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半径15メートルのインフルエンサー

Image by Olia Gozha

私の母は縦縞のトップに、横縞のボトムを合わせる壊滅的なファッション音痴だ。

見た目より機能性を重んじるあまり、夏の室内ではほとんど裸族。

冬は軽くて暖かい衣服の探求に余念がない。


ある冬の寒い夕方、高校から帰ってきた私は、新聞紙を体に巻き、ミノムシみたいになった母の姿に度肝を抜かれた。



「あんた知らんの? 新聞紙はあったかいんよ!」

おののく私に母はあっさりと言い捨て、立ち上がった。

歩くと紙が擦れてカシャカシャ鳴り、とんでもなくシュールだった。

巨大なミノムシが移動しているみたいだった。


母は運動不足解消のため、毎日近所の人達と夜の散歩に行っていた。

寒さに弱い母は、冬になると、どんどん着ぶくれていき、分厚いおっさんジャンバー、ニット帽にぐるぐる巻きのマフラー、手には軍手と、山登りにでも行くような格好で歩き始めた。

露出しているのは顔だけだったが、母にとっては不本意だったらしい。

ある日、新たなアイテムをまとって、出かけようとした。


「ちょ……待っ……」

私は狼狽しながら、母の肩をつかんで引き止めた。

「なに」

母はオレンジ色の毛糸に覆われた顔で振り向いた。

目と鼻と口の部分だけ丸くくり抜かれたフルフェイスマスクが、ものすごいインパクトで迫ってきて、思わず頭の中がクラクラする。


「キン肉マンやないんやから!」

私は生まれて初めて母にツッコんだ。


ミノムシは許容できたが、キン肉マンは無理だった。


「あんた知らんの? このマスクは、超あったかいんよ?」

母は間延びした声でそう言った。

「そこじゃない!」

私は母を必死で止めた。


たとえ裸族でも、新聞を頭からかぶっていても、家の中ならそれでいい。

しかし、今から母は散歩に行く。

友達数人と連れ立って歩くのだ。


土手を抜け街路を横切り、パチンコ屋の手前でUターンして戻ってくる。

車も人通りも多い、往復10キロ1時間の散歩コースを、この格好で歩くのは、無謀としか思えない。

不審者と間違えられ通報されても、仕方のないいでたちなのだ。


しかし母はマスクを脱がなかった。

声を荒げても、泣き落としても、どんな説得にも首を縦に振らなかった。

マスクの奥にある鋭い瞳から、強い感情が伝わってくる。


『寒いのは勘弁』。


それは、人間の生理現象に基づいた、鉄のように固い意思だった。


「みんなに笑われたって知らんよ!」

不毛な戦いに疲れ果て、私はとうとう匙を投げた。

「笑う人なんて、おりません!」

母も負けじと言い返す。


その時ピンポンと音がして、母の散歩仲間がやってきた。

「はーい」

追いすがる私を振り切って、母は玄関ドアを開ける。

そして勝ち誇ったようにこう言った。

「ほらね!」


そこには大中小のキン肉マンが3人立っていた。

「負けた……」

連れ立って歩くキン肉マン4人組の、意気揚々とした後ろ姿を眺めながら、私は膝から崩れ落ちた。


母の勝利は確定したが、どうしても解せない。

なぜ、彼女たちの間で、あのファッションが、成立してしまったのだろう。


冬になれば、ミノムシ化する母とは違い、散歩仲間たちは着道楽だ。

中でも社長夫人である、佐々木(仮名)さんは、ブランドもののワンピースにハイヒールで颯爽と街を闊歩する、セレブなマダム。

そんな彼女までが、キン肉マンへと身を落としてしまうなんて……。

そこで私は、はっとした。


(忘れてた……母の影響力……)


母には奇妙なカリスマ性があり、周囲の人たちを巻き込んで、ちょっとしたブームを作っていくのがお得意だ。

母が絵にはまれば、みんなが絵画教室に行き始め、お茶を始めれば、みんなも茶道教室に流れていく。

茶道は新しい道具を見せることも大切だが、お金のない母は、手作りのお茶碗や茶杓、灯篭などを使って、毎週お茶会を開いていた。

そうすると高価な道具を買っていた人たちが母を見習い、手作りに目覚める。


そう。

母は半径15メートルのインフルエンサー。


世間に与える影響力は皆無だが、ご近所様への影響力には凄まじいものがある。

その感染力たるや半端なく、あの珍妙なファッションも、独自のカリスマ性と自信に満ちた物言いで、周囲に浸透させてしまったのだろう。


それから長い年月が経ち、母も70をとうに超えた。

歳をとったとはいえ、相変わらずのインフルエンサーぶりで、今では仲間たちに陶芸を流行らせているらしい。

絵画、お茶、着物、陶芸、裁縫、お花、ウォーキングと、様々な遊びや趣味に周囲を巻き込んできた母だったが、あまりにも近すぎて免疫があったのか、私はそのうちのどれも感染しなかった。


唯一、感染ってしまったのは、壊滅的なファッションセンスのみ。

1番、残念な部分である。


そういえば、数日前、母は私にこんなことを言ってきた。


「ワイドショーで言よったけど、新聞紙を体に巻くとあったまるんやって。ほら、お母さん、前からそう言よったやろ」


得意満面の表情だった。


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