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【母の臨終】あの朝

Image by Olia Gozha

母が倒れた日の話をしておかなければならない。

私には、一生消すことのできない、取り返しのつかない後悔があるから。


母が倒れたと連絡を受けたのは、5-6時間目ぶち抜きの、家庭科の授業のなかばだった。

将来設計の授業かなにかで、持参したチラシから欲しい家具を切り取り、家を作るという作業をしていた。

細かな作業が嫌いな私は時折窓の外に目をやり、

体育の授業を受けている隣のクラスの好きな人を、目で追っていた。

一番窓ぎわ、うしろから2番目の席だった。


突然、事務員さんが教室に入ってきた。慌てた様子だった。

先生を呼び、何か伝えている。


(だれかなんかあったんやろなあ)


他人事だと思いながらそんなことを考えていると、先生が私の席まで駆け寄ってきてこう言った。


「お母さんが倒れたらしいから帰りなさい」


「は?」


何言ってんの?と思った。


「おばあちゃんじゃなくて?お母さんが倒れたの?」


なぜそんなことを聞いたのか、失礼にもほどがあるが、

足腰が弱りはじめていた祖母が倒れたというのならまだ理解できたからだった。


先生は、

詳しいことは分からないが、倒れたのは母だと聞いたという。


帰っていいと言われた。


帰っていいと言われたものの、どこへ行けば良いのか分からない。

でもせっかく帰っていいというので、教科書や筆記用具をまとめて教室を出た。


嫌いな作業の授業だったから、

「ラッキー」という気持ちが少しあった。

たいしたことないだろうとも思っていたから。


そのとき、母が昔言っていたことを不意に思い出した。


「昔、数学の授業中に『お母さんが危ないから帰りなさい』って言われてん。

数学嫌いやったからラッキー!と思って帰ったんやけど、お母ちゃんそのまま死んでしもてな。

親不孝やなぁ罰当たりやなぁって今でも後悔してる」

母もまた、14歳という幼さで母親を亡くしている。


なぜそんな話をこのタイミングで思い出したのか。

いずれにせよ私もまた、同じ後悔を抱えることになった。

もうひとつ、この日の朝の後悔に比べれば小さいものであるが。



家庭科室を出て、まず教室に向かったと思う。 

荷物をまとめて、リュックを背負って、まだ授業中の静かな校内を歩く。

どこへ行けばいいのか分からない。


どうしたら良いかわからなくて、まず兄に電話した。

兄は年子の高校3年生だったが、2月ということもありほとんど学校へは来ず、その日も塾の自習室に行っていた。


「もしもし、聞いた?」私が訊ねる。

「聞いた。なぁ、変な話やけど…死んだんかな?」兄が言う。

「いや、それはないやろけどさ、ていうか誰が救急車呼ぶん?

どうやって家入ったんやろ?」私が答える。


今思えば、そんなことを言い出す兄も、しょうもないことが気になる私もたいがいおかしい。

ふたりとも口調だけがやけにまともで、言ってることはちっともまともでなかった。


結局どうするのか、どこへ行けばいいのか、一緒に行くのか、大事なことは何ひとつ決まることなく電話を切った。


本当にどうすれば良いのか分からず、立ち尽くす。


電話を受けた事務員さんに聞いてみようと思い立った。

そもそも誰から電話があったのか、私にどうしろという指示はあったのかを確認しようと思った。

そもそもこのことを父が知っているのかも分からない。



事務員さんいわく、父から電話があり、O病院にいると言っていたそうだ。

O病院。

母が昔、くも膜下出血で倒れた時に入院していた病院。


(あ、お母さんが倒れたんや)


ようやく理解した。


当時、父は携帯を持っていなかった。

母の携帯にかけてみるという機転も私にはなかった。


学校の公衆電話に置いてあるタウンページでO病院の電話番号を調べ、電話をかけた。


一度目は、父が席を外していると言われた。

自分の番号を伝え、折り返してもらうよう頼んだ。


すぐに折り返しの電話があった。父だった。


やっぱり倒れたのは母で、早く病院に来いと。

来たら3階の窓口に声をかけろと言う。


「学校から病院までどうやって行くん?なにで行けばいい?」

聞いてはみたが、

「知るかそんなもん、自分で考えろ!」

電話は切れた。


もともと短気な人ではあるが、さすがに父もいっぱいいっぱいだったのだろう。


母が倒れたということが、

どうやって父まで伝わったのかも気になったが、

とりあえず父はもう病院に到着しているのだと思うと少し安心した。


しかし困った。

O病院がどこにあるか、だいたいは分かるが行き方は分からない。

高校2年生に、タクシーを使うという頭もお金もない。

着払いなど知らない。


とりあえず電車に乗ろうと駅まで歩いた。

急ぐことなく、とぼとぼ歩いた気がする。

いや、少しは急いだかもしれない。


このときも、

(どうやって病院行ったんやろ)

(家の鍵、だれが開けたんやろ)

(お父さんにだれが連絡したん?)

と、しょうもないことを考えていた。

答えが分かったところで、事実は変わらないというのに。


駅に着くと、叔母から着信が入った。

叔母も病院へ行くという。私がどうやって病院へ行くのか心配になり、電話をくれたらしい。


学校の最寄り駅からO病院までは電車で20分、そこからタクシーなら5分で着くし、歩いても行ける。

だが、当時の私はそんなことを知らない。


「とりあえず家に帰る。おばちゃん、病院行くならアキの家寄って。一緒に連れてって」


学校の最寄り駅から自宅の最寄りまで20分、さらに歩いて20分。

自宅からO病院までタクシーで20分。

タイムロスもいいところである。

だけどそのときは、誰でもいいから大人といたかったのだ。


家に着いた。

飼っていた犬、混乱する祖母、散らかったリビング、そこにあったひとつひとつを今でもはっきりと思い出せる。

私が取り寄せていた大学の資料がちょうど届いていたようで、テーブルの上に並んでいた。


(お母さん見たかな)


母がもしいなくなったとしても、

私がこういう学校へ行きたくて資料を集めているということが伝わってたらいいなと、

その時だけはわりとまともなことを考えていた。


ただ、

今読む必要などまったくないのに、リュックを背負ったまま、叔母が到着するまで無心で資料を開封し続けたのを覚えている。


祖母は足が悪いからついては行けない、行かないという。

ますます、誰が救急車を呼び、どうやって病院まで運ばれたのだろうかと不思議になった。


(続く)



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