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スイスへ嫁ぎ、遠くで思う父と母が教えてくれたこと

Image by Olia Gozha

「ボクとケコンしてください」
(僕と結婚してください)

2009年、当時交際中だった日本語ペラペラのスイス出身・アルプスの乙女系男子からプロポーズを受け、「住めば都」と軽い気持ちでスイスに渡った私・ojo。

2012年に第一子となる女児・ペマコを、2015年には第二子となる男児・タマオをスイスで出産。

結婚生活やスイス生活は楽しいこともたくさんありますが、カルチャーショックやストレス、悩み、そして日本に残してきた両親や日本を恋しく思う事もしばしば。

そんな私を助けてくれるのはダンナ様と子供達ですが、それと同じぐらいの愛で私を包み、元気づけてくれるのは日本に住む私の父と母。

スイスで家族を作り、妻として母として異国で暮らしながら、改めて父と母の偉大さや愛を感じる日々。

普段、私の生活を語る時、スイス生活やダンナ様&子供たちとのエピソードがメインですが、ここでは異国の娘を案じながら暮らしている日本の父と母のエピソードについて、感謝を込めて綴っていこうと思います。

*私のスイス生活についてはこちらをどうぞ*
●ブログ https://ameblo.jp/md-rhys/
​●メルマガ https://www.mag2.com/m/0001685109.html


【1.幼い頃は可愛かった私・親の愛】

昨夏、実家に帰った際、ペマコとタマオの七五三撮影もあったことで、家族で私の幼少期の話になりました。

両親曰く、子供の頃の私はとても可愛かったそう。
…親戚内限定ですが。

「ojo(私)は3歳ぐらいまで本当に可愛かったけれど、それからどんどん崩れて。。。」

と父。

「ojoたんは3歳がピークだったね。。。」

と母。
3歳過ぎても家では「可愛い」と言われてきたけれど、それは嘘だったの?!

しかし、自己ベストの顔面偏差値の年齢が『3歳』って。。。
どうせなら20代の"女子として華やかな時代"にピークが来てほしかったな。

第一子ということもあり、子供の頃は家庭内で「可愛い!可愛い!」と育てられた私。
幼い頃、すっかり自分は可愛い女の子なんだと思い込んでおりました。

しかし、幼稚園→小学校→中学校と外の世界に出ると、段々自分が家庭内で言われているほど可愛くない事に気付くワケです。

学年内でブスと認定されている(それもどうよ…だけど)女子から通りすがりに

「ブース」

と言われた時の衝撃。

「ojoちゃんは頬骨と鼻とetc.整形したら可愛くなると思う!」

と、顔面ほぼ整形を無邪気にクラスの友人からオススメされた時の「あれれ!そんなに?」という驚き。

幼い頃は自分は可愛いと思っていただけに、成長過程でガツンガツンやられてしまって、思春期にはすっかり顔面コンプレックスを抱いておりました。

なので、SNSなどで親御さんが我が子を愛するあまりに「(顔が)可愛い!可愛い!」的なことを発信しているのを見ると、その子達がそのまま可愛いく成長してくれるといいなと願うばかり。

…もちろん、顔ばかりではないですよ、人間は。

話は戻り。。。

実家にて私が可愛かったという話をしながら、両親と昔の古いアルバムを見ていると、

「ほら、今よくテレビに出てるあの人に似とるやん!」

と、3歳ピークの私の写真を指さして考え込む父。

芸能人?

誰?!

この場合、親といえども褒められた場合は

「そんなことないよ〜」

と謙遜の姿勢を見せないといけないのかしら?

…などと考えていると、

「ほら!カタカナの!」

え!

まさかのハーフ系「ローラ」とか?!

という私の思考を遮るように、


「思い出した!ブルゾン!!」

カタカナって。。。

ブルゾンって。。。

『ブルゾンちえみ』?!

…違った意味で「そんなことないよ~」発動です。

ここは一発、隣にいる母からのフォローを頂きたいところ。

そんな私の気持ちをくんだのか、母からのコメントは、

「太陽が眩しくて、そういう風な顔にちゃったんでしょ」

…肯定だ!

ブルゾンちえみさんは素敵だと思う。

けれども、ブルゾンちえみ顔の3歳女児って。。。

結局、私は本当に両親の目にも可愛く映っていたのか疑問が残る一家団欒のひとときでした。

********************

『どんな子でも自分の子供はすごく可愛いんよ』

私が子供を持つ前から両親がよく言っていたこの言葉は、考え方の浅い私にとって「?」でした。

でも、自分にも子供ができた時、初めてこの両親の言葉を理解したのです。

顔や見た目じゃない。

我が子はその存在自体が『ものすごく可愛い』のです。

そんな思いで、私にたっぷりの愛情を注いでくれた父と母のように、ペマコとタマオにもたくさんの愛情を注いで育てていきたい。
父と母に感謝の気持ちを改めて感じた私なのでした。


【2.私が離婚されないように心配する母】

みなさんは、カップに入ったヨーグルトのフタは舐める派ですか?

それとも舐めない派ですか?

もち!私は「舐める派」!

なぜかって?

それは、

「そこにヨーグルトがついてるから」(登山家風に)

なのです。

スイスに嫁ぐことが決まって渡航まで残りわずかな日々を実家で過ごしていた私。

ヨーグルトを食べようとフタを開け、そのフタをペロペロ舐めてた私を見た母から、

「ojo!!ヨーロッパは特にマナーに厳しいんだから、そんなもの舐めたらダメ!!離婚されるから止めなさい!!」

と注意勧告が。

ただでさえ嫁き遅れの私が返還されないようにと心配でならないようです。

そんな母の思いをしかと受け止めた私。

「フタ舐め」を封印しました。

そして、スイスに渡航後のある日。

朝食にカップに入ったヨーグルトをダンナ様と食べることになりました。

フタを開けて舐めずに置く私。

ダンナ様に話しかけようと顔を上げると。。。

ダンナ様、めっちゃベロ出してフタ舐めてる!!

こんなにフタを美味しそうに舐める人は初めて見ました。

私の視線に気づいたのか、ダンナ様、

「ん?」

と言いながらペロペロ。

私がおずおずと、

「私もフタ舐めていい?」

と言うと、

「いいよ」

とのお返事。

ここからまた、私のフタ舐めが復活したのです!

お母様ごめんなさい。

私はスイスでフタ舐めしてます。。。

********************

「ヨーグルトのフタ舐め」はダンナ様から受け入れられた私。

しかし、スイスの金属チューブ入りのマヨネーズを使う時に、チューブの真ん中から絞る私にショックを受けたらしく、(ダンナ様はチューブのおしりから少しずつ押す)会社の同僚に相談したのだとか。

「国の文化の違い」ではなく「家庭の文化の違い」にも注意を払わなければならないことを、母の「フタ舐め封印」は教えてくれたのでした。


【3.恥ずかしがらないことを教えてくれた父】

私がスイスのドイツ語圏に御輿入れしてから間もない頃、ドイツ語会話を勉強し始めたらしい父。

一時帰国中に実家のリビングでくつろぐ私に、突然、

「グーテンターク!」
(訳:「こんにちは!」)

と叫んでみたり、

「ヤパッシュ・・・」
(訳:「??」)

↑おそらく「日本語」を意味する「ヤパーニッシュ」と言いたかったんだと思う。

と、ハニカんで言ってみたり。

・・・思春期の延長線上にいる私は思いっきり無視。(あんたいくつだよ!)

そんな父と「NHKドイツ語講座」をTVで見ていた時のこと。

番組の最後に、

「チュース!!」
(訳:「さよなら!!」)

と別れの挨拶を言う出演者たち。

それを見て、

「春日やん!春日!春日!ねっ!」

と、「ワシ、知っとるで!」モードで私にいいトコを見せようとする父。

・・・いやいや!それを言うなら、

「トゥース!」(by オードリーの春日)

やがな!

NHK語学講座の出演者が「全員総春日」になってるのもヘンでしょうよ。。。

まぁ、「チュース」と「トゥース」、似てなくもないけど。

今度から、スイスでドイツ語のサヨナラを言う時は、春日のように胸を張って高らかに、

「チュース!」

と挨拶しようかな。

そんな父や母と、スイスに住む私の連絡はメールとスカイプ(テレビ電話)。

「両親からのメール」と言っても、メールを書くのは主に父。

最初の頃はドイツ語圏に住む娘を思ってか、父もドイツ語を頑張ろうとしていたらしく、日本人の我が娘に向けて、カタカナ表記でドイツ語を織り交ぜてメールを送ってくれていたんです。
…私、日本人だから日本語でいいのに。

例えば、

『グーテンターク! こちらは皆、元気でやっています。今日は温泉に行ってきました。体に気を付けて。ビスバルド!』
(訳:「グーテンターク!」:こんにちは/「ビスバルド!」:またね!)

といったところ。

「グーテンターク!」で始まり「ビスバルド!」という〆で終わる定型文が父のメールなのです。

しかし、母と二人であちこち出かけて楽しく過ごしているうちに、すっかり私のいない生活に慣れてしまっているご様子の父。

父のメールにもおざなり感が出て、カタカナドイツ語もナリをひそめ始めた今日この頃だったんですが。。。

久々にカタカナドイツ語を使用したメールがやって来ました。

「グーテンターク!今日は温泉へ行きました。ゴールデンウィークの予定はまだ決まっていません。元気で!ビスマルク!」

…『ビスマルク!』て!!

それは、社会の教科書にも出てくる、「鉄血宰相」と呼ばれたドイツの宰相の名前でしょ!

それにしても、すごく威圧感のある〆の挨拶です!

とんでもない間違いですが、遠く離れて暮らす両親が楽しく過ごしているようなので安心している私なのです。

********************

日本人の習性なのか、はたまた私自身の性質なのか、外国語を話す時は「文法や単語を間違えないようにしなくちゃ!」と思うあまり無口になりがちな私。

父の学ぶ姿勢や、間違ってもどんどん言葉を使ってみるというチャレンジ精神は、是非見習いたいものです。
・・・それにしても、『ビスマルク』はあんまりですが。

【4.当たり前を当たり前とくくらないこと】

スイスに遊びにやって来て、我が家に私の父と母が滞在した時のお話。

ある日の夜、私が書斎から出ると、ダンナ様のビックリ顔に遭遇。

視線をたどると。。。

なんと、トイレのドアを開けっぱなして、無防備にズボンを下げてこちらに背を向け、尻丸出しで用を足す父の姿が!

…な、なんでなの?おとっつあん!

あまりのことに、見て見ぬふりをしてしまった私。

ダンナ様と二人きりになると、

「さっき、お父さんがトイレのドアを開けたまま入ってたけど、ドアを閉めるのがゆるくて開いちゃったのかな。テヘヘ・・・」

と、父のフォローに回った私。

しかし!

ダンナ様がポツンと発したお言葉は…

「でも、朝も見えたよ。。。」
(訳:「でも、朝もトイレのドアを開けて入ってるのを見たよ」)

…ひえぇぇぇ!

何やってんだ、父ちゃん!

とりあえず確認しようと思い、父がトイレに入った時を狙って近づくと。。。

…やっぱドアを開けっぱなしで無防備な尻をこちらにさらしています!

これはハッキリ注意した方がいいのか?!

でも、いくらオッサンでも、こんな事を娘から注意されたら恥ずかしい気持ちになるかもしれない。。。と、悶々と悩む私。

でも、スイス滞在中にずっとトイレのドアを開けたまま用を足す方がもっと恥ずかしいのではないか?

てことで、父に思い切って注意することに。

「お父さん、トイレに行ったらドアを閉めて用を足してくれる?」

…我ながら「なんだそれ!」な忠告です。

すると、父から意外な答えが。。。

「だって、昨日、ojoが『人が入ってるか分かるようにドアを開けといて』って言ったやろ」

…えっ?!私??

漫画の回想シーンのように、モクモクのフキダシが私の頭上に。

あぁぁぁ!!

言ったよ、私!!

こちらのトイレやバスルームは、使用後にドアを開けておく家が多いんです。
(ドアが閉まっていると、人が入っていると解釈する)

我が家にもこの習慣があるため、ドアが閉まっていると「あ、今、人が入ってるな」と思ってしまうんですよね。

日本では使用後にトイレを開けておく習慣がないため、使用後にきちんとドアを閉めていた父を見た私が、

「(トイレ使用後は)ドアは人が入っているかどうか分かるように開けておいて」

と忠告。

それを、父は

「使用中・使用後とも、誰かがトイレに入ってるか分かるようにドアはオープン」

と解釈した様子。

あぁ!私の言葉が足りなかったがゆえの誤解!(ごめんよ、お父さん!)

しっかし、普通に考えたら、トイレを使用中のなんて、用を足してるところを見せつけられてまで知りたくないよって話です。

外やダンナ様の家族のお家でやっちまう前に気付いてよかった。。。

********************

普段、日本語とドイツ語が聞こえる環境で生活している私。

「日本語」と「ドイツ語」の間で意味を取り違えたりすることには敏感になっていましたが、日本語話者同士の意味の取り違えには、どこか

「そんなの当たり前。お互い感じで分かるだろう」

という考えがあり、すっかり注意を払わなくなっていました。

私の注意力の低下とも日本語力の低下ともいえる事態で父を辱めてしまった。。。

そんな私に父は「背中」ではなくそっと「オシリ」で

『当たり前のことが当たり前でない事もあるんだよ』

と語ってくれたのかもしれません。


【5.父と母が教えてくれた「明日考えよう」】

いつも、「スイスは田舎」だの、スイス出身のダンナ様に向かって「いなかっぺ」だの散々なことを言っている私ですが。。。

実は私の実家はかなりの田舎。

家の周りは山や田んぼに囲まれ、車で5分のところにコンビニがあるものの、24時間営業ではなく午前2時で閉店。

数年前には、山から熊が下りてきてひと騒動あったことも。

一時帰国時には、このような田舎の実家に身を寄せている私。

私が実家に滞在する際は、二階の客室で寝ているんですが。。。

それはある年の実家滞在時の事。

時差ボケ中の私は深夜になってもなかなか寝付けず、本でも読もうと、今は誰も使っていない妹の部屋へ本を取りに行ったんです。

妹の部屋の明かりを点け、本を一冊取り、その足でトイレに行くことに。

廊下が暗いため、妹の部屋の明かりを点けたままでトイレへ向かいました。

トイレから出ると、妹の部屋から何やらカサカサと音がします。

そっとのぞいてみると。。。

部屋の中で何か動物が飛び回ってる!!

・・・うちのダンナ様が「動物が飛んでる!」と言えば「虫が飛んでる!」という意味なんですが(うちのダンナ様、「虫」を「動物」って言うんです)、私が目にしたものは、まぎれもなく「動物」。

その動物とは。。。

なんと!コウモリ!

明かりが点いていると言えども、深夜の部屋でコウモリが飛んでる状況を想像してみてください!

スイカの種が腕にくっついてるのを見ただけでも虫と勘違いして飛びあがる超ビビリな私にとっては、失神してもおかしくない光景。

一瞬思考回路が止まって呆然としてしまいましたが。。。

「おがあしゃーーーーん!!」
(訳:「お母さーん!!」)

と、深夜にもかかわらず叫びながら、階下の母の寝室へ駆け下りる私。

寝ぼけ眼で驚く母に事情を説明すると、二人で妹の部屋へ向かいました。

うちの母、普段は虫でもヘビにでも果敢に立ち向かう「怖い物無し」のオバさんなんですが、今回どうも腰が引けてる様子。

そう。

母が唯一怖いものは、お化けでも虫でもなくコウモリ。

子供の頃、ヴァンパイアの映画でコウモリがドラキュラに変身したのを観て以来、コウモリが怖いんだそう。

そんな母を前に押しやり、背後から逃げる態勢万全でのぞきこむ私。

薄情な人間性丸出しです!

へっぴり腰で、

「なんでドア閉めてないのぉぉ!」

「なんで『お母さん』じゃなくて、『お父さん』を呼ばなかったの!」

とビビりながら怒り、外側からドアを閉める母。

!!

それじゃあ部屋の中にコウモリを閉じ込めただけで、退治になってない!

二人で階下に降り、寝ている父を起こして事情を説明。

一家の主がくだした決断は。。。

「明日考えよう」

えぇ!!

まさかの一晩放置です!

「どっかから入って来たんだから、明日になったらまたどっかから出ていくよ」

と、超テキトーな発言をする母。

コウモリが飛んでる部屋と同じ階で眠れるワケがない弱っちい私。

自分のタオルケットと枕を手に、母が寝ている隣へ転がりこみました。
(アンタ、何歳だよ!)

そして迎えた翌朝。

父の、

「コウモリ捕まえたよ!!」

の声で目覚めた私達。

なんと、自分の手柄を見せに来た父が、釣り用の網にコウモリを入れて、我々の横に突っ立ってるじゃありませんか!

「何やってんの!お父さん!!早く外に出してよ!!」

と、母と私。

せっかく、活躍したのに怒られてスゴスゴと外に出ていく父。

外に逃がした後、我々のところに戻って来て、

「コウモリ、田中さんの家の方に飛んで行ったよ」

と、事後報告も怠りません。

ちなみに、父と母が現場検証をしたところ、コウモリは少し開いていた窓から侵入したとのこと。

いや~!

一晩放置してコウモリはどうなるかと思いましたが、案外解決するものですね!


********************

人生において目の前に困難が立ちはだかったり、問題が起きたりすることは誰にでも起こりうること。

私は目の前の問題をくよくよと考え、どんどん暗い方向に向かっていき、余計に解決から遠のくこともあったり。

父と母のコウモリを目の前にして、”明日考えよう”は『明日は明日の風が吹く』よりは『見て見ぬふり』に近いものがありますが、これもまた目の前の問題からいったん目を離すことにより、解決に向けた名案が浮かんだりするものなのかなと思うのです。

スイス生活の中で、これからも問題が起こることは多々あるでしょう。

その時、父と母が「明日考えよう」と言った事を思い出して一つ一つ乗り越えていきたい。

…でも「コウモリを自宅の部屋で一晩放置」はやっぱりないかな。


【6.母の桃太郎で知るぬくもり】

私の第一子となる長女・ペマコ出産のお手伝いのため、スイスに来てくれた父と母。

ペマコが生まれる直前に、

「昔は、よくojoに『桃太郎』の話をしてあげたね…」

と、母がしみじみ。

幼かった私との思い出がよみがえったのでしょうか。

母が突然『桃太郎』を語り出しました。

『桃太郎』はご存知の通り、桃から生まれた男の子が、お爺さん・お婆さんに育てられ、そのあたりで悪さをしている鬼を、犬・猿・キジと共に退治し、鬼たちの宝物を手に入れて、お爺さん&お婆さんと幸せに暮らすという昔話。

母の語りも、

「むか~し、むかし、あるところに…」

と順調な滑り出しです。

桃太郎は、「犬→猿→キジ」の順に、お供を連れて行くんですが、

母:「桃太郎さん!桃太郎さん!~中略~…お供します!とキジさんが言いました」


と、のっけからキジがお供に。

その後、順調に「キジ→犬→猿」と動物達の出没順を間違えて話は進行。

たった三匹のお供なのに、一匹も順番が当たってないというミラクル!

テキトーな順番にお供を加えて、鬼ヶ島に到着です。


母:「鬼が島には、赤と青の大きな鬼がたーくさんいました」

…えぇぇぇ!

「赤」と「青」の色限定?!

もしかしたら、

「季節限定カラー!赤&青鬼が鬼ヶ島でお出迎え」

的なスペシャル企画だったのかもしれません。

さぁ!

ここから、クライマックスです。

桃太郎・犬・猿・キジが一丸となって鬼退治をするシーンへ突入!


母:「桃太郎は鬼を全部退治しました」


!!


ちょっと!

桃太郎、でしゃばり過ぎ!!

犬・猿・キジ、全然出る幕ないじゃん!

三匹のお供達が「俺たち、何しに鬼ヶ島まで来たんだろう…」と思わずにいられないストーリー展開に。

それに、きび団子の無駄使いってもんです。
(作ってくれたお婆さんに謝ってよ!)


オリジナルの話では、確か、

「犬は鬼にかみつき、猿は鬼をひっかき、キジは鬼の目をつつく」

という設定だったハズ。

気になったので、母に、


「お母さん、お供の動物が全然活躍してないけど…」


と注意を促すと、「あ!!そうそう!」と慌てた母。

三匹の活躍を挿入です!


母:「犬さんは鬼を噛み、キジさんは石を投げ、お猿さんは木の実を投げました」


…待て待て待てぃ!!


犬はオリジナルに忠実&自分の特技を活かしてるから良しとしよう。

しかし!

キジは石を投げれんだろう。。。

そして猿!!

「木の実を投げる」って、鬼に対して攻撃力無さ過ぎです!(きび団子返せやい!)

こうして、桃太郎+三匹のお供は鬼を倒し、物語はエンディングへ。


母:「鬼を全部退治し、桃太郎はお爺さんとお婆さんの家に帰って幸せに暮らしました。おしまい!」


…うそーん!

鬼たちの宝物、持って帰るの忘れてるやーん!!

私がお婆さんなら、​

「桃太郎や、なんでおまえは手ぶらで帰って来たのかい?」

と詰め寄るところです!

なんだか、収まりの悪いエンディングを迎えたワケですが、横で聞いてた父が、


「『桃太郎』の話は、世界中で語られてるんよ。ただ、日本は桃が流れてくるけど、外国は違うものが流れてくる」


と、明らかにガセと思われるネタを提供。

それがホントなら、アメリカあたりでは『ハンバーガー太郎』なんかが出没してそうです。

こんなテキトー且つスットコドッコイな両親に育てられた私。
私がスットコドッコイな大人になったのも納得!

しかし、あまりにも間違いが多いストーリー展開だったので、きちんと訂正しておきました。

その後、父と母にとっては初孫であるペマコが生まれると。。。

訂正され、円熟みを増した『桃太郎』を孫に語りだした母。

「むか~し、むかし、あるところに…」

と、ここだけはスムーズに入って行きます。

桃太郎はすくすく育って、元気な男の子に成長するんですが…


母:「桃太郎はおじいさんとおばあさんに育てられ、立派な大人になりました」


…桃太郎、成人しとるがな!

しっかし、おじいさんとおばあさん、超長生きだわ~

ここから、桃太郎は「犬→猿→キジ」の順にお供を従えて、鬼ヶ島へ鬼退治に行くんですが。。。


母:「桃太郎が犬さんと歩いていくと、キジさんに会いました」


…今回は、「犬→キジ→猿」と、犬以外の順番を間違える母。

何度私が注意しても、そこら辺はテキトーです!

そんなこんなでお供を連れて鬼ヶ島へ向かう桃太郎。

成人男性が犬・猿・キジをお供に連れているなんて、ちょっとアブない感じですが。


母:「桃太郎がどんどんどんどん山の中に入って行くと、青鬼や赤鬼がたくさーんいました」


…「山の中」って。。。鬼ヶ島って「島」じゃないの?!

桃太郎ご一行は、すっかり探検隊きどりです!
(しかも、また鬼の色が「青&赤」限定!)

今回はみんなで力を合わせて鬼を退治。

無事、鬼の宝を持ち帰ったんですが…


母:「桃太郎は町へ帰り、鬼の宝物を町の人々に配りました」

…待てぃ!!

桃太郎って「村」出身じゃなかったの?!

母の語りによると、意外にシティボーイだった桃太郎。

宝物を町の人々に配るなんて、アンタは石川五右衛門か?!って話です。

原作では、宝物を手に入れた桃太郎はおじいさんとおばあさんと一緒に永く幸せに暮らしたハズ。(おじいさんとおばあさんの宝物の取り分が減ってるやん!)

宝物を配り終えた桃太郎。


母:「桃太郎はみんなと一緒におじいさんとおばあさんのおうちに帰りました。おしまい!」


!!


『みんなと一緒におじいさんとおばあさんのおうちに帰りました』


って。。。

望んでもないのに一気に「犬・猿・キジ」のペットができてしまったおじいさんとおばあさん。
(君たちも、自分の家に帰ろうや!) 

宝物の取り分は減るし、余計なペットは増えるし踏んだり蹴ったりです!

ということで、私が前回訂正したにもかかわらず、新たなストーリー展開を生みだした母。


「ママちゃん、『桃太郎』しかお話できんのよねぇ…『白雪姫』でも覚えてれば良かったんだけど。。。」


と、残念がっておりましたが、どうせ『白雪姫』を語ったところで、


「白雪姫は7人の小人を連れて、鬼ヶ島へ鬼退治に行きました」


的なストーリー展開になるに違いありません。

でも、久しぶりに聞いた母の『桃太郎』は内容は覚えていませんでしたが、その語り口がとても懐かしく、子供の頃の思い出がふんわりと蘇ってくるようでした。


********************

私が幼いころに母が語ってくれた『桃太郎』も、おそらくこんな感じでストーリーが滅茶苦茶だったと思うんです。
・・・全然覚えていませんが。

でも、今でも思い出されるのは、近くにいる母の体温だとか、声、息継ぎ、やや一本調子気味な語り。。。と、ストーリーよりも語ってくれた母本人なんです。

きっと、子供の頃に本を読んでくれるのをせがんだり、お話をせがんだりするのは、母のぬくもりを感じたかったからなのでしょう。

私も母となり、

「ご本読んで!」

とよく本を持ってくる子供達に本を読むことがあるんですが、どうしても面倒くさいという思いが先立ってしまい、2倍速の勢いで読んでしまう私。

そんなことなら、自分で作ったストーリーを手短だけど丁寧に語ったほうが、子供達も母の温かみを感じたり、楽しむことができるのかな?と、母の語る『桃太郎』を思い出しながら考えさせられたのでした。


【7.母が教えてくれたものの見方】

『実家天国』とはよく言ったもので、私も日本の実家に帰った際は羽を伸ばし放題。

夏に帰国した際も、じいじ(父)とばあば(母)が一日中子供達を構ってくれるので、スイスにいる時よりずっと楽をしている私。

夕食後のひとときをマッサージチェアに座って過ごす私の目の前で、迷路遊びに興じるペマコとばあば。

しかし、どうやらペマコにはこの迷路の本は難しかったらしく、途中でつまずいてしまいました。

そんなペマコに、


「ペマコ、こういう迷路で分からなくなったらどうするか分かる?」


とばあば。

もち、ペマコには分かるはずもなく、


「分かんなーい!」


とお返事。

私も分からないわ。

どうするんだろ??

首をかしげるペマコが、『人生のビッグパイセン(大先輩)』であるばあばから、こんな教えを頂戴していました。


「迷路の途中で分からなくなったら、今度はゴールからやるんだよ」


!!


もう、


「スタートからゴールに向かって迷いながら道をたどる」


というゲームのルール、そして「迷う路(みち)」と書いて『迷路』という物の趣旨を丸無視です!

おそらく、読書においても、途中でワケが分からなくなったら、あとがきを真っ先に読んでしまうといった人生を歩んで来たに違いありません。


「そうか!」


と納得して、ゴールからスタートを目指して迷路をたどり出すペマコ。

「物の見方を変えてみる」といった点では、ビッグパイセンの教えは、いつかペマコの人生において役に立つ日が来るのかな?!


********************

目の前の事だけを見てしまい、物事を違った視点から捉えたり、別の側面から見ることをなかなかできない頭の固い私。


「 迷路の途中で分からなくなったら、今度はゴールからやるんだよ」


この言葉は、何かにつまづいた時に考え方を変えることを、そして、何か目標に向かっている時にゴールが見えなくなったら、その段階を逆から考えてみると何か見えてくるかもしれないという事を教えてくれました。
・・・『迷路』に関してはただのズルな気がしますけど。


【8.小さなことにも力を抜かない事を教えてくれた母】

毎年夏に一時帰国する我が家。

日本の実家に滞在中は、じいじ(父)とばあば(母)と遊んで楽しい毎日を過ごす子供達。

今回も数年前の夏休みに日本で過ごしたお話。

私がボーッとしてる間に、すっかり日本語/スイスドイツ語のバイリンガルに成長したペマコ。

あっという間に、私のドイツ語能力を超えて行ってしまいました。。。

そんなバイリンガル能力を活かして、ばあばにクイズを出すペマコ。


「✕✕(スイスドイツ語)は日本語で何でしょう?」


孫に出されたクイズに、


「犬?」


と真面目に答えるばあば。

そんなばあばに、


「ちがいまーす!ウンチでーす!」


とお下劣な解答を告げながらゲラゲラ笑い転げる孫。

…イヤな子供です。

余程楽しかったのか、


「じゃあ、△△(スイスドイツ語)は日本語でなんでしょう?」


と第二問に突入。

負けず嫌いのばあば。


「また、やらしいドイツ語なんでしょ?」


とペマコにたずね、その答えを待たずに。。。


「おしり?おしっこ?うんち?ちんちん?おっぱい?」


…勝ちに行こうとするあまり、前のめりで下品な日本語を繰り出すばあば。

(『ウンチ』は第一問目に出題済みだから!)

そんなお年寄りに、ペマコからの回答は。。。


「キツネでしたー!」


…勢い良く下品な言葉を繰り出してしまっただけに、ばあばの周りに恥ずかしい空気が漂います。

恥ずかしさのレベルで言えば、


「今から言う日本語を全部英語で言って」


と言う友達からの問いに、意気込んで臨み、


「キツネ」

「フォックス!」


「靴下」

「ソックス!」


「数字の6」

「シックス!」


「じゃあアレは?」(エロいトーンで)

「セックス!」

「ブッブー!“ザット”でした。」


と言われた時ぐらいの、こっ恥ずかしさはあるでしょう。

幼稚園児といえども侮れない!

まんまと罠にはまってしまったアラ古希のばあばなのでした。


********************

ついつい手を抜いて適当にあしらってしまう子供からのなぞなぞ。

そんな空気を読んでか、出題側の子供も問題を作ることに段々喜びを見つけられなくなり、知恵を絞った出題をしなくなってきます。

ばあばの本気の戦いに、ペマコも知恵を絞ってばあばをワナにかけたのでしょう。

対応する側の大人が小さなことにも力を抜かないことが、子供の力や創造力を伸ばすという事を学んだのでした。

・・・マシンガンのような下ネタアンサーは、聞いている周りの大人がビックリでしたが。


【9.強くなるという事を教えてくれた母】

暑い夏の風物詩といえば、幽霊やお化け。

幼いながらもお化けの怖さを知っているらしく、何かにつけてお化けをコワがる我が子達。

夏に滞在していた私の実家でも、何の話の繋がりからか、お化けの話になり、


「コワイ!コワイ!」


と騒ぎまくる子供達。

そこで、ばあばこと私の母が


「お化けなんて怖くないよ!」 


と一言。

「なんで?なんで?」期のペマコ。

早速ばあばに、


「なんで?なんで怖くないの?」


と質問をぶつけます。

対するばあば、


ば:「ばあば、強いから」


ぺ:「おじいさんやおばあさんは強くないでしょっ!どうしてばあばは強いの?」


…日本を支えてきたお年寄りになんて事言うんだ、ペマコ!

そんなペマコに、ばあばからのアンサーは。。。


「お迎えが近いから」


!!


なんなんだ!

この、間違ってるんだか間違ってないんだか分かんないけど、妙に説得力がある回答は!

しかし、ペマコには難しすぎるようで、煙に巻かれた状態にて終了。

近い将来、ペマコが強い人間に育ち、その強さの源を人から問われた時に、


「お迎えが近いからね!」


などと、ウインクをかましながら答えなければいいのですが。。。

子供達の日本語学習の難しさを日々体感している私には、ちょっと心配になった、ばあばとペマコの舌戦なのでした。


*******************

『お迎えが近いから強い』

という母の言葉。

これはお化けに対して強くなれるという事なのでしょうが。。。

その時期が近い・遠いにかかわらず、いつかは皆お迎えが来るんです。

多少のイヤなことがあってもいつかお迎えが来て、しかるべき場所に行ったらきっと忘れているんだろうな。

そう思うと、限りある人生、イヤなことに意識を向けるよりも楽しいことに意識を向け、メンタルを強くして生きていこう。
そう思った母の言葉なのでした。


【10.おわりに】

普段、滅多に泣かない母。

それは、私が一時滞在を終えて日本からスイスに帰る時でも。

父は私達がスイスに帰る数日前から泣いているので、それを見て母と私の二人で笑うのが我が家のお決まりの風景なんです。(鬼)

しかし、ここ数年、私が日本からスイスに帰る時になると母大号泣。

絞り出すように、


「してあげたかった事、何もしてあげられなかった。ごめんね。」

「作ってあげたかった料理もちゃんと作れなかった。」


と、しゃくりあげながら言う母。

私からしてみれば、毎日私の好きな食事を作ってくれたり、一緒にお買い物に付き合ってくれたり、子供達の面倒を見てくれたりと、毎度十分過ぎるほどの事をしてくれる母。

そんな母の言葉を聞くと、私も涙が止まりません。

数年前、妹から


「両親も70歳近いから、10年後はいないかもしれない事を覚悟しておかないといけないよ」


と言われたんです。

それは私も遠く離れた地に嫁いでから、帰省する度に、


「次回もみんな元気で会えるかな」

「あと生きてるうちに、何回父や母と会えるだろう」


と、うっすらと考えている事。

まだ「あと○年」といった具体的な事など考えたくない。

そのことに関しては自分の中で蓋をしていたところもあった私。

妹からの言葉は、自分が思っていた以上にショックが強く。。。

この数年は、日本の帰省からスイスに到着すると両親の事を考え、眠れない私。

夜中にすすり泣く私の鼻水の音に、寝ていた家族全員が起床することも。

長旅で疲れてるハズの、幼いペマコやタマオに「大丈夫?」と心配される始末。

…いい歳こいて、完全なるホームシックです。

家族は近くにいると当たり前に感じ、遠く離れてそのありがたみを知るものなのかもしれません。

両親と私の時間

子供達と私の時間

ダンナ様と私の時間

あと、どれぐらい残されているのかは誰にも分からないこと。

特別な事がなくても、家族と笑顔で一緒に過ごせる時間があるという事は、この上なく幸せな事なのかもしれません。

そう思うと、


「何でもないような事が幸せだったと思う」 


という虎舞竜の『ロード』も、今ならI got itな気分で受け入れる事ができそう。

…5章まであるのは、ちょっとやり過ぎな気もしますが。。。

日々の「なんでもないような事」に感謝しつつ、丁寧に生きていきたい。

そして、父や母が私に与えてくれた愛情・教えを大切に、今度は自分の子供たちにその愛を受け継いでいきたいと思います。

2019年3月


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