娘、私と同じように足が弱く生まれ、将来立って歩くことはできないと言われていた。
確かにその両足は曲がっていたし、生後翌日から足全体をギプスで固定し。
やはり歩くことが適わなかったから、ずっと抱き上げていた。
抱いてワープロに向かい、負ぶって台所に立ち、抱き上げる余裕もなく横抱きにして仕上がった原稿を郵送するために郵便局へ急いだ。
私の仕事の都合で転居を続ける歳月に、託児所、幼稚舎、幼稚園、保育園と、幼少期の子どもが関わる所へ全部関わることとなり。
卒園をして小学校に入学をすると、
「わたしは、この小学校を卒業するので転校はしません」
と、言った。
うなずいて仕事の整理をし、新しくも求め、娘が帰宅する時間には家にいて、娘が眠るとワープロを開く日を、月を、年々を過ごし、春や夏や秋や冬をくぐりぬけ。
娘は娘として立つようになり、歩くようになり、走るようになった。
それでも、見学をする体育の授業、運動会。
動きに制限がかかる合宿、遠足や修学旅行。
友だちとは遊べず、家で一人で本を読んでいた。
その娘が、足に自信が持てないため高校を卒業したら大学で自分の足でも勤めてゆけるように身につけたいことがあると言い。
高校の学内推薦を受けて大学に進学し、学費免除を貫き。
家庭教師のアルバイトを始め、自転車で遠くの家庭を訪問し、学校からは見捨てられたようになっていた子どもを何人も成績優秀者へ上げてゆき。
ひきこもる子どもと遊び、会話をし、やがて戸外へと出向かせていった。
そうして、この春の卒業で終える家庭教師先のお母さんから、ありがとうの涙をもらった。
娘本人は、新しい土地で研鑽を積むため大学院へ進む。
修学の対象は、言語。
そこに、友だちと遊ぶ足を持たず本を読み続けた娘の姿が浮かぶ。
仕事と入院を繰り返す病室で、
「おこづかい、いらない。グラタンのエビもいらないからお仕事をそんなにしないで」
と泣いた顔を思い出す。
そうして始まった月齢祝いのマカロニグラタンと、誕生日のエビグラタン。
抱きしめた娘の涙を拭きながら、
「足を大事にね、頑張るよ」
と言うと、私の胸の中で声を上げて泣いた。
泣ける胸がここにあることを、ずっと覚えていてほしい。
泣いたら、また歩き出せることを教えてくれた娘に。
ありがとう。
気をつけて、いってらっしゃい。