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アホの力 4-27.アホ、振り返る

Image by Olia Gozha

退院後に目指すべき『灯台』を何となく見つけた私だったが、ではどう行動しようというプランはまだ無かった。


しかし間もなく退院する。これは制度の関係で決まっている。私の場合は、7月中旬までだった。


 


何と半年以上入院していた事になる。


結果としてそれほど重篤な状態にはならなかったが、倒れた時は命の危機も感じた訳で。これはあるサイトに載っていた事なのだが、脳梗塞を発症すると、およそ20%の人が亡くなるそうである。死亡率20%…。

20%の人は、後遺症を残さないそうで、それ以外の60%の人は何らかの後遺症を残すとの事。つまり私は、脳梗塞患者の中ではマジョリティという事になる。でも、マジョリティな患者のうち、スムーズにリハビリ病院に転院出来ない患者も結構いるそうなのだ。つまり、2箇所のリハビリ病院に、しかも待たされる事無く入院出来た私は、とてもラッキーだと言える。

 


しかもその入院生活で、たくさんのめちゃめちゃ貴重な経験をさせてもらった。

麻痺した身体に動きを取り戻させ、色々な事を出来るようになっていくのは、赤ん坊が様々な事を覚えていく過程の追体験であった。リハビリの度に発見があり、新しい動きを身につける度に喜びがあった。まさに成長の過程の追体験だ。


こんな体験は普通の生活の中では出来まい。


私を見舞ってくれた人も、物凄い人数だった。数えていたわけでは無いので正確な人数は分からないが、半年ちょっとの入院中、恐らく100人以上の人が見舞いに来てくれた。2度目の転院で、群馬の病院に移ってからも、見舞客は来てくれた。3時間も4時間もかけて、南相馬から来てくれた人も。こんなに嬉しい事は無い。だいたいの場合、自分の価値って低く見積もりがちだが、この事は『案外それって間違いなのかも』と思わせてくれた。私は自身の事を『自分などいてもいなくても同じだろ』と思っていたのだが、きっとそんな事は無いのだろう。


そしてこれは、誰もがそうなのだろう。


そして、死にかけて、体が不自由になった事で、新たな視野が開けたのも感じた。『前向きにならず、ニュートラルで』というのも、病気を経験したからこその視点だ。


そして何より、病院に入院しながら行った講演会&ワークショップをさせてもらうという、極めて貴重な経験をさせてもらえた。これは、負の環境の中から光を発する経験だった。それがどれほど力が湧く事なのか、どれほど楽しい事なのか、どれほどたくさんの学びを得られる事なのか、それらを知る事が出来た。これはこの先の私の生き方の『灯台』になるものだった。


とても良い入院生活だった。

素晴らしい経験だった。

その入院が間もなく終わる。

さて、次は何をしようか?

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