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ねえちゃん

Image by Olia Gozha

母方の祖母の家には住み込みのお手伝いさんがいた。名前を〇〇姉ちゃんという。高知の出身らしいが、本当の名前を私は知らない。

その頃の祖母の家は雪見障子があるような純日本家屋で、正門はいつも閉ざされ暗く、そこに面した一番の間には元芸者だった大ばあちゃんがシャンと座り、行儀が悪いとすぐ怒鳴る祖父が広間にいて、恐ろしかった。縁側を裸足で走るとトゲがささり、祖父のハブ酒コレクションが違い棚に飾ってある、ニュータウン育ちの私にとっては魔の家だった。

 台所のお勝手が日常使う出入り口だった。そこで毎週土曜日の昼は冷やした味噌ラーメンを食べた。姉ちゃんは身体が大きく、いつも食べ物の匂いがしていた。穴の空いた靴下は気づけば彼女に継ぎを当てられていた。庭も日本庭園で、ねえちゃんはそこの世話をしていた。いつも水の入った瓶が隅っこに置いてあり、黒い毛虫が死んで入っていた。ねえちゃんが捕まえてはそこに入れていたのだ。竹の箸を削ってかぎ針にし、いつも何か編んでいた。私もいつしかかぎ針をねえちゃんに教わって編み、庭に生えている木の、どの実が美味しいのか教えてもらった。

 ある日、炊いたお米に虫が入っていた。コクゾウムシの幼虫がいることに気づかず、炊いてしまったのだ。とても食べられないと私が思う目の前で、ねえちゃんは「米しか食ってない虫だから」とその飯をむしゃむしゃ食った。いつも食べ物の匂いのするねえちゃん。外に買い物に行く時はこそこそ道の端を顔を隠して歩いた。近所の小学生に「悪魔が来た」など囃し立てられるからだ。戦前、祖母が結婚する前から住み込みだったねえちゃんは、祖母の疎開先から祖父の仕事場まで、いつも汽車にのって米袋を運んでいた。

 ねえちゃんは決して風呂に入らなかった。私が風呂に入っていると、外でバシャバシャと水を使う音が聞こえた。ねえちゃんが外で行水をしているのだ。勧められても決して風呂には入らず、冬も行水をしていた。

 私の記憶ではねえちゃんの服はいつも同じ。上は白で紺のスカート。継ぎだらけだった。

 そんなねえちゃんには一枚も写真が残っていない。自分が醜いと思い込み、決して写真に写ろうとしなかったそうだ。でも亡くなった祖母を始め、母や叔母や叔父、私の脳裏には鮮烈にその姿が残っている。幸い私は絵が描ける。ねえちゃんの姿を残そうと私は今、彼女の肖像を描いている。


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