ごめんねー♡迎えに来たよ~♡」
ミーシャ:「シャーッ!!!何してくれてんねん!!!こんなん聞いてないぞ!!」
(注:ミーシャは女の子です)
私:「ごめん、ごめん。もう大丈夫だから家に帰ろう♡」
ミーシャ:「シャーッ!!こっち来るな!!あっち行け!!シャーッ!!許さん!!どれだけ怖かったかわかってないやろ!!もう絶対許さんからな!!」
すごい睨みをきかせながら、全身の毛を逆立たせてシャーシャー言って怒ってる。
牙を剥き出しにして威嚇しながら、猫パンチを炸裂させるミーシャを、どう頑張っても檻から出すことが出来ず、看護師さんが手袋をつけて何とか籠に入れてくれた。
自宅に戻っても機嫌が直らず威嚇し続けるミーシャと平謝りする私。
私:「ほんと、辛い思いさせてごめんねー」
ミーシャ:「シャー!!許さん!!絶対許さん!!」
その後1か月くらい、カーテンの奥に隠れてシャーシャー言いながら睨みをきかせて怒っていた。
病院は辛い場所だと痛感した私は、例えミーシャが病気になったとしても、治療はせずに自宅で自然の形で看取ること、食事や水分が摂れなくなっても痛い針を刺しての点滴や入院もしないことを決めたのだった。
その代わり、病気にならないようにと食事や水分摂取には気をつけた。
中編につづく
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