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二〇一九年二月二二日(金) 後編

Image by Olia Gozha

「よし、こんなもんでしょ。」

 そう言いながら清也がお菓子の袋を差し出してきた。

「いもけんぴ、食べる?」

 ありがとうと僕はいもけんぴを1つ口に運ぶ。オープン前の準備として掃除とドリンクの補充、レジの確認などを教えてもらったが、オープンまでの30分間で1人でやり遂げるには慣れが必要だと感じた。清也が1つずつ丁寧に教えてくれたことがありがたく、彼の几帳面な一面もみることができて、良いスタートダッシュを切れたとほっとしていた。

 

そこに大輔さんが入ってきた。今日もメガネが似合っている。

「お、どう?清也から教えてもらってる?」

 大輔さんは僕を見つけるとすぐに声をかけてくれた。

「おはようございます。トイレ掃除以外ならオープン前にやることは教えてもらいました。」

「いいねー。清也ありがとう。」

 清也はいもけんぴの袋を片手に笑顔でうなずいた。

「そういえば大輔さん、なんで俺を雇ってくれたんですか?」

 オープン前の準備をしながら清也からお店の事を色々と教えてもらっていた。アルバイトは清也を含めて8名いるらしい。お店の運営は平日なら1人でも充分やっていけるようだが、8名もアルバイトを雇っている中、さらに僕を仲間に入れてくれる理由が気になった。

「俺は“バイブス採用”ってのをやってるんだよ。」

「“バイブス採用”ですか。」

「そう。出海君とはお客さんとして話していた時から、なんとなく合っていた気がしてたから、別に悩むことなんてなかったよ。」

 今現在アルバイトを何名雇っているとかは別に考えていなかった、と思わせる口調で大輔さんは軽く答えてくれた。でも本当はもっと色々な事を考えて、即決してくれたんだろうなと僕は感じた。4月からの就職を控えているバイト生も数名いるし、お店も新しいチャレンジを控えているような雰囲気は感じていた。これからどんな場面に遭遇できるのかを楽しみにしながら、大輔さんからの嬉しい言葉を素直に受け取り、お店がオープンした。

 

 ♦

 

 “水たばこ”というものをご存じだろうか。

 近年、日本でも東京を中心に存在感を高めつつある嗜好品である。

基本的な水たばこは塔のような姿をしており、その1階部分では大量の水が入ったボトルが堂々と居座っている。ボディと呼ばれる2階部分からは枝が2本出ている。その1本は短く、小さな煙突のような形をしており、もう1本からは細いホースが長く伸びている。ホースの先には吸い口があり、そこからたばこの煙を吸うシステムである。2階と3階の間には平たいお皿がエリマキトカゲが襟巻を広げている時のように存在しており、それが何ともスタイリッシュである。最上階である三階部分はトップと呼ばれており、たばこを入れる小さなお皿の下から細い筒が伸びた形をしている。塔を真上から見ると、エリマキトカゲの広がった襟巻の中央にトップの小さなお皿が乗っかっているような構図になる。そしてトップにたばこのフレーバーを詰め、上からアルミホイルを敷く。その屋上とも呼ぶべきアルミホイルの上にフレーバーを燃やす炭を置く。

水たばこの楽しみ方は簡単である。

ホースの先にある吸い口から空気を吸い込むと、屋上で景色を楽しんでいる炭が床下のたばこを燃やし、そこから発生した煙が塔を下って1階の水をくぐる。水をくぐった煙はぶくぶくと心地よい音を鳴らしながら、2階のホースの繋がった枝にコースを取り、吸い口から口、喉、肺へと達する。僕は普通のたばこを吸わないのでよく分からないが、水たばこと普通のたばこの吸い方はここからが違うようだ。普通のたばこを吸う時には肺のあたりで煙を溜め込むと聞いたが、水たばこは味付けされている煙を楽しむものなので、肺まで達したらスムーズに吐き出してしまう。口から吐き出すのも鼻から吐き出すのも自由だが、吐き出す勢いには注意が必要である。せっかく塔の3階から急降下し、潜水までして、細い道駆け抜けてくれた煙には美味しい味が乗っている。その味や香りを楽しむためには、「フーッ」と吐き出すより、「ボワッ」と顔の周りに煙をまとわせるように吐き出すほうが良い。

 

この水たばこが今、若い世代を中心に広まりつつある。僕のようにたばこを吸わない人でも味のついた煙を楽しめるだけではなく、誰にも急かされない時間を過ごせることがポイントだ。水たばこは基本的な量だと2時間は味が続くし、ゆっくり楽しめば2時間以上ゆっくりできるお店がほとんどなのである。

上京してきて思ったのだが、東京にはのんびりできる空間が少ない。特にカフェが忙しい。人が多いのだ。並ばないと入れないことも少なくないし、コーヒーを飲み終わったら、席を待っている人が目に入り、「早く出ないと」と居心地が悪くなってしまう。そういうことは気にしない、なんてことは僕にはできない。朝起きたら朝ご飯を食べて会社に行く。お昼にはみんなでランチに行き、仕事が終わったら飲みに行って家に帰る。休日には家事をして、あれをやって、これをやる。次から次へとやることが順番待ちをしているような生き方が、そのまま東京のカフェにも染色されているような感じがした。それが僕には気持ち悪かった。

 

そんな時に水たばこと出会った。

矢部という友人が僕を強引に連れて行ったことが始まりだったが、その時間の流れ方に驚いた。

まるで東京じゃないみたいだった。

水たばこの煙が時間を止め、お酒なんか無くてもいつまでも喋れる。ほとんどのお店にはソファがあり、そこに座ってのんびりしていても誰に急かされることもない。時々、屋上の炭を新しい炭と変えてくれる店員と短い会話をし、すぐに仲良くなれる。時間の流れや人との会話のリズムが東京のカフェとは違い、僕にとても居心地がよかった。今ではカップルや女性だけで来店する人も多く、水たばこのお洒落な塔が様々な人の間に建設されるのを見ることができる。

 

大輔さんはそんな水たばこを提供しているお店のオーナーである。僕もそこでアルバイトとして雇ってもらうことになったのだ。大輔さんのお店にはお客さんとしてよく通っていた。水たばこが美味しいだけではなく、同年代の店員さんや置いてある本、居心地が良すぎるソファなどが気に入っていた。これからはそのお店のカウンターの中に入ることになる。

 

 ♦

 

「お疲れ様でした。ありがとうございます。」

 夕方になり初出勤は無事に終わった。

平日の午後だったこともあり、お客さんはそこまで多くなく、清也から仕事を習いながらリズムよく時間が過ぎていった。お店の仕事はある程度覚えたが、水たばこを作る作業はまだまだ未熟。特に屋上となるアルミホイルを敷く作業が難しい。屋上にはしわが出来てはいけないし、火を通すためにアルミに剣山で開けた穴たちがトップの真ん中に位置しないといけない。

「これは慣れが必要だよ。」

清也が優しく言葉をかけてくれたが、トップの真ん中に敷くために引っ張りすぎて破れたアルミをゴミ箱に何枚捨てたかわからない。焦らずに上達するしかないと前向きに諦め、初日の出勤が終わった。

 

そのまま閉店の零時まで仕事が続く清也を残し、大輔さんにお礼を伝えて、狭い階段を降りる。昼間はあんなに明るかった太陽はビルの向こうに落ち、薄暗く少し寒い外に出ると、時間があっという間だったことに気づかされた。

これからは毎日のようにこの狭い階段を上り下りし、綺麗にアルミが敷けるようになるのかと思うと、少し嬉しくなった。白いシャツの袖口が少し汚れていたが、そんなことは少しも気にならなかった。

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