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【母の臨終】生きようとしてくれた/人生でいちばんつらかった言葉

Image by Olia Gozha

私の家庭は、母が亡くなる3年ほど前から少し不安定だった。

いろいろな人のプライバシーにかかわることなので詳しく述べることはできないけれど、

本当に“やばい”状態だった。


母が危篤状態のとき、兄がある夢を見たと言っていた。

母に「戻ってきて」と言ったけれど、首を振られてしまったと。

そのまま母は遠ざかり、見えなくなってしまったらしい。


「お母さんはもう生きたくないのかも」


はっきりと言葉にはしないが、私たち兄妹にはそんな考えもよぎっていた。

いつか、ふらっと消えていなくなりそうな、

母はそんな空気をまとっていた。



だから私は、うれしかった。

母が、遠のく意識のなか自分で救急車を呼び、助けを求めたと聞いたとき。


「生きようとしてくれた」気がした。

それだけで充分だった。


ことの詳細はこうである。

母は、昼食を食べたのち体調に異変を感じた。

くも膜下出血の経験から、ただごとではないと察し救急車を呼んだ。

そしてそのまま意識を消失したらしい。


救急隊がかけつけ、チャイムを押すが応答がない。

和室にいた祖母が鳴りやまないチャイムを不審に思い、杖をつきながらリビングにいる母を呼びに行った。

そして、こたつでうつぶせになり倒れている母を見つけた。


祖母は本当に強い。

本当に頑張ってくれた。大正一桁生まれの自慢の祖母。


歩くのもやっとという状態で、

20cmはある上がり框を降り、玄関のカギを開け、飼い犬が邪魔をしないようロープをつなぎ、

救急隊を迎え入れたのだという。


救急隊は、母のそばにあった携帯電話を使って父の会社の連絡先を調べ、状態を伝え既往を確認し、搬送先を相談してくれたそうだ。


いろんな人のおかげで、母は無事病院に到着することができた。

そこから先の日々がつらいものであったとしても、

「助けて」という、その瞬間の母の必死の願いが届いたことは事実だ。

奇跡の連鎖だったと思う。


娘のくせに何を言ってるんだと思うだろうが、

“母が自分で通報した”という事実に驚いた。そしてうれしかった。


生死の狭間で

「助かりたい」「死にたくない」と思ってくれた、

生きるほうを選ぼうとしてくれた、

その意思がうれしかった。


願いはかなわなかったけれど、母の最後の意思表示がポジティブなものであったことに今も救われている。


祖母にも、感謝の言葉以外みつからない。

嫁姑であったが、ふたりはとても仲がよかった。

ふだん私たちが学校へ行っているあいだ、ふたりがどんな時間を過ごしていたのかはいまとなってはわからない。

だけど、お互いに敬意をもち、優しさを向けあっていた。


祖母は、自宅で行った母の仮通夜で、人目もはばからず号泣した。

あれほどまで悲しく声をあげて泣く人を、私は初めて見た。


そして、

「ごめん」と、私と兄に謝り続けた。


「なんで。なんでこの人が先に死ぬの。

わたいが先に死ななあかんのに。かわいそうに。

アキ、ごめんな。わたいが生きててごめんな」


人生でいちばんつらかった言葉。

なぜ祖母が謝る?

祖母がいたから、母はあの日救われたのに。


大好きなおばあちゃんが、

大好きな母の通夜で、声をあげて泣く。

「生きていてごめん」と謝る。

頭を下げる。


いまでも鮮明に思い出す。

あの、悲鳴のような泣き声。


それから3か月も経たぬうちに、

母の後を追うように祖母も他界した。


母の四十九日と、祖母の三七日法要は同じ日だった。


同時に火を灯したろうそく。

母の分はみるみるうちに溶けてなくなり、

祖母の分はゆっくりゆっくり燃え、最後の最後まで火を残した。


まるでふたりの生き方のようで、不思議だなと思った。








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