これから百年の間、こうして待っているのだなと考えながら、腕組みをして、丸い墓石を眺めていた。
夏目漱石「夢十夜」第一夜の一節。
夢に出てきた女が、もう死にますという。
また逢いにきますから、あなた待っていてくれますかと問う。
死んだら埋めて、墓を立ててください。
日が昇るでしょう、そしてまた沈むでしょう…百年、墓のそばで待っていてください。
また逢いにきますから。
そういって、もう女は死んでいた。
そんな話。
昔、読書感想文を書く課題があって、第一夜のこの一節の感想を書いた。
読書感想文はそういうものじゃないって怒られたけど、とにかくこの一節が心に残った。
淡々と書かれていて読み飛ばしそうになるけど、
なんにもない世界で、墓石を眺めながら、
これから百年の間こうして待っているんだな、なんて、どんな感情だろうと。
夢なんだけども、なんともいえない切なさと空しさを感じる。
今でもふと考える。
百年。
届きそうで届かなさそうで、わたしにはつかめない感覚。
だからずっと想像してしまう。
ずっと不思議で、ずっと興味がある。
君と好きな人が百年続きますように、なんて歌もある。
永遠の代わりになるくらいの時間。
百歳のおばあちゃんは、百年生きてきたんやな。
すごいな。百年てどんなんやろう。
長寿幸いとはいえ、どれだけの寂しいがあるんやろ。
百年前の1917年は、第一次世界大戦中。
当時を生きてた人は知らないけど、その戦争はいずれちゃんと終わる。
終わるけど、世界はそれからまたいくつも戦争をして、百年後の今も似たようなことをしている。
山田五十鈴が、澤村榮治が生まれて、
シドニィシェルダンもジョン・F・ケネディも生まれたらしいけど、
みんな百年は見ていない。
やっぱり人間にとって百年とは、実にビミョーだ。
そう思うと儚いもので。
儚いものにほど、なぜだか想像をめぐらせてしまうもので。
私にとっての百年は、2086年。
まあ物心ついたころから考えたら、もっと先。
ただなぁ、百年とまでいかなくとも、誰もいなくなって、ひとり丸い墓石を見つめているのは嫌だな。
その感情は、想像だけでいいな。