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解離した自分を取り戻す

Image by Olia Gozha

突然、目の前の友人にスーツケースを投げつけて怒鳴りつけていました。

楽しかった韓国旅行の最初、空港に着いてすぐ。どうして自分がそこまで怒っていたのか、理由もわかりません。

怒りの波が引いた後は涙が止まらなくて、子供の様にしゃがみ込んで泣きじゃくり自分がおかしいと感じました。

22歳の5月

元々家庭環境は劣悪で、姉のDVで殺されかけそれでも私より辛い人も居るという思いと人間不信から誰にも言えず

20歳の時に初めて友人に打ち明けた事をキッカケに人に話す様になりました。

あの時どう辛かったのか、いかに頑張っていたのか、当たり前だと思ってた自分が当たり前ではなく、幸せに育っている人達が当たり前な事に気付いて、自分の苦労を認めて欲しかった。そしてその労りが心地よくて甘えていました。

だけどその一方、段々と離れていく人間を感じました。

頼ってほしい、甘えて良いんだよ

そんな綺麗事ばかり言う癖に、人間は人の辛い苦労自慢に対して自己防衛しかしない。

私は何を無駄な事をしていたんだと思い、昔の様にもっと閉鎖的な自分に戻りたくて沢山の人を切りました。

所詮番号やIDでしか繋がれない人間関係等あってもない様なものと考えながらも苦しくて悲しくて、どうしたらいいか分からずひたすら番号を削除して、受信拒否の設定を続けました。

どこまでも人に飢えているのに誰も信じられないギャップに夜になる度に泣いていました。

そして繋がったままの数人の友人

その1人と旅行に行き、私は私の異変に気付きました。

周りからしたら大したことない気のせいと感じるかもしれませんが、明らかな異変でした。

なんでもない様な事で怒り、止められなくなり、かと思うと怒っている自己嫌悪に泣きじゃくり、疲れて寝てしまう

旅行後もそんな事が何度もあり、早く死にたい、早く世間に殺されなければいけないと仕事以外の人との関わりを避けていました。

仕事中もたまに怒りが抑えられなくなり過呼吸の様になる時があり怖くなった私は病院に行きました。

そもそも怒りが起きなければなんともなく、おかしいとも思いませんがいつそれが来るか分からないため病院に行ったり行かなかったり、すぐに病院を変え悶々としていました。

病名も薬も次々変わります。とにかく動けなくなる事が怖くて必死でしたが、最後に行った病院で出された病名で納得する事ができました。

解離性障害

昔切り離していた子供の自分の感情が何かをきっかけに今の自分の感情とぶつかっている。だから大幅に感情が揺れてしまう。

お医者さんのカウンセリングでは過去の話を聞かれても詰まる部分が確かにあり、だからこそこうして明るい自分がいるのかと思い、だけどあまり自覚がないので今でもそれが適切かわかりません。

それでもこの唐突に起こる自分の感情は昔の私のものであると受け入れる事ができました。

私は人間不信と言葉では言いますが

とにかく誰かに愛されたくて

だけどそれが浅はかだと思ってしまう

自分の中の求愛と不信の矛盾のせいで人との距離が近づけません。

だけどこうして今自分が自分の苦労を受け入れる事でインナーチャイルドの癒しになるのなら、ここから私の人生はまた始まる様に感じています。

もちろん異変に気付いた頃、病名を言われた頃はとにかく毎日の様に泣き、人と離れていました。でも過去の自分を受け入れられるのも、未来の自分の為に動く事ができるのも自分です。

それに気づけた今、世間に殺されたいと毎日思っていた自分を自分で殺し、生まれ変わる時だと思います。

私の人生のテーマは自由。原動力は幸せな人に対する劣等感。

だからこそ今から這い上がります。

誰かに愛して欲しい、受け入れて欲しいと思う方

自分を愛してくれるのは誰よりも自分です。

まずは自分が愛してあげてください。

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