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僕が不登校になった訳。(1)

Image by Olia Gozha

今冷静になって考えてみると、僕が不登校になり始めたきっかけは、主に2つあったと思う。

 1つ目が、中学3年生の時にひどいIBSに蝕まれ始めたことだ。といっても、僕は一般のそれのように「自然とお腹が痛くなってくる」という感覚はなく、「自分で自分を苦しめている」という感覚だった。ノイローゼの2次作用として、「自分で自分を苦しめて楽しい」と感じることがあるため、僕のその感覚はノイローゼの2次作用と共通する部分があったことが今になってわかったが、当時は自分を完全に「おかしい奴」だとしか捉えられなかった。

 精神科には行かず、SCや担任の先生に相談しても、ノイローゼだとは解釈しかねるという状況で、僕は「学校に行くと苦しいから、学校に行かない」という道を、自分自身につくってあげることが出来なかった。学校に行かないのは、単なるわがままだと終始一貫して感じていたし、実際学校に行き普通の生徒と同じような時間を過ごせないのが悔しく、また学校に通い続けていたいと強く感じていた。

 だがIBSという害虫は、そんな生半可な心意気ではとても精神を安定した状態に保てる敵ではなかった。僕は、高校1年の時、限界に達して、自殺未遂をした。自殺未遂をした際に、病院に入院して、主治医といろいろ会話を重ね、それから僕の周りはより行きやすい世界へと変わっていった。

 今思うと、「学校に行かない」という選択肢は、自分のためにつくるものではないのではないかと強く感じる。自殺をすると、周りに悲しむ人が必ずいる。特に親などはその典型で、子供が亡くなって精神病を患った親御さんを僕でさえ何人か知っている。

 学校は、自分のために行かないのではなく、周りのために行かない。

 もちろん僕は学校に行けない自分が大嫌いで、今だって希死念慮は消えていない。でも、学校に行くか行かないかというのは自分の選択で、世間体にまたは他人軸に合わせる必要はないと、色んな人の意見を聞いて改めて強く考えるようになった。あくまでも、「自死」という選択は、不登校になることなんぞに比べ物にならないほど重大だ。

 僕は、こんなことを言っていいのかと思うが、正直この世界が大嫌いで、死にたい気持ちはアクセサリーのようにぶら下げている人間だ。ただし、学校に行く必要性にとらわれて、視野が狭くなっているなら、それはもったいないとまで感じる。

 だって、もう生きづらさを抱えてるってことは、非生きづらい人とは尺度が違うってことで、僕たちは僕たちだけの尺度があるってこと。周りに理解は得られなくても、こうやって、「生きてる」だけで、もう偉いんだって、僕は思いたい。

 普段お世話になるカウンセラーに言われて嬉しかったので、書きました。

●次の記事 → 僕が不登校になった訳(2)

  https://storys.jp/story/33619

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