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一番最初の病院は、川室記念病院だった。

Image by Olia Gozha

女性医師が、理事長の病院で病院に行った経緯は、姉の旦那の行いが悪かったことが原因である。

 まず義理の兄の話をしようと思う。

 義理の兄との出会いは、姉が結婚相手として連れてきたところから始まるのだが、その結婚の経緯がとても複雑であった。

 核心を突くと姉が妊娠したという単純な理由になるのだが、結婚相手として現れた男は、赤ん坊の本当の父親でないということらしいのである。

 この結婚には、私は賛同しづらかったことは夕までもないことであるが、当時の私は中学2年生で性教育などの教育は、さほど受けていなかった。

 中学2年生の思春期の時期に、不始末で妊娠した姉が連れてきた男を素直に「おにいさん」と呼ぶことはできないしまともな人間であれば普通に「おにいさん」と呼べていたのかもしれないが、この男は「自衛官」で「未成年」で「高等学校中退」で、まじめに生きることよりも遊ぶことに重きを置いているような最低の男でもあった。

 最初の口癖は、「実家が金持ち」と嘯いていて、何か困ったことがあれば親に泣きついて尻拭いをして貰おうという魂胆が見え見えで、自衛隊に勤務している期間も当初は、働きながら高等学校を卒業して立派な社会人になるという予定だったのだろうが、何かの間違いで姉と結婚したことにより人生を棒に振ってしまったのかもしれない・・・・


 彼が自衛官になった経緯や困っている女子に対して優しさで手を差し伸べたのか、自衛隊で働きながら高校を卒業するというまっとうな人生に対して嫌気がさしていたり、結婚を理由に基地の外で暮らしたいという願望が彼の肩を押したのかはわからないが、姉と結婚して義理の兄座に座ったのだが、休みのたびにパチンコ店に行って給料をほぼ全額使い果たして消費者金融に駆け込むようになり借金を膨らまして身動きが取れなくなり自衛官としての資質に欠け退職金を借金に充てて人生をやり直そうと試みていた時期もあるものの高校中退という学歴や借金を背負っているという重圧となぜか車の免許を取ろうとせずに無免許で原付を運転していたりと法律を守るというよりもヤクザの世界に憧れを持ち続けているようで、何とか職にありつけたのは、葬儀屋であったのだが、葬式にかかわる人間というのは病院関係者と警察関係者と暴力団関係者などで、なぜ葬儀屋を選択したのかは今でもなぞである。

 単純に借金に追われて精神面も追い詰められて真面な思考回路でない状況で、何時も死と戦争について考えていて死が身近にある職業を選んだのだろうか?

 葬儀屋の仕事の関係で、霊安室に遺体を引き取るなどの関係で知っていた病院らしいのだが、そこで働く医師というのは頭が薄くむやみやたらに薬を飲ませるという投薬中心の医師で、自分が病気でないということを証明するすべがなく何種類もの薬を飲まされ身体拘束をされたり何かの点滴を受けた夜には、呼吸が徐々にできなくなり「自分は死ぬんだ。」と、臨死体験させられて気が付いた時には指一本動かすこともできずに尿道に管を入れられて植物人間になってしまったんだなと生きる希望をなくしもした。

 当時の主治医は、加藤邦夫といいう医師で「デパス」「ジプレキサ」「コントミン」「レンドルミン」を処方されていたのだが、飲んで気分が悪くなるのは当たり前で、さらに隔離室に何日も隔離されて病院というなの刑務所の中だった。

 初めての入院ということだったのだが、「ロボトミー手術」や「電気ショック」といった根拠のない治療を施していて何らかの処置を受ければ廃人になるという認識があり、一度入院したら死ぬまで退院できないという恐怖感も持っていたのであるが、義理の兄はいやのゆうことが正しいと信じ込んでいて何度病気でないといっても聞こうとせずに何かあれば病院に連れて行って入院させればいいという認識を持つようになっており、自分がすべての元凶であるということを知らずに義理の弟の命を地締めようとする病院に連れて行くという最悪の環境に陥らされてしまった。

 

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