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13/6/24

パリ留学時代に経験したセレブ生活

Image by Olia Gozha

私の人生を変えた出会いについて書きたいと思います。

私は25歳のときフランス、パリに留学しました。

留学費は自分でアルバイトして貯めました。

大学で仏文学を学びながら、夜は日本料理店でアルバイト。

ある日、お店に韓国人のお客さんがやってきました。

彼は日本語がペラペラで接客するうちに、私を気に入ってくれたようでした。

「フランス語話せるんでしょ?」と彼が聞きます。

勿論、大学は仏語専攻でしたし、今もパリで生活しているのだから、

私は「話せますよ。」と答えました。

すると、彼は「明日、W杯の決勝でしょ?一緒に見に行かないか?」と言うのです。

彼は韓国の大企業の会長で明日はスポンサーに招待され、W杯を見に行くのだと言いました。私にとって夢のような話です。1998年フランスでW杯が開催され、毎日パリはその話題で持ちきりでした。まして、決勝はフランスVSブラジル。決勝戦のチケットはプラチナチケットと言われていました。

彼は自分は英語は話せるけど、フランス語はまったく話せない。パリに滞在している間、通訳をしてくれないか?と私に頼んできました。

勿論快諾です。次の日にはサン・ドニのスタッド・ド・ラ・フランスに来ていました。

彼ら(彼の会社の社員さんが何人か来ていました)は招待されていたので、試合が始まる前に招待者専用のレストランで食事をします。私もパスを貰って、豪華なフレンチとワインを楽しみました。

そして、決勝戦の席は向こう側にシラク大統領が座る真ん中の席。ネットでは1万ドルの値がついていたそうです。スタジアムの個室にはアーノルド・シュワルツネッガーも来ていました。

試合はフランスの勝利!私は少しフランス語の通訳をするだけで、W杯を見ることができました。

次の日は、パリで買い物をしたいとのこと。

オペラ座からコンコルド広場まで伸びる大通りはブランド専門店が並ぶ日本で言う銀座のようなところ。まずはランバンに入り、大量に買い物をする韓国人の彼。

年齢は44歳くらい。奥さんと子供がアメリカに住んでいると言っていました。

彼は買い物をすると、私にも「なにか欲しいものはないか?」と訊いてきます。

アルマーニで彼が洋服を買っているときにもそのように言われたので、「スーツが欲しい」と言いました。すると、あれよという間に、スーツが見立てられ、アルマーニのスーツとブラウスが私の物になりました。日本円で50万円くらいしました。

彼はお金持ちだったのです。カルティエでもダイヤ入りのブレスレットを買ってもらいました。

フェラガモでは靴とバッグを。なんだか、簡単な通訳をするだけで、こんなに高価な物を貰っていいのだろうか?と思いましたが、「プリティ・ウーマン」にでもなったつもりで、いい気分でした。

お食事は高級レストランでフルコースをいただき、その後は日本人専用のカラオケルームに行って宴会をします。

支払いはすべて彼のブラックカード。こんな夢みたいな話があるでしょうか?

でも、本当だったのです。

お買いものは1週間ほど続きました。

しかし、彼がパリに来たのはW杯を見るためです。帰国のときが迫っていました。

彼は言いました。

「君のおかげでパリの滞在がとても楽しかった。今度どこかに行くときはまた一緒に行こう。」

彼はアメリカとソウルを行き来していますが、世界中に工場があるので、しょっちゅう海外を飛び回っていると言いました。

彼は韓国に帰国しましたが、数か月後「一緒にイタリアに行かないか?」と連絡がありました。フィレンツェに工場があって視察に行くというのです。私はイタリア語ができませんが、

彼も若い女性を連れて歩きたいのでしょう。大学が休みだったので、行くことにしました。

フィレンツェまでのエアチケットが送られてきて、私は一人でイタリアに向かいました。

フィレンツェ、ローマと廻りましたが、工場の視察はほんの少しで、また買い物と食事でした。

今度は通訳をイタリア人スタッフがやってくれるので、私はなにもせず、プラダやフェラガモで買い物してました。彼は10日ほどでまた帰国し、私もパリへと戻りました。

この先、もう彼とはなにもないだろうな、と思っていたのですが、今度はモロッコへ行こうと誘われました。モロッコの企業と提携するので、また通訳を頼みたいとのことです。

モロッコはフランス領だったので、フランス語が通じます。今度も私は行くことにしました。

彼とはスペインで待ち合わせし、飛行機でモロッコのタンジェへ渡りました。

提携先のモロッコ人はタンジェで一番のお金持ちだとのことです。

いったいどんなことになるのか、想像もつきませんでした。

モロッコのホテルは五つ星の高級ホテルのスイートルーム。そこに私一人が泊まります。

移動はすべて運転手つきのベンツ。これは提携先のモロッコ人が手配してくれました。

契約の通訳も書類はもう用意されていたので、私が通訳するのは簡単な会話だけ。

特に問題もなく、契約は終了しました。その日の夜、提携相手のモロッコ人が、自宅に招待してくれました。ベンツで向かったのは、タンジェの丘の上の住宅街。丘にある動物園も彼の持ち物だとのこと。家はイスラム教のモスクのような、モザイク模様の邸宅でした。

広間に通されましたが、私が泊まっているホテルのロビーの何倍もの広さです。

アラビア調の家具やじゅうたんで装飾されていました。

そして、豪華なお食事。羊の丸焼きが出てきて、これは家の主人がさばくとのこと。

アラブのお金持ちはすごい!と圧倒されました。

韓国の彼も立派な邸宅に驚いていました。

モロッコ人のはからいで、その後カサブランカ、首都のラバト、マラケシュに行き、砂漠を観光したり、ラクダのショーを見たり、じゅうたんを買ってもらったり、とモロッコを満喫しました。

私は、またもやなにもせずに、豪華な旅行を楽しみました。

その後も韓国人の彼はタイや韓国に招いてくれました。

バンコクでは憧れのオリエンタルに泊まり、朝粥を食べて感動したり、ソウルでは空港を顔パスでパスポートチェックもなしに税関を抜けるのは快感でした。

彼が空港職員と知り合いだったからです。

彼がどのくらいVIPかというと、韓国の大統領の晩さん会に招待されるくらいです。

会社は韓国人なら誰でも知っている会社です。

彼と知り合って、パスポートのスタンプがどんどん増え、ブランド物のバッグやアクセサリーも増えていきました。

私はもともと2年の予定でパリに留学していたので、日本に帰国することが決まっていました。

しかし、帰国のときも新しいマンションを用意してくれ、就職するまでの生活費も出してくれていました。また、彼が用意してくれた携帯で、国際電話もかけ放題でした。

日本に帰国してからも、彼は私に会いにきてくれました。一緒に熊本にも旅行に行きました。

彼が私に特別な思いを抱いていることに気づいていましたが、彼は妻帯者だったので、私は特別な関係になるのを断っていました。

私が就職し、恋人ができたころ、韓国の彼から連絡が来なくなりました。

私は彼との夢のような生活を忘れることができたでしょうか?

私は、彼から、お金持ちでも悩みはある、ということを教えられて、考えが変わりました。

彼は、初恋の人との結婚を親に反対されて、好きでもない女性とお見合い結婚したそうです。そのことをとても悔やんでいると言っていました。

欲しいものをすべて手に入れたように見える彼にも深い悩みがあったのです。

私は結婚は「本当に好きになった人」としよう、と心に決めました。

その後、出会った男性と結婚し、もう10年以上になります。

韓国人の彼との夢のような生活をときどき思い出しますが、お金で愛は満たされないということを知ったので、今は多少お金に不自由しても、幸せです。

愛する人と一緒にいられること、愛する子供たち、それはお金には変えられません。

韓国人の彼との出会いがなかったら、私はお金至上主義になっていたかもしれません。

今はどこにでもいる普通の主婦ですが、セレブになりたいとはまったく思いません。

彼が教えてくれたこと。お金だけでは幸せになれないということ。


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