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父の死から旅に出た女子大生が、地球の裏側で思うこと

Image by Olia Gozha

わたしの心をかっさらっていったバラナシという街は、約20か国を旅した今でもお気に入りの場所・第1位に君臨している。

バラナシに数日滞在したのち、わたしはコルカタの空港から日本へ帰国した。成田空港に到着してすぐ久々に母へ電話をかけ、声を聞いたとき、わたしは自然と泣いていた。顔も声も普通に笑っているのだけれど、涙が止まらないのだ。そんな漫画みたいなことあるんだ、と第三者目線のわたしは驚く。とにかく、お互いが無事で、安堵した。

しかし、安堵の中で、わたしはすでに次の計画を立てていた。今回の旅はいくつもの都市を少しずつ回った。知見は広がったが、深さはどうか。1つ1つの滞在が短くて、もっと深くその土地の人や文化を知りたいと思うことが、何度かあった。次は、1か所に長く滞在する必要がある……。


父の最期の望み。それは「将来、わたしに母の近くで暮らしてもらうこと」であった。父自身が学生時代から地方の実家を離れて上京し、そのまま都内で結婚してしまったために、親孝行の機会を逃してしまったことを後悔していたからであった。

「今でなくていい。いつか、将来ママが寂しい思いをせずに済むよう、できるだけ近くに住んでくれたら、パパはうれしい。」

わたしは、父の頼みを聞けなかった後悔を、もうこれ以上増やしたくない。今まだ間に合うことならば、なんでも叶えたかった。だから、これからなにか選択に迷ったとき、わたしはこれを何よりの選択基準として最優先させようと、胸に誓った。そして、まずは就活の際に、都内で働くことのできる企業に絞ろうと決心した。

しかしその一方で、わたしはインドを旅したあと、日本の外の世界に対して猛烈な好奇心を抱いてしまっていた。自分の小ささ、世界の大きさ、常識の覆る経験、未知の人生との出会い。

インドでの数日間はわたしが毎日遊びまわっていた1年間よりも、はるかに自分を成長させてくれたのだ。帰国してからわたしは、前より楽に息ができるようになっていることに気づく。帰り道に泣く頻度が減っていることに気づく。大切なものに気づき、それを少しずつ大切にできるようになっていることに、気づく。それを実感したとき、わたしはもっともっと、海外に行く必要があるのだと感じた。

だからといって将来海外で働くことは、父の望みに反する。そして、父の望まないことは、わたしもしたくない。

今しかない。

わたしはこの先も生き続けるために、世界を知らなくてはいけない。


その年の夏、わたしはフィリピンのレイテ島にある小さな村で1か月間過ごした。20歳の誕生日は世界一美しいと言われるミクロネシアのジープ島で迎え、その後休学してオーストラリアに1年間住んだ。それから就活を無事に都内で終え、世界中を回る旅に出た―。


いったん日が昇ってしまうと、水面にも太陽の光が反射し、2個になった太陽の力強い眩しさに目が開けていられなくなる。

ウユニはどうやら今日も晴れだ。雨期にも関わらず、滞在中はずっと快晴で雲一つない。くもりの日も見てみたかったな、などと贅沢なことを考える。

悲しいことから逃げるために始まったわたしの旅は、気づけば地球の裏側、南米まで続いていた。コロンビアから入り、ペルー、ボリビアへと陸路で移動し、今回の終着点、ウユニまで。

移動の多い旅が好きだ。流れる景色を見ながら、ゆっくりと考えることができるから。今回の旅でも、そうやってたくさんのことに気づけた。

いつの間にか、自分の中で「逃げの旅」は終わっていたということ。4年前とは違う。今の自分を駆り立てているものは、もう単純に自分の人生への執着や、執念のようなものなのだと。

旅の中で、わたしはたくさんの知らない街で生き、新しい経験を積み、新しい感情に出会い、新しい自分を見つけてきた。そのたびにわたしは「自分らしく生きている」と実感することができた。そしてそれは普段の日常に還元され、毎日が旅の途中であるかのように、素晴らしく輝き始めた。

自分の人生を愛せるようになった。

自分の後悔を見つめられるようになった。


父からの手紙の最後には、ことばが記されている。そのことばの意味を、最近になってようやく落とし込むことができた。

「置かれた場所で咲く」

18歳で父を亡くしたこと。それはわたしにとって人生最大の不幸であるし、これからもきっと悲しみは続く。わたしはみんながやるように、初任給でちょっといい食事をごちそうすることもできないし、一緒にお酒を飲みながら仕事の話をすることもできない。結婚式で花道を歩いてくれることもない。孫の顔を見せることもできない。定年後には旅行でもプレゼントしたいと思ってた。お疲れさま、ありがとうと伝えたかった。でもそれも二度とできない。

けれども、これがわたしの置かれた場所。わたしはここで、だれよりも大きく、鮮やかに、強くしなやかに、凛と咲く。

旅の中で、世界がわたしに咲き方を教えてくれた。



最後に、旅の副産物の話を。

インドへ行く前、わたしは父の死よりもさらに恐ろしいものに、必死で気づかないふりをしていた。それは母の死である。遺される悲しみを知り、後悔を知るにも関わらず、母を大切にできない自分。もし母がいなくなったらわたしは独りきりになり、これまで以上の寂しさと後悔が残る……。

そうなってしまっては、生きていけないと思っていた。けれど旅の中でわたしは、世界中に友人ができた。言葉が通じなくても、生きてきた文化が異なっても、愛情を感じ、伝え、寄り添い合うことができた。

この先いつかひとりなる日が来るかもしれない。けれど、孤独にはならないだろう。日本にいられなかったら世界のどこかに行けばいい。わたしは歓迎されるし、愛されるに違いない。わたしはそこで自分らしく生きていける。それは大きな希望である。


おわり

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