身体を絞り込もうと、ダイエットを始めると、最初のうちは順調に体重も落ちていく。
その変化を喜んでいると、そのうち、何をしてもピクリとも成果の上がらない「停滞期」が訪れる。
本当は、進んでいるのに、すべてが止まってしまったように思えるこの時期に、それまでの努力をふいにして、何もかもあきらめて投げ出してしまったという話はよく聞く。
自分自身の中の成長は必ずあるのに、目に見えるものがなくて、やめてしまいたくなる。
いや、違うよ、そこを超えれば「成功」が待っているんだから、がんばれよ。
そんな思いを込めて、豊は、2017年の年末に「停滞期」という歌を作った。
実際、豊の気持ちは、悶々として、すぐれなかった。
これは、望んでしたことだった。
サッカーに挫折して、音楽を選び、仕事と音楽の狭間でもがいた後、また音楽を選んだ…だから、これは、望んでしたことだったはず…
でも、これは欲しかったものじゃない…これが欲しかったわけではない…
それがわかることだって、成長であり、前進なのだが、出口が見えなかった。
ここを超えれば、きっと明るい陽が差し込むんだ と自分を励ましてみるものの、毎日が雪崩のように押し寄せて、予定をこなすだけで精一杯の日々が続いた。
ステージの上では、そんなことはおくびにも出さない。
豊も礼央も、何もかもがうまくいっているようにふるまっていたが、水面下では、足をばたつかせて喘いでいた。
もう、行く先がわからないまま、その場しのぎに活動をしているような状態だった。
とうとう、自分たちで答えがだせないことにしびれをきらせて、豊と礼央は、2017年の夏、ついにお世話になっている音楽会社の社長に泣きついて、「活動を整理する」という目標を手伝ってもらうことにした。
そんな相談をしたすぐ後の9月、音楽会社を挙げての大きなイベントがあり、豊と礼央も2ndLEGとして参加した。
イベントは大成功で、2ndLEGは周囲にも評判がよく、また次のオファーが舞い込んだ。え~!これでは、何も変わらない。
豊と礼央は、2ndLEGを解散するか、思い切ったシフトチェンジをするか、と真剣に話し合った。
2人共に、なにか一本筋を建てて、考えていかなければいけないということでは合意する。
しかしながら、情けないことに、「何か一本」という「何か」が何なのかがみつからないのだ。
みつからないから、しがらみや成り行きに流されて、また、予定ができてしまう。
頼みの綱だった音楽会社の社長にも、この流れが強すぎて止めることができなかったようだ。
豊と礼央は、さながら、川の流れに翻弄されて、身をよじり、岩にあたって傷つく枯葉のようだった。
2か月に1度、2ndLEGは、知り合いに紹介してもらったとあるイタリアンレストランでライブを続けていた。
豊は、なるべく縁をもらった場所では、その店の雰囲気に合わせた曲を作って、残したいと思っていたので、古民家カフェに出会ったときには、改修工事を手伝って、イメージを膨らませたりもした。
蕎麦屋で、そばを食べながら作った曲もある。
このイタリアンレストランを訪れた時には、以前、スペインの真っ暗な波打ち際の記憶をちりばめながら作った「ベベドール」が、豊の胸に浮かび上がってきた。
「ベベドール」の兄弟曲…そんなアイディアが豊を覆った。
スペイン語のベベドールに対して、イタリア語のベビトーレ、おっ、いいじゃないか…
豊は、自分の思い付きにとても満足した。
僕も、彼の思い付きにのって、歌ってみた。
礼央と2ndLEGを組んで最初に作った曲 ベベドール…
今、行く先も見えないこのユニットの苦悩を、酔っぱらって紛らわせたい…
ベビトーレには、そんな豊の無意識の思いが吐露されていたのかもしれない、と僕は思い返す。
その年の10月にも、すでに決まっていた大きなイベントがあり、2ndLEGは流れのままに参加して、成功した。
流れは、勢いを緩めることなく、ボロボロになった枯葉をさらに傷つけながら運んでいった。
音楽会社で、12月に「回遊魚」というタイトルのCD を発売することも、翌2018年3月に、チキンジョージでCDと同じタイトルのワンマンライブをすることも、疲れ切った枯葉たちには、もう止める術を見つける元気さえ残っていなかった。
これが欲しかったわけじゃない…この「停滞期」は、彼らにとって本当につらい時期だったと僕も思う。