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プロフィール第四回

Image by Olia Gozha

物心ついたときから、ずっと家は貧乏だと言われていました。

父は小さな小さな会社を営んでいたのですが、経営が全くうまくいっていないようでした。

家のお金がどんどん足りなくなる一方、アコムや武富士、アイフルなどの消費者ローンで借金はどんどん増えていきます。

ついには母の大切にしていたネックレスや指輪などの貴金属も失ってしまう結果となりました。

しきりに母は「お金がない、お金がない」と言っていたし、父といつもお金のことで喧嘩ばかりして、情緒不安定だったように思います。

やがて母はうつ状態に陥り、ベッドから動かなくなりました。

「死にたい」と泣き喚き、どうしていいかわからず途方に暮れる日々。学校にいるときも、家にいる母が死んでしまうのではないかと四六時中心配をしていました。

授業中に「体調どう?大丈夫?」と、母によくメールしていました。返事は「大丈夫じゃない、死にたい」など。

返信がなく、「死んじゃったんじゃないか」と不安になって学校を早退したこともありました。

図書館でうつ病の本を借りて読んだりもしました。

クラスメイトとおしゃべりして笑っていても、ずっと不安を感じていました。お母さんのことが心配でした。

高校生といえば、バイトをするイメージがなんとなくあります。みんなバイトを始め、放課後も忙しそうで楽しそうでした。

私もバイトを始めようとすると、母から「働いてほしくない」とお願いされ、バイトせずにいました。母は私に依存していたんだと思います。

学校に行く前に母のご飯を作ったり、学校が終われば夜ご飯を作ったり、掃除や洗濯をしたりしていました。

そもそも、こんなに貧乏になった原因は「ある社長が絡んでいる」と母からよく聞かされていました。

父は毎月の売上から多大な額をその社長に支払っており、その用途が全くわかりません。

不審に思った母が、父を問いただすも、言葉を濁すだけだったし、時には喧嘩に発展しました。

父は以前「その社長に大きな損害を出したのでは?」というのが母の推測です。

ある夏、私はその社長へ電話をしたことがあります。

親にバレないよう、電話の子機をベランダに持っていき、社長へ震える手でダイヤルしました。

「社長さんですか?星野の娘です…」

そう言葉をしぼり出すだけで精いっぱいでした。

「…お金を返してください」

緊張しすぎて相手の返事は覚えていません。

会ったこともなく、面識すらない社長に電話をかけて話すのは、当時16歳の私からすれば恐怖でしかありませんでした。

想像の範疇を超えています。

だけれど、そうでもしないと母が死んでしまうのではないかと本気で思っていました。

心臓がバクバクし、血の気が引いて、手が震えても、電話しなくてはならない。それしかない。私も追い詰められていたのです。

しかし結局は、社長からお金が返ってくることはありませんでした。

その夏、両親は離婚しました。

父親が荷物をまとめて出ていったマンションの部屋は、がらんとしたものでした。

父とは喧嘩ばかりでしたが、いなくなると心にぽっかり穴が開いたような気持ちでした。

ある日、母と二人でいるとき、こう言われたことがあります。

「もう今日で終わりにしよう。練炭でも炊いて楽になりましょう」と。

サーっと血の気が引く思いでした。

全身が冷たく、でも汗が噴き出るような感覚。

二度と戻れない真っ暗闇に放り出されるような。

私は母を必死で止めました。私は生きたかったのです。

母はそのときは思いとどまってくれましたが、そういったことが何度かありました。

だから「もしかしたら明日生きていないかもしれない」という恐怖が拭えませんでした。

今日寝てしまうと、明日はもう二度と目を覚まさないかもしれない。

例え今日生き長らえたとしても、きっとそんなに長くないであろうと覚悟をしていました。

それでも少しだけでも生きたかったので、ハサミとか、包丁などは部屋のどこかに隠しました。

母が思い誤り、とっさに一家心中を選ばないようにするためです。

うつは視野を狭くさせるようです。

ただ私としても多感な年頃であったので辛くて仕方ありませんでした。

クラスメイトから「カンナちゃん、今日の放課後あそばない?」と誘われても、「ごめん、無理」と言って直帰。

放課後、プリクラを撮ったり、マクドナルドでだべったり、彼氏と一緒に遊んだり。当時の私は、そんなみんなをとてもうらやましく思いました。

「みんないいな、人生楽しそう」

みんなのほんの些細な日常が、私にはとってもキラキラして眩しく見え、一生かけても手に届かないように思えました。

「本当は私だってキラキラしたい」

オシャレして遊びたい。もっと人生を楽しみたい。でもそんな将来が来るとも思えない。

TVドラマで見るようなOLさんは、ピンヒールを履いて、キレイなオフィスで仕事したり、カフェで食事をしたり。でもそんな将来はこないだろう。

現実は明日生きているかもわからない状態。

何のために生きているんだろう。

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