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現役の路上生活者が半生を振り返ってみた。( 3/3 )

Image by Olia Gozha

路上生活の果てに

ふらふらさまよった先で見つけた廃ビルで身を隠しながらただ漠然と日々を過ごした。

数週間のち最後の収入が入ったので所用を済ませに東京へ向かったが、帰りの飛行機に乗り遅れた。

戻ったところで何かあるわけでもないのでそのまま首都圏の24時間営業の施設や店、神社や寺、駅、公園などで寝泊まりするようになる。

知人のつてで月2回ほどの仕事の収入があり、それでやりくりした。 

冬の寒さに耐えられなくなって手配師に誘われ住み込みの建築会社で働くも元々腰と膝が悪いので長くは続かず暖かくなる頃には再び路上生活に戻った。

だんだんそんな生活にも嫌気がさしてきたが何か始めようとする気力がわかず、ただただ時だけが流れた。

ある時、もうこのまま野垂れ死のうと思い水だけの生活を始めた。

希望も不安もないので猫のように一日中眠ることができた。

1週間過ぎたら空腹はただの痛みに変わった。

2週間が経ち時より走馬灯のような夢を見ることもありこのまま死ねると思った。

3週間になろうとするある日、突然眠れなくなった。

考えたいこともないので時間だけが重くのしかかり一日で気が狂いそうになった。

ふと「路上生活から抜け出すための手引き」みたいなのを印刷して持っていたこと思い出す。

それには緊急避難や自立支援、生活保護、炊き出し情報などが書かれていたがどれも受け入れることができず「路上で雑誌を売る仕事」というページだけが目に留まった。

これならひとまず今の状況は打破できると思い事務所へ向かった。

そこでカレーを2杯ごちそうになったら我に返ったのでまた水だけの生活に戻ろうかと考えたが、折角なので話を聞くことにした。

簡単な経歴を書く紙に趣味の欄があり「踊り」と書いたらスタッフの人が目を輝かせながら路上生活者にダンスを教えているプロダンサーとそのダンスグループを紹介してくれた。

とても興味がわいた。

翌日稽古があるというので見学にいった。

そこには自分が叶えたかった世界があった。

彼らを手伝いたいと強く思った。

稽古後にグループの代表の人から「今度別のダンスのワークショップをやるので興味があれば」と言われ自分自身が踊ることにはもう情熱がなくなっていたが、興味本位でそれに参加した。

受講者のひとりから「本当に楽しそうに踊りますね」と言われた。

なにか熱いものが蘇ってきた気がした。

「自分には踊ることしかない、いや、踊ることがある」と思った。


2017年7月、止めていた時間を動かした。



現在もまだ路上生活からは脱出できていませんが、それでも私は今日も生きています。そして、踊り続けています。

R.I.P. いつか笑顔で会えるその時まで

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