本屋さんで知らないおばあちゃんに、
「あなた若白髪?」と聞かれました。
ええお察しの通り、わたくし30年来の若白髪ですよってにその旨伝えましたら
「やっぱりねぇ」と。
見抜かれたことなんてなかったので、どうして分かるのか聞いてみたら、
「白髪が若いの」と。
そんなことあるのか?と思いつつも、当たってるんだから文句は言えません。
そういえば昔は、立ち読み中うしろに人が通ると見られている気がして嫌だったことを思い出した。
白髪にしても、まぁアトピーにしてもそうやけど、
「好きでこう生まれたんじゃないんだから」と、隠すことをしてはいけないような気がしてた。
「自分のせいじゃないことを、どうして恥じないとならないんだ」と、思っていたわけではなく、思いこませようとしていたような気がする。
恥じることが恥ずかしかったのかな、コンプレックスやと認めることが恥ずかしかったのか。
親に悪いなってのは大きくあったようには思う。
本当はたぶん、嫌で嫌で仕方なかった。
もう覚えてないけど、覚えてないくらい抑制してたのかもしれない。
「白髪染めしたい」って親に言えなくて、
「茶髪にしたい」って言葉をひねり出したのは覚えてる笑
まったく茶髪になんてしたくなかったけど。笑
でも
髪を染めるようになってから、本屋さんが怖くなくなった。
整列も、後ろの席に人がいるのも、怖かったことすらもう忘れてる。
肌も、ようやく合うスキンケアが見つかりそうで、
初めて化粧下地とファンデーションをつけたら大げさでなく世界が変わった。
顔が赤くないだけで、傷がないだけで、
前を向けるし人の目を見て話せる。
友達と写真を撮る機会も増えたかも。これは嬉しい。思い出を残せる。
隠して勇気が出るなら、世界が広がるなら、
隠せばいいと思う。
誰も気付かない、誰にとってもどうでもいいような些細なコンプレックスで、
私たちは下を向いてる。
でも、誰も気付かない、誰にとってもどうでもいいような変化で、私たちは前を向いて生きていける。
世界は確実に変わる。
だったらもったいないね、悩んでるのは。
まちがっちゃいけないのは、
自分のせいじゃないことで、恥じる必要はない。
それは絶対にない。
でも、もしもそのことで人生に不利益があるのなら、
隠せるもんは隠したらいいやって今は思う。
どうにかなるコンプレックスならば、振り回される必要はないから。
もっとどうにもならないことで、十分に人生はたいへんだから笑
それでも30を過ぎるまで、どうにかこうにか前を向いて生きてこられたのは、
わたしの場合はまわりの人が優しかったからやな。
いろんな悩みが世の中にはあるけど、
みんなが優しい人に恵まれますようにって思うよ。