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アホの力 4-5.アホ、見舞われる

Image by Olia Gozha

携帯を取り戻した事で、外部と連絡が取れるようになった。facebookを通じて、たくさんの仲間とのつながりを感じた。それは、生き残った事をひたすら悔い、死を望んでいた私にとっては、暗闇に射し込む暖かい光のように感じられた。

とはいえ、私は埼玉の病院にいる。仲間のいる南相馬は、200km以上離れた遥か遠くだ。孤独な気持ちに変わりは無い。

すると仲間から、どこの病院に入院してるのか知らせてくれというリクエストが届いた。そのうち見舞いに行くからと。それならばと入院先を知らせた。

それが1月4日の事だ

 

その翌日の5日、最初の見舞い客が来た。

これには驚いた。

最初に来たのは、『みんな共和国』の仕掛人で、みみセンを共に立ち上げたアリーと、初めて南相馬を訪れた災害復旧ボランティアで同じチームで活動した桜田さんだ。

いきなり2組も!

アリーは福島での活動を終え、こちらに帰ってきていた。桜田さんは関東在住。

この頃には、軽い言語障害はあるものの、会話は出来るようになっていたので、ひとしきりおバカな話で盛り上がる。どんな話をしたかまでは覚えていないが、バカ話だった事は間違いない。

 

次の日は、別の見舞い客が来た。その次の日にはまた別の見舞い客、さらに次の日にも見舞い客と、毎日毎日入れ替わり立ち替わり見舞い客が来た。しかも1日になん組も。

 

これには驚いた。

休日に見舞いに来るならまだ分からなくもないけど、この頃はもう正月休みも開けている。平日に、しかも複数の見舞い客が来るなんて。

しかも連日だ。

 

2011年に南相馬に入って、この時点で1年10ヶ月になっていた。この期間は、既に書いた通り、物凄く濃密な時間になっていた。

その濃密な時間を過ごす中で、私は物凄くたくさんの人とつながっていたのだ。自分でも気づかぬうちに。

ボランティア仲間、南相馬を外から応援する人、仕事として南相馬に通ってる人、みんな共和国のファン、そして南相馬の街の人…物凄い大勢の人達だ。

そして入院先を知らせて1週間もすると、南相馬やその他の福島各地から見舞い客が来始めた。皆口々に

『こっちに友達がいるから、その友達に会うついでに寄ってみた』

『東京に用事があったから、ついでに来てみた』

と言っている。『おいおい、あんたが東京になんの用事だよ?』と突っ込みたくなるような人も。

 

あまりに毎日大勢の人が見舞いに来るので、病院から

『あなたは何者なんですか?』

と不思議がられるほど。

 

そうして、南相馬に関わる人と会い、色々な話をするうちに、私の中に一つの想いが込み上げてきた。

 

『あぁ…うちに帰りてえな』

 

南相馬が強烈に恋しくなっていた。

死を望む気持ちは、少しずつ少しずつ薄らいでいった。

身体だけでなく、心のリハビリも始まったのだ。

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Image by Jukka Aalho

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