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死ぬ準備(生きるプロセス)

Image by Olia Gozha

0.序文

タイトルを見て少々戸惑われた方も居るかもしれません。「死ぬ準備」って、死のうとしているの?大丈夫?とか・・・いいえ、そうじゃないんです。

人間、平等に与えられているのは生と死であって、その中身といったら、毎日せっせせっせとがんばっている。でも、それだけ死に1日近づいているんですよね。だからこそ、生きるプロセスを大切にしましょうね、という意味なんです。

書いていると、結局中身は闘病日記みたいになってしまったんですけど、それでもいいんです。聞いてくれる人が居るならば・・・。

もともとは2017年3月ぐらいからボチボチと書き始めたのですが、2018年8月ぐらいになると急に勢いづいてしまって書いたので、若干、文脈にはズレがあるかと思います。と言うわけで、早速始めようと思いますが、準備はよろしいでしょうか?

  

 

 

1.2016年6月20日の事故に当たって

何から書いたらいいのだろう。とりあえず、拘置所で過ごした3か月について書いてみるか(2016年7月~10月)。

少年・青年期を含めて、およそ自分とは関わりがないと思っていた場所。高い壁、拘置所である。

検事からは、「まぁ、私立の病院みたいにはいかないけど、個人のスペースはあるし・・・」といったことを言われた矢先である。

入所するなり、「全部脱いで」「持っているものは?」と確認され、丸裸にされたのを覚えている。かなり緊張していたために、詳細の要件は覚えていない。ただ、「あぁ、自分は何もかも失ったんだなぁ」という思いだけは強く残っている。

平成28年(2016年)6月20日、自分は飲酒した上で追突事故を起こし、逮捕され不自由の身となった。不幸中の幸いで、被害者の方は軽傷ですんだものの、当初裁判では、「勾留は認めない」という判断であったにも関わらず、あまりにも事故のことを「覚えていない」、繰り返し「覚えていない」というものだから、検事からの準抗告申し立てによって、責任能力を問う精神鑑定をしたいということで勾留(鑑定留置)となった。

ただでさえまともな生活ができない体(限定的生活、糖尿病、うつ病)、としてももちこたえられるとは思えなかった。

警察の留置所から拘置所に移された日、最初に前歴やこれまでの経緯を聞かれ、そのままあわただしく昼食となった。ひととおり生活についての説明を職員から聞かされ、「あのー、すみません。耳の調子が悪いもので・・・」と言ったところ、「何だ、てめえはこれまでの説明を聞いてなかったのか」と言い返された。思わず、「すみません、そういう意味ではないんですけど」と答えたのを覚えている。警察の留置所にいる間に、耳の調子が悪くなり、右耳の聞こえが悪かったのだが。しかし、その応対を聞いた瞬間に「とんでもないところにきてしまった」という思いが芽生えたのも事実である。拘置所とホテルや旅館とは全く違うものであるということ。実際、限られた時間の入浴(10分強)のあと、首からタオルを下げていようものなら、「ここは温泉じゃねえんだよ」と言われたものだ。

拘置所にいる間の唯一の情報源はラジオである。残念ながら、この年オリンピックイヤーと重なり、情報源はラジオに限られた。活躍する日本人選手、しかしそれを見ることはできない自分。何ともやるせなさを感じたものだ。

拘置所の生活は規則正しい。当たり前のことだが。朝7:00過ぎに起床、と言ってもそれより早く目は覚めてしまうものだ。朝食はご飯とみそ汁、そのほかに漬物等。納豆が出る日は特別と言ってもいい。

火曜日と金曜日に物品購入の日があり、その日に購入するアンパン、クリームパン、ジャムパンやチョコレートの恋しかったこと。他に欲の求めようもないこともあり、食欲に向かってしまうものだと思うが、これが血糖値を上げる要因だったことは否めない。(HbA1cが14超)

さて、司法のやり方には苦言を申し立てたい。自分は、三か月以上鑑定留置されていたのだ。にもかかわらず、その期間に医師が鑑定として訪れた回数はたったの2度。健康状態のすぐれない被疑者に対してあまりにも人権を無視した対応ではないか。その上、鑑定が済まないために、さらに期間を延長したいとまで申し出てくるとはいったい何事か。はなはだ人権を無視した行為に不服を感じざるを得ない次第だ。

今後このようなことのないよう願うところである。

失った時間、それは得た時間よりももっと大きいものであることを知っていいただきたい。

 

 

 

2.2011年3月11日・東日本大震災の日

2011年3月10日から日が変わった3月11日、自分は強烈な腹部の激痛におそわれていた。どうすることもできない。ただもだえ苦しむだけ。救急車を呼ぼうか、どうしようか。とりあえず、痛む腹をかかえて苦しむことを選んだ。やがてそろそろ夜も明けようかという時刻、実家の土浦に電話を入れた。「腹が痛くてどうしようもない」。母からは「分かったから、そっちに行くから」という返事であった。あとどれだけ苦しめばいいのだろう。でもどうすることもできない。夜も白み始め、明けたかと思う頃、それでも痛みは続いていた。胃が痛くなるってこういうことなのか、と思っていた時であった。時間が長かった。とにかく会社に休む連絡を入れなきゃ、と思い「休みます」の連絡。仮復職という立場でえらそうなことを言える立場でないにしても、今の痛みではどうすることもできない。朝も遅くなったころ母親が到着。「どうしたよ?」どうもこうもない。動けない、腹が痛い。「どうする?」と言われたので、土浦の実家近くにあるO内科クリニックに行くと言った。そしたら「必要な荷物だけまとめてタクシーででも行くか?」と。そうすることにした。タクシーの運転手はうまいこと乗りこなしてくれ、早いこと土浦まで着くことになった。

早速、O内科クリニックで診察をしてもらうことになったのだが、検査に時間がかかるということで、とりあえず点滴を打ってもらいつつ待つことに・・・そこで例の震災が・・・今まで体験したことのないような揺れ。とても点滴を打ってもらっているような状態ではないことまで分かったところで、人工透析をされている患者さんたちも含めて駐車場に避難するはめに。「まるで野戦病院だね」看護師さんの言葉の通りだった。うちではもうこれ以上処置できる状態にないから、今までやった内容をメモったので、これを持ってどこか大きな病院に行って、と言われ、筑波大学附属病院に行くことに。それでも信号は止まるわ、渋滞はするわで動きが取れず、普段なら30分もあれば行くところ、2時間半ぐらいかかってようやく病院に到着。激しい痛みは続行中。(察してください)。検査のためCTスキャンを撮ろうと思うんだけど、うち(筑波大学附属病院)のが止まってしまって・・・ということで筑波メディカルセンター病院に画像を撮りに行くことに・・・結果、「重症急性膵炎です。原因はアルコールの飲みすぎです。このまま帰るというなら、一筆書いてもらわないといけないぐらい悪い状態です。即入院です、いいですね?」という回答。

何の因果か大地震に命を救われたひとときでもあったのだ。なんということ・・・。とにもかくにも膵炎のほうはおさまり、正式復職を申し渡された6月(もしくは7月?)、どうもやはり精神的に体調がすぐれないため、筑波大学附属病院に入院しようとしたところ、会社の人事がやってきて、正式復職の取り消し(つまりは解雇)を言い渡されることに。

 

 

 

3.最低の医師(と呼べるのかS)

とにかく最低である。精神科医としてではなく、人間として最低である。

患者を一人の人間、人格として認めない診療(すでに診療ではない)、自分本位の意思決定。何をとっても、これまでで最低と言わざるを得ない。いや、最低とも言えない。すでに、ランクづけすることもできないからである。最低ということすらおこがましい。「自分は2,000人、3,000人と診てきたけど、あなたのように信頼されてない患者は初めてだ」。言い返してやろう。自分はこれまで何十人という医者にかかってきたが、こんなゴミくずは初めてだ。このような輩が「医師」などと名乗って業務を遂行していけるのだから、日本の医師免許制度も疑わしいものだ。

 

 

 

4.馬と自分

当初、馬と自分が出会ったのは、子供の頃のテレビであった。競馬中継である。何とも言えない高揚感、しかし、兄の言った一言でその興味はそがれることになる。「こいつ、子供のくせに競馬になんて興味持ってやがるよ」。以後、自分は競馬とは見てはいけないもの、触れてはいけないものとして心に宿した。ご近所には蛯沢騎手が住んでいるというのに。

大学院に行ったある日、その時はやってくる。ゲーム、「クラシックロード」との出会いである。馬を育て、GⅠレースという大きなレースに勝つ馬を育てるゲーム。虜になった。何頭という馬を育成しレースを勝ってもやまない欲求、それはいったい何なのか?特に自分は「ストレスや怪我に強い馬」が好きだった。

もともと自分は体が小さい。できることならやり直して、騎手を目指したいとまで思った。もしも、仮に競馬学校に入っていたとしたら・・・同期には武豊、蛯名正義といった面々がいた世代に当たる。

いずれにしても、週末という週末は、WINS(場外馬券売場)、もしくは中山・東京競馬場に直接出かけて、馬の走る姿に没頭した。そういう自分の買う馬券は、単勝、複勝という馬と騎手固有のものがほとんど。馬券が当たることを期待しているのではない。応援している馬や騎手に勝ってもらいたい思いで買う馬券だ。だから、これといった馬や騎手に目をつけるとその単勝、複勝馬券を買う。そしてラッキーにも当たると、また応援したくて同じ馬や騎手の単勝、複勝馬券を買う・・・ではずれる。その繰り返しである。だから、馬券で儲けようと思ったことは一度もない(別に損をしたいわけではないが・・・)。応援した馬(と騎手)が無事にスタートしゴールすれば一仕事終えたことになる。そこで当たってくれるものなら、これ幸いとしか言いようがない。所詮、競馬で馬や騎手の勝つ確率などたかが知れたものだ。連勝などそうそうするものではない。

馬との出会いという意味ではもう二点挙げることができる。ひとつは、いわゆる一口馬主制度、もうひとつは乗馬である。

先述した「クラシックロード」でもそうだが、産まれた馬に何と名前をつけようと頭を悩まされることほど楽しいことはなかった。それが、確率ははるかに低くとも、一口馬主という制度を利用すれば可能になるかもしれない、そう思った瞬間、いてもたってもいられなかった。

自分が名前を付けた馬が実際に走る、そう思っただけでわくわくしたものだ。しかし、出資数は何百分の一、とうてい名前を応募したところで通ることは難しい。結果から言ってしまえば、自分の出資した馬はそれまで10頭。いずれも何とか重賞出走ぐらいまでは、と望んだ馬だったが、決して成績は芳しくなく、牝馬の鹿毛コールミークイーン(サクラバクシンオー産駒)の1勝、牡馬の栗毛ダイヤモンドスター(フジキセキ産駒)の3勝のみであった。そしていよいよもう最後にしよう、これ以上出資することは意味をなさない、そう思って充当金(未勝利で終わった馬の出資金を充てることができる制度)を一頭の値の安い馬に充てた。未勝利馬を多く抱えていたので、ある意味新たに出資する金額に余裕は無かったのだが・・・その馬はオールフォーゲランの05、父アドマイヤコジーンという芦毛の牝馬だった。そして名前募集の年(2007年)、始めは、永く記憶に残る名牝になるようにという意味を込めて、“エターナルフレイム”(永遠の炎)という名前で申し込もうと思っていたのだが、冠名に“サマー”を付けるという条件がついてしまったので、「サマーエタニティ」という名前で応募した。結果は見事に採用され「サマーエタニティ」は本当にターフを走ることになったのだ。これほどの喜びはない。自分でつけた名前で本当に馬が走るのだ。今でも当時のサラブレッドクラブ・セゾンから贈っていただいた、“Summer Eternity Named by Takashi Komori”の記念の盾は大切な大切な宝物だ。きっとこれからも変わらない。生涯成績は鳴かず飛ばずの3勝で終わってしまったが、それ以上に与えてくれた感動は大きい。ありがとう!サマーエタニティ!

そしてサマーエタニティの産駒たちがここのところ頑張っている。応援しているよ。自分にとっては名付け親の子供の仔、つまりは孫みたいなものだ。特にウインファビラス(牝)は2015年新潟2歳ステークス(GⅢ)、阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)で2着、ウインブライト(牡)は2017年スプリングステークス(GⅡ)、福島記念(GⅢ)優勝、2018年中山金杯(GⅢ)2着、中山記念(GⅡ)優勝、2019年中山金杯(GⅢ)、中山記念(GⅡ)、クイーンエリザベスⅡ世カップ(香港国際GⅠ)、香港カップ(香港国際GⅠ)優勝(’19年12月8日現在)、と母をはるかに超える活躍をしている。これからも楽しみだ。

もう一つ切っても切れない馬との関係、それは乗馬である。2003年ごろは忙しく海外出張を繰り返していたため、航空会社のマイルも結構溜まっていた。2005年に目についたキャンペーンのコマーシャル、短期間のレッスンで5級乗馬ライセンスを取得できる!馬と接したくてうずうずしていた自分にとってこれほどのアピールはない。湯布院にある乗馬クラブクレインで温泉につかりながら溜まったマイルを使い、5級乗馬ライセンス取得とは何ともしゃれこんだ話ではないか。2005年の夏休みを利用して早速出かけることにした。乗馬に関しては全くの素人というわけではなく、一応経験者だったので、5級というレベルは難なくこなせた。そこでまたうまいことおだてられ、「こんな上手に最初から乗れる人なんていないよ」「是非続けてくださいな」と言われこんで、龍ヶ崎にある乗馬クラブクレインに入会することになった。本当にセンスがあったのか、あるいは上手く調子に乗せられたのかは別として、2006年の3級ライセンスの取得までは、一度も「拍車」を使うことがなかったことは我ながら自慢したい。

その後結婚・離婚前後のごたごたで期間が空いてしまったが、2011年の暮れにクレイン茨城に復帰。是非3級障害(馬術)ライセンスの取得を目指して、と称してみてはみたもののレッスンの進行は思うように進まず、後述する2014年の重症急性膵炎を迎えてしまい退会することに。残念ではあるが仕方のないことだったと思う。

 

 

 

5.2014年11月1日に起こした最大の膵炎

腹が痛くてどうしようもない。いつものことをまたやってしまった。膵炎か。その程度に思っていた。お願いだから救急外来に連れて行ってくれ、そういうのが精いっぱいだった。診察券と保険証を出した記憶はある。しかし、それ以降プッツリと記憶は途絶えたまま。妄想の世界に入る。医学用語ではせん妄というらしい。自分が今どういう状態なのか、それすら分からない。一時期、ICUに入れられたそうだ。その記憶も全くといっていいほど何もない。その後はHCU。看護師には毎度、「今日、何月何日か分かる?」「ここはどこ?」と質問される。まともに答えられるわけもない。自分は夢の中をさまよっているのだ。そう、まさしく夢の中である。普段眠っているときに見る夢と同じようなもの、何の意味があるのか全く分からないとりとめもないもの。その中でも記憶に残っているものとして、美しい青白い炎が一面に漂い、レクイエムみたいなものが流れているものがある。「あぁ、自分は死ぬのかもしれない」、そう思った瞬間があった。苦痛は感じない。そういえばその「夢」の中で何かを血管に刺されたように感じて、点滴の針を無意識に抜いてしまったことがあった。以降、手には不自由になるグローブのようなものをはめられた。「もうしませんから」と頼み込んでもそのグローブを外してもらえなかった。あれは人権を無視した虐待だろう。

やがてそうこうしているうちに、意識のほうも徐々に戻ってきた。戻ってきたといっても一気に回復するわけではない。夢から徐々にさめていくような感じだ。だから、「あぁ自分は今夢を見ているに違いない、悪い夢なら早くさめてほしい」と本気で思っている。しかし現実はそう甘くなかった。立つに立てないほど弱ってしまった体。インスリンを打たないといけない後遺症の糖尿病(慢性膵炎)。すべてが悪い夢ではなく、ありのままの現実なのだ。

車いすで散歩してもらっているときに富士山が見えた。あまりにも形のいい姿に、「こんな形のいい富士山はない。今、夢を見ているから幻の富士山に違いない」、そう思ったものだ。しかしそれはまぎれもない本物の富士山であることを徐々に思い知らされていく。何と残酷なものだろうか。立つことすらおぼつかない体でリハビリが始まった。何とか歩けるようになったころ、早く回復したくて自分でうろうろと歩き回り筋肉痛になったのを覚えている。理学療法士に「やりすぎだよ」と言われた。このような体で退院なんてあり得ないと思っていたのだが、膵炎の方はだいぶ落ち着いてきたから退院だね、と先生に言われたとき、あり得ない、こんな動けない体の上、まともな食事すらできないのにと思った。しかし、結論は同じ。退院だね。せめてあと1週間でも、という願いも聞いてもらえず、言われることは一緒。退院だね。いい加減アルコール依存症の治療を専門的に受けた方がいい、茨城県内だったら、「こころの医療センター」と「豊後荘病院」の2つがあるけど、どっちか選んで通院するなり、入院するなりしてください、との医師の勧告があり結局こころの医療センターに通院することを選んだ。

しかしこれ以降、壊れた体はもとには戻らないことを思い知る。糖尿病(慢性膵炎)しかり、以前のような生活も、すべてもとには戻らないのだ。一命をとりとめたことは、果たして良かったのか悪かったのか、それは今でも疑問に思っている。ふと消化器内科病棟の看護師長に出会ったときに、「どこの先生に当時の数値を見せても、これは死んでたね、と言われるんですよ」と言ったところ、笑いながら「感謝しないとね」と言われた。助かったことは感謝に値する。が、それが自分にとって本当の人生なのか考えずにはいられない。

 

 

 

6.低血糖で救急搬送される

2017年3月18日(土)と26日(金)、2度に渡って自分は低血糖を起こし、意識を失い救急車で東京医大茨城医療センターに搬送された。糖尿病(慢性膵炎)が悪化してから、インスリンを欠かさずに打たなければいけない体になってしまった。1回当たりの単位は9。しかし、少しでも甘いものでも食べようものなら血糖値が300や400になることは当たり前。自己判断でインスリンを増やすことを覚えてしまった。場合によっては20やそれ以上打つことも。しかし、それが皮肉にもHbA1cを5.7にまで落ち着かせる結果となった。主治医のO医師は、9単位で落ち着いているのだから、9より増やさない方がいいというが実際は違う。自分で血糖値をインスリンの量でコントロールしているだけの話だ。

そしてついにミスを犯してしまった。ただでさえ血糖値が低いところにもってきて、多めに食べそうだからということで、例によっていつもより多めのインスリンを注射。いったいいくつ注射したのかは覚えていない。が、気づいたら病院にいた。目を開くと「あれ、お母さん」「そうだよ、まったくあんたは」と。意識を失って救急車で運ばれた後だった。

インスリンの量を増やして、血糖値をコントロールすることを覚えたのが仇となったのだ。何ということ。血糖値が高ければ高かったでブツブツと言われるのに、逆に下がりすぎても文句を言われる、どころか死ぬことになる。帯に短し襷に長し。過ぎたるは及ばざるがごとし。大は小をかねないのだ。コントロールを本当にうまくやるには、自分の経験と勘しか頼りにならない(もちろん、前述のO医師など役に立つはずもない。と本人に言ったら、鬼のような形相で怒ることだろう。どうせその程度の医者にすぎないと思っている)。

それともう一つ思い当たる節があるのだが、アルコールの影響だ。アルコールは分解されるときにブドウ糖を消費するらしく、これまた皮肉なことにアルコールを飲むことによって血糖値が下がるのだ。飲んじゃいけないよと言われつつ、アルコールを摂ることによって血糖値はコントロールしやすくなる。ここにアルコールを止められないもう一つの要因があることを理解してくれる人はおそらくいないだろう。

そして低血糖と称して搬送された2日ともアルコールを飲んでいた。決して普段の量よりも多いというわけではないのだが・・・しかも低血糖を起こすと普通、手足の震えや極端な空腹感が先にやってくるものだ。なのに、2日とも突然に気を失った。これは自分の思い違いなのかもしれないが、アルコール性のてんかん発作を起こしたのではないか?はなはだ疑問は残ったままだが、少なくともアルコールに対する注意はこれまで以上にしないといけないのは事実だ。

追記:3月28日(火)、またやってしまった。豊後荘病院から帰宅して、自転車に乗りに行くと言い残して出て行ったのはいいものの、途中でアルコールを摂取(今となっては量は覚えていない)。土浦観賞魚まで行った帰り、どこかで自転車の右側をこすり、手にも擦り傷を負ってしまった。(ちなみに酒を飲んで自転車に乗ることは違反らしい。反省しています・・・。)さらに自転車に乗り続けた後、今度は左に倒れこみ起きることができない状態に・・・たまたま通りかかったHさんという女性に救急車を呼んでもらい、また自宅にも電話を入れていただいた(お礼に行きたいのだが、4月5日現在、なかなかつかまらない。が、その後4月7日、ようやく電話で連絡し、荒川沖駅西口でお礼の品を渡す)。搬送先は同じように東京医大茨城医療センター。何とも情けない思いでいっぱいである。とにかくかかりつけのO内科クリニックで診てもらうように、ということで紹介状を書いてもらった。ただ・・・なんの役にも立たない。血糖値のコントロールは自分の経験と勘でしかできないものと悟ってしまったからだ。

明日(29日)、紹介状を持って受診することになるだろう。あまり意味を感じない・・・。

そして29日、診察の日を迎えた。O医師は、「もうこんなに何回も運ばれているのだったら、東京医大にかかった方がいいんじゃないの?」と、皮肉である。患者本位の診察ではない。責任転嫁に出た。てめえはいったい何様だ?何のためのかかりつけの医者なのだ。医師としての倫理観のレベルが低いとは思っていたが、あきれるしまつだ。(もっとあきれるのは自分自身なのだが・・・)。そして29日、どうしても自転車の状態が気になるので、点検に行くと言ったが母親から禁止の措置を受けた。昼食にパンを買いに行く程度ならいいけど、それ以上はやめときな。禁止の令を聞いておけばよかったとも思わざるを得ないできごと、また右側をこすってしまった。不幸中の幸いかもしれないが、どうやら右手に擦り傷、自転車の右ハンドルに傷を負っただけで済みそうかもしれない。しかしこれもはっきりとしてくると、何か他の問題も見つかるかもしれない。

メガネもこすったように思ったのだが・・・。とりあえずなくしたものはなさそう。意識もはっきりしている。ただ、自分以上に自転車が生傷だらけになってしまった。なんとも情けない・・・。自転車とメガネの点検に行きたい。

その上両親の冷たさが変わった。所詮、死んでいてもおかしくない身、何と言われようがしかたがないが、親にまでどうこう言われるまでに、いやどうこう言われるどころか「あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない」とまで言われるようになってしまった。

果たして、ここまで読んでいただけた方に生きる意味を見いだせと言える方は居るのか?

自分が生きてきた意味は何だったのか?今日も不機嫌な父親と母親の顔を見る。そのたびに思う。自分が生まれてきた意味は何だったのか?と。

 

 

 

7.低血糖じゃなくてアルコール性の病気?

そして30日(木)、再び救急車で搬送された。場所は同じく東京医大茨城医療センター。アルコールの影響もあって父親に怒りをぶちまけた後(自分自身はよく覚えていない)、昼食に焼きそばを食べ始めた矢先に気を失ったらしい。ここまでくると、おそらく低血糖云々ではないのではないか?やはりアルコール性のてんかんのようなものを患っているのではないだろうか?そう疑わざるを得ない。母親は即刻、豊後荘病院に入院させてもらいな、というがウインブライト(サマーエタニティの仔)の皐月賞・ダービーが気になって、それまでは何とか待ってほしいと説得しているところである。

実際31日(金)の豊後荘病院の学習会の日、看護師に「内科に診てもらった方がいい」といわれ、豊後荘病院内の内科に診察を回されたが、「ここは老人専門の内科で糖尿病は診ていない」といわれる始末。先が思いやられる、どころか、こんなところに本当に入院して大丈夫なのか疑わしい。そして主治医のS.S先生の勉強会に母親と出席。家族との関係で、どうこうお互いに指示しあうことが本当の幸せにはつながらないと説明を受ける(納得)。本当に自分がどうしたいのかを優先した方がいい、自分ひとりひとり大人なのだから、それぞれの人格を尊重しあうようにすること、それが大事です、と。ということは、皐月賞・ダービーまでは待ってもらいたい、ただ自分も酒を控えること、それがお互いにとって幸せなのではないか?と、今は自分の中で結論づけている。

追記:4月4日の診察で、S.S先生には「インスリンの単位はそう簡単に変えてはいけない。インスリンの単位を1変えるということは、競馬でいえば斤量を4kgぐらい変えるほど影響があるもので、それを糖尿病の医師は血眼になって検討しているのだから」と説明を受けた。「まずは指定された量をきちんと打つこと。それからやってみたら」と言われた。そうしようと思う。4月11日の診察では「とこやさん(散髪)に行ったんだ?そういうことも大事だよ。ひげをちゃんとそるとか。そういうことから始めてみよう。やることをきちんとやる、そこからだ」と言われた。

 

 

次節は「産業カウンセラーと自分」という題目で書こうかと思うが、2005年、産業カウンセラー養成講座の講習を受けていたころに課題として出された文章が参考になるので、それらを引用したい。であるから文章はその当時に書いたものであることを了承いただきたい。

 

 

 

8.産業カウンセラーと自分

 

・最も印象に残っている少年のときの思い出

私は父の仕事の関係で、いわゆる転勤族家族の次男だった。父の赴任先が茨城県波崎町という地に移ったのは、私が小学4年の夏休みの時である。波崎はいわゆる漁師町で、道端には獲れたイワシやサンマが転がっているような土地柄だ。子供の遊び場には事欠かず、家から海水浴場まで海パン姿で行けるような所だった。外海と言っても比較的穏やかな海、海はのんびり楽しむ所と思っていた。

ところが、時に海は優しく人を迎えてくれるだけではない事を知る。鉛色の空、激しく押し寄せる白波、隣の人の声も聞こえないぐらい「ゴーッ」と海が唸っているような日の事だった。荒れた海の日になぜかその海岸近くにはボラが多く押し寄せる。当地には碇型の大きな釣針でボラを引っ掛ける、云わば狩りに近い釣法があった。私もその「狩り」に参加すべく、兄たちと海岸に面した防波堤に向かったが、正直荒れた海に怖さを感じていた。やがて恐る恐る海を覗き込むと、砕けた白波の合間に黒々とボラの大群が見える。「すごい!」。その瞬間からそれまでの怖さを忘れ、巨大な魚の群れに興奮していた。ふり掛かる高波も気にせず、その後はひたすら碇型の釣針を海に投げ込んでは、ボラの群れと優しさを忘れた海を相手に格闘していた。

近頃、大間のマグロ一本釣りがよくメディアに取り上げられる。そんな話を見聞きする度に興奮を感じるのは、当時の思い出によるものだろうか。

 

 

・今の私

恐らく数年程前には想像し得なかった現在の自分、それはカウンセリングを学ぼうとしている今の私の姿そのものだろう。

一昨年、大きな海外プロジェクトの1チーフを務めていた。渡英6回を始め、延べ1/3以上の日数を海外で過ごした。進まない仕様打合せ、客先の無理な要求、それでも負けを認めたくないという一心でしがみついた。そしていつの間にか、考えはただ堂々巡りを繰り返し、袋小路に嵌まり込んでいた。さすがに限界を感じたとき、思い切って直属の上司に相談した。もしかすると非難されることも覚悟の上で。返答は「ごめん、清々と見えたから気づかなかった」というもの。意外な言葉に驚くと同時に、これで救われたと感じた。そして結果、自分はプロジェクトから離れた。

その後、一緒に担当していた同僚T氏に申し訳ないという気持ちが強くなった。だがT氏は「大丈夫、何とかするから」と。涙が出るほどありがたかった。そしてプロジェクトリーダN氏。「意地だけは見せてくれ」が口癖の彼とは会わす顔がない思いだったが、日本に帰国していたN氏とばったり出くわし、「元気か?またいずれよろしくな」と屈託なく言われたときは、とにかくうれしかった。

彼らのありがたい言葉への直接のお返しにはならないけど、いつか自分同様道に迷った人に「右もあれば左もあるし、時には後ろもある」ことに気づく手助けができたら。そんな思いで今は学んでいきたいと考えている。

 

 

・カウンセリングと人生相談・コンサルティングとの違い

世間一般的な認知のされ方として、カウンセリングと人生相談やコンサルティングは、その定義を混同されやすいのが事実だろう。

理由は恐らく、何らかの悩み・迷いなど、岐路に立ったときの「解」や「選択肢」を見つけるための手段として、ある種共通性があるためと思われる。しかしながら、これらにはその解決に至るためのプロセス、考え方(ポリシーとも言える)に実際違いがある。

まず人生相談とコンサルティング。厳密に言えばこれら2つの間にも違いはあるが、その手法に主眼を置いて鑑みると、強い共通点があるため、ここでは同じグループとして考えたい。つまり、いずれもクライアントが、解もしくは選択肢を「与えてもらう」ことを期待するのが人生相談でありコンサルティングと言える。主に人生相談は年長者や道を極めた人の知識・知恵をベースに、またコンサルティングは特定の分野における専門家(有識者)の考えをベースに最適な解や選択肢を教授する、というのがその目標である。

一方カウンセリングは、そのプロセスにおいてカウンセラーが解や選択肢を与えることはしない。どうすべきか「気づく」のは、あくまでもクライアントであり、傾聴を中心としたプロセスを通して、クライアント自身が「成長」し、自らの取るべき解決策を見出すものだからである。人生相談やコンサルティングに比して即効性はないが、自ら見つけ出した答えであるから、それは壊れにくく基盤のしっかりした本当の解であるとも言えよう。

 

 

・「感じること」と「考えること」について

感じることと考えることを論じるとき、ガルウェイ氏が著した「インナーテニス」の内容が参考になるので引用したい。プレーヤーには上手くやろうと考えるセルフ1と、ひたすら感じるセルフ2が同居しているという。本来セルフ2は気持ちよくプレーすることを知っているにも関わらず、セルフ1がとかく邪魔をし、プレーに介入する結果、思い通りにいかなくなるというのがその論旨である。

これを受けて思うに、感じることは本人にとって嘘偽りはないが、考えることは本当の思いとずれを生じさせる可能性があるということではないか。カウンセリングに例えれば、話し手の感じていることが嘘偽りなく表面に現れたとき、話し手の本当の姿にもっとも近い状態が現れたということかもしれない。ときに本当の感情を吐露することは難しい。笑顔で「辛いですよ」と言う人がいるかもしれない。しかしすでにそこには笑ってごまかそうという考え(雑念)が含まれてしまっている。特に自らの辛い体験などは、あえて正面から向かい合いたくないだろう。

だから、本当の心の中、感じていることにクライアントが向かい合ったとき、自身が真に何をしたいのか、どうしたらいいのか、その本質に突き当たるときがくるのだと思う。つまり、カウンセラーがクライアントの感情を大切に共感し、返し続けることで、クライアント自ら雑念のない本当の自分に向かい合い、何か本質的な解に気づくのだと私は思う。

 

 

・私の産業カウンセラー像・目標と課題

 今年は戦後60年(記述当時)の節目の年。これまで日本は、ひたすら経済的・物質的豊かさを追求してきた。先人たちの努力のお蔭で、それらは既にかなり高い水準で達成されたと思う。しかし今の時代、ふと各人が自分の人生を振り返ったとき、もしくは将来を考えたとき、何となく「虚しさ」「不安」「寂しさ」などを感じる時代であるとも言える。それはこれまで追求した豊かさの中に「心の豊かさ」が重きを置かれてなかったからではないだろうか。

かく述べた私自身も、そんな虚しさや不安を感じ、大した知識も無かった「カウンセリング」という言葉に惹かれ、養成講座を受講しようと思った人間である。その過程で随分と心の豊かさ(=クォリティオブライフ)について教えていただき、学んでいると思う。

このような時代背景の中、恐らく企業・産業界トップの中にも「何か足りない」と感じ始めている人は多いのではないか(またはそうあることを期待したい)。しかし如何せん、構造そのものが利潤追求型を引きずった形であるが故に、産業界の目標がどうしても利益中心に留まっているように思えてならない。

抽象的表現になってしまうかもしれないが、産業カウンセラーの役割とは、そんな時代に「心の豊かさを忘れていませんか?」と周囲の全ての人に問いかけることだと思う。そして「心は十分豊かですよ」という答えが返ってきたとき・感じられるとき、その役目が果たされたと言えるのではないだろうか。

 

 

以上だが、当時持っていた「産業カウンセラー」という資格への熱意は伝わっただろうか?

  

 

9.腹痛

2017年4月18日、AEONで買ったかつ重弁当を食べて以降、腹に軽い痛みがある。普通だったら激痛で苦しむはずの膵炎も、弱ってしまった膵臓では痛みをそれほど感じないのか?そう思いつつやり過ごしている。

鈍くジワっとした痛みに、逆に言うとやりすごすしかない環境にいるのだ。両親にはこれ以上、腹が痛くなった、などとはとても言えないし、仮に重症だったとしても入院などしてはいられない状況だからだ。我ながら困ったものだ。少し横になって様子を見よう。

とりあえず、明日また豊後荘病院に行くのが億劫でしょうがない。と、やはりどうしても痛くてしょうがないため、4月20日に筑波大学附属病院に連絡を入れてもらい、診察日ではないにも関わらず、急きょI先生に検査・診察をしていただいた。「幸い、炎症はないんだわ。落ち着くまで脂っこいものとかアルコールは控えて」という診断で、7日分の薬を処方してもらった。が、これがなかなか効かない。痛い。夜眠るにしても眠れない。日付が変わる0:00ごろ、母親を起こし、もう一度病院に連絡してもらえないか頼んだ。母親は夜中であったが、電話を入れてくれた。しかしながら、薬を処方された通りに飲んで様子を見てください、ということだったらしい。

朝の4:00ぐらいにもう一度母親が様子を見に来た。「どうだ?」そう言われても痛みは相変わらず続いている。薬を早めに飲みたいため、おかゆを作ってくれるように頼んだ。ひげを剃ったり、新聞を取りに行ったりしている間に少し痛みの方が落ち着いてきた気がした。そこでとどめの服薬。何とかこれで治ってくれればいいが・・・豊後荘病院の方は、今日は無理だろう。8:30になり、再度筑波大学附属病院に電話を入れてもらう。しかし、I先生の返答は、かかりつけのO内科で診てもらいな、というもの。またO医師の顔を見るのかと思うと、何だか痛みも治まったような気がしてきた。それぐらい気に入らない。

とりあえず、言われるがままO内科クリニックに出向く。昨日の検査結果を持って、コピーをわざわざとり、処方された薬の説明もコピーをとり(最後にはいらないと言いやがった)。するとO医師は、もう一度検査してみないとわからないから検査だ、と出てきた。結果、炎症反応が1.16と若干上がってしまっている。それでもO医師と付き合いたくない思いが強いから、「もうだいぶ落ち着いてきましたので、大丈夫そうです」(本当はそんなに落ち着いていない)と言い、O内科を後にすることに。「あまり痛みが強いようなら入院しないといけないから、筑波大の方に行って」と出てきた。あっちに行けばこっち、こっちに行けばあっち、どこの医者も本当に・・・情けない世の中だ。

母親に、「今、O医師をけちょんけちょんにけなす文章書いているんだ」と言ったところ、そんなに嫌なら他の医者にかかったらいいでしょうよ、と言われた。確かに・・・だが、ここ土浦にそれ相応の病院はそうはない。しょうがないから我慢して通うことにするか・・・とほほ。

日が変わって現在21日1:30を回ったところ。やはり腹痛は続いている。痛み止めが効いていたのか、これまでは少し治まっていたのに、またうずき始めている。困ったものだ。

その後しばらく服薬を続けたところ、処方された薬が効いたのかだいぶ痛みの方は治まってきた。が、お酒を飲む習慣が復活してしまった・・・我ながら困ったものだ。

 

 

 

10.ベースと自分

 こんなはずじゃなかったのに・・・まったくといっていいほど指も動かないし、音感もなくなっている。自分のオリジナリティのひとつとして「特技」などと言っていた時代が懐かしい。繰り返すがこんなはずじゃない。また練習したらもとに戻る、いやもとに戻るとまでは言わなくても少し取り戻すことぐらいはできるのだろうか?ただ・・・ベースを触ると、どうもキズを付けてしまったり、壊してしまうのではないかという不安が襲ってくる。それもあって、なかなか触ることができないのも事実なのだ。強迫性障害の症状の一種で、それ自体強迫観念だと思うのだが・・・。以前S先生(精神科・こころの医療センター)に「壊してしまうんじゃないかと心配で」と話したら「それだけ使ったということじゃないですか?」と返答されたことがあった。確かにそう言われてしまえばそれまでだが・・・とりあえずT.REXのバンドスコアあたりから再開してみるか・・・?

 翌日早速バンドスコアを追いかけてみたが追いつかない・・・悲しすぎる。こんなになってしまっているとは・・・。そう言えば、S.S先生にも「ベースを触ると壊すんじゃないかと心配だ」という話をしたところ、逆に「壊してしまえ、と思ってやるというのもあり。これを逆説療法というのだけど、壊れてしまうまで弾いてやれ、と思って弾く。それを翌日も繰り返す」のだそうだ。これも試してみるか?いや、バンドスコアさえも追いつけないショックが大きすぎて、どうもできる気がしない。大丈夫だろうか?

 ダメだ。Iron Maidenの得意だったThe Trooperのタッタカタッタカのリズムさえ刻み続けることができない・・・ショックでかすぎ。

 去年、溜まっていたダイナースのポイントで購入した電子メトロノームを久々に、というよりは初めて動かしてみた。取説にはわからない言葉も多く含まれていて、なんだかよくわからなかったが、少しはベースの勘を取り戻すすべになるだろうか。

 The Trooperの話に戻るが、とてもじゃないが全く追いつけない。情けない・・・。

 

 

 

11.A.A.(アルコホーリクス・アノニマス)と断酒会

 2017年5月17日、初めてA.A.に参加しようと思っている。当日10分ほど前には着いて、軽く「初めてなのですが・・・」とあいさつ。集まったのは自分を含めて4人。基本、言いっぱなし、聞きっぱなしが原則としてあるのだが、ほかの人の話を聞いているのか聞いていないのか分からない状態。ただ漫然と、というか黙々と話すという感じ。ちょっと虚しさも感じたのが正直なところ。S.S先生にA.A.に行ってみました、と言ったところ、ひとつ大きな前進だよ、と言われた。自分ではさほどのことには思えないが、まぁ一回行っただけでは分からないこともあるので、まずは2,3回続けて行ってみようと思う。

 

 

 

12.低血糖による意識障害?(降臨)

 2017年6月15日に話は始まる。この日正直アルコールを飲んでしまっていた。おかげで低血糖に影響したのか、寝る前の血糖値は55まで下がった。焦った自分はあわてて10gのブドウ糖を3袋一気に飲み干した。そしたらこんどは200超えの高血糖にまたまた焦った自分は、今度はインスリンの注射をして様子を見る。それを夜中の0:00過ぎまでやっていた。血糖値160ぐらいだったかに落ち着いたところで眠りにつくことに。翌朝衝撃の出来事!どうも明け方ぐらいに低血糖による意識障害を起こしていたのだと思うが、母親に何かわけのわからないことを言いながら暴れているんだか、動こうとして動けないでいるんだか、救急車を呼ぼうかと思ったと言われ、自分は何も覚えていないのだが体中に生傷はあるわ、部屋中に本は散乱しているわ、どうも寝っ転がりながらバタバタと暴れたらしい。

 何かミスったり、なくしたり、壊したりしていなければいいのだが・・・後の祭りである。16日の朝、9:20ぐらいに起き出して血糖値を測定したところ、なんと51。頭もおかしくなるはずだ。その後も何ともフラフラしながら回らない頭をなんとか使おうとしてもわけがわからない状態が続く。自立支援の更新手続きに市役所に連れて行ってもらったときも意識もうろう。

 その後何だか不思議な体験をする。デジャヴかと思うように、「あれ、これしまったような気がするけどしまってないよな」、とかなんかすでに体験したことを追体験しているような錯覚をいろんなところでした。昨日(もしくは今日)自分は一度死んだのかもしれない。

今動いている肉体は仮の姿で、何か霊的に別な次元から自分を眺めているような気がする。

自分はそんなにスピリチュアルなことを信じる方ではないのだが、何だか今回はちょっと不思議な感覚を受けている。

 

 

 

13.ああ、やっちまった、やっちまったよぉー

 今日は2018年7月19日木曜日、昨日、そう昨日18日水曜日(ついでに言えば大安)、ユーエス(通いつけの散髪屋)に行った後、お昼を買いに行くとセブンイレブンに出かけ、火曜日に採血検査をしたばっかりだし、まぁ、ちょっとならいいかと思ってストロングゼロを飲んだのが運のつき。自分は傷だらけの体になり、とてつもなくみっともない醜態をさらしたのだ。そう、何故だか分からないがこの日は変な悪酔いをした。暴れたのだ。今になって思えば、低血糖で意識障害を起こしたのだと思うが・・・。覚えていることがほとんどないので、何とも書きようがないのは事実なのだが、母親にひっぱたかれたこと、オーナーが「営業妨害なので・・・」と言って、救急車のサイレンが鳴っているところまで覚えている。

 後になって分かったことなのだが、自分は牛久警察署の保護室に入れられ、それから「こころの医療センター」に連れていかれた。なので、牛久警察署の保護室に入っているときに思ったことなのだが、「わーお、人類創生だ、自分はキリストだ、この世は俺を中心に回っている。ところで、いったい俺は誰なんだ。なんか制服を着ているようなやつがいるような・・・。何だかわからないけど、きっと俺の僕だ」などと意味不明のことを感じていたことを思い出す。尿失禁もした。便器に多分手を突っ込んだりもしたような・・・。

 そして飛んでもないことをしたと悟ったのは、「こころの医療センター」に連れていかれる車の中、のどが渇いてポカリスウェットを飲ませてもらったときだ。ようやくじわりじわりと正気を取り戻し、あぁ、あの時と同じだ。つまり、飲酒運転をして交通事故を起こした時のこと。何だか自分はとんでもないことをやらかして、きっと丸裸にされて、それから、それから・・・。あぁ、やっちまった。また拘置所か?今度は懲役か?などと考えると空恐ろしくなり、「お願いです。殺してください」と言って高速道路を走る車から飛び降りようとしたり、首をしめて欲しい、と言ったりした。「こころの医療センター」に到着し、しばらく待たされた後、S先生という温厚な先生にいろいろな話を聞いてもらい、障害年金2級を失うのが最も怖いことや、反省の意味も含めてガッチャン部屋(保護室)にしばらく入れてくださいとお願いしたり。そして、これも何かの縁かもしれないが、保健所の方が帯同してくださっていて、名前がK.Hさんという。これからもぜひお付き合い願いたいと思うような感じの良い女性だった。

 でもって、体を見ると、いやぁこれが傷だらけの傷だらけ。おまけに、死のうとしたのか下唇を思いっきり噛んだのだと思うが、腫れてしまっている。馬鹿をやりました。こころの医療センターでは、「今満室でちょっと受け入れることは・・・」と言われ、通いつけの豊後荘病院に明日にでも行って、それで相談してみてください、とのことになった。

 そんなこんなで、自宅に帰ってきたのは22:30ごろだったろうか。A.A.ののぶさんのバースデーに行けなかった謝罪のメールを入れ、優しい言葉の返信をいただいた。

 ということで今日、本来ならば豊後荘病院に行っているはずなのだが、S.S先生が不在とのことなので、外来診察のある土曜日に行くことにした。

あぁ、いてえ、そこらじゅういてえや、ちきしょう!おまけに血尿まで出やがって。前述のK.Hさんから電話をいただいたそうで、「打撲もあるし血尿が出ているのであれば、O内科に行って診てもらったらどうでしょうか?」とのこと。ただ・・・ただでさえ顔を合わせるのも嫌な医者に、セブンイレブンで暴れてそっちこっち傷を作り、血尿も出ているんです、などとはプライドなのかちょっと想像できない。とりあえず、土曜日まではおとなしくしていよう、それが一番一番。でも、暇だなぁ。しょうがないか。

そうだ、セブンイレブンに謝りに行かなきゃ。だけど、許してくれるかなぁ、Mオーナー。何だか心配になってきた・・・。てなわけで、15:30過ぎ謝罪に行く。オーナーは気にしないでください、と言ってくれた。損害も特にないとのこと・・・よかった、ホッ。

 

 

 

14.「気が付いたらこんなことに」はどうですか?

 

・7月19日(木)

前節でおとなしくしていようって書いてあるよな。書いてある。そう、確かにおとなしくしていた。でもその日、つまり2018年7月19日(木)、夕食を食べて間もなく事件は勃発。この日はやたらと血糖値が低かった。なのに、夕食前ということでインスリンを注射。そこですぐに食べ始めれば、まだよかったのかもしれないが、自分のとっちらかった薬だったり、何がどこにあってこれが何でと母親に説明しだし、さて飯だ、となって一口二口食べたときだった。急に自分でもわけがわからないほど、体が言うことを聞いてくれない状態になってしまい、いやあ、いすからずっこけたが最後。床掃除をしているかのようにばたんばたん。体が言うことを聞かなーい!いてえ、でも止まらないばたんばたん。ごろごろごろごろ、ばたんばたん。暴れだしてしまった。あぁ苦しい・・・でも、止まらない。いてえ!ばたんばたん、ごろんごろん。たまたまぶっ壊したものがなかったからよかったが、そりゃあ両親も驚いたことだろう。父親が警察に電話している。やめてくれえ、また土浦警察署、いやだあああ。やがて、警察官が到着。太っている制服のおっさん警察官が、「だめだよ、そりゃ。俺も糖尿病なんだけど、血糖値5〇でインスリン打っちゃ。これは救急車だな」となった。このころになるとブドウ糖をなめさせてもらっていたこともあってか、なんとか体の動きは止まったが、いてえよ。そこらじゅういてえ。例のあのフレーズが、始まった(耳に入った)。「コモリさん、わかります?大丈夫ですからね」。そして病院に到着。どこの病院だかわからないので、「ここ、東京医大ですか?」と質問。「そうですよ」。何だよ、しばらく病院の救急にも世話になってなかったのに、何でこうなっちまうんだ、ええ?早速、身を任せるまま処置が開始された。点滴を打ち、ベッドに寝かされ、採血検査の結果を待っている。そして出た検査結果が、入院ですね、とのこと。頭もボーっとしていたので、どういうやりとりをしたか詳細までは思い出せないが、腎臓の機能がかなり低下してしまっているらしい。暴れたことによって筋肉がダメージを受け、それが影響しているのだという。とにかくできる限り水を飲んで、できる限りおしっこをしてください、とのこと。折角入院しない期間の最長不到時間を更新中だったのにこれまでだ。あーあ。

 

・7月20日(金)

 そして20日(金)朝、救急患者用のスペースから5階東側(だったと思う)という、消化器と代謝内科専門の病棟に移されることになった。入院というのは本当に数多くしてきたけれど、何度繰り返しても慣れることはなく、やっぱり落ち着かないものだ。急に環境が変わるのだし、個室じゃないから当然相部屋の患者さんも居るわけだし。今回の入院は力まないでいこう。そうしよう。もうすべてお任せ。両親も心配してくれていて、何かとサポートしてくれそうだし。今回の入院では、代謝内科のK先生を主治医として中心に腎臓専門の科、それに精神科が一緒になって面倒を診てくれる、とのこと。あのー、自分今、インスリンの注射をしたり、精神科の薬をたんまりと飲んだりしているんですけど、大丈夫かなぁ。ちゃんとその辺、伝わるかなぁ・・・そうそう、今回は力まないんだっけ。さっきそう思ったじゃん。そんなことを頭の中でグルグルさせながら夜を迎えた。同部屋の一人のおじさん(昭和26年生まれと言っていたような気がするから、おじいちゃん?)が、新入りの自分に対して興味を示してくれるのはいいが、有難迷惑なことにカーテンを開け自分のエリアに入り込み、ベッドにしゃがみこんで、なんと話し始めてしまったではないか。いやぁ、困った。こっちは昨夜、痛みで眠れなかったから、今夜は眠りたいと思ったのに・・・。

 

・7月21日(土)

 明けて翌朝、そのおじさんに「昨日、眠れた?」と聞かれたので「眠れなかったです」とちょっと皮肉交じりで言い返したつもりだったが、「いびきかいてたよ」、だって。ガックシ。全然伝わっていない。困った自分は、看護師さんに「実は昨夜、これこれこういうわけで眠れなかったんです」と伝えたところ、「じゃ、部屋移動しましょう」ということになった。もともと強迫性障害も抱える自分は、本来ならば人にあまり自分のものを触ってほしくない、移動などしたくないと思ってしまうのだが、もうこの際しょうがない。「移動します」と言い、部屋移動。

 この7月21日(土)は思いがけず、しばらく忘れていた恋愛感情に火をつけ、さらに油をそそぎまくる出来事が次々と起こる。事は、体拭きをしてもらったことに始まる。何ともかわいらしい顔つき、そしてその優しさ。ストーン、と恋に落ちてしまった。S.Kさんというまだ若い看護師さん。自分からしてみたらもう、「娘です」といってもおかしくないほどきっと年の差のある恋。切ない。でも何だか高揚する。次々とナースコールを押すたびにKさんは現れ、あれこれ世話をお願いすることになってしまい、結局この日の最後には用をたした後のお尻ふきまで、「ついには俺の一番恥ずかしいところを見せることになっちまって・・・」と言い、「今日は本当にありがとう。S.Kデーだったよ。今日は」と言ったところ、「すみません、私ばっかりで」と言われたので、「違うよ、ハッピーな意味でだよ。だって見てよ、俺の顔。今朝の表情とまるっきり違うでしょ?」と返答した。「あぁ、確かに」と軽く笑顔を見せながら言っていたような気がする。よかった、「ありがとう」が言えて。これからどうやって呼ぼう?Sさん、じゃあ色気ないし、Kさんがいいかな?いや、そうだ、小悪魔Kポンと呼ぼう。少しは笑ってくれるかなぁ・・・。

 そんな一日が終わろうとしている時間帯、看護師も昼間の担当から夜勤に交代し、今度は怒りをぶちまけることになってしまった。事は、どうも洋式トイレだとおしっこをズボンに引っ掛けてしまう(自分的に男性機能もちょっといかれているのを察してください)ために和式で頑張ってみたらどうかと思って和式トイレに入ったときのこと。ただでさえ痛む体なのに無理してしゃがみ込んだために、足に苦痛を感じ、うぅ、もう座ってられない、と思いナースコールを押したとき。やってきた看護師(Yさん)に、「何で和式なんか入ったんですか!これからは洋式を使ってください。点滴が邪魔というなら車いす用のトイレも向こうにありますから、そっちを使ってください!」とピシャリ。うぅ、何をーっ!こっちだって好きで和式に入ったわけじゃないやい!と段々アドレナリンが分泌され始まってからというもの、次々と起こるYさんとの摩擦でついにブチ切れてしまった。興奮して眠れないので、追加の屯用薬を出してもらおうと思ったとき、やってきたYさんに、「何で、てめえがくるんだよ」、「だって、私、小森さんの担当なんで・・・」、「じゃ、もう興奮して眠れねえから、追加をさらに持ってきてくれ!」、「いや、今飲んだばっかりだし、もう少し時間をおいて・・・」、「じゃあ、いいよ、もう!来るんじゃねえ!」。そんなやり取りだったと思う。(ああ、今書いているだけでも何であんなにイライラしたのかと思い返す。昼間とのギャップが原因?)。代わりに何かと世話をしてくれたのは、まだ若い看護師なりたてのK君。「僕が話を聞きますから」と言ってくれたので、これこれこういうことがあって、怒りが収まらないんだよ、と一連の説明をしたところ、「確かにこちらの対応も悪かったところがあると思うので、本人にも伝えておきます」と言ってくれた。そんな事件を心配して、Y先生(若い女医さん)がやってきた。「小森さん、別な部屋で話を聞きますから、来てくださいな。何か頭にくるようなことがあったみたいですね?」、「だから言ってるじゃねえか、あったまきて眠れねえってよぉ!」、「わっ、分かりました・・・」なんてやり取りをしながら部屋に向かい、部屋ではいかに自分の怒りが正当性のあるものかを説明し始めた。そこに看護師長のIさんも合流。「じゃ、勝負しましょう。もう私は朝まで寝ません。眠らせることができたら東京医大の勝ち、眠ったら私の負け」、Iさんは「いや、別に起きていても構わないですよ、周りに迷惑かけなければ」と言うので、くっそー、こうなったら意地でも朝まで起きていてやると思った。やがて薬が効いてきたのか、眠くなってきてしまい、前述のK君に「負けました、と師長に伝えといてください」と言い残して眠りに落ちる。が、尿失禁をしてしまい(水をたくさん飲んでいるものだから)、またまたK君の世話になることに。「ごめんね」と言いながら、病衣の着替えをさせてもらっている自分。怒りはぶちまけるわ、しょんべん漏らすわ、何だか情けなくなってきた。明日、Yさんにも謝ろう、そうしよう。ちなみに、このころYさんはかなり怯えていたのだと後から聞かされた。朝になり、「昨夜はごめんなさい」と言いながら、Yさんとは握手を交わさせてもらった。

 

・7月22日(日)

 明けて7月22日(日)、何でこうもいろいろと起きるんだ?と思いながらも、そうだ、メモをとっていっそのこと本でも書こうか、と思い始めた。でもって、この日、また体拭きをしていただいた若い看護師さんのYさんに、「Yさん、優しいですね」と言うと、「私、優しくなんてないですよ」なんてやりとりをしている最中、「今、本でも書こうかと思い始めたんです」と言ったところ、「じゃ、タイトルは“気が付いたらこんなことに”はどうですか?」と言われ、なるほど、じゃ、それいただきます。ということで、この節のタイトルにさせていただいた。「何かあったら使いな」と母親が置いて行ってくれた小さな無地のメモ帳を見直すと、最初には、「この世に偶然はない。すべてが必然なのだ」と書かれている。我ながら、何かちょっと悟ったのかと思うような言葉だ。

話を元に戻そう。この日、様子を心配して、前述のY先生がやってきた。ところに母親も水を持ってきてくれて現れた。そこで、Y先生がうんうんと聞いてくれるものだから調子に乗ってしゃべったことが、自分でもハッと気づく内容なので、長くなるが、ここで思い出せる範囲で書いておきたい。では、開始。「自分、土浦一高出身なんですよ。それで早稲田の応用物理というところに進学して。でも、それって後になって気づいたんですけど、自分の強迫観念であって、本当は何をしたいのかってまじめに悩んだ事ないんです。そもそも、なぜ理系に進もうかと決めたかというと理数科だったんですね、入ったのが。だからもう自分は理系に進むもんだと決め込んでしまって。で、理系に進むなら物理が分からなくなったら大変だぞという強迫観念があって、予習復習をかかさずやって、どうしても分からないときは先生に質問して。苦しいですよね。だって自分が好きでもないことを一生懸命やるわけですから。でも、その甲斐あって学年で2番とかになったんです。でもって、たまたま早稲田大学の応用物理学科に指定校の推薦入学枠がきていて。自分、思ったんです。これは物理の道に進むべきなのじゃないかと。入学してからも苦しい日は続きました。それで、自分、兄が居るんですけど、やっぱり私大の理系に進学していて、留年しているんですね。だから、思ったんです。自分はストレートで卒業しなきゃ、と。テストの前のプレッシャーはそれは半端なかった。大学生がですよ、テストだからって母親に面倒見てもらうって変な感じしません?テストのときはサポートしてほしいからって、母親に近くに居てもらって食事の世話をしてもらったり・・・。で、そんな調子だからコアな物理(いわゆる量子力学とか物性物理、宇宙物理といったもの)だったりというのは諦めて、計測制御という分野に進んだわけですわ。少しは社会に出てから役に立つかも、ということでシステムの制御をしている研究室に入って。自分、本当はコンピュータとか大っ嫌いなんですけど。だって2007年に結婚しているんですけど、嫁さんにどうしても不便だからケータイ持って、と言われるまでケータイすら持たなかった。それでいざ就職となったら、自分は制御の勉強をしてきたから、システム制御をしている会社に就職しよう、となった。それも強迫観念ですよね。その制御をやっている会社の大きなプロジェクトで1チーフを任されることになった。1年でイギリス6回、シンガポール2回、合計年の延べ1/3以上の日数を海外で過ごしました。それでついにギブアップ。うつ病になっちゃったんです。その時、直属の上司に「ごめんね」って言われたんです。それと、一緒に仕事をしていた仲間も「大丈夫、なんとかするから」と。今思い出しても涙出てきそうですけど。それで思ったんです。ありがたい彼らへの直接のお返しにはならないけど、産業カウンセラーという資格をとって、自分同様道に迷ってしまった人の手助けができればいいな、と。講習では実地のロールプレイをやるんですけど、カウンセラー役とクライアント役に分かれて、そのときバンバン話すもんだから何だかすっきりしてきちゃって、気力といい体力といい充実していたなぁ、あのころ。それを躁状態だといったバカ医者がいるんですけど(前述のSのこと)。まぁ、それはさておき、その充実していた生活の延長線上で結婚することになったんですが、それもまた強迫観念なんですよ。38歳になっていたし、そばにたまたま一人の女性が居るし、これは結婚か、って思っちゃったんです。だから付き合って半年経つか経たないかぐらいで結婚しているんですね。よく考えもしないで。結婚してみて驚いた。今更お相手の方についてどうこう言うのも何なのですが、境界性人格障害だったんですよ、彼女。いきなりブチ切れるわ、リストカットをしてみようとするわ、突然居なくなっちゃうわ。もうそれは大変で、うつ病を再発してしまったんです。そこへ両親がヘルプに入ってくれて、これは離婚した方がいい、ということになり、知人の弁護士さんに頼んで離婚することになったんです。でも、あまりのストレスにより会社に行けなくなってしまって・・・休職することになりました。休職すると昼間からすることないから、何をするかというと、お酒。お酒です。お酒を飲んでいるときだけは、不安や強迫観念から逃れられる。昼間からお酒を飲み、ときどきお腹がものすごく痛くなるのだけれど、O内科に行って点滴打ってもらって、炎症反応が50超えているんだけど原因不明、本来なら入院だよ。ま、とにかく明日も点滴打ちに来て、ってなことを繰り返しやっていて。今思えば、きっと急性膵炎だったんだと思います。それで復職しようと思っていた2011年3月11日の日、東京で一人暮らししていたんですけど、夜中にどうにもこうにもお腹が痛くてしょうがない。動けなくなってしまって、土浦の実家に電話したんです。母親が来てくれて、さてどうするかとなったんですけど、O内科に行きたいと言ったんですね。タクシーの運転手がうまいこと飛ばしてくれて実家に到着、早速O内科に行って、点滴を打ち始め、採血して検査しているときに例の震災ですわ。とにかくO内科じゃ、これ以上処置しようがないから、これまでやったことをメモったので、これを持ってどこか大きな病院へ行って!と言われて、筑波大学附属病院を目指して行ったんですけど、信号止まっているし、もう渋滞もぐちゃぐちゃで、普通だったら30分もあれば着くんでしょうけど、2時間半ぐらいかかってしまって。それで初めて急性膵炎だって分かったんです。先生からは、これで帰るというなら一筆書いてもらわないといけないぐらいひどい状態だと言われて。原因は当然、お酒の飲みすぎです。それでも何とか会社に復帰できるようになって、正式復職を申し渡されたんですけど、どうも体調がすぐれないから、ま、正式復職できたんだし、また休職してもいいかと思って、今度はうつの治療で筑波大に入院しようとしたんですね。そしたら会社の人事がやってきて、正式復職の取り消し、つまりは首ですわ。収入がなくなったもんだから、しょうがないのでローンで買った自宅マンションを売って実家に戻ってきたんです。で、アルコール依存症ってバカだから、懲りずに酒を飲む。それで急性膵炎を繰り返す。もしくはうつ病がひどくなって入院する。そんなことばかりやっていて、結局膵臓もボロボロになり、糖尿病になってしまったのが、今ここで世話になっている理由ですわ」(ハァ、ハァ、今書いていてもこれだけ吐き出すの疲れた・・・。)そこでY先生の一言。「つまり、強迫性障害(強迫観念)が常に最初にあったということ?」。思わずハッとした。そうなんだ、そうなんですよ。自分の行動パターンのすべては強迫観念から来ていて、常に不安との闘い。何とかその苦しみから逃れようとすることの連続。それが自分だったんだ・・・。分かっているようで、はっきりそうだと分からなかったこと。まさしく、“それ”なんですよ。「あぁ、今話したこと録音しておけばよかった・・・」と言ったところ、「じゃ、今度は録音機材ってメモ帳に書いておかないと」とY先生。「そうですね」と言いつつ、メモ帳に赤字で「録音機材」と記入。「ところでなんですけど、あんなにイライラしたりしてしまうのって、精神的な薬が切り替わったこともあるんじゃないかと思うんですよねぇ。SSRIとかSNRI(抗うつ薬の種類)って半年とかかけて緩やかに増やしていって減らしていくものを、プッツリと何を飲まされているのかわからない薬に切り替わって、それが原因なんじゃ??」、「いや、ちょっと私は専門でないのでよく分からないですけど・・・」、少々不安になった。自分はいったい何を飲まされているのだろう?いかんいかん、今回は力まないって決めたじゃないか。すべてお任せで行こう。

この日の夕方、両親がK先生に呼び出されたとかで、再度来院。16:30の約束らしいのだけれど、17:00を回ってもまだ待たされている。「看護師に確認したら?」、「まぁ、先生も忙しいんだろうよ」。いつもだったらイライラしているであろう父親も、この日は何となく穏やかな感じだった。そして17:10ぐらいにようやく先生登場。「すみません。お待たせしました。それじゃ、こちらの部屋に移動して・・・」。「あのー、すみません。自分は参加しない方がいいでしょうか?」、すると「どっちでもいいよ」との返答だったので、何だか疲れているし、じゃあ、待っていますので、ということになり、両親が面談に向かった。それほど長い時間ではなかったと思うが、戻ってきて母親一言「昨夜、何かあった?」。あぁ、例の事件のことだな、と察しがついた。自分の怒りの正当性と薬の変化による影響ではないかと思っていることを軽く説明。「いいから、分かったから。おとなしくしてな」と母親。「何でもかんでも自分の思い通りにはならないと思いなよ」と父親。そう言われても・・・誰も自分の怒りの理由を分かってくれない。さびしい。ま、しょうがないか・・・今回はもうみんなお任せって決めたんだし・・・でも、何だか感情のやり場がないなぁ。そんなことがあって、この日は「気持ちの落ち着く薬」なるものを夕食前に飲まされたのだが、これがまた飛んでもないことに。夜、眠りに落ちたかと思ったら、ハッと目が覚め、うぇ、何だこりゃー?目が回るし、一体どこに居るんだっけ?そうだ病院だ・・・でも何だこれ、うわぁ、目が回る・・・。あぁ、しんどい。しょんべんしてえ。だめだ、間に合わねえ、くそっ。ジャー、はい寝小便ですわ。何飲まされたんだ?まったく・・・。意識もうろう。一回は尿瓶に成功したものの、そのあとも、ジャーを繰り返す。でもって意識もうろう。申し訳ない、Fさん!(看護師さん)。

 

・7月23日(月)

一晩中、そんなことを繰り返し、最後にはオムツをはかされ、ビショビショに濡れたベッドの上に横たわっていた。Fさんに「はい、じゃあ採血しますから」と言われて採血。チクッ。メモ帳に「美しい花にはとげがある」って書き残してある(くだらねえ)。

朝になりK教授がやってきた。温和な感じの先生である。「何かいろいろあったみたいだね」と言われたので、「はい、おかげさまでいい本が書けそうです」と言ったところ、「まあまあ、そんなこと言わないでよ。こっちもなかなか100点とはいかないからさ」と言われて、ちょっと勘違いされているかもと思った。

そしてトイレに入って用をたした後、例によってナースコールボタンを押して、看護師さんにお尻をふいてもらおうと鳴らす。そこへやってきたのがKポン!ここぞとばかりに一発ギャグをかました。思わず出た言葉が「出たな!小悪魔Kポン!」。結果、練りに練ったはずの一発ギャグはすべりまくり。しかも去っていくとき「バカじゃん?」みたいな顔をされ、そそくさと消えていった。悲しい・・・悲しすぎる。何かと勝負癖のついている自分にとっては完ぺきな敗北だ。立ち直るには時間が必要だ・・・。

それにしてもゆっくりと眠れない病院だ。1日目は激しい痛みで、2日目はじいさんが入ってきてしまって、3日目は一悶着の興奮のため、4日目は変な薬を飲まされ、尿失禁を重ねて・・・。

K先生がやってきた。今の自分の状態について説明を受ける。クレアチニンが3.4から下がっていないというのだ。最初は「うそだー?」と思った。というのも前週の火曜日にO内科クリニックで採血した検査では1程度だったではないか。しかし、説明を聞いていると、やはり暴れたことが起因して、上がってしまっているのだと思われる、とのこと。さて、ところでですが、という話になったのだが、あんな問題を起こされては困るという話をされた。そう、看護師さんを脅したり、言うことを聞かないのであれば、本当はこっちもクレアチニンが下がってから退院とは思っていたんだけど、自宅で療養して豊後荘病院に早いところ行って、という方がいいんじゃないか?ということらしい。ここは内科の病棟で、とてもじゃないが面倒見切れません、とのことだろう。(自分はそんな人に危害を加えたりするような人間ではありません!)。その他にもいろいろとK先生と対面で話した(M先生も立ち会っていた)。そのおかげで、1打てば100返ってくることは期待できないけど、必ず1は返してくれる先生だと分かった。「おかげで入院しようという意志が強くなりました。もうあんなことは起こしませんから入院させてください。治らないなら治らないでもいいや」と言ったところ「ちょっと待った。治らなくてもいいとは聞き捨てならないな。入院する意味が根本から違ってくる」と言われたので、「すみません。そういう意味で言ったのではなく、もうすべてK先生にお任せするので、その結果はどうなってもいい、という意味で言いました」、すると「分かりました」となった。そして入院継続となった。後述する“やつ”が現れるまでは・・・。

話は変わるが、このころ下痢に悩まされていた。自分のように抗うつ薬をたんまり飲むと便秘しがちになるので、それこそ下剤もたんまりと飲んでいたのだが、抗うつ薬が減ったにも関わらず、下剤を減らしていなかったので下痢したのだと思われる。

そして主任看護師(?)さんがやってきて、「小森さん、申し訳ないのだけれども、部屋を移動していただけないでしょうか?」。クラっとめまいがするような思いだ。またあのじいさんが登場しちまうのかよー。「いろいろ、こちらも対応しなければいけないので、申し訳ないんですけど、ナースセンターのそばの部屋に移ってほしいんです。小森さんの気持ちは重々承知の上でのお願いなんですが・・・・」。うわっ、またまたクラっとする。でもしょうがないか・・・言うことを聞かないようじゃ、入院もしていられないし・・・「分かりました。移動します」、「本当に申し訳ありません」。ということで元居た部屋に戻ることになった。「すみません、ただ、ちょっと私、強迫性障害があるので荷物とかすごく気になってしまうんですけど・・・」、「大丈夫ですよ。ちゃんとあったように置きますから」。大丈夫かなぁ、大丈夫かなぁ・・・あぁ、やっぱり元あった位置にない、はぁ、自分でも好きでそうなったわけじゃないけど、面倒くさいないなぁ、もう。強迫性障害って。おまけに例のじいさんは居るし、隣のベッドに居るのは変な人だし。しょうがない、受け入れよう。

この移動と前後して、Kポンと話す機会があった。やけになってもう一度かましてやった。「出たな!小悪魔Kポン!」、すると「私って小悪魔ですか?どういうところが?」と言われたので、「優しくて、かわいいところ!」と返答。ちょっと困ったような顔をされてしまった。何ということだろう。どうしたら思いが伝わるのだろうか・・・。

自分の担当看護師でもある優しいSさんに「いろいろ話を聞いてもらいたくて」と言ったところ、「じゃ、体拭きしながらでも聞かせてもらおうかな」と言って、体拭きをしてもらい、洗髪までしてもらった。「ついでに、点滴の針も打ち直しましょう」ということになったとき、Y先生にした話をまた繰り返し始めた。が、あまり興味を示してくれていないことに気づき、強迫観念から早稲田に行ったんですよ、という話をしたところで、はいおしまい。自分にとっては重要な話なんだけど、興味ない人にはどうでもよいことなんだろうな、きっと。「ところでなんですが、腎臓の右下に違和感というか痛みというかがあるんですけど」と何とか先生に伝えてほしくて言ったつもりだったが、「水もたくさん飲んでいるし、腎臓も疲れちゃっているのかもしれないね。少し量を減らしてみたら?」ということで終わってしまったので、直接K先生に「右の下腹部に違和感というか痛みみたいのがあるんですが・・・」と言ったところ、「じゃ、レントゲン撮ってみようか。骨折れていたりすると大変だし」、「いや、骨ではないと思うんですけど・・・」、「分からないじゃん。あれだけ暴れているわけだから」との返答だった。

そうこうしているうちにSSRIとSNRIを抜いた影響(離脱症状)が出始める(少なくとも自分はそう思い込んでいる)。PTSDというかフラッシュバックというか、急にゾッとするような怖い場面を思い出して、気が狂いそうになる。そして横になっていた状態から突然起き上がった瞬間、あれ揺れている。うゎ、大丈夫か?違う自分の勘違いだ。何だこれ。隣のやつうるせーなー、もう!。苦しんでいるところに、ついに“やつ”が現れた。クソゲロUという(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)助教だ。「小森さん、私、実は3度ほどすでにお目にかかっているんですけど、分かります?」、ははーん、酔っ払っているときに会って分からないんだな。初めて見る顔だ。ニヤけてる。「すみません。思い出せないんですけど、その節はお世話になりました」、「いやいやいいんですよ、それよりいつお酒飲んだんですか?」、「6月20日に伯母を亡くしていて、それから10日間ぐらい飲んでいました」、「ここに入った原因ってわかります?」とクソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)。「それは7月18日にお酒を飲んでしまって・・・」、「えっ?すみません。耳が遠いもんで、さっきは7月にお酒飲んだとはおっしゃってなかったですよね?」、「いや、だから7月18日にもお酒を飲んでしまってですね・・・」、「いいんですよ。怖いですねぇ、アルコールの離脱症状って」。何?アルコールの離脱症状?違う。自分は低血糖で錯乱状態になり入院したんだ。「低血糖で入院?それだったら、もうすでにあなたはここにいないはず。なのに生き残った」。違う、自分は低血糖で入院したんだ。お酒の離脱症状じゃない。「じゃ、聞きたいんですが、お酒を飲んでも大丈夫な人が居るのはなぜですか?」軽く左ジャブをかましたつもりだった。「なるほど。それはそれまで飲んできた酒の量や個人差によるものです」と返してきた。なんかむかむかしてきた。左ジャブをかわされた。「私はもう12年もやっているから、すぐにわかるんですよ。頭のおかしくなってしまっている人と普通の人と」(けっ、たった12年かよ。偉そうに・・・。)、「7月18日、あなたはここに運ばれてきて酩酊状態だった。だから言ったんですよ、豊後荘病院に。今すぐ措置入院させてもらいなさいって。そしたら非措置だっていうもんだから・・・」、この野郎、いい加減にしないか。えーい、右ストレートだ!「いま、ものすごーく腹が立っているんですけど」、「ほう。自分に対してですか?」、「違います。先生にです」、「いや、私は何も間違っていることは言っていない。そうやってさんざん人に迷惑をかけて。アルコールは人格を変えます。とにかく、これ以上問題を起こさず、おとなしく治療に専念して、早いところ豊後荘病院に行くことです」。完全に頭にきた。くっそー、ほんとなら胸ぐらとっつかまえてぶんなぐっているところだが、落ち着け落ち着け、これ以上問題を起こしてはならないんだ。「また来ます」とだけ言い残し、クソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)は去っていった。あれでも精神科医かよ。左ジャブも右ストレートもまったくかすりもしなかった上に、頭から思いっきりハンマーでベシャンと殴られたような思いだった。

母親はまた来ると言ったきり来ないし、どうなっているんだ。イライライライラ・・・。と、そこへ母親が水を持ってやってきてくれた。「明日、豊後荘病院のS.S先生のところにお父さんと行ってくるよ」、「何話すの?」、「だから飲んじゃっていたんでしょ?6月。それから入院したこと伝わっているから、その報告に」、「それはそうとこれこれこういうクソゲロなやつが現れて、もう腹が立って腹が立って・・・」、「いいよ、分かったから、考えないようにしな。自分が損するだけだから」、「うん」。そんなやりとりをしたと思い出す。それにしても頭をハンマーで殴られたショックが大きすぎる。ほんとに、自分は離脱症状なのだろうか?去年の3月に気を失ったことや18日にセブンイレブンで暴れたことも離脱症状なのか?違う。自分は低血糖を起こしたんだ。いや、クソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)が言っていたのが正しいのか?とにもかくにも怒りだけは収まらない。

ここで夜書いたと思われるメモが残っているので、それを引用したい。「ザマアミロUめ。尿失禁したじゃねえか・・・。見ろ、看護師の冷たいこと。オメエがどんだけまちがってるかこれからも証明してやるぜ」。そしたら、例のじいさんがまた話しかけてきた。だめだ、もう眠りたいのに。屯用の薬を追加で出してもらう。

 

・7月24日(火)

その後も尿失禁を繰り返した。またメモ書きを引用したい。「ヘッヘッヘ、ザマアミロ2回目の尿失禁だぜ。うるせーうるせー、隣のいびきが高々とうるせーや」。「ウッヒッヒ、ハッピーな夢見てたら、3回目の尿失禁だぜ」。この夜、今となっては詳細は覚えていないが、ハッピーな夢を立て続けに見た。

朝になり、困ったことに周りの景色が違って見える。去年の3月も離脱症状だったのだろうか?そんなことを頭でグルグルやっているとき、K教授が現れた。何を話したのか覚えていない。ただ最後に、「昨日、K先生に右下腹部に痛みがあると言ったら、レントゲン撮ろうということになったんですが」、「あ、ほんと。で、どうしたの?骨が折れていたらとてもそうしていられないと思うんだけど」、「いや、あの精、何でしたっけ?精・・・」、「いいから、分かる言葉で言ってよ」、「つまり、タマキンの付け根が痛むんです。それで気持ち悪いんで、右下腹部が痛いと言って」、「だったらレントゲン撮ってもあまり意味ないわな」と。

ダメだ。昨日のショックがまだ尾を引いている。看護師さん(Nさん)に体拭きをしてもらっているときもボーっとしているし、レントゲンの予定を確認のため見に行ってもらっている間に尿失禁しているし。

隣では体拭きをしてもらっているらしい。声が聞こえる。ずい分親しそうに個人的なことを話しているではないか。何でも、その看護師さんは新治出身らしい。へー。その程度にしか思わなかった。しかしふたを開けてみてびっくり。Kポンだった。何だ、だったらもっと聞き耳立てて事細かに聞いてればよかった。と、スケベ心丸出しだったのが正直なところ。しかもすごーーーーーーく悲しいことに横を通り過ぎるとき目を合わせさえしてくれなかった。

K先生がやってきたので、正直に「実は右下腹部とか、面倒くさいこと言っちゃったんですけど、タマキンの付け根が痛いんです」と履いていたオムツを下げて見せながら説明。「じゃ、レントゲン撮っても骨しか写らないし、レントゲンどうする?イエスかノーかで答えてほしいんだけど」、「せっかくなので撮っておきます」、「うん、わかった。オーダー入れておくよ」。

男性看護師2人が競馬の話している。エタニティサマーという商品が、カルバン・クラインにあるんだよな。そう言えば、自分の持っている度つきのサングラス、カルバン・クラインだったな。でも、視力落ちちゃっているし、レンズだけ入れ替えることってできるのかな?あぁ、サマーエタニティよ(わが娘よ、って感じ)、自分は今ものすごく切なく悲しい思いをしているよ。

ボーっとしているものだから、歯磨きしている間に我慢していたのに我慢しきれず尿失禁。これで、新しい紙おむつの袋開けてから、すでに3枚目だよ。

14:00すぎ急に小の用をたしたくなったのでトイレへ。自分は仮性包茎のため、皮をむくのに時間がかかる。それはそうと蓄尿カップを捨てた後(どれだけ飲んで、どれだけ尿が出たのか調べるため、小の都度カップに尿をとって機械に入れている)、神様がくれた時間なのかもしれないが、Kポンとたった2人っきりに・・・。でも何も気の利いたことは言えなかった。昨日、頭を思いっきり殴られた(比喩)後遺症のショックで、ちょっとシャレたフレーズを言おうものならバカ者扱いされかねないと思いっきりブレーキがかかってしまった。ああ神様、一体どれほど私には恋愛という難しいハードルがあるのでしょうか。もう分からなくなりました。お手上げです。サヨウナラ、Kポン・・・。まじで涙出てきてしまった。

レントゲンを撮りに行くとき、テレビで「台風が・・・」とちょっと聞こえたような。何だか心配だ。今度は台風か。大丈夫か?家は。レントゲンを撮り終えて戻ってきたとき、あのバカなクソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)がニヤけながら登場。細かいやりとりは覚えていないが、みごとに人の傷口をもう一度引き裂いて、人の人生をどれだけクソのように言っているかも分からないクズ以下の精神科医に、再びハンマーで頭を殴られてしまった。とうとう泣き出してしまった。オイオイ声を上げて。どうにもできなくなり、泣きながらK先生に「すみません。がんばろうと思っていたんですけど予定変更です。退院させてください」、「うーん、何があったかわからないけど、とにかく落ち着いて、今日は外泊ということにして一度家に帰ってみたらどう?」ということになり外泊することになった。もうすでに幼児返りしてしまっている。いや、体重が重い分、幼児よりたちが悪い。外泊中、ずい分とよく眠った。途中尿失禁をしては、母親の世話になりながら。FとKちゃんの結婚式(2人は会社の同期。ちなみに2人は夫婦ではない)の余興で、観客もびっくりの同時映画公開に自分も登場。自分はそのことを聞かされていない。あーっという結末に、ワーオと感心するとともに、何で俺には教えてくれなかったんだろうという思い。T(やはり会社の同期)の結婚式のお返しは、何とも高級なフライングVのベース。なんて貴重なものを、どうもありがとう。Kポンの残像が焼き付いてしまっている夢も見た(Tさん(会社の上司)登場)。とにかく人の人生を分からないバカなクソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)の切り裂いた傷口のために幼児返りしてしまった自分・・・ふと気づけば常磐線の下りに乗せられていてモヤ~ンとしながら、駅はもう自分の知らない世界に・・・そこで出会った一人の男性・・・何だか分からないうちに診察に入ったようだ。触診をしたり・・・何だかとんでもない病気になっていて、とてもじゃないがこれじゃ社会復帰はおろか、すぐに治療を開始しないとエラいことになる。それにしても珍しい奇病にかかったものだとやら。仙人のような人だ。そこで漢方薬のぎっしりつまったオフィス兼事務所か、それとも知り合いの漢方医のところか、軽トラックの後ろに乗せられたところで、ふと目が覚めるともう9:00を回っている。ダルい。何かいい夢を見ていたところなのに、約束した帰院時刻の10:00に間に合わないことになる。それこそエラいことだ。

 

・7月25日(水)

帰院してまずは採血。12:30の予定でK先生と(M先生付き添い)面談することに。K先生の都合で12:40ぐらいだったろうか?説明開始。ああだこうだ、とにかく印象に残っていることは、暴れて筋肉を傷めた結果だと思うが、クレアチンキナーゼという物の値が22万とかいう数字だったということ。こんな数字初めて見たよ、と言われた。これからはO内科クリニックではなく、東京医大の方に世話になりたい旨、申し上げた。ただ心配なのは、O先生からはHbA1cは6.0ぐらいに、血糖値は150以下ぐらいに目標をと言われていたのに、入院している間、平気で血糖値は200超えるし、失明したりとか足を切断したりとかしなくて済むのでしょうか、ということ。しかしながら、「200超えてもいいと思います。血糖値の記録を見せてもらったけど、ときどき低血糖を起こしているようだし、低血糖を繰り返して起こしていると脳も鈍感になって、低血糖だと認識しないようになってしまうんですよ。脳というのはブドウ糖を栄養としているそうで、ブドウ糖が欠乏すると脳細胞が死んでしまう。だから、目がどうこう、足がどうこう言う前に認知症になる可能性が高いんです。分かります?脳が死んでしまったら、元も子もないでしょ?」。そうだったんだ。「あまりストイックに考えない方がいいですよ」と言われた。「インスリンの単位も13なんて打たずに、4から始めてみましょう。退院でいいと思います。それでどうします?次の予約は?とりあえず1週間様子を見て8月1日(水)にしましょうか?」ということになった。晴れて15:30~16:00を目安に退院することが決まった。がしかし、退院に話が傾くにつれ、頭をもたげていたKポンのことがモヤモヤとうずき出した。ほんとにこれでサヨナラなのだろうか?今日は出勤日じゃないのか見かけない。できることならひとこと礼を、というか小悪魔に恋をした男の悲しいサガ、本気で告白したくて気持ちが収まらない。昨夜の夢を思い出す。やっぱり小悪魔だよKポン、君は。どうしよう、このままじゃ、このままじゃ本当にサヨナラだよ。逆にサヨナラしたいクソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)が頭をかすめた。ムカつくなぁ、もう!・・・ぶっ殺してやる、必ずいつか・・・。

 

・7月26日(木)

それにしてもよく眠り込んでしまったものだ。起きたのは結局11:00を回っていた。詳細は省くが、途中、何度も尿失禁を繰り返しては。イカせることができるかどうかを試すコーナーで一生を添い遂げる人と出会うことに(ちなみに自分はこれまで一度も風俗というものに行ったことがない)。何でもミャンマーで待っているよ、とか。ミャンマー?そりゃ、大変だ。ポロをやっている英国に留学。実は乗馬の3級ライセンス持っているんです、というのを自慢したかったのか、乗りたいのか、はたまた馬と触れ合いたかったのか。そんな夢を見た。

 

 

退院して2日間、おとなしくしていた。両親にも甘えながら。そして7月28日(土)、S.S先生の外来で豊後荘病院に行った。「いろいろあったようだね」と言いながら「すみません、こんなに話していて時間大丈夫ですか?」と気にしながら。先生は「今日は大丈夫」。そして診察の最後に一言、「あのUって野郎、いつか必ず社会的に抹殺してやろうと思っています」と言ったところ、「それにはまず元気になることが一番!」と言われた。本当に長い節になってしまったが、以上でこの節を閉じようと思う。心残りは2つ。KポンのこととクソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)のこと。まぁ、まずはS.S先生にも言われたけど、「ゆっくりと日常を取り戻す」ことから始めようと思っている。

 

 

 

15.2018年7月28日、日曜日の出来事

 この日、ウインアイスバーグ(ウインファビラス、ウインブライトの妹、3歳芦毛の牝馬)の3歳未勝利戦。もうすぐ3歳未勝利戦も終わってしまうし、ここら辺で一発勝ってくれないかなぁ。なんとか生き残るためにも・・・14頭立ての8番人気。出来の悪い孫を持った心境とでも言おうか。結果は4着。がんばっているんだけどなぁ・・・あと一歩届かないんだよなぁ。もうすぐ未勝利戦もなくなっちゃうよ。どうするんだよ。どうもこうもない。このまま未勝利だったら引退だ。それでもこの日は久々に、重賞2レースを単勝でバシッと的中!ウインアイスバーグの心配もひとまずどこへやら、とぼけた声で「当たった、当たったよ」と母親に。「何?」、「だから、馬券が当たったよ」、「一体いくら買って、いくら儲かったの?」、「4,000円ぐらい買って、8,000円ぐらい」、「たまにはね・・・」と笑いながら夕食となった。そしてこの夜、また尿失禁をしでかした。そして目が冴えてしまった自分は、松井先生に是非この「死ぬ準備(生きるプロセス)」を読んでいただきたい、ととっさに思った。とにかく何とか、病院での出来事をまとめたところまでは書いて。そして翌日4:33やり遂げた。母親には「松井先生に、今書いてるの送ろうかな?」と言ったところ「びっくりされちゃうから、止めときなよ」と言われていたのだが、この日は目も冴えてしまっていたし、困ったときの松井先生、ええい、いいや!と思って、もう読んでもらえても読んでもらえなくてもいいから、誰かに聞いてほしくて送信のボタンをクリックしてしまった。

 ここで松井先生について軽く紹介させていただきたい。松井先生は高校時代の恩師で、土浦一高の先輩でもあり、曹洞宗・東光寺の住職さん、は卒業されて息子さんに譲って、その上の何ていうんだっけ?まぁ、それはそうとそういう方だ。卒業式の日、「いいか、お前ら、死ぬなよ」と訓示くださった。変わったこという先生だと思ったが、世の中には順番というものがあって、親が死ぬのを見届けてから死ぬ、それが筋だ、というのだ。あの当時の自分はポカーンと聞いていたが、今までなんだかんだあっても生きているのは、あの訓示のおかげなのかもしれない。と書いたところで、志半ばにして交通事故で亡くなった藤田重仁のことを思い出す。彼は当初、数学が好きだから数学の道に進みたいと言っていたのだが、不幸にもお母さんを亡くし、そして自ら医者になろうと、(確か)一浪して、琉球大学医学部に進学した。一度沖縄でも会っているのだが、ダイビングのライセンスを取りに旅行に出かけた時のことだった。「もう、沖縄っていうところは、ほんとイライラするんだよなぁ。俺、茨城好きだよ」と言いながら、あっちこっち車で連れて行ってくれたっけ。ハブとマングースのショーとか。こちら(茨城)に帰って来たときに、自分の着ている革のハーフコートを見て「この革のコートかっこいいなぁ」と言いながら、「もう、急かなくていいじゃん。もうちょっと一緒にいようよ」と言っていた後のことだ。自分は大学院を修了して、単独で卒業旅行として沖縄に行こうと思い、彼の留守電に「今度また行くから、よろしくね」と録音したと思う。母親と買い物に行って帰ったとき、父親に「藤田君、電話あって、亡くなったってよ」と。ヘナヘナ階段にしばらくボーっと座り込んでしまったのを今でも覚えている。当然、沖縄旅行は中止だ。何でも、相手方の過失で、車は正面衝突。事故を起こしたときには毅然と「大丈夫です」と言っていたらしいが、容体は急変し、そのまま亡くなった。そのときは血だらけになった革のハーフコートを着ていたらしい。ついでにもう一つ付け加えると、命日は確か自分の誕生日の3月2日。因縁を感じざるを得ない。「藤田が医者になったら、最初に俺の血を採血してくれよ」と言ったところ、「そんなのいつでもやってやるよ!」と言っていたのに・・・。だめだ、泣けてきちゃった・・・この辺で紹介はいいでしょうか?松井先生は、葬式の日、「まぁ、母ちゃんのところにでも行ったと思うしかないわな」と言っていたっけ。いかんいかん、ほんとに涙止まらなくなってきちゃった・・・。

 

 

 

16.寝小便(尿失禁)が止まらなーい!

 今日は2018年7月31日(火)、現在2:00を少し回ったところである。昨夜、21:30ぐらいに床についてから、すでに2度寝小便(尿失禁)で起こされ、シーツを交換してもらうわ、オムツは交換してもらうわ。母親は、よく眠っている証拠、いいから気にしないでゆっくり眠りな、と言ってはくれているものの、2つ嘘をついてしまっている。1つはこうしてすぐに寝ずに、記録を残しておこうとパソコンに向かっていること、もう1つは、もう水飲むのはそのくらいにして止めといたら、と言われたにも関わらずがばがばと飲んでしまっていること。いやあ、確かによく眠っていた。夢も見やしない。寝る前に、「しょんべん漏らすのが怖い」と言ったところ、「大丈夫だよ。そのうちよくなるから。わたしがトイレ起きた時にでも様子を見に行くから、気にしないで眠りな」と、ありがたいことを言われて眠りについたのはいいが、やはり寝小便(尿失禁)が止まらなーい!「いいよいいよ」と言われても、ストレスになっているんです、これが。だからこうしてパソコンに向かい、自分の気持ちのやり場を模索している。昨日、松井先生にドラフト版なんですが・・・と言って送った、この“死ぬ準備(生きるプロセス)”も、「おめえ、文章書くのうめえな」と言われたのがそれはそれはうれしくて、何かネタがあったらもう文章書いて感情のやり場を見つけようと思った次第。と書いていたら、何だか目も冴えてきてしまった。しょうがない、次に母親が起きるまでには再び床につくようにして、JRAのサイトでも見て気分でも紛らすか・・・それにしても水飲みたくなるなぁ。何だか飲まなきゃ飲まなきゃと思って飲んでいるうちに、「水依存症」になってしまったのでは?まるでチェーンスモーカーのタバコのようだ。このまま眠ってしまったら、また寝小便しそうで怖い・・・。もういっそのこと朝まで起きていようか。今日は豊後荘病院のS.S先生の外来に行く予定。明日は東京医大茨城医療センターに初めて外来で行く予定。少しは眠った方がいいのだろうが・・・葛藤しているところだ。

そうだ。7月31日と言えば、その昔、入籍した日だった。でもって、離婚してからというもの、この日はろくなことがない。気をつけないと・・・気をつけないと・・・、何か変なことが起こりませんように!

 

 

 

17.7月31日(火)、S.S先生の診察

 しまった。気づいたら寝ていた。時刻は6:10。何だ、もう。もし眠り込んでいたら、母親には起こしてくれって言ってあったのに、起こしてくれなかった。「だって、良く寝ていたようだし、私だって洗濯しなきゃいけなかったし。いいじゃん、大丈夫だよ」って、病院混んじゃってからじゃ遅いんだよなぁ。ふぅ、おまけに昨日松井先生に、「また書いて送ってこいよ」と言われたものだから、あれも書きたいしこれも書きたいし、あぁ、頭がオーバーフロー起こしちゃっているよ。とにかく急がなきゃ、また混んで時間かかっちゃうよぉ。

 今日はこの前の土曜日、既に長々と話させてもらっているし、あまり時間取らせちゃ悪いから話す内容は、要点3つに絞ってこうっと。

①    まずは生活記録表のこと(毎日、何をどの時間にどれだけやったかを表にしたもの)

②    水をたくさん飲んでいるものだから、尿失禁して困っていること(特に夜)

③    この「死ぬ準備(生きるプロセス)」を是非先生にも読んでもらいたいので、何とかWordファイルの送り先を教えてくれないか、ということ

「小森さーん、お待たせしました。どうぞお入りください」ということで診察開始。じゃ、まず生活記録表なんですが、注目してほしいのは16日(月・祝)のところ、柏に一人で行けたんですよ、おかげさまで。産業カウンセラー協会の講習会で、依存症についてやるというので、大丈夫かなぁ、大丈夫かなぁと思いつつ行ってみたら行けたんですよ。しかもお酒なしで。ノンアルコールビールはたくさん飲みましたけどね。

 続いて2番目なんですけど、生活記録表にも書いてありますが、水をたくさん飲むように言われているものだから、それがいつの間にかアディクションになってしまって。で、夜中に尿失禁して目を覚まして、それから怖いものだから、パソコンに向かっていたりする時間が長くあって、ちょっと困ってしまって。で、3番目の話につながってくるんですけど、今是非先生にも読んでいただきたいものを眠れないときに書いているんですが、家にプリンターがなくて印刷できないので、Wordのファイルの送り先を教えていただけないでしょうか?・・・言えた。とりあえず、3つ全部言えたぞ。3番目の件に関しては、ちょっと事務局と相談してみるとのこと。まぁ、しょうがないようなぁ。病院だもん。所詮ビジネスだもん。松井先生のようなわけにはいかないよなぁ、と思いながら、両親と交代。

 診察は自分の後に両親のみが入り、最後に3人揃って締めの話という順番で行われていくのだけれど、両親が呼ばれて入っている間、行方から来ているという、息子さんがやはりアルコール依存症になってしまったという顔なじみのおじさんに、「東京医大に低血糖で救急搬送されて・・・」なんて話したら、「東京医大?あれ、移転するんじゃなかったっけ?」とか言われたものだから、またクラっと。折角、O内科の代わりを見つけたのに、それよりも何よりもKポンが遠くに行ってしまうと思うと切なくて、「ねぇ、それって本当ですか?」、「いや、俺の勘違いかもしれないけど・・・?」、「ねぇ、ホントなんですか?」としつこく聞く。

 そして自分も中に入り3人揃ったところで締めの話。まずは夜きちんと寝て、できれば午前中に、それ(この「死ぬ準備(生きるプロセス)」のこと)を書いて、A.A.にも行けるようだったらA.A.にも行って・・・という話をしていたと思うが、定かではない。何しろKポンが遠くに行ってしまうのかどうかが気になって気になって・・・。次回は、8月4日(土)、またお待ちしておりますので、って結構豊後荘病院行くのって、時間かかるし、混んでいるし、ストレスフルだから休みたいんだけどなぁ、と思いつつ診察終了。

今日は話まとめて行ったから、そんなに時間取らなかったはず、と思い明細書を見ると“通院精神療法(30分以上)”とある。ゲッ、結局そんなに長いことやっていたんだ。

薬局の前で薬の調剤を待っている間も、Kポンのことが気になって、行方のおじさんに質問。「本当に東京医大、移転しちゃうんですか?」、「いや、きっと俺の勘違いだよ」。もうおじさんも面倒くさくなってきたらしい。

ちなみに今、2018年7月31日(火)の23:20。両親はすでにベッドの中。自分も本当は明日、初の東京医大茨城医療センターの外来に行くので、眠りにつきたいのだけれど、尿失禁は怖いわ、目は冴えてしまっているわ。もうこうなったらやけくそだー。徹夜してもいいや。無事に外来に行けさえすれば・・・。

 

 

 

18.8月1日(水)、初めての東京医大外来検査・診察

何事も初めての場所だったり事柄だったりというのは緊張するものだが、自分はその傾向が他の人よりも多分強い。結局1:00頃眠りについて、一度トイレに起きたのだがフラフラ。それでも何とか無事に用をたした。やったー!ついに尿失禁しなかった。そして6:00ごろ目が覚め、今度は東京医大だ。急がなくちゃ。

8:00に検査で11:30に診察の予定。なので、一旦家に帰ることになる。そして8:00に間に合うように到着。そうしたら、11:30の予約の方は8:30以降に採血(採尿)になります。って、話が違うぞ。大丈夫かなぁ。「あのー、8:00に検査と言われたもので8:00に来たのですが・・・」、「わかりました、じゃ、オーダー確認してみますね」。診察券をスワイプ。すると、何と「オーダー入っていませんので、採血できません」。えっ!?何でこううまく事が進まないんだろう。ちなみに母親に同伴してもらっていたのだが、一緒に居てもらわなければ、恐らくそのままうろたえてしまったろうと思う。やっぱり、自分はうつ病だ。ちょっとのことがえらく大変なことに感じてしまう。卒倒しそうだった。8:30までとりあえず待ってください、とのことになり、ソワソワソワソワ・・・落ち着かない。母親からは、「イライラしない。人がやることだから思った通りにはいかないよ」と言われる。まるで暴れ馬をなだめられているかのようだった。

結局8:30に主治医のK先生に確認が取れたらしく、急きょオーダーを入れてもらう。そしてとりあえず採血・採尿完了。ふぅ、もうすでに疲れている。そして一旦家へ帰ったら、ゆっくりし過ぎてしまったもので、今度は11:30に間に合うかどうかという時間になってしまい、またまた焦る。お昼になっちゃうから、昼食食べてから行こう、ということにしてあったのだが、もう焦って焦って。急いでゆでてもらったそばを口にほおばり、はい、ごちそうさまでした。歯磨きもそこそこに、11:30に間に合うように車で送ってもらう。そこでまた待たされて、ソワソワソワソワ・・・。こんなに社会適応能力がなくなってしまっているとは・・・。柏に一人で行けました、なんて喜んでいる場合じゃない。その昔は、訳の分からないインドの空港だって、一人でこなしていたはずではないか・・・。なのに、今じゃ母親なしでは何にもできないでいる。うぅぅ。それにしても待たされるなぁ。11:30に急いで来たというのに。12:10ぐらいにようやく呼ばれる。すでにもう頭はクラクラというかボーっとする。それでも何とか(一応)先生との会話が成立している。何だかよくわからないけど、疲れてしまっている中にもう一人自分が居て、助けてくれているかのようだ。がんばれ!自分の中のもう一人の自分!「退院のときより良くなっているよ。それで一つ提案なんだけど・・・」とまあ詳細は省くとして、新たに一種類、インスリンの他に注射を増やしてどうなるか試してみたい、とのこと。上手くいけば、インスリンを打たなくてもよくなるかもしれないらしい。次回は8月15日(水)9:00からの予約、ということで診察完了。疲れた・・・。一難去ってまた一難、今度は会計だ、それと入院の診断書作成依頼、それが済んだら薬局に行って新しい注射をもらって・・・思っただけでもクラクラする。それでも何とかやりこなせたのは、他でもない。母親のヘルプがあったおかげ。それにしても疲れたなぁ。繰り返しになるが、こんなに社会適応能力が落ちてしまっているとは・・・。まぁ、考えてもしょうがない。今日こそはゆっくり眠りたいものだ。

 


 

19.尿失禁克服か!?Part1

 現在、2018年8月1日(水)の23:30を少し回ったところ、母親に「トイレに起きたときにでも起こして」と言って、23:00ごろ起こしてもらい、トイレでおしっこジャー。何のことはない、自分で起きたわけではなく起こしてもらってトイレに行けた。それでも、尿失禁せずに済んだ克服感で胸いっぱい。母親には、「寝な。なるべく寝な」と言われたけど、ちょっと余韻に浸りたくて・・・。こうして書いている。あれだけ疲れていた体も頭もちょっと元気になった気がしてうれしくてうれしくて。ちょっとだけでいいから、この余韻に浸らせといて、少し経ったら寝るから・・・。

 

 

 

20.がんばれー、がんばってくれ!ポンコツPC!

 少し余韻に浸ろうと思ってパソコンを触っていたところ、「そうだ、昨日松井先生に最新版なんですけど、とか言ってメールでまたまたお邪魔しちゃったけど・・・失礼なこと書いてないよな」とか思って、Outlookを立ち上げたときのこと。McAfeeのAddInが問題を起こしているらしいから、一度AddInをOFFにしますか?みたいなメッセージを残してOutlookが起動できない!もう何が何だか分からないから、はいそうします。ということで、“はい”を選択し、何とか起動に成功。したものの、今度はMcAfeeのAddInがアドインされなくて、さあ困った。ちょっと余韻に浸りたいと思っただけなのに、PCが悲鳴を上げている。このPCを買ったのは2012年3月だから、もうすでに6年半近くがんばってくれている。途中困らせてくれては・・・。お願いだから死ぬ前に、もう少し頑張って!何しろ、システムエンジニアなどと名乗っていた自分は機械音痴なのだ。新しいパソコンを買ってきても初期設定すら分からない。お願いだから、お願いだから、息を吹き返して!・・・何とか願いが届いたのか、再起動したらアドインもどうやらされている様子・・・ホッ。はぁ、よかった、死なないで・・・。近頃、パソコンとかの寿命は短くなっている。愛情持って大切に使っていても、ソフトウェアはバージョンアップされてしまうわ、ハードウェアも壊れてしまうの早いわで、何とかならないかと思っている元システムエンジニアがここにいる。そう言えば、“ダービーキャンペーン”なるものがあって、福永祐一が初めて勝って、ちょっとした話題になった今年のダービー。“ワグネリアン”とダービー馬名が入ったコードレスヘッドホンが当選したのはいいのだけれど、説明書を読んでも全く使い方がわからず、お蔵入り。世の中の動きにはついていけないよ。だってスマホなんていじったことないもん!いまだにガラケーだもん!それがどうした、悪いかよってんだ。逆切れする元システムエンジニアである。

 

 

 

21.尿失禁克服か!?Part2

 時は流れて、現在2018年8月2日(木)の3:00、やったー、やったぞ!ついにやった。今度は起こされなくても、自分で起きてトイレに行けた。しかも、オムツは濡れてない。ついに尿失禁から解放されたんだ。また繰り返すかもしれないけど、とりあえずやったんだ。よしよし。またちょっとだけ余韻に浸ろうっと。と思っているところである・・・。

 

 

 

22.心配性が止まらなーい!

 もともと持って生まれた先天性のものなのか、それともうつ病がそうさせるのか、心配性が止まらなーい!ちょっとしたことが、えらく大変なことに思えて、うぅぅ助けてくれ!神様何とかしてください、となってしまう。

 ちなみに今朝起きてから心配だったことを羅列してみよう。まず便秘。たった一日なのに、今朝は便が出なかった。うつ病の薬を再開した影響も大いに関係しているかと思うが、これで腸閉塞にでもなったらどうしよう・・・心配だ。

 今週は我が家のごみ置き場掃除担当の週(一週間ごとに、ごみ置き場の掃除当番を回し、カラスのつっついた後だったりを片付けている)。母親が、「いやあ、お父さん。えらいことになっているよ。どこの誰が置いて行ったのか分からないけど、ペットボトルとか食べ残しとかみんなまとめて捨ててあるゴミが、カラスに突っつかれて、すごくとっ散らかっているよ!」。あぁ、そんなゴミを捨てるやつがいるのか・・・心配だ。

 かわいい孫たち(ウインファビラスやウインブライトのこと)が活躍した翌週は、“競馬ブック”を買って切り抜いて保存しているのだけれど、最近、セブンイレブン(一番近くのコンビニ、前述の暴れたところ)に競馬ブック置いてないんだよなぁ。あまり売れないから、置くの止めちゃったのかなぁ。どうしよう、今度の札幌記念(GⅡ)にウインブライトが出走予定とか情報入っているけど、もし好成績残して切り抜けなかったら、そもそも無事に出走できるかなぁ?結果はどうなるのかなぁ?・・・心配だ。(その後、体調が芳しくなく回避するとの情報あり、ちょっとホッ)

 ウインアイスバーグはどうなる?もうすぐ未勝利戦もなくなっちゃうよ。どうなるんだろう?・・・心配だ。

 特に暑い日なので、何気に天気予報のサイトで今後の天気予報を見ていたところ、来週の後半ぐらいに、どうも台風が接近しそうな予報が・・・。どうしよう、本当に台風きちゃったら・・・心配だ。

 そう言えば、昨日A.A.ののぶさんにメール入れて、この前は優しい返信してくれたけど、今回は返ってこない。何か、気悪くさせちゃったかなぁ?・・・心配だ。

 この「死ぬ準備(生きるプロセス)」、本気で本にでもしようと思っているけど、実名でいろんな人出しちゃっているし、本になんてできるのかなあ・・・心配だ。

 その他にも次から次へと心配事がいっぱい・・・。どうです?こんな具合なんですよ。自分の頭の中って。疲れるでしょ?聞いているだけでも。でも、好きでそうやっているわけではないんですよ。勝手に頭が回っちゃう。以前テレビで、「心配性の人は危機管理能力が高い」とかなんとかやっていた気がするけど、なんのことはない。ただ心配で、どうでもいいから苦しみから逃れたくて、何とか回避する策を勝手に頭で考えている。それが現実なんです。あぁ、辛いなぁ、もう。

 

 

 

23.松井先生は生き仏!?

 次から次へと書くことによって、気持ちのやり場を探している。すっかりライフワークになってしまった、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」。もうしがみついてしがみついて。うつ病になるぐらいの性格だから、その気になったときの勢いのすごいこと。書いては、松井先生に送り送りしてしまっているのだが、次のような返信をいただいた。(松井先生、ごめんなさい!)。 

 

   15節から読みました。よくこれだけすぐに書けるなと感心します。読んでいて、雫石とみさんのことを思い出しました(「学びのたより 学校生活編」P197「ことばの力 1」で紹介)。「書くこと」で気が休まり、支えになるならば、よいと思います。しかし、夜も寝ないで書くのは感心しません。自分の体のこともいたわってあげて下さい。

また、暑さがぶり返しました。6日からは組寺の施餓鬼会法要のお手伝いが続き、13日からのお盆、18日の東光寺の施餓鬼会法要と1年で一番忙しい時期を迎えます。この暑さに耐えられるか年々心配になっています。

 

Windows 10 版のメールから送信

 

 

普段はべらんめえ調で話す先生が、敬語を使ってくださっている。しかも音声も表情も情報が入ってこない分、まるでお釈迦様(生き仏とでも言おうか)と交信しているかのようだ。

高校時代から従順だった(実際そうだったと思う)はずの自分は、寝ても寝なくてもいいから、何とかこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」を書きあげたい思いが強く、次のように返信。

 

 

松井先生、

 

早速読んでいただいてありがとうございます。感謝感謝です。

私の方は大丈夫ですよ。何だかんだ言って寝るときは寝てますから。

実際、体も正直なもので、昨夜はもう倒れこむようにいつの間にか眠っていました。

 

ですから、先生の方こそこのクソ暑いのに忙しい時期。何卒ご自愛くださいませ。

私の与太話は、それこそ適当に付き合っていただくだけで幸いです。

 

以上、これからもよろしくお願いします。

 

 

実際のところ寝不足なのだろう。昼食をとったら、横になって眠っていた。起きたら14:30ぐらい。「ちょっとシャワー浴びるから」と言って、シャワーを浴びたのだが、もう頭の中はこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」のことでいっぱい。それぐらい今の心のよりどころなのだろう。無意識に体を洗い終えて、そして今こうして書いている。

 

 

 

24.うつ病・依存症になった理由?

こうしてこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」をよりどころにしてしまった自分。よく考えてみたらうつ病や依存症になった理由と似ている気がする。何よりもそれが優先になってしまって、他のことに目が向かない。今日の夕食は、母親の作ってくれたカレーだった。のは覚えているが、父親と母親の他愛もない会話、テレビから流れてくる情報、まったく覚えていない。何しろ、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」が気になって気になって、それどころではないのだ。何よりも優先順位が高くなってしまっている。最近、働き方改革法案なるものが通ったらしいが、ワーカホリックの人がほんとに過労で死なないか心配になる。何しろ、自分のようにアディクションを抱えている人たちは、ちょっと一休み、息抜きでもしよう、などという気にはなれず、そのまま突っ走る傾向があるからだ。誰かが止めてやらなければ、今の自分同様、何も目に入らなくなり、それこそ松井先生の話ではないが、昼夜関係なくせっせせっせとがんばることになる。少しは休まないとと思って、先ほどJRAのサイトを訪れ、確定したばかりの出馬表をながめたが、頭に入ってこない。松井先生にはメールした。

 

追伸:今夜はゆっくり眠ろうと思います。

 

とは言ったものの、せっかく上がったテンションが、一休みすることによって下がるのが怖い。あぁ、どうしたものか?ここはひとまず思い切って休んでみよう。そうすることによって、依存症からの回復の道筋が見えるかもしれない。だが、ほんと怖いんですよ。テンション下がっちゃうのが・・・。

 

 

 

25.尿失禁克服か!?Part3

 現在2018年8月2日(木)の23:30、やったー。何のことはない。23:00ごろ起こされて、トイレに行って尿失禁せずに用を済ませることができたこと。またちょっとだけ余韻に浸ろうっと。と、いやいや、今日は眠るんだ。休むんだ、休むんだ。これを書き終えたら・・・とにかく日付が変わる8月3日(金)0:00には、必ず床につくことにしよう。でも、余韻にも浸りたい・・・いやいや、今日は眠るんだ。葛藤しているところである。

 

 

 

26.尿失禁克服か!?Part4

やったー!やったぞ!現在、2018年8月3日(金)2:00を少し回ったところ。昨夜に引き続き、自分で起きてトイレに行くことができた。オムツも濡れてない。誰に感謝したらいいんだか・・・ありがとう!しょんべんの神様(そんなの居るのか?)。あぁ、余韻に浸りたい・・・って思うかと思っていたんだけど、今はただ眠いや。早く寝よう。おやすみなさい・・・。

 

 

 

27.尿失禁克服か!?Part5

場所は取手にある親戚宅。従姉の子供たちとじゃれ合っている。「今日は泊っていったら?」。取手の伯母に言われる。従姉と話。「いいんですよ。自分、子供好きだし。こうやってじゃれあっているの。だけど、明日は北海道に行くから帰らなくちゃ。まぁ、そのうち障害年金2級ももらっていることだし、バンと・・・」という夢を見ているところで目を覚ます。時刻は6:30。あぁ、しょんべんしてえ。蓄尿カップ2杯分ぐらい出ただろうか(800㏄ぐらい、ちょっとオーバーか?)。しかもオムツは濡れていない。やったんだ。ついに。しかも夢を見るまでゆっくり眠っていた。あまり待たせると悪いから下に降りて行かなきゃ(自分の寝床は2階にある)。ふぅー。ちょっとまだ眠いけど・・・。

 

 

 

28.1つの告白

 自分は“さる”と“へび”が怖い。本当の動物の猿と蛇が怖いわけではない。実は、小学校の頃だったと思う。くだらない話になってしまうのだが、「午前中に、“さる”とか“へび”とか言ってしまうと、その日は損するらしいよ」なんてことを言うやつが居たものだから、それがいつの間にか「午前中に“さる”と“へび”は言わないようにしないと」になり、それがさらにエスカレートして「午前中に“さる”とか“へび”とか聞いてしまったら、その日は一日もう終わりだ」になってしまった。だから、午前中に母親が「サルスベリがきれいに咲いたね」だの「今朝、カナヘビを見つけて・・・」なんて言おうものなら、もう大変。あぁ、何てことを言ってくれたんだ。今日はもう終わりじゃないか、となってしまう。

 ここで低血糖で搬送された日の手帳の殴り書きを紹介しよう。「くそざるくそへび、ぶちまけってやったぞ。くそやろう!!!あったまきたくそさるくそへび。クソさるとクソへび、“上海”って漢字出ないから、頭きてPCぶんなぐっちまったじゃねえか・・・。いい加減にしろくそさるくそへび。Monkey Snake ばっかじゃねーの こいつら」

そして救急搬送されたら当日、とりあえず横にされたベッドの上から傍らに居た母親に向かって、「あぁ、きっと“さる”と“へび”のせいだ・・・」と言ったら、「関係ないよ」と言われたのだった。

 これも強迫性障害の症状の一種だと思うのだが、何か自分独自の縁起かつぎが心に根付いてしまって離れないでいる。それで結局苦しむことになるのだが・・・。それを克服できたんだかできないでまだ根付いているんだか、とにかく現在、9:20。午前中だというのに、平気で“さる”と“へび”と書けるまでになった。むしろ、守り神様のように崇めてしまって。これも、救急搬送されていろいろあったおかげ、そしてこうしてあからさまに「死ぬ準備(生きるプロセス)」を書かせていただいているおかげだと、今は思っている。

 

 

 

29.8月3日(金)、I先生(歯科医)とのやりとり

 本来ならば、7月23日(月)に予約を入れてあったI歯科医院での治療。入院してしまったために、「体調が悪くなって行けなくなったので、またよくなったらお願いします」と母親に予約をキャンセルしてもらっていた。そして8月3日(金)(今日)、I歯科医院に行ってきた。「さて、どうされました?何でも体調悪くなさったとか・・・」とI先生、「いや実は・・・」と入院した経緯を説明した。どうも奥歯が痛むので、7月に久々に訪れた時、「今、糖尿病があって13単位インスリン打っているんですが・・・」、「あぁ、一日に13単位ね」と言われたので、「いえ、毎食前と寝る前それぞれ13単位ずつ・・・」と言ったところ、「えーっ!?13単位?そんなに打って、ブドウ糖ちゃんと持ち歩いています?」、「いえ、持っていませんけど・・・」、「いや、笑い事じゃなくて、本当に低血糖起こしたら大変ですから」と言われていた。

 「あぁ、先生の忠告を聞いておけばよかったと思うことが、本当に起こってしまって。これからは、O内科クリニックではなく東京医大茨城医療センターに通おうと思っています。それで、インスリンの単位も13じゃなくて4に減らして・・・」、「そうですね。必ずブドウ糖は持ち歩いてください。そして何かあったらすぐに口にする。ただし、そればかりやっていると虫歯になり易いので、それはそれで注意してください」と新たに忠告いただいた。I先生の予感は当たる!かもしれないので、今度は虫歯に注意しないと、と思った次第である。

 

 

 

30.元気だったあのころ・・・インドからの帰路のこと

 1999年か2000年ごろだったと思う。インドのバンガロールに1週間ほど出張することがあった。パソコンをいじっていると、当時、その出張からの帰路、上司であったTさんに宛てたメッセージを発見したので、ここらで一息。ちょっとそのころの自分のことを思い出してみたい。以下、ご参照ください。

 

タイトル:デリー8時間

<デリー着>

Bangaloreからの国内便Jet Airwaysはほぼ定刻どおりデリーに到着。Yさんの言われていたとおり、Jetのスチュワーデスはルックス重視のようです。しかも短めのスカートですし、機内も行きに乗ったICに比べたら実に整理整頓が行き届いています。これから国内便は積極的にJetですね。

さて、預けた荷物が出てくるまでに若干手間取っていたようで、およそ30分ぐらい待たされたものの、それでも時刻は11:30ぐらい、19:30出発予定のJALを待つにはあまりにも早すぎました。そのまま空港の外に出てしまうと、きっとまたわけのわからないやつはよってくるだろうし、大体、どっち方面に向かって歩いたらいいのかもわからないだろうし、よって空港内に見つけた”ITDC”のカウンターで相談することに。

 

<ITDCカウンター>

「およそ7時間ぐらいの空き時間があるのだけれど、どこか観光名所を1,2箇所回って5時ぐらいに国際空港に戻ることはできる?」と聞くと、「ホテルで休憩した方がいいんじゃないの?外は42℃だよ」との返事。「ホテルを使うといくら?それと観光したとすると?」、「ホテルは1000Rs、観光したとするとA/C付きが820Rs、なければ605Rs」。思っていたよりもちょっと高いとは思いましたが、せっかくここまで来たのだし、観光することにするかぁ、となりました。「じゃ、A/C付きで観光を。ところで、最後にもう一つ。そのドライバーって本当に信用できる?」の質問には「You have to trust him! Because he is a government driver.」なんだか理屈のようでよくわからない言い分ですが、そこまで強くおっしゃるなら信用しましょう。

 

<いざ車へ>

「それじゃ車のところまで行くから付いて来て」ともう一人がやってきて私のスーツケースをゴロゴロと転がしながら外の駐車場に向けて歩き始めました。駐車場のところまで行くと、ドライバーがいない。「多分、ティーかランチだと思うけど、ちょっとここで待ってて。探してくる」と言いそれこそ42℃の炎天下に私を待たせて探しに行ってしまいました。そこで、おいおいこれで終わり?などともちょっと思いましたが、まだ空港も近いし、なんとかなるという気持ちはあったため、まだよかったんでしょうね。10分ぐらい待ったら、初老のドライバーとともに戻ってきました。

 

<どこに行ってもインド人って・・・>

「兄さん、チップは?」といきなり、そのスーツケースを運んでくれたおっさんが手を出してきたため、No!と言いドアを閉めました。やっぱりGovernment云々言ってもこの程度か・・・とがっかりしましたが、そのドライバーもまた話を始めると「あんた、日本人だろ?日本とアメリカは金持ってんもんなぁ。いくら給料もらってんだ?」などと、すぐに金の話にたどり着き、何度「ちっとはだまってろ!」と言いたくなったことか。しかし、このドライバーのオヤジが空港にたどり着くための命綱だったため、何とか機嫌を損ねず、ときにはチップをやるから、とこっちもみみっちくなってしまったのも事実です。

 

<ラール・キラーへ>

「ラール・キラーへ行くにはどのくらい?」、「まぁ、多分1時間ぐらいだろうなぁ」との答えだったので、最悪ラール・キラーだけを見て戻ったとしても3時間ぐらいはつぶれるな、と思ったため、ラール・キラーへ行くことにしました。道中は例によって金の話が何度も出ましたが、適当にごまかしつつ、そのオヤジもよっぽどチップがほしいのか、特にこちらからリクエストしなくても「ここが、どこそこの大使館、こっちがどこそこの・・・ここはオールドデリー」とわかりづらい英語ではありますが、いろいろと説明をしてくれました。

 

<ラール・キラー内>

さて、ラール・キラーに到着し、日曜日だったこともあってか、結構人ごみになっていました。こんな状況下で1時間もドライバーを待たせて、ほんとに大丈夫だろうか、と結構不安になりましたが、ここまで来たら覚悟も決めざるを得ず、とりあえずごまかし程度に10Rsを渡し「何か飲んでて」と言い残し、中に入って行きました。このときの荷物が、リュックにノートパソコンを担いだ状態でしかも気温42℃。何かの訓練かと思うほど条件的にはきついものがありました。

旅行でそちこち訪問するときは、それなりに予習をして行くのですが、今回はついでに訪れたような感じでしたので、中の建築物等についてはこれといった知識もなく、なんとなく1時間ぶらぶらと歩いてきました。それにやはり車が待っているかどうかも気になったため、おちおち建物をゆっくり見ている気分にもなれなかったのですが・・・。

 

<その後は車でぶらぶらと>

外に出るとごみごみしているし、さっきのドライバーどんな顔だったっけ?とちょっと忘れてしまっているし、しかしこんなところで迷子になったら悲惨だと思いつつ、ボーっとしているとドライバーの方から声をかけてきて、何とか無事に車に戻ることができました。

「外はかなり暑いので、適当に車で走ってくれる?」とリクエストしたのですが、「そう言われると・・・どうすんの?とりあえず、買い物するための店につれていくよ」となり、「買い物はしたくない!」と言い張ったのですが、ドライバーも白状し「いや、お客さん連れて行くと、50Rsもらえるんだよ。だから勘弁して。何も買わなくていいから」ということになり、店につれていかれましたが、この店やはり高い!しかも、こんなもの買ってもなぁ、というものばかりで。その後も特に外に降りて観光するわけでもなく、そう言えばKがクトゥブ・ミナールがお勧めと言っていたのを思い出して、クトゥブ・ミナールに行ってもらいました。

このころになると時間もそこそこで、ちょっと早いけど疲れもたまってきたし、空港に行ってもらおう、と思いドライバーに言ったのですが、途中「腹が減ったので、ちょっと何か食ってきていい?」と私を42℃に放置された車に置き去りにし、何かを食いに出かけたのにはさすがにあきれましたが。

 

<空港着>

ちょっと早めではありましたが、空港には16:00ぐらいに到着。ここまで時間がつぶせれば、あとは何とかなるだろう、と思いましたが若干ほっとしたこともあってか、疲れの方はどっときた感じでした。

 

しかし、相変わらず、インド人はどこまでが信用できるのかはよくわかりません。まぁ、これが区別できるようになったらインドも相当慣れてきたということでしょうか?

 

 

今読み返しても、とてもじゃないが、真似できないと感じる。(そう言えば、帰国後ひどい下痢に悩まされたっけ。)そもそも英語力が落ちてしまっているのは間違いないだろうし、大体、42℃の中をリュックとパソコンを担いで歩き回るなんて。信じられない。若き日の自分はこんなだったんだ。記録って残しておいてみるものだなぁ、と感じずにいられない。

 

 

 

31.尿失禁克服か!?Part6

 さて、時を現在に戻して、今2018年8月3日(金)の23:30を少々回ったところ。例によって、母親に「トイレに起きた時にでも起こして」と言って眠りにつき、トイレで小の用をたしたところだ。母親からは、「自分で起きたのと一緒だよ。だって起こそうと思ったら動き出していて・・・」、「尿失禁してないよな。何だか右側が濡れてしまっているようだけど」、「多分汗だよ。ずーっと右側下にして眠っていたから・・・」。確かに体の右側がちょっと痛いような・・・まぁ、とにかく尿失禁せずに用をたすことができた。こうやってまたパソコンでもいじりはしないかと、「いいから、寝な!ねっ」と言われたところである。ちょっとだけ余韻に浸らせて・・・また8月4日(土)の0:00までには寝るから・・・。明日は豊後荘病院の診察もあることだし・・・。と思っているところである。

 

 

 

32.尿失禁克服か!?Part7

 今、2018年8月4日(土)3:00をちょっと前にしたところ。やった!昨日に引き続き、起こされなくてもちゃんと自分で起きてトイレに行けた。オムツも濡れてない。いよいよほんとに尿失禁克服か!?そう思うと、何だかちょっと感動みたいなものがこみあげてきて、そしてこうして書いている。たった今、母親も起きてきて、眠そうな顔しながら、「トイレ起きたの?」、「今!」、「もう寝ないの?」、「いや、寝るかもしれないけど」、「うん」とだけ軽くうなずいて戸を閉めてくれた。いやぁ、ずい分と騒がせてしまったものだが、やっと普通の人並みに戻れた気がして。またまた、ちょっとだけでいいから余韻に浸らせて・・・今日は豊後荘病院に行く日だから、あと2時間は寝られるけど、ちょっと興奮して眠れるかな?まぁ、そのときはそれでもいいや。何せ6時間近くは、ゆっくり眠れたのだから・・・。追記すると、「おさるさま、おへびさま、どうもありがとう!」と手を合わせて合掌したところである。

 

 

 

33.8月4日(土)、S.S先生の診察

 結局眠らなかった、というか眠れなかったというか。今日はS.S先生の診察の日、また早く行かないと混んじゃうし、とか思うとゆっくりしていられなかった。それに、こうなったら意地でも本にしてやる!という思いが強いから、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」のことが気になって気になって。結局4:30ぐらいに、1階に降りて行ったところ、4:40ぐらいには母親も降りてきた。「おはよう、あれから寝た?」とか言いながら。

 ところで一体この「死ぬ準備(生きるプロセス)」、どういったところで終わらせたらいいのだろうか?思いつくままに書いているものだから、いつ終わるのか分からない。何気なくボーっと過ごしていた日でも、実は人間の感情の揺れ動きって大きいんだなぁ、と改めて考えさせられる。このままじゃ、一生続けても終わらないや。

 はぁ、それにしても眠いや。ちょっと辛どくなってきたかも、と往きの車の中思いながら・・・いつの間にか眠っていた。母親も。それでも父親は黙々と運転していてくれる。右膝が痛くてしょうがない、と言っているのに。飲酒運転をして事故を起こして以来、どこへ行くにも両親任せ。もう父親は80歳、母親も78歳。本来なら自分が面倒を見なくてはいけない順番だろうに、いまだに自分は両親に面倒を見てもらっている。何としてもこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」、書き上げなきゃ。

 家を出たのがちょうど7:00、病院に到着したのが7:50ごろ。受付が始まる前に早く来た人は、順番に名前を記入していく仕組みになっているのだが、早く来たと思っていたのに、ゲッ、もう既に10番目。何ということだ。ハハァン、来週休みだから(8月11日・山の日)患者数も多いのかもな。診察は9:00開始でまだ暇だから、今日話そうと思っていることでもまとめておくか。

①    前回話しておいたWordファイルの送り先の件はどうなったか?

②    東京医大茨城医療センターの採血の結果と、今の内科の治療状況について。

③    その東京医大の外来ではいろいろあって、母親の助けなしには何もできなかったこと。つまりは、柏に行けた、なんて喜んでいる場合じゃないこと。

④    生活記録表を見ての通り、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」を書いている時間がやたらと長くなっていること

とりあえず、今の混み具合の様子を見ると、話せるのはこのぐらいだろう。

 次回は多分、先生がお盆休みに入っちゃうから、その前に8月7日(火)とか言われるんだろうな、きっと。疲れるんだよなぁ、豊後荘病院来るのって。でも、しょうがないか。

ボーっとしながら診察の順番を待つ。その間もこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」のことで頭がパンパン。「小森さーん、どうぞ」ということで診察開始、「あまり時間取らせてしまうと悪いので話す内容4点にまとめてきたんですけど・・・」と話を切り出した。まず1番目、「あーっ、そうだった。忘れてた・・・」って、やっぱりな。しょうがないよな、先生も忙しいんだもん。でも、これを読んでもらえるとすごく今後の治療に役に立つと思うんだけどな。次、2番目、「うーん、腎臓の数値があまりよくないみたいだね」、「これでもマシになった方なんですよ」、「それじゃ、腎臓の負担下げるためにレグテクト(アルコールを飲みたくなくなるという薬、効果のほどは“?”)1回2錠のところ1錠にしてみようか」。続いて3番目「まぁ、初めての場所というのは、誰でも緊張したりするものだし・・・」。

最後、4番目「死ぬ準備って、別に死のうという意味ではなくてですね、人間平等に与えられているのは生と死で、死に向かって毎日せっせせっせとがんばっている。だから、生きるプロセスを大事にしましょうね、という意味なんですけど・・・それを書くことに夢中になり過ぎて時間を使いすぎちゃって・・・」、「いいと思いますよ。それで、小森さんはそれが苦痛じゃない?」、「苦痛というか産みの苦しみみたいのはありますけど、充実はしていますね」。「いいんじゃないですか。それだったら多少寝なくたって。いつか収まるときはくるでしょうし」。言えた。とりあえず、準備していった4つは話せたぞ。しかも短時間で。それよりも、帰ったら早速文章書かなきゃ、忘れないうちに。あっ、そうだ、今日土曜日だから競馬あるんだった。ま、いいか、リアルタイムで観なくても。競馬を超えて夢中になることがあったなんて、自分でも驚きだった。

 

 

34.尿失禁克服か!?Part8

 すみません、しつこくて。現在2018年8月4日23:50ぐらい。でも、やった、やった。今日は母親に起こされなくても、自分で起きてトイレに行けた。早速記録残さないと、と思って書いているところ。たった今、母親も顔を出して「あっ、起きたんだ」と言うものだから、「うん、起きた。トイレにも自分で行けた」と返事したところ。こうやってパソコンに向かっている自分の姿を見て、「寝た方がいいよ」と言って、またベッドに戻っていった。これでついに本当に人並みに戻れたような気がして、またちょっとJRAのサイトでも見ながら余韻に浸ろうと思っているところである。ちょっとだけ放っておいて。できるだけ早く寝るから・・・。

 

 

 

35.騎手との相性

 そうしてJRAのサイトを訪れた自分。Club JRA-Netなるものがあって、無料で開催別、競馬場別、騎手別、払戻金別と4つのパターンごとに、馬券の回収率だの的中率だのの統計を取った一覧表を見せてくれるサービスをしてくれる。(ありがたい。)そうして見ると、これが面白いことに馬券を買ったときの回収率を騎手ごとに見ると、不思議と当たる騎手とそうでない騎手、つまり相性みたいのがあることに気づくんですよ。買った購入代金ごとに名前と回収率が並んでいるのだけれど、2017年の年間を通した成績をまず見ると、C.ルメール騎手が購入代金もトップで回収率も106%、以下、武豊、回収率63%、M.デムーロ76%、福永祐一89%、戸崎圭太65%、ウインブライトの主戦騎手である松岡正海141%!、田辺裕信67%、岩田康誠77%、内田博幸73%、石橋脩104%・・・以下続く、とある。

 そして今年2018年の成績、先週までの分だが、やはりC.ルメール騎手が購入代金もトップで回収率も103%、以下、M.デムーロ85%、武豊66%、川田将雅105%、福永祐一85%、横山典弘96%、内田博幸66%、戸崎圭太68%、岩田康誠69%、石橋脩70%、松岡正海騎手は去年よりちょっと下がって93%・・・以下続く、とある。J.モレイラ騎手に関しては、来日したばかりであまり参考にならないかもしれないが、勝ちまくっているにもかかわらず、回収率は70%だけ。つまり何が言いたいのかというと、購入する騎手には結構偏りがあるんだなぁ、ということと、C.ルメール騎手をいかに自分が頼りにしているかということ。つまりいかに相性がいいか、ということ。どうです?ちょっと面白いでしょ。何気に買っている馬券でも、こんな傾向ってあるんですよ。しかも馬券の当たる確率から見た騎手との相性って存在するみたいなんです。不思議なもんだなぁ・・・と夜中に改めて思っている自分がいる。って書いていたら、間もなく8月5日(日)の1:00。いかんいかん、早いところ寝ないと。というわけで、夜中の雑学講座でした。おしまい。にしたいんだけど、何だかちょっと焦げくさい感じがする、パソコンがとうとう死にそうなのか、それともかけっぱなしのエアコンか?何だろう、気になるなぁ。大丈夫かなあ、寝られなくなっちゃうよ。またまた心配になる自分がいる。(ちなみに日曜日の競馬の結果、C.ルメール騎手を中心に馬券買いこんで、残念ながらはずれー。ま、こんなもんですよ。競馬って。と、なぐさめる自分なのでした。)

 

 

 

36.2018年8月5日(日)、朝の出来事

 何ともリアルになったプラントのトレーニング・シミュレータ。(実は自分、インド出張とか行く前に、プラントのトレーニング・シミュレータを開発している職場に居た。現在はオメガシミュレーションという会社になっている。)ちょっと、部署の配置転換も多いために、紹介がてら今度一緒になった同じ課の別な係に、勤務時間内にデモンストレーションでも・・・それを聞きつけた誰だか分からない部長が説教にやってくる。それに反発して、わが課長(Sさん、そのインドとか行っていた時の先輩、今では管理職になったというようなことをS(旧姓・Y).A・会社の同期がハガキをくれたっけ)も何とかデモを行おうと強行する。もみ合いになる。(K.S登場、やはり会社の同期、よく飲みに行ったなぁ。)「何で分からないんだ?ええっ?」と課長が詰め寄ったところで目が覚める。時刻は5:20。軽く尿失禁したらしく、ちょっとオムツが重くなっているような・・・あぁ、やっぱり。今回はオムツだけで済んだからいいようなものの・・・またやり直しだよ。はぁ・・・。

新聞(朝刊)取りに行ったところ、「東京医大3浪男子も抑制」とある。近頃、何でも東京医大は、女子の入学を抑制するために、女子の受験生の試験の点数には一定の係数をかけて、一律に点数を下げていたらしいことが発覚して問題になっている。その前には文部科学省のお偉いさんの息子が、何でも贈収賄で合格させてもらっていたということも・・・。大丈夫かよ、東京医大。東京医大茨城医療センターもどうなっちゃうのかなぁ。Kポン、あきれて辞めちゃったりしないかなぁ・・・辞めちゃったらそれこそ最後、もう2度と会うこともできないだろうに、と次へ次へと心配になる自分がいる。

それにしても眠い!頭もボーっとする。もうどうしようもない。ちょっとご飯食べたら寝るわ、と言い残してベッドの中へ。そして9:20ごろ目が覚めて、今こうして書いている。1度下に降りて行ったところ、「マツキヨ、カスミに買物に行ってきます。9:30」とメモ書きが残っている。どうも自分の目が覚めるのと入れ替わりで、両親揃って買い物に出かけたらしい。やはり、松井先生の言われたように寝るときは寝る、その方がいいのだろうけど、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」のことが頭から離れないでいる。S.S先生は、「そのうち収まるだろうし」と言っていたけれど、ほんといつになったら話がまとまるのだろうか。果たしてその時はやってくるのか、それとも一生ただ書き続けて、本にもならないで、ってなことになるのだろうか。またまた、心配になる自分である。

 

 

37.尿失禁克服か!?Part9

 2018年8月5日(日)23:50ぐらい。母親に起こされてトイレに行ったところ。昨夜(寝る前)、もう半分寝ているような状態だったから、「大丈夫?ただ眠いだけ?」と母親に言われて、ボーっとしている状態の自分を心配してくれていたのだが・・・。それでも一応記録残しておこうと今、書いているところです。フーっ。よし寝るぞ!今日は何が何でも寝てやる!と思っているところだが、何だか知らないけれど、急にウインアイスバーグのことが気になってしまって。次の日曜日出走予定とか情報入っているけど、今度こそ勝ってくれないかなぁ・・・心配している場合じゃないんだけど。なんでこうも、いろいろ心配になるんだろうなぁ・・・そう言えば台風が直撃しそうな予報も入っているし・・・心配してもしょうがないから、寝なきゃ。あーん、もう何だか悲しくなってきたよ。

 

 

 

38.ゴキブリだっ!!

 時は流れて現在2018年8月6日(月)1:00を回ったところ、本来なら眠っているはずだ。しかし、前述の後、眠れなくなってしまった自分は、不安になったときとか眠れないときに飲むようにと、屯用で出されているヒルナミン(薬の名前)を飲みに行こうと下に降りて行ったときである。何とゴキブリが!!相手は、こっちの様子もうかがってピタッと止まってにらめっこ。ムカついた自分はさっと“ゴキブリハンター”を取り、シューッ!「くたばれ!クソゲロUめっ!」。まだ動いてやがる。今度出てきたら絶対ぶっ殺してやる。よしっ、出てきた。またまたシューッ!!まだ動いてやがる。効いているんだか効いていないんだか、このゴキブリハンター。でも少しは動きが鈍くなってきているかも・・・。よしっ、また出てきやがった。とどめだ!シューーッ!!!相手は勝手口の隙間に入ってガサガサ動いている。くそー、死ぬところを見届けたいのに。一度、2階に上がって母親を起こし、「寝たところ申し訳ないんだけど、これこれこういう訳で下に降りてったらゴキブリが出やがって、影に隠れてガサガサと。もう動きは止まってきているんだけど・・・」、「いいよ、ゴキブリいるんだよ。大丈夫だから」。それでも、クソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見つかりません)の死ぬところを見届けたい自分は、母親を連れて1階にもう一度降りて行った。「ここら辺に入ってガサガサ言っていたんだけど、もうおとなしなくなっていて」、「いいよいいよ、そのままにしといて。明日ゴミ捨てもあるし、そのときにでも見てみるから」と。とりあえず落ち着きを取り戻した自分は、すかさずヒルナミンを取り出して飲み、ペットボトルに水を注ぎ足して、2階に上がることに。ダメだ、興奮して眠れないや。それで今、こうして書いている。今度こそほんとにおやすみなさいさせてください。よろしくお願いします。と書いて、さて、ほんとに寝るとするか。

 

 

 

39.2018年8月6日(月)、朝の出来事

 明け方夢を見ていた。4:00頃だったと思う。メモ帳にいかにも眠りながら書いたようなメモを残して・・・。自分はプロかアマかは別として、アイスホッケーだかポロだかの選手として活躍中。今月の給料は41,400円、レッスン料が50,000円ほどかかるからマイナスだけど、がんばればそのうちプラスになるから、と。「もっと試合に出していただけませんか?」とTさんにお願いする。「まぁ、焦らずに行きましょう」となだめられる。その後に書かれている文字はもうぐちゃぐちゃ・・・何書いているのか判別できない。(ここでTさんを紹介しておくと、乗馬クラブクレイン竜ケ崎に会員として所属しているときに指導してもらっていた方。何でも障害馬術会ではちょっとした有名人で、関西学院大学に進学されて馬術をやり、競馬場でもアルバイトしていたことがあるらしいのだけれど、「もう騎手たちのムカつくこと。あいつら馬乗っているくせに・・・」と愚痴をよくこぼしておられた。)もう寝ていた。どうも照明つけっ放しで眠っていたらしいのだけど。

 6:00過ぎぐらいだったろうか、目が覚めて、ゴキブリのその後が気になっていたのだが、母親が勝手口付近を掃除している。「ゴキブリ、見つかった?」、「いや、どこ行ったかわからないけど、まぁ、大丈夫でしょ。その辺で死んでいるよ」と。くそー、ついにクソゲロU(すみません。語彙力不足で他に形容詞が見当たりません)の死ぬところを見届けられなかった。無念・・・。

 

 

 

40.さらに、心配性が止まらなーい!

 S.S先生は、「午前中はストレスに強い」、と言っていたけど、うつ病が影響しているのか、午前中って結構辛どいんだよなぁ。だって次から次へと心配事が止まらなくなるもん。羅列してみよう。

 まず、前述のゴキブリの話、どこかで死んでいるのはいいとしても、死骸はどうなっちゃうんだ?・・・心配だ。

ラジオをかけていると、例の台風がもしかすると直撃するかもしれないかもしれないとのこと。どうしよう。せめて、“Summer Eternity Named by Takashi Komori”の記念品と、今書いている原稿だけは残ってくれないかなぁ。いや、そうじゃなくて被害が何もなければいいんだけど。何とかしてください、“おさるさま、おへびさま!”と祈る・・・心配だ。

左腕の点滴痕の周りにかゆみが・・・多分テープで止めてあったから、かぶれたのだろうけど、一度治まったのにまたかゆみ出している・・・心配だ。

いよいよ、本当に便秘が治まらなくなってきちゃった・・・心配だ。

ボーっと歯磨きしているけど、こんなにボーっと歯磨きしていて虫歯にならないかなぁ。I先生の予感当たっちゃったら困るんだけど・・・心配だ。

それでまたボーっとしているものだから、何かミスってないか、忘れてないか、間違って捨ててしまってないか気になる・・・心配だ。

そう言えば、去年の暮れぐらいからやたらとケータイに迷惑メールが来るようになったけど、どこまで個人情報漏れちゃっているのかなぁ・・・心配だ。

その他にも次から次へと心配事がいっぱい・・・。繰り返しになっちゃうけど、どうです?こんな具合なんですよ。だからいやなんだよなぁ、午前中って。あと夕暮れ時。この2つのタイミングはどうも憂鬱になる。だからかもしれないけど、午前中に“さる”とか“へび”とか聞いたりすると、もう一日終わりだー、になってしまっていたのかもしれない。

 

 

 

41.父親のこと

 なかなかに書くのが難しいタイトルだ。なぜかっていうと、正直父親のことはあまり好きではない。もっとはっきり言ってしまえば、「嫌い」だ。子供の頃からそうだった。ちょっとしたことでイライラしているのを見ては、何とかご機嫌を損ねないようにしないと、と顔色をうかがう日々が続いたからだ。

 考えてみれば、自分が必死こいて大学に行かなきゃ、と思ったのもそう。何しろ父親も母親も最終学歴は高卒なのだが、何でも家が貧しくて大学に行けなかったらしい。それで銀行に就職したのはいいものの、大卒の輩に次々と出世街道を譲らなければいけない日が続き、自分の子供たちにはそういう思いをさせたくない、とでも思ったのだろうか。自分には、「大学に行かなくちゃ、行かなくちゃ、行かなくちゃ・・・」という目に見えないプレッシャーがいつもかかっていた。そして行きついた結果は、うつ病にアルコール依存症。兄がそれほど神経質な方ではないから、単純に比較はできないけど。だから、もしかすると持って生まれた強迫性障害によるものからかもしれないのだが。

 その父も現在80歳。歳をとったものだ。10月には81歳になる。背中は丸まってきているし、何しろ右膝が痛いそうで、歩くのもおぼつかない。その他にもたくさん薬を飲んでいる。まだしばらくは持ちそうだけど、いつ死んでもおかしくない。そう言えば、Mちゃん(従姉)が「80になるとやっぱり違うよ」と言っていたっけ。本当にそうなっている。最近手は震えているし、やたらと「あれ」と言うことが増えたように思う。「これ、あれだっけ?」。何のこと言っているかさっぱり分からない。次々と口から飛び出す「あれ」に少々イライラさせられるのだが、そこはそれ、歳をとった者のしょうがないところと、やり過ごしている。そんな頑固な父親も、ここのところ少しは「丸く」なったように思う。もうしばらくはがんばってもらわないと、まだまだ死んだらダメだよ。

 

 

 

42.台風

 現在8月6日(月)13:30ぐらい。本来ならば、「42.船・海と自分」というタイトルで書こうかと思っていたのだが、その前に、父親が好んで観ているお昼のワイドショー、台風13号がこれからやってくるのが心配だと言いながら、早くも次の台風が・・・なんてやっている。視聴者を脅して、視聴率でも上げようと思っているのか、それとも本当にありがたい忠告なのか、いずれにしても次に進む前に触れておきたいと思って書いているところである。

 そもそも、こんなに豪雨であったり、迷走する台風だったりを作り出したのは、他でもない。人間が地球を温暖化させてしまったからではないのか。ザマアミロ、だから言ったこっちゃない。人間、楽しようと思って便利さとか、快楽だとかばかりを追い求めてきたからこうなるんだ。と、笑われているかのようだ。(被害に遭われた方、ごめんなさい。)どうか、お鎮まりください、おさるさま、おへびさま、今年はただでさえ、豪雨の被害とか台風の被害とか猛暑とかえらいことになっています。これ以上、苦しめないでくださいませ。どうかどうかお願いいたします。と願わずにはいられない・・・。

 

追記:自分があまりにも「台風が心配だー、心配だー」と騒ぐものだから、母親一言、「だって、しょうがないでしょうよ。来るの止められる?大丈夫だよ。そう騒がなくても」。そこで、ハッと思い出したA.A.のミーティングの最後に行う小さなお祈りのことを思い出したので、ここで紹介しておきたい。

 

                            神様、私にお与えください

                            自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

                            変えられるものは、変えてゆく勇気を

                            そして、二つのものを見わける賢さを

 

 

 

43.船・海と自分

 というわけで、産業カウンセラー養成講座の課題のところでも触れたのだが、自分は海が好きである。山派というよりは完ぺきな海派。何しろ、それこそスキーブーム真っただ中、春休みを利用してスキーに行くような友人はたくさんいたが、「雪があるうちに、何で海になんか行くんだよ」と言われながらも、スキューバダイビングの方を選んだのは他でもない。ただ海が好きなだけだ。青く澄み切った本当にきれいな沖縄の海、今思い出すだけでもホワホワっとしてくる。当時の自分は、「あぁ、このまま死ねるなら本望だ・・・」と思いながら潜っていたっけ。

 そんな自分が初めてとった資格、それは普通自動車免許。その次は当時の4級小型船舶免許だ。限定水域で総トン数も5トン未満という免許だが、それでもかまわなかった。大学生の頃だった。何か資格が取りたいな、と思ってたどり着いたのが、小型船舶免許。今でも思い出す、あの漁船群に憧れたこと。何しろ、小学生の高学年を当時の波崎町で過ごした自分は、手を伸ばせばすぐ手の届くところに海あり、船あり、魚ありという環境で育った。そして今でもそれを思い出す。いつか、というか近いうちにちょっと里帰りでもしたいなぁ、と思っているのだが、両親はもう高齢になってしまっているし、自分は自動車免許なくなってしまったし、第一、体調がすぐれずに行けずじまいになってしまっている。

 大学構内にある旅行代理店のカウンターだった。4級小型船舶免許の取得のため、受講申し込みをし、お姉さんに「がんばってくださいね」と言われた後、簡単に取れるものだと思って、正直ちょっとなめてかかった部分はあるのだけれど、実はこれが意外と難しい。何だかんだ、一生懸命それなりに「覚悟」みたいなものが必要なほどだった。当時の海技免状、引っ越ししている間に既に捨ててしまったのだが、記念にとっておけばよかったと思っている。とにもかくにも、学生時代のうちに、4級小型船舶免許とスキューバダイビングのライセンスを持つことができた。

 1997年ごろ、会社でちょっとしたパワハラに合い、うつ状態になりかけたときだった。自分は船の科学館が大好きで、それこそ何度も一人で出かけて行ったのだけれど、停泊している初代南極観測船・宗谷に会いに行けば元気になれるような気がして、出かけて行ったこともあった。そして宗谷の中をグルっと巡り、甲板に立ち「あぁ、今自分は悩んでいるんだ」と客観的になったのを思い出す。

 日本科学未来館に行った時もそうだった。自分は理系出身であるにも関わらず、興味を持ったのは、「潜水艦しんかい6500」(今は展示されているのか不明)のみ。他には何にも思い出せない。唯一、うちわをフリフリ、「ちょいとお客さん、よってらっしゃい」みたいなことやっていたお姉さんのことは覚えているが。

 2003年、ちょうど最初にうつ病になった年だが(まだそうだとは思わず、医者には診てもらっていない)、4級から水域限定無しの1級にしたくって(ちなみにその後買った本に書いてあったのだが、しんかい6500も1級を持っていれば操縦可能らしい!)、尾道海技学院まで足を運んで取りに行ったっけ。同じプロジェクトの仕事をしている同僚から「何で小型船舶免許なんか取りに行くの?」と聞かれたとき、「漁師になるためですね」って答えたのを覚えている。「えっ、何?????」という顔をされたことも。

 その翌年2004年には、船に乗るためには無線免許もどうも必要らしい、ということで、再度尾道海技学院を訪れて、1級海上特殊無線技士なるものを取得した。(このころは既に、うつ病で通院し、プロジェクトから離れていた。)その2004年のこと、うつ病から立ち直るきっかけになったのは、自転車で東京競馬場まで行った帰りのこと。確か片道で1時間ぐらいはかかったと思う。たまたま寄った本屋さんで見つけた“まぐろ土佐船 斎藤健次さん著 小学館文庫”と言う本だ。何とも言えない高揚感。それまでに萎えてしまった心を本当に励ましていただいた思いだ。

 東京に住んでいる間は、毎年開かれる“ボート・ショー”という展示会にもよく足を運んだ。数千万円する小型船舶に、「うわっ、とてもじゃないが手は出ないけど、いいなぁ」と、少年がスポーツカーに憧れるかのように思ったものだ。理系出身であっても機械音痴な自分は、出力がどれだけでとかなんとかいう細かいことはどうでもよかった。ただ憧れただけだ。

 昨年、1級小型船舶免許の更新をした。あと5年は、とりあえず、そのままで大丈夫。そうそう、これも自分にとっては宝物。“Summer Eternity Named by Takashi Komori”の記念品同様、いつまでもいつまでも、それこそ死ぬまで、いや死んでからも持っていたい資格である。

 

 

 

44.尿失禁克服か!?Part10

 現在、8月7日(火)の1:00を少し回ったところ、母親に起こされてトイレに行ったところだ。実はその前にも、自分で起きてトイレに行けたんだが、再びおしっこジャー。

そしてトイレに行って、母親に「寝なね。いい?」と言われ、「うん」と言い返したにも関わらず、今こうして書いている。書き終わったら寝るから。それに今日はS.S先生の診察日。早く起きないといけないし、5:00には起こして、と母親に言ってあるし・・・。おやすみなさい・・・。

 

 

 

45.8月7日(火)、S.S先生の診察

 結局、3:30ぐらいに目は覚めてしまい、現在4:20ぐらい。またまた、心配性が始まる。AddInがされないと言っていたOutlookのMcAfee、一旦アドインされたはずなのに、またアドインされているかどうか分からなくなってしまった・・・心配だ。

こうやって使っているマウスのスクロールするところ(何ていうのかわからない)。何だかキズみたいのが入ってしまっている。大丈夫かなぁ・・・心配だ。

 もう今日話すことは1点だけでもいいや。つまりこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」を是非読んでいただきたいこと。だから、今日話すこと、

①    Wordファイルの送り先の件、どうなったでしょう?

もうこれだけでもいいや、と思っているところ。さて、そろそろ4:30、出かける準備でも始めましょうかね。まだ早いけど。

 新聞を取りに郵便受けに行ったところ、雨が降っていたにもかかわらず、ちゃんと入れて行かないものだから、郵便受けの中がビショビショに。何やっているんだよったく。今日はアドレナリンがやたらと分泌されているようだ。眠いというのに・・・。

 6:50ごろ家を出発し、7:40過ぎぐらいに病院に到着。まだ病院は開いていない。行列ができている。やっぱりお盆休み前で混むのかもしれない。7:50ぐらいに、警備員の方が自動ドアを開け、おはようございます、と言いながら迎え入れてくれた。そして前回同様、来院した順に表に名前を書いていく。自分は6番目。今日は3人先生居る日だから、そんなに待たされないはずと思いつつ、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」に思いを馳せる。   例の行方のおじさんがやってきた。何も聞いてないのに、次から次へと話し出して止まらない。正直、うざいよ、おじさん!そうして9:05か9:10ぐらいだったと思う。自分はS.S先生の外来2番目に呼ばれた。

 「小森さーん、どうぞお入りください」というわけで診察開始。早速、気になっていた例のWordファイルの件について聞く。その結果、あれまぁ、やっぱりなとは思ったけど、特定の人にメールアドレスを教えることはできないと・・・無念!何とか印刷して持ってこられないか、と言われたんだけど、さて、どうっすっかなぁ?

 続いて生活記録表を見ながら、この3日間どんなふうに過ごしたかを軽く説明。「見て分かる通り、“書く”、“書く”、“書く”・・・こればかりなんですよ」、「僕としては、A.A.とかにも行ってもらって、午前中にそれ(この「死ぬ準備(生きるプロセス)」)を書いてっていうのをお勧めしたいんだけど・・・」とS.S先生には言われたものの、今は書くことで一杯一杯。とてもA.A.なんか(失礼!)に行っていられない。

 「ある意味、病んでないと書けないからね」。そう、その通り、自分は病んでいます。「芥川龍之介だって太宰治だって、病んでいたからこそ書けた訳で、病んでいない人は書く意味ないもんね」と。そうそう、そうなんですよ。そこなんです、だから先生に読んでもらいたいのに、どうすっかなぁ。「印刷して持ってきてもらえるといいんだけどなぁ」。あぁ、じれったい。「でも、夜中書いたりしたのって、エキセントリックになっていたりしない?」、「自分でもそう思って読み直したりするんですけど、昼間からエキセントリックな状態なのか、あまり変には感じないんですよねー」というような話をして両親と交代。

 両親が中に入っている間、今度はどうやって印刷するかで頭が一杯になる。そして3人揃ったところで締めの話。「僕としては寝るときは寝て、午前中に書いて、というのをお勧めしたいけど、まぁ、いいじゃないですか。止まらないものを止めろって言ったって止まらないし・・・。次回はちょっと間空いて8月18日(土)、お待ちしていますので」ということで診察終了。最後に先生には「良いお休みを」と言い残して。薬局で調剤待っている間も「どうすっかなぁ?」で頭が一杯。トイレで小の用をたしているときも。そうだ、河崎に聞いてみようかな。河崎ならやってくれるかもしれない。(ここで、河崎を紹介すると、中高と同級生で、中学生のころは“ビーバー”と呼ばれていた。特に高校は理数科が1クラスしかなかったので3年間一緒のクラス。しかも家が近くとあって、毎朝自転車で一緒に学校まで通った仲である。)

 家に帰る途中、母親が「紫色のサルスベリがきれいに咲いているね」と言っていた。ちょっと前だったら、「何てこと言いやがるんだ!」と怒っていただろうに、今は、「待っていました。“おさるさま”、ここで登場とは縁起がいいぞ」に変わってしまっていたことを付け加えておく。

 

 

 

46.兄のこと

 これまた難しいテーマだ。何故かというと、今度は「好き」か「嫌い」かという話じゃなくて、「苦手」なのだ。どうしても「苦手」。自分は血液型A型、兄はB型、生まれた月も自分は3月、兄は9月、それが関係しているかどうかはさておき、性格が全く違うのだ。かみ合わない。

 その昔、けんかをしたときに、「どうせお前なんか、社会に出たら役に立たなくなるだろうよ!」と言い放ったことがあった。のだが、実は全くのはずれ。むしろ自分が役立たずで、しかも障害年金2級をいただいて暮らしている身になってしまった。某大手コンピュータ会社の社員で、入社して間もなく結婚。(確か)1999年に日本を離れ、フィリピン・マニラに海外駐在。そこで2004年に娘を儲けて、その後はタイ・バンコクにやはり駐在。帰国したのは数年前だから15年?いやそれ以上、海外駐在をやってのけ、今は管理職に就いているらしい。何とも立派なものではないか。なんですけど、どうも自分とはかみ合わない。伝わります?この感覚。向こう(兄)もそう思っているのかもしれないけど、2人きりになどなっても、なーんにも話すことなんか思いつかない。

 今はまだ両親健在だからいいようなものの、先が思いやられる。どうしたものでしょう?

 

 

 

47.母親のこと

 マザコン?そう言われてもしょうがないが、自分の最大の理解者であり、支援者だと思っている。どんなにアホみたいに言われるようなことも、母親には話せる。お酒をこっそり飲んでいたこと以外は。

 母の母、つまり自分の祖母は78歳で亡くなった。だから今はもうその年齢になっていることになる。繰り返しになってしまうが、最大の支援者であるので、今いなくなってしまっては困る一番の人である。少なくとも自分が自立できるまでは。

 まるで飼いならされた馬ではないか。農耕馬や競走馬はそれなりの見返りがあるからまだいいが、自分は何もお返しできていない。そのうちそのうちと思っているうちに、時間ばかり過ぎてしまっているようで、何とも歯がゆい思いをしている。

 

 

 

48.Sちゃん(T.Sさん)のこと

 ここらで一つ。これまでの恋愛事情について。

 学生の頃は前述のように気持ちの余裕がなかったので、それこそこれといった恋愛話はなしと言っていい。会社に入ってからだ。女性と親しくなれたのは。

 一度、会社の同期と付き合ったことがあった。二股をかけられて、まるで天秤に乗せられているかのようだった。あっちに揺れたかと思えば、こっちに揺れ。そんな状態だから自分も疲れてしまい、結局別れることになってしまった。

 そしてもう一人、忘れられない人が居る。SちゃんことT.Sさんだ。趣味・特技はバイオリンにテニス、一時期スキーにはまっているとも言っていた。そんなSちゃんはお父さんの仕事の関係で、子供の頃ドイツで過ごしたらしい。何とも聡明でリーダーシップもあり、自分が会社を辞めたころ(2011年)には、既に管理職になっていたから、恐らく今ではもっとえらくなって、会社を引っ張っているかもしれない。

 Sちゃんに恋愛感情を抱いたのは、前述の二股をかけられていた恋愛が終わった後だ。それまでは友人、とりわけ仲のよい友人ぐらいにしか思っていなかったのだが、別れを経験して空虚になった自分を満たしてくれるのは、まぎれもなくSちゃんだったのだ。

 ある日、思い切ってメールでドライブに誘ってみた。「隠密行動で、ちょっと横浜にでも・・・」、返事が来ない。不安になった自分は内線で電話した。出るなり、「どういうことですか!隠密行動って・・・?」。慌てた自分は、「いや、ささっと行って、ささっと帰ってくるという意味なんだけど・・・」と苦しまぎれのうそをつき、何とかドライブに誘うことに成功。ホテルの看板を見つけて、わざとらしく、「あっ、ホテルだよ」と言ったところ、ジーっとその看板を見て、「帰りましょ」と一言。帰途、車の運転をしたい、と言うので運転席を譲ったが、その運転の危なっかしいことったらありゃしない。それでも、Sちゃんが満足してくれるのなら、自分は満足。

 その後どれくらい経ってからだか忘れたが、電話で告白したことがあった。「何でそんなに、私のこと・・・」、「だって、Sちゃんのこと好きだから・・・」「・・・よかった。さらっと言ってくれて。私も小森君のこと好きだよ。けどね、私付き合っている人が居るの。遠距離恋愛なんだけど・・・変だと思ったでしょ?土日空いているし・・・」。そんな後、何ともぎくしゃくした関係になってしまった。

 ある日突然、Sちゃんがシンガポールに1年間、勉強を兼ねて赴任することが決まった。1997年ごろだったと思う。耳に入ったら、何で直接言ってくれないのかと、そのときはやるせない思いだったが、旅立ってしまう前にSちゃんに少しでも思い出を、と思い、同期連中を集めて送別会の幹事をやったっけ。会費の予算が足りなくなって自腹で払ったことも、そんなことどうでもよかった。Sちゃんが帰宅した後2次会になったのだが、そのときの自分の気の抜けてしまったこと・・・。

 旅立った割とすぐ後、自分のシンガポール出張が1週間の予定で入った。何のことはない。ただ、UNIXマシンにソフトウェアをインストールするだけ。上手くいけば、1日もあれば十分に終わってしまう仕事だ。早速、Sちゃんに連絡。詳細は忘れたが、何でも重たい辞書のようなものを買ってきてほしい、とのこと。買っていきますとも、いくら重かろうが。そして久々に再会(って、そんな時間経ってないんですけど)。親しげに話す我々の姿を見て、シンガポールの社員が、「So fast!」と言っていたのを思い出す。

 毎夜毎夜、Sちゃんには飲みにやら食事にやら連れて行ってもらったっけ。そして、翌日帰国となる日、待ち合わせ場所はなんと自分の宿泊しているホテルの部屋。「いいの?入って?」、「どうぞ」と言って中に入ってもらう。しかも何とベッドに四つん這いになり、「へぇ、このホテル、こんなメニューあるんだ・・・」とか何とか言いながら、何とも無防備な状態。今、思えば、ちょっと誘っていたのかもとも思うのだけど、結局何もなかった。もしかしたら嫌われてしまうかと思うと、怖くて怖くて。

 その後ときどきは国際電話をかけたりしていたんだけど、1年経ってようやく帰国。早速、Sちゃんを飲みに誘う。翌日はテニスにも。でも、なんか違う。前と違う。Sちゃんの家まで送りに行ったとき、そういう話になった。「私ね、好きな人ができたの」。ガーン。その日、とぼとぼと帰る車の中、ボーっとしている人間が一人。今思えば、よく寮まで帰れたなぁ、と思う、物損事故も起こさずに・・・。

 それでも諦めきれない自分は、会社の先輩に「ちょっと本当に今度気合い入れて・・・」なんて話をしたら、「あのな、これ言ってもいいか分からへんけど、今度結婚するんやって、Tさん・・・」。またまた、ガーン。もういい、勘弁してください。その日はメール入れたっけ。「結婚決まったんだって?おめでとう!シンガポールで出会ったなんてロマンチックな話じゃん・・・」とか何とか。Sちゃんからの返事、「ありがとう。よかったら結婚式の2次会に・・・」と誘われたけれど、とても行ける心境じゃなかった。悔しかった。その後、自分は人が変わったかのようにひげを生やし、人相も変わってしまっていた。

 今となっては、ときどき、元気にしているかな、バイオリンは続けているのかな、とか思いながら、実は裏ではコッソリ、不幸せになれー、と思い・・・ってうそですよ。幸せを祈っていますよ!愛しのSちゃん!!

 

 

 

49.A.A.のぶさんと1対1の話

 A.A.(アルコホーリクス・アノニマス)は、断酒を目的とした自助グループ。自分のようにアルコール依存症になってしまった人たちには、断酒の3本柱というのがあって、通院、抗酒剤、自助グループがその3つなのだが、医師にも自助グループに参加した方がいい、と勧められる。何しろ、断酒は孤独な自分との闘い、他の人の話を聞くこと、それに自分自身も話すことによって、心の支えになるのだという。A.A.の特徴の一つとして、基本言いっぱなし、聞きっぱなし、秘密厳守というのがあるので、細かいことは書けないのだが、土浦グループを事実上引っ張っているのぶさんと1対1で話すことがあった。

 事は昨年(2017年)の暮れごろ、そろそろグリーンさん(自分の通称)にも何か役割をお願いしたいんだけど、簡単なところで会場係をやってもらおうかな、ということに始まる。会場係とは一番先に会場に行き、鍵を開け、いすを並べ、コーヒーセットの準備をし、もし新しく人が参加した場合は、資料を手渡し、というようなことをする人のことを言う。先ほども書いた通り、細かい事は書けないのだが、自分はその会場係にうんざりしてしまい、お暇をいただきたく、とのぶさんにメールしたのだった。のぶさんは、別に止めようというわけではないけど、話を聞きたいので時間をくれないか、と返信してくれた。

 自分は、引き留められるものだと思って行ったのだが、まったくの逆。つまり、義務じゃないし、辛どい思いまですることはないよ、と言ってくれた。正直、ホッとしたのだが、とにかく我々のようにアディクションを持っている人間は、これと思ったものに突っ走り始めると止まらなくなるから、一度離れるなら離れてみるのもいいことだ、それも一つの練習だよ、と言ってくれた。その当時は、離れることで楽になれるという思いが強いだけだったが、今、こうして「死ぬ準備(生きるプロセス)」にやたらとこだわって離れられないでいる自分を客観的に見ると、なるほどなぁ、こういうことだったのかと改めて思わされている次第である。

 

 

 

50.2018年8月8日(水)、午前の出来事

 やりました。河崎様(さま)が快く、Wordファイルの印刷をしてくれる、と言ってくれた。ありがとうございます、河崎様(さま)。何しろ、社会から離れて10年以上経つ自分に、最近のシステマティックなことはどうにも難しくて難しくて・・・それで河崎様(さま)にお願いすることになってしまった。お礼の品に、“ワグネリアンのコードレスヘッドホンはいかが?”と問い合わせ中。結局、4:00ごろに目が覚めてしまい、時期的に忙しくしておられるであろう松井先生に、最新版なんですけど、と書き添えてメールでこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」ドラフト版を送った。当然返事はこない。くる訳もない。だって、先生は今、一年で一番忙しい時期だ、とおっしゃっておられたではないか。

 眠いから朝食食べたら寝るか・・・体重を計測したら66.6㎏。小さいくせにブクブクと太ってしまい、72㎏ぐらいまでいっていた自分は、ここ2,3週間で5~6㎏程度体重が落ちた計算になる。まだまだだな。

そうこうしているうちに、母親も起きてきて「おはよう」。とりあえずの悩みが解決したためもあってか、台風がきているというのにさわやかな気分。それにしても眠いや。だいぶ寝不足も溜まってきているのかもしれない。眠いというのにハイテンション。母親が眼科に行くというので、気分転換がてらついて行くことに。それにしても例によって朝から心配性が止まらない。今朝のおかずは鮎の塩焼きだった。鮎って結構脂あるんだね、って前も同じこと言っていたじゃん。ボケちゃったんじゃないの?そうだっけ?とか言っている・・・心配だ。河崎君にメールとか送って、インターネットって情報漏れたりしないの?とか言うものだから・・・心配だ。あぁ、また東京医大の問題のニュースやっているよ・・・心配だ。そう言えば、入院の診断書、作成依頼したけど、ちゃんと給付金出るように書いてくれるかなぁ・・・心配だ。まぁ、毎日のことなんだけど心配が始まったら止まらなくなってしまう。やはり自分は「病んでいる」んだろうなぁ、きっと。

 そういう訳で母親の眼科について行ったのだが、9:00に受付開始とあるのに7:45ぐらいに着いたら、もう並んで待っている人がいる。どこに行っても病院って混むものだ。まぁ、混まない病院って、あまり有難くなさそうな感じはするけど。ついでに南山堂薬局というところに置いてあるという化粧品(?)を買うために南山堂薬局に行き、続いて自分の銀行の用をたしに銀行を2件ほど、例のセブンイレブンの騒動でかかった費用(タクシー代が何と108,000円!)他、入院費用などを引き落としに行き、最後に昼食にパンをということで、コパンというパン屋さんに寄って帰宅。10:30ごろになっていた。

 11:30ごろになり、TBSのJNNニュースというのを見ていたら、何とかよよかちゃん・8歳の天才ドラマーぶりを紹介していた。「努力に勝る天才なし」っていう言葉あるけど、まったくのうそ。本物の天才には絶対勝てない。自信を持って言える。努力に勝る天才は世の中にはたくさんいると思っていた方が間違いない。つまりのところ何が言いたいのかというと、結局のところ、一人一人持っている個性って違うのだから、競うものではなく、好きなことを伸ばしてやった方がいいんじゃないのかなぁ、と思うこの頃なのです。それにたまたま才能がくっついてきたら、そんな幸せなことはない。

 暑いので除湿を入れようかという話になったとき、兄のマンションは除湿つけっ放しらしいよ、という話になった。それだけ、条件的にあまりよくないということだろう。我が家の前の家、不動産屋の看板が立って売りに出たっきり、いまだに売れ残っている。自分のローンで買ったマンションはというと、売りに出して2ヶ月ぐらいで決まった。しかも、初めてのお客さんで。方角は真南向き、4階の東南の角部屋。しかも一人で住んでいた時間が長いので、汚れているところはほとんどない。ときたもんだから、すっかり気に入ってくれて。「俺って、何だかんだ言って、ついているんじゃない?」と言ったら、母親が笑う。「だって、ICUに入った時だって結局生き残ったし、離婚となったときには知人の弁護士さんがいたし、障害年金の申請を行うときだって、従姉の子が社会保険労務士の資格持っていたり・・・」。

 8月12日(日)にお墓参り行こうかと思っているという話を聞いて、「自分は行かなくてもいい?」と聞く。「だって、ウインアイスバーグが出走予定なんだもん」、「それもサマーエタニティの仔?」。母親が聞く。「そう。ちょっとできの悪いやつ」と答える。それからというもの、サマーエタニティと子供たちの毛色のことやら、現在、サマーエタニティは北海道のコスモヴューファームに居て子供たちは皆、(株)ウインの一口馬主制度の出資馬になっていることやら、皆、美浦の畠山吉宏厩舎所属なんだということやら講釈が始まったら止まらなくなってしまった。

 それにしても風が強まってきたようだ。いよいよ台風直撃か?・・・心配だ。

 

 

 

51.2018年8月8日(水)、夕食後

 夕食を食べたら、急に眠くなってしまって、20:30ぐらいに起こして、と言ったきり眠ってしまった。ここのところの睡眠不足が効いているのかもしれない。ベッドに横になったらすぐにもう夢の中。「タカシ、タカシ・・・」と起こされるまで。とりあえずまたすぐに寝たいものだから、寝る前の薬の準備とインスリンの注射をと思い、薬の袋を開けてみたところ、7日分のはずなのに6日分しか入ってない。こういうとき自分はすごく焦ってしまって、「何でないんだ?」と探し回るのだけど、今日は眠気の勝ち。もうそんなことはどうでもよくなっている。段々風が強くなってきているようだ・・・心配だ。と書きながらも、今21:40。眠くて眠くてしょうがない。ダメだ。やっぱり寝よう。おやすみなさい・・・。

 

 

 

52.尿失禁克服か!?Part11

 いい加減、やめたいんだけどなぁ、このタイトル。現在8月9日(木)0:00になろうとしているとこと。起こされて、尿失禁せずにトイレに行けたところです。外は、強風と打ち付ける雨の音、大丈夫かなぁ、台風。おさるさま、おへびさま、どうかお鎮まりください。とまたまた、祈ったところ。この台風13号、さっと過ぎ去ってくれればいいものを、何でも高気圧の影響もあったりとかで、ゆっくりゆっくりと進んでいる。早いところ、過ぎ去ってくれないかなぁ。もう分かりましたから!どんなに文明が進んだって、自然災害には勝てないんだ。地震だってそうだ。いつ起きてもおかしくない。どんなに策を講じたって、勝てやしないんだ、自然には。どうか“Summer Eternity Named by Takashi Komori”の記念の盾とこの原稿と、それから小型船舶免許だけは、お守りください。段々欲づいて、残したい物も少しずつ増えてきてしまっているや・・・。

 今さっき、気分転換にJRAのClub JRA-netのサイトを訪れ、騎手別の成績見たら、この前の日曜日、C.ルメール騎手を中心に買ってはずれと書いたけど、まだ回収率が100%を超えている。何とも、C.ルメール騎手には世話になりっぱなしだ。M.デムーロ騎手も100%に到達している!やっぱり世界は広い。上手い騎手っているんだよな。世界には。日本人騎手もがんばれ!特に武豊騎手。自分と誕生日が近いこともあって、武豊が引退するときは自分もそれだけ年取ったっていうことなんだろうなぁ、と思っているところ。だから、もう少し、あと少しでもいいからできる限り長く続けてもらいたい。いくら回収率が悪くてもいいや。元気で頑張ってさえいてくれれば。

 さて、台風の話、無事に過ぎ去ってくれればいいんだけど。そう願わずにいられない。

 

 

 

53.長崎、原爆の日、8月9日

 現在、ちょっとだけ時計は回って0:20を少し過ぎたところ。そう言えば、爆心地に程近いホテルに滞在しながら、散々苦労した出張のことを思い出す。それでも、世界各地を周ってきたからと言って、好きな街はどこ?と聞かれたら、長崎!と多分、答えるだろう。そのくらい、感動しながら大浦天主堂だの、グラバー園だのに休みの日出かけたっけ。時計が0:00を回ってしまったから、もう8月9日。長崎原爆の日だ。きっと、先日の広島同様、平和祈念式典が行われるのだろう。広島に長崎、どちらも素敵な街だ。海あり、山あり、川あり・・・。歴史は証明しているはず・・・戦争で幸せになる人なんていないことを。もういい加減、止めてくれないかなぁ、世界各地で行われている紛争。夜中に起き出して、一人黙々と書いたところで収まらないのは分かるけど・・・。ジョン・レノンのImagineを思い出すよ。

 

 

 

54.2018年8月9日(木)、午前中

 自分はどこかの医学部に体験入学してか、どこかの病院でか講義を聞いているところ。へぇー、医者ってこんなに難しい方程式を解いて治療に当たっているんだ、と感心するばかり。世の中って実は意外とスマートにできていて、現象の方程式って結構シンプルだったりするんだけど、医者はこんなにも難しい方程式を解いている。隣にかわいい女の子がいる。かわいいなあ。(ここで告白その2:自分は2014年に重症急性膵炎で入院して以来、射精しなくなってしまった、というかできなくなってしまった。それなのに男性ホルモンのテストステロンだけは高い。2017年の秋から2018年の春ぐらいにかけて、筑波大学附属病院の男性機能外来に通院したのだけれど、これといった解決策はないまま、診療終了。なんともやるせない。なのに女の子への興味だけは変わらず持っている。)この女の子と仲良くなりたいなぁ。そう言えば、その後Kポンはどうしているかなぁ?という夢を見ていたら、6:50ぐらいに母親がやってきて起こされる。よほど寝不足も溜まってきているのかもしれない。尿失禁はしていない様子。母親には、眠いなら寝ていてもいいよ、と言われたが起きることに。

 だけど、昨夜から今朝にかけて半分寝ている状態でこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」を書いていたものだから、何かミスってないかなぁ?心配になる。食事の時に、お茶やら水を飲むとやたらとむせる。K耳鼻咽喉科では、嚥下障害はまだなさそうだよ、と言われたけれど、こんなにむせるとは・・・心配だ。また便秘になっちゃったよ・・・心配だ。相変わらず、Outlook起動時にMcAfeeのAddInがアドインされているというメッセージが表示されない・・・心配だ。エアコンの除湿をかけてみたら、何だかカラカラカラカラ、変な音がする・・・心配だ。それに台風13号、だいぶこの辺りは落ち着いてきたみたいだけど、これからどうなるんだろう?・・・心配だ。ウインアイスバーグの出走はどうなるのかなぁ?今度こそ勝ってくれないかなぁ?・・・心配だ。とまあ、毎日のことなんですけど、まるで定例のお祈りをするかのごとく、心配事が始まる。苦しいなぁ、もう・・・。

 

 

 

55.2018年8月9日(木)、午後から

 昼食を食べた後、自分のとっちらかった薬の袋を片付けていたのだが、寝不足も溜まってきているためか、眠そうにしていた。すると、母親、「眠けりゃ、寝たら」、「じゃ、寝るから、もし寝込んでいたら起こしてくれる?」、そう言い残して、眠りについた。起きてみると、15:30ぐらい。ちょっとすっきりしたかも。「郵便受けに何か入ってない?」、強迫性障害の自分が聞く。「何だかさっき、女の人が2人、何か入れて行ったみたいだけど・・・」と言われたもので、早速郵便受けを見に行く自分。結局、郵便受けには何も入ってなかったのだけれど、父親が買い物に出かけるときに恐らく取り出して置いて行ったであろう、某銀行の女性の名刺が2枚、ポケットティッシュ、ちょっとしたチラシの一塊が玄関にある。早速、母親に「もしかしたら自分のところに来たのかも・・・」と言ったところ、「分からないでしょ。あんた、どうせ寝ていたんだし」、「分かったから、帰ってきたら、お父さんに言っといて」と言ったところ、「自分で言ったら」と。何だよ、自分が父親嫌いなの分かって言っているんだか、どうなんだか「私が入ると面倒なことになるし・・・」とか言うし、何で分かってくれないかなぁ、もう!2階に上がって、早速記録を残しているところである。

 16:00を回って、日曜日の出走予定馬の馬番がまだ入っていない出馬表がJRAのサイトに公開される。ウインアイスバーグのことが気になる自分は、早速サイトを訪れ見る。ウインアイスバーグの出走は、日曜日の第4レースで確定!で、どんなメンツが相手になるのかなぁ、と眺める。すると結構これが強敵ぞろいに見えてしまって、「また頑張っても届かないかもなぁ」と独り言。でも、まあ、しょうがない。他の馬だって、もうすぐ未勝利戦なくなっちゃうから必死なんだろうし・・・。と何とか興奮している自分を落ち着かせようとしている。何とか勝ってくれないかなぁ。お願いします。おさるさま、おへびさま、どうかウインアイスバーグを勝たせてあげてください。と合掌。ソワソワ落ち着かない・・・。相手は・・・と言うと・・・大体2,3頭ぐらい。恐らく今度は3,4,5番人気ぐらいにはなるか?あぁ、何度も繰り返しになっちゃうけど、今度こそ勝ってくれないかなぁ・・・。がんばれー!騎乗する△横山武史騎手!(若手なため、斤量が2㎏軽くなる△マーク付き)気が気じゃない。分かってもらえます?今の気持ち・・・。

 そうこうしているうちに、父親が買い物から帰って来たようだ。母親、何とか言っといてもらえないかなぁ。これはこれで気が気じゃない。何だか頭がパンクしそうだ。ヒルナミンでも飲むか・・・。

 

 

 

56.尿失禁克服か!?Part12

 現在2018年8月9日(木)、23:45を少し回ったところ。くどいようだけど、やっぱり書いておかなきゃ。起こされなくても、自分でトイレに行けました。ありがとうございます。こうやって、ただひたすら思いつくまま書いては感情のやり場を見つけて、56節まで来てしまいました。こういう数字見ると、騎手の斤量思い出すんだよなぁ。56㎏。あと、400~550ぐらいの数字を見ると馬体重に見えてしまって。400㎏~550㎏。そう言えば、ウインアイスバーグ、体調良さそうな情報入っているし、今度は単勝、複勝思い切って500円ずつ買おうかな、いや300円ずつにしておこうかな(そんなもんですよ、自分の買い方って)。今までは単勝、複勝100円ずつしか買ってなかったけど。ここぞ、と勝負!自分も応援馬券ちょっと金額増やそうかなと思っているところである。

 

 

 

57.2018年8月10日(金)、朝の出来事

 場所は会社の自分の職場、自分の机のところ。仕様書だか何だかが積みあがっている。最近、会社も片付けとか小うるさくなってしまって。「何で、ちゃんと片付けねえんだ?テメエら!」と下請けで来ている社員に説教。この日の帰り道、歩いている部長のMさん(入社したときの最初の部長、初代オメガシミュレーションの社長でもある)を見かける。それで、工場跡に作ったかのような不思議な飲み屋に連れて行ってもらう。酒やらつまみやらが、ベルトコンベアに乗って流れている。「あんな怒り方するのはいかがなものか?」と言われて、自分の怒りの正当性を説明する。「いいから、分かったから・・・」と言いながら立って別なつまみだか酒を探しに行ってしまう。そこへ何故だか、高校の時の同級生・Kが登場。代わりに話を聞いてくれるが、自分はMさんと話がしたくてウズウズしている。そんな夢を見ていて、5:00ちょっと過ぎに目が覚める。会社に恨みがあるのか、未練があるのか、会社に関係した夢をよく見る。

 それにしても、下唇がいまだに腫れてしまっている。いったいどれほどの力で噛んだのだろうか?体重計に乗ると66.8~67.0㎏を行ったり来たり、というところ。母親に言う。「体重66.8㎏だった」、「あら、ずい分減ったなぁ」って、この前66.6㎏だって言ったばかりなのに忘れている。「そうだっけ?」とか言って、おいおいほんとにボケてきちゃっているんじゃないのか?最大の理解者、支援者に今ボケられても困るんだけどなぁ・・・心配だ。オムツ履いて寝ているものだから、汗の影響か何か知らないけどかゆい・・・心配だ。いよいよ便秘も本格的になってきたぞ・・・心配だ。部屋の除湿をつけていると、何だか煙くさいような・・・またどこかでバカたれが燃やしているのかな・・・心配だ。定例の“お祈り”は今日のところはこれぐらいにしておいて欲しいんだけど・・・。

 

 

 

58.カルバン・クラインのサングラス、レンズ交換

 9:30ごろだったろうか、母親が「どうもメガネが合わない気がするので、パリミキ・土浦ピアタウン店に行く」というので、(第14節で登場の)カルバン・クラインのサングラスのレンズを交換してもらおうかと思い、同行することに。えーっと、「まずは今かけているメガネなんですけど、ちょうど作って1年経つので点検してもらおうかと・・・」。Kさん今日は居ないのかなぁ?「はい、じゃ、点検してみますので5分ぐらい時間いただいてよろしいでしょうか?」、「はい」。Kさん今日は居ないのかなぁ・・・あっ、やってきた。ここぞとばかりに、「Kさーん」と声をかける。Kさんは接客上手で、アドバイスも的確。信頼している販売員である。「実はこの大切なカルバン・クラインのサングラスなんですけど、いつ作ったかも思い出せないのですが、レンズだけ交換することってできます?」、「ええ、できますよ」。よしっ!「そうしたらですね、視力も落ちちゃっていますし、老眼が入ってきて近くが見づらくなっているし、レンズだけ交換したいのですが・・・」、「はい、分かりました。そうしたら・・・」ということで、一時間程、視力のことだったり、レンズの色だったりを相談していたろうか。その間、母親は母親で、レンズの交換に向けて奮闘中。あれこれやっている。「それにしても、ほとんど新品みたいにきれいですね」、「そうなんです。実は、事情あって大切でもったいなくて使えないのですが、視力も落ちちゃっているし、レンズだけ替えようと思って・・・」、「そうなんですか・・・」。結局15,300円なりで、レンズを交換することに。「8月19日にはできますので、その後だったらいついらっしゃっても大丈夫ですよ」。母親の方もレンズを無料で交換してもらうらしく、こちらは8月20日に完成予定。「8月20日って、Kさん、いらっしゃいます?」、「ええ、いますよ」、「じゃ、8月20日に取りに来ますので、よろしくお願いします」ということになった。エタニティサマーよ、じゃなかった、サマーエタニティよ、レンズの交換をしたよ。カルバン・クラインのサングラス。帰り際、KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)で、フィレサンド1つと骨なしチキンを3つ購入し帰宅。何だか一仕事やり終えたような気分で、この日食べたフィレサンドのうまいこと。もう1つ、骨なしチキンも食べたが、ちょっとカロリーオーバーか?まぁ、いいか、たまには。

 

 

 

59.新聞買いに行くついでに・・・

 毎週金曜日と場合によっては土曜日も、14:30頃を目安に東スポを買いに行く。競馬の欄を見るためだ。この日、つまり8月10日(金)も買いに行った。外は暑いので車で送って行ってもらう。そのついでに、ノンアルコールビールも・・・と言ったが最後、最大の理解者であり、支援者でもあるはずの母親が眉をひそめる。「止めときなよ。また繰り返すとしょうがないし・・・先生に聞いてからにしなよ。何で聞かなかったんだ?この前・・・」と不機嫌極まりなし。そうは言っても、ノンアルコールビールがあったからこそ断酒が続けられてきたのだ。それをどうしても理解してもらえない。どう説明しても。虚しい・・・というか、悲しい・・・というか、さびしい・・・というか、頭にくる・・・というか、どう言っていいのか分からない感情が体中に湧き出る。そうやって止められると、またこそっと出て行って飲む始末になりかねない。だからこそ言っているのに、分かってもらえない。確かS.S先生は言っていたよな。「お互い大人なんだから、それぞれが何をしたいのか?それを優先した方がいい。それが大切です」と。別に酒を飲もうとしている訳ではない。繰り返すが、ノンアルコールビールを飲みたいだけなのだ。暑い日の夕方、ちょうど憂鬱な気分になるころ、軽く一杯。それも酒じゃない。ノンアルコールビールをだ。何で分からんのかなぁ!もう!って考えると、やっぱり頭にきているんだ。複雑だけど・・・。おまけにこの日は新聞が到着するのが遅くて15:00ぐらいまで待たされるし。気まずい雰囲気の中、車の中に2人だけでいるのが辛どいものだから、外で突っ立って待っていたら、「外に突っ立ってないで、車乗ってなよ!」って、どこまで理解力があるのか分からなくなった。

 

 

 

60.夕食の後・・・

 夕食を食べた後、眠いのでちょっと横になろうと思ったら眠っていた。2時間くらい。そう言えば、さっき、やかん古くなってきたから捨てちゃえ、みたいなこと言っていたけど、それは、マンション買ったときに親しくしていた寮監さんが、記念に贈ってくれたものだ。そう簡単に捨てられては困るのに・・・「やかん、捨てるんだったら言ってくれ」とは言ったものの「誰もやかん捨てるなんて言ってないよ」と言うもんだから、「さっき言っていたじゃん」、「いや、言ってないよ」の押し問答。ほんとボケちゃったんじゃないの?別な意味で心配になるよ。

 

 

 

61.尿失禁克服か!?Part13

 現在、8月11日(土・祝)1:00を少し回ったところ。もうそろそろこれでこのタイトルともおさらばできるかもしれない。尿失禁せずに、ちゃんと自分で起きてトイレに行けました。そんでもってついでに、JRAのサイトを訪れて、寝る前に入力した“馬券”(ネット投票なので、前夜19:30から投票可能)のオッズを確認。相変わらずC.ルメールの乗る馬は人気しているなぁ。1.3倍だって。1,000円買ったって1,300円にしかならない。それでもいいんです。当たってくれたらこれ幸い。第4節でも書いたけど、儲けようと思って買っている訳ではない。応援している馬と騎手に勝ってもらいたいだけなのだ。ただし、今週は、日曜日にウインアイスバーグの出走が予定されているから、予算はしっかり残しておかないと・・・。と思いながら、トイレに起きたついでにJRAのサイトを眺めている自分なのでした。そしたら母親も顔を出して、「あっ、起きたんだ」と言って、様子を見に来てくれた。

追記:そうそう、河崎様(さま)に「最新版の印刷をしてもらいたいから、印刷する前に連絡くれる?ワグネリアンのコードレスヘッドホンいらない?」と書いてメール送ったら、河崎様(さま)からメールの返信があり、「ヘッドホンはいらない。気持ちだけで大丈夫です」とのこと。このままじゃ、ワグネリアンのコードレスヘッドホンも報われないだろうに・・・まぁ、いつかプレミアついて、高く売れたら幸いかもな、と思ったところです。それにしても頼もしい友人を持ったではないか。だけど毎夜毎夜午前様で、体大丈夫なのかなぁ、そっちが心配になるよ。

 

 

 

62.尿失禁克服か!?Part14

 現在、2018年8月11日(土・祝)3:45を少し回ったところ。やりました!尿失禁もせずに、トイレにちゃんと行けました。ですので、グダグダ書いてきたこのタイトル、もう終わりにさせていただきます!はい、お世話になりました!ときたもんだってんだ。それにしても、面倒かけてしまったものだ。母親が今さっき、顔を出して「あっ、何だ?」、「今起きてトイレ行ったところ」、「あっ、そう、あれからずっと起きていたのかと思った」と言って戸を閉めて行ってくれた。今日はもう朝食食べるまで寝ないでいるか。最新のオッズの動向も気になるし。もし眠かったら、また寝るとして。そう思ったところである。ちょっと既に眠いんですけど・・・。と思ったらやはり寝てしまっていた・・・現在6:00を少し回ったところである。

 

 

 

63.定例のお祈りが・・・

 さて食事も済んだし、また定例の“お祈り”のごとく、心配事でも・・・と思ったのだが、この日(8月11日)はほとんど思い当たらない。便秘がひどくなってきたことぐらいか。それよりも、馬券を購入した競馬の方が楽しみで。オッズを見ながら、上がっただの下がっただのやっているのが楽しい。松井先生と河崎様(さま)にも感謝しなくちゃ。ちなみに、自分はJRAダイレクトという、クレジットカード会社を通してのインターネット購入サービスを利用しているのだけれども、これが結構いろいろ手厳しい。まず、一ヶ月当たりの購入代金は5万円まで。それに1日購入できるのは3回まで。購入代金も1回1,000円以上。おまけに1回購入するごとに、システム利用料なるものが100円ずつ取られる。ギャンブル依存症対策なのかもしれないけど、もう少し融通利かせてくれるといいんだけどなぁ、と言いながらもオッズの上がり下がりに夢中になる自分なのでした。

 

 

 

64.馬券購入、8月11日(土・祝)

 そうしているうちに、明日の重賞2レース(関谷記念(GⅢ)とエルムステークス(GⅢ))の前売りが開始される。とりあえず、これも購入。でもって、今日はC.ルメール当たり日になるかもしれないから、C.ルメール騎手の乗る全レースをちまちまと買っておこうっと思いまたまた購入。はい、そういう訳でJRAダイレクトのシステムの制限により、既に3回、もう今日はこれ以上、購入不可能。あとは指をくわえてか、こぶしを握り締めてか分からないけどながめるだけ。3回購入したから300円、システム利用料が余計に取られるし。まぁ、しょうがない・・・。明日は明日で、ウインアイスバーグの出走があるから、予算を残しておかないと・・・。がんばれー!ウインアイスバーグに△横山武史騎手!とまぁ、まだ早いか、気合い入れるの。落ち着け、落ち着くんだ、自分。がんばるのはウインアイスバーグと△横山武史騎手なんだ。

 

 

 

65.レース始まる

 そうこうしているうちに、現在時計を見ると10:35ぐらい。すでにレースは始まっている。にもかかわらず、こうして「死ぬ準備(生きるプロセス)」を読み直している。よっぽど心のよりどころになってしまっているんだろうなぁ、多分。札幌第1レースの結果をVTRで観る。100円だけ単勝買っておいたところ、なんと当たり!じゃあ、ありませんか。100円が680円になった。うれしいうれしい。がんばれー!C.ルメール騎手!今日はルメールデーにしてやれーっ!!

 第2レースはルメール騎手が出ていなくて、第3レース、惜しい!あと少しだったのに・・・。クビ差の2着。300円が水の泡に。まぁ、これはしょうがない。ここでひとまず自分は休憩。昼食を摂りに下へ。その間も気になる。どうなっているかなぁ、明日のウインアイスバーグはどうなるのかなぁ?

 そして、部屋に戻り第4レースのVTRを観る。なんと2番人気で勝っているではありませんか・・・やったー!いいぞいいぞ、その調子だ、がんばれー!C.ルメール騎手!

 第5レース、レース結果は出ているのだけれども、レースそのものを観たい自分はVTRの準備ができるまでこうして待っている。よしっ、準備できたみたいだぞ。あまり人気ない。5番人気。まぁ、これははずれてもしょうがない。やっぱり・・・10着だ。気にしない気にしない、ルメールが乗っても5番人気の馬なんてあてにならないのは当たり前。

 第6レースはまだ始まってないな。ルメールが乗ることもあってか1番人気。単勝1倍台。ここは是非おさえておきたいところ。VTRの準備ができるまで待つ。ここで“開催のお知らせ”を見ると、札幌は小雨、芝は稍重、ダートは不良とある。ウインアイスバーグは道悪得意そうなので、むしろ雨は大歓迎。ここで待っている間に、明日のウインアイスバーグの出る第4レースの出馬表を見ると、引いたのはなんと大外枠の14番。まぁ、いいんじゃない?雨で内側は荒れているだろうし、大外っていうことは、ゲートに入るのが最後でタイミングよく発馬できそうだし・・・。今日の第6レースに話を戻そう。最終オッズは単勝1.8倍。これは勝っていただかないと・・・。VTR早く準備できないかなぁ、と待つ。そしてVTR。よっしゃー!また勝ったぞ!いいぞいいぞ、ルメール!!本当にルメールデーにしてしまえ!!第7レースはC.ルメール騎手が乗らないので買っていない。

 第8レースを先回りして見てみると、やはりルメール1番人気。単勝2倍台。レース直前にはもっと下がるかも・・・。続けて、第9、10、11、12レースの単勝オッズを見ると、ズラリとルメールが1番人気。これは本当にルメールデーになる予感が・・・。ちなみに、ルメールデーになると予想して追加で買ったのは、システム利用料も合わせると1,400円、既に払い戻し額が1,430円に達しているから、追加分のノルマ(?)は達成したことになる。第7レースの結果が出ているので参考までに見てみると、10、9、5番人気の順で1、2、3着が決まり。はぁ、よかった。余計なレース買わなくて。自分は本名党なため、荒れるレースにはとことん弱い。そろそろ第8レースもスタートが近づいてきたぞ。オッズはというと、下がると思ったら逆に上がってやがる。こういうときっていうのはこないものなのだけど、そこはそれ、今日はルメールデー(と決めた!)、何とかしてくれるんじゃないかなぁ?直前のオッズを見ると、3倍台まで上がっている。ちょっと心配だ。レースのVTRができるまで待つ。ちょっとドキドキしながら。焦ってVTRを観ずにレース結果のみ見てしまうと、やっぱりはずれー。5着にも入ってないでやがる。7着だったみたい。ま、しょうがないわな。次、行ってみよう!

 第9レース。1番人気はやはりルメールなものの、2番人気の藤岡康太の人気が追いつき加減。またまた第8レース同様、心配になる。こういう単勝オッズの動きするときって、こないものなんだよなぁ。がんばれー!ルメール!今日はルメールデーとか馬鹿なこと言わないから、がんばってくれー!!最終オッズはルメール2.6倍、対する藤岡康太2.9倍。うーん、微妙なところだ。こんどは焦って結果だけ見ないで、ちゃんとVTR観ようっと。ここでひとまず休憩を、というか明日の分の東スポを買いに行く。戻ってきてVTR観たら、またまた惜しい2着。うーん、悔しい!!

 そうして居なかった間に行われた競馬結果を見たら、なんと全部はずれー!やばいよやばいよ!ちょっと勘弁してよー!もう、何やっているんだよ!悲しくなってきたよ・・・。

 テレビ東京をつける。ちょっと流れ変えて行こうよ。新潟10レースやっている。一番人気は戸崎圭太。で、戸崎圭太を買ったのだが・・・やったー、ホッ。やっと当たったよ。はぁ、何だか疲れた。もう後はお任せしますので、勝手にやって、って感じ。

 続いて札幌11レース、単勝1.5倍という大人気のルメール騎乗。これは勝ってくれるだろうなぁ・・・よしっ、決めたぞ!ちょっとやる気戻ってきた。

 次、小倉11レース、2番人気の和田竜二を買ったけど・・・3着だよ。ついてねえなぁ。

 次、新潟11レース、1番人気の石橋脩と2番人気か3番人気の横山典弘を買ったけど・・・ダメだ・・・はああ、疲れたなぁ、もう。

 もう今日はこれで最後、札幌12レース、またまたルメール1番人気、今のところ1.7倍とかになっているから、普通に乗れば勝ってくれるだろうけどなぁ。どうなるか?・・・思わず、バカっ!!!と叫んでしまいました。逃げる馬をそのままにしといて、後方待機のまま3着。もう、信頼していたのになぁ、ルメール。“ただの人”になっちゃったよ。

 というわけで、競馬に没頭した一日が終わろうとしているのであります。あぁ、でもなんか悔しい結果だなぁ・・・。折角、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」で実況中継したのに・・・したからダメだったのかな?まあいいや。明日、ウインアイスバーグが勝ってくれるなら・・・。応援しているよ!

 

 

 

66.ウインアイスバーグの馬券購入

 現在8月11日(土・祝)の21:00を少し回ったところ。これからいよいよ明日のウインアイスバーグの馬券を購入しようと思う。思いっきり、勝っている姿をイメージしながら。単勝、複勝500円ずつ(システムの利用制限により、1,000円以上ないと買えないので)。夕食の後、眠くなり、眠くなってしまった自分。目が覚めたら今になってしまった。さて、心を込めて入力しようと思う。おさるさま、おへびさま、大日如来さま、お釈迦さま、不動明王さま、お稲荷さま、あみ神社さま、そしてわがご先祖さま、キリストさま、その他のありとあらゆる神仏の皆々さま・・・どうか、どうかウインアイスバーグを勝たせてあげてくださいませ。よろしくお願いします。単勝人気は現在のところ4,5番人気を行ったり来たり。気が気じゃないが、ずーっとこうして眺めている訳にもいかないので、眠らなきゃ。

 

 

 

67.ウインアイスバーグの夜中のオッズの推移

 フムフム・・・現在8月12日(日)の2:30を少し回ったところ。何をやっているかというと、その後のウインアイスバーグのオッズの推移がどうなっているのか気になって、JRAのサイトでオッズの確認をしているところ。とにかく勝ってもらいたくて・・・何倍になろうがどうでもよい。とにかく勝つこと。そのためにオッズの推移って見ていると結構参考になるんですよ。現在3番人気。1番人気はルメールの馬。“ただの人”になってしまったはずのルメールですから、本気出さないで欲しいんですけど・・・2番人気は前走4着にウインアイスバーグが入った時の2着馬。これは逆転の可能性あり、と見ているから、いよいよ自分も鼻息荒くなってきてしまった。興奮して眠れるか?追加のヒルナミンでも飲んで寝るとするか・・・。夜中だから静かに、がんばれー、ウインアイスバーグと△横山武史騎手・・・。何だかんだやっていたら、3:00を回ろうとしている。

 そんなこんなをしていたら、パソコンの前に座って1時間。ちょっと居眠りこきながらも、こうして起きてしまっている。現在4:10を少し回ったところ。その後の動向が気になって・・・相変わらずの3番人気、単勝オッズは8.1倍と出ている(ちなみに1番人気は2.5倍、2番人気は3.5倍)。こんな夜中に馬券購入する人なんて、そうざらにいるものじゃないから、あまり変動はないのだろうけど、何しろ気になって気になって。今日お墓参りに行く、と言ったら兄が帰って来るらしい。暑くなる前に、というわけで、なるべく早く行くつもりだと伝えたので、もう既にこちら(土浦)に向かっているかもしれない。

 自分は体調もあまりよくなってないし、何しろウインアイスバーグが気になるので、留守番をしているつもり。今、母親が顔を出して、「あれから寝てないんだ。大丈夫?」と言ってくれたところ。「お昼までには帰って来るつもりだけど、どうする?セブンイレブンででも買ってきておく?」と言われて、「じゃ、今行ってきちゃおうか」と返答したところである。そうしたら、兄が到着。車入れ替えるの面倒だし、「お兄ちゃんに乗っけて行ってもらおうか」、となった。お互い「苦手」な兄弟はあいさつも交わさず、弟はただ後ろの席に座って、「どうも」、「・・・」。特に返答なし。セブンイレブンでは、かつ丼があったので、それこそ縁起かつぎじゃないが、ウインアイスバーグの勝利を祈ってかつ丼を購入。「大丈夫かよ?カロリー」と母親に言われながらも。家に戻ってまた弟一言、「はい、どうも」、「・・・」。返答なし。そこに母親が割って入る。「“どうも”だってよ」。「はいよ」と言ったきり、それ以降も特にこれといった会話はなし。前にも記述したが、自分はA型、兄はB型、父親がAB型だから、父親の持つ静と動、明と暗、陽気と陰気、おおらかさと神経質・・・全く逆の性格を受け継いだのかもしれない。付け加えると母親はA型。B型の兄が生まれたのだから、AO型の血をもつ。だからもしかすると自分はAA型(可能性としてはAO型もあり得るのだが)、兄は間違いなくBO型ということなのかもしれない。

ウインアイスバーグに話を戻そう。5:00現在、相変わらず3番人気、8.2倍である。

 

 

 

68.8月12日(日)、朝の出来事

 そういうわけで、朝食も4人で摂り、6:00には皆揃って食事終了。忘れないうちにメモっておかなきゃ。次回、S.S先生の診察のとき、聞いてみたらと言われていること、

 

①    ノンアルコールビールを飲んでもかまわないかどうか

②    便秘がひどいけど、やはり精神科の薬が影響しているのでは?

 

ついでに東京医大茨城医療センターに15日(水)検査・診察に行く予定だけど、そのときに言うこと、

 

①    便秘の薬をたんまりと飲んでいるのだけど、便秘していること

②    血糖値がやはり心配で、こんなにゆるゆるな状態で本当にいいのか?

③    尿酸値を下げるための薬を合わせて出してもらうこと

④    血糖値測定の機器、現在はO内科から借りているものを使っているのだけど、今後どうするか?料金はいかほどになるのか?

⑤    それに合わせてアルコール綿もくれるのかどうか

⑥    第一生命の診断書の作成依頼をしたが、その後どうなっているか

 

また東京医大に行くときは、母親の世話にならないと、うろたえてしまいそうで怖い。

母親に、「なるべく早く帰ってはくるけど・・・」と言われたものだから、「いいよ、そんなに急がなくても。ウインアイスバーグの応援しているから・・・」。実際、今の気分はそうなのだ。できれば邪魔されずに必死になって応援したい。それにしても、兄姉に比べて、これほどまでに自分をひやひやさせるとは・・・。たかが1勝、されど1勝である。馬の人生(馬生?)、1勝できるかできないかは、ものすごい差があるのだ。1勝しさえすれば、その後どんなに負けようが、1勝馬としてやっていくことができる。が、未勝利で終わってしまえばそれまでだ。6:15現在のオッズ、相変わらず3番人気で8.2倍を保っている。1,2番人気も変わらない。そのままだ。

 慌ただしく3人がお墓参りに出かける。そして急に家中が静まり返る。まるで「祭り」の後の静けさみたいだ。2階に上がって、今こうして書いている。急に暇になってしまった自分は、7時のニュースをつける。そして札幌1レースから3レースのオッズを見る。時間が余ってしまった自分は時間つぶしとばかりに、人気のある馬に賭ける。何しろ、1ヶ月5万円までと決まっているJRAダイレクトでは、余計に買うと後で予算の余裕がなくなって困るのだが、今日は特別いいだろう、と思って馬券を買ってしまったところである。そして第4レースのオッズを見ると、7:28現在で3番人気は変わらず、ただオッズが9.3倍と上がってしまっている。本来なら喜んでいるところだが、何しろ勝ってもらいたい思いが強いため、オッズは下がった方が安心するのは間違いない。そして7:54現在のオッズは、依然3番人気ではあるものの9.6倍。焦る。焦ってもしょうがないのだが。1番人気はルメール、2番人気は池添謙一、両者とも1レース、2レースで単勝を賭けた馬に乗る予定。だから、1,2レースはまず勝って、馬券も当たってもらって、4レースは遠慮してもらえないかなぁ、と思っているところである。少し横にでもなるか?でも、やはりウインアイスバーグのことが気になってゆっくりできない。

 

 

 

69.8月12日(日)、競馬

 ちょっと横になったらいつの間にか眠っていた。9:00ごろ起き出す。早速オッズが気になり見る。9:07現在のオッズ10.5倍。相変わらず3番人気ではあるものの、人気は下がり気味。気になる。それを追いかけるのが4番人気10.8倍の松岡正海。何と皮肉なものか。兄のウインブライトにはべったり付き添って、調教をしている松岡が人気を追い抜こうとしている。

 そろそろ馬体重も発表になるころと思い、第1レースを見ると、自分が買った1番人気の池添が乗る馬は+2㎏、よしよし。続いて第2レースを見ると、自分が買った1番人気のルメールの乗る馬は、なんと−14㎏、っておいおい大丈夫かよ。オッズは1.7倍と圧倒的なのに、調整に失敗したんじゃないのか?でも、いいや。ウインアイスバーグが勝ってくれるなら。ここで麦茶をもう1本おかわり、それと水も持ってきて、さらに乗馬をやっていた時に使っていた鞭も持ってきて臨戦態勢。「そのとき」に向けて準備オーライ!

 本当は縁起かつぐためにかつ丼、先に食べようかと思ったけど、この調子だと見届けてからになってしまうかもな。“開催のお知らせ”を見ると、札幌は晴、芝は稍重、ダートは重となっている。道悪得意そうな、ウインアイスバーグには絶好のコンディションではなかろうか。ここで9:40現在のオッズ、8.9倍。んー、いい感じに推移している。でも、レース前からこんなに緊張していて、レースで負けたとしたら、いやいや勝ったとしても卒倒してしまうのではないか。心配になる・・・どきどき。

 そろそろ時間も第1レースが始まるころ。改めて第1レースの単勝オッズを確認すると、自分の買った1番人気は、1.8倍。今日の自分にとってのメインレースは第4レース。その後の本当のメインレース、第11レースはどんな気持ちで迎えているのだろうか。

 第1レースが終わった。VTRも観ずに結果だけ見る。と、何と圧倒的1番人気の池添がクビ差で負けているではないか。なんかすんごくムカつくんだけど。落ち着け落ち着け。クソ池添め、これで4レースに勝つようなことしたら許さんぞ!と思いながら、第2レースに目を移す。と、その前にもう一度レース結果を見ると、勝ったのはルメールじゃありませんか。ふざけんな!ルメールめ!昨日はあんなに人気していた馬で負けたくせに、余計なことしやがって。だんだん、怒りが収まらなくなってくる。

 そこへ、どうも早くもお墓参りから帰って来たような音がする。まだ10:10だというのに・・・。自分が寝てしまっていたからやたら早く感じるのかな。

 第4レースのオッズに目をやると、いつの間にか4番人気に下がっている。抜かれた相手は皮肉にも松岡正海の乗る馬。何だか勝負の世界の非情さを感じてしまう。早いところ、「おかえり」と言ってパソコンの前に戻ってこよう。おかえりを言うついでに、ここまでの経緯を母親に説明。少し落ち着く。だけど、「祭り」がまた始まってしまった。何だか落ち着かなくなる。一人黙々と応援しようと思っていたのに・・・。

 ここで第4レースの馬体重が発表される。ウインアイスバーグは414㎏(−4㎏)。もともと体の小さいこの馬にしては辛抱した方ではないか。とりあえず、出陣態勢は整ったぞ。

 第2レースはVTR観ようか、それとも結果だけ見ようか迷う。ルメールの1番人気1.9倍。この男、今週は自分の敵に見えてしょうがない。あんなに信頼していたものを裏切られた思いだ。結局結果だけ見てしまった。ルメールの勝ち。多少信頼を取り戻す。けど、第4レースの1番人気もルメールなんだよな。第4レースのオッズに目をやると、また3番人気に復活している!10:33現在8.0倍。まあまあ上等だよ。ここまでくれば・・・。

 第3レースに話を戻そう。このレース、断然の一番人気が居なかったので、上位5頭をピックアップして、馬連のボックス買いをした。出走は10:50だから、あと10分ほど時間がある。その間も、第4レースのことが気になって、最新のオッズを見るため“更新”ボタンをクリックし続ける。10:39現在7.7倍。いいんじゃないのかな、動向としては。やはりどうしても気になる第4レース。その前の第3レースもルメール1番人気だ。いい馬乗せてもらっているんだな、ルメールって。

 間もなく、10:50になるところ、母親が2階に上がってきた。「取手に線香上げに行くって言うから、ちょっと行ってくるから」と。「うん、分かった、ちょっとこれから集中モードに入るから、お父さんにも言っといて」。「分かった。だから好き勝手に降りてきて、食べるってことでしょ?」、「そう」とだけ言って、また部屋に引きこもる。

 まずは第3レース。と、その前に第4レースのオッズだけ確認をと思い見る。ウインアイスバーグは、再度松岡正海の馬に抜かれて8.1倍。ちなみに松岡の馬は7.9倍。10:54現在のオッズは、松岡7.8倍、ウインアイスバーグは8.0倍。11:03現在のオッズは、松岡7.7倍、ウインアイスバーグは9.3倍。だいぶ引き離されてしまっている。第3レースの結果が出たようだ。これもVTRは観ずに、結果だけ見る。よしっ、当たり。さあ、いよいよだ。自分にとってのメインレース、8月12日(日)札幌第4レース。生き残りをかけての闘いが幕を開けようとしている。今度は結果だけ見ず、ちゃんとVTR観なくては・・・。その前に、少し冷静になって第3レースの結果を見直すと、3,2番人気の順で1,2着。松岡に横山典弘。大きく深呼吸一つ。電話が鳴っている。うるせーなー!こんな時に。第4レースのオッズ、11:10現在、ウインアイスバーグは10.2倍。ちなみに松岡は7.1倍。結構離されちゃったなぁ。でも、問題はオッズじゃなくて勝ち負け。どんなレースになるか楽しみ、ではなくて心配だ。参考までに1番人気と2番人気は、というとルメールの2.2倍、池添の3.3倍だ。何でもなければ、きっと自分はルメールの単勝を買っているだろうに。今回は違う。どうしても勝ってもらいたい馬がいるのだ。11:15現在、ウインアイスバーグは11.2倍。あまりいいオッズの動向ではない。11:16現在、ウインアイスバーグは11.6倍。やはりダメなのか?折角、実況を記録に残しているんだし、ここはドラマチックに勝って欲しいんだけど・・・やっぱり勝負の厳しさってあるんだなぁ、とオッズを見ながら思う。

 最終オッズは、1番人気にルメールの馬で2.5倍、2番人気は池添の馬で2.7倍、3番人気に松岡の馬で5.2倍、そして我らが(勝手に“我らが”になってしまっている)4番人気、△横山武史騎手の乗るウインアイスバーグは11.7倍。今時刻は11:24、恐らくレースは終わって決着はついているはず。だけど、見届けなきゃ。VTRができるまで待つ。

 しばらく書くことに夢中になっていた自分は、麦茶と水を飲む。そしてVTRの準備が整うまで待つ。少々タイピングする手が震えている。さっきまで抱えていた鞭を横に置いて。ここからは、しばらくVTRに集中するので実況を一旦中止します。結果が分かったら、結果と自分の思いを述べようと思います。そろそろVTRできるころだ。よしっ。

 ・・・無念です。4番人気の5着。しかも1着からは0.1秒差。やっぱり勝ち切れないや。目一杯なのかなぁ。この辺りが。それで、負けたら仕方がない。よくやったよ。一応5着で掲示板に載ったはずだから、まだ優先的に出走できるかもしれないけど、力不足なのかもなぁ。何だか急に力が抜けちゃった。・・・やはり、無念としか言いようがありません。泣けてくる・・・。これで自分のメインレースは終わり。あとは世間的にメインレースとなっているレースを残すのみです。以上、朝からのウインアイスバーグ実況中継でした・・・。

 

追記:1,2,3番人気の馬には勝ったんですよ、それでも。

 

追記その2:この日の“世間的な”メインレースは、和田竜二のエイシンティンクル(芦毛・牝5歳)が何とか頑張ってくれて3着。複勝が当たり、そのレースだけはマイナスになりませんでしたが、結局トータルではマイナス。「競馬で蔵立てた奴はいない」といいますが、ホントそう思う土・日なのでした。

 

 

 

70.8月12日(日)、夕刻のトラブル!

 どうしてこうも相性悪いんだ?バックアップをDVD—RWにとっているのですが、上書きしているはずなのに上書きされないんです。どうしてなんだろう。と、追加してバックアップしてみますね。機械音痴を笑われているようだ。

やっぱりダメ。どういうことですか?一体?マイクロソフトさん、殿様商売してないで、少しはユーザーの身になって、考えて物作ってくださいな。頼みますよ。ホントに。

 兄は16:00頃、帰路につき、現在17:10になろうとしているところです。ハァ、困ったなぁ。こういうの。苦手なんだよ。気分悪くなってくるよ。と書いたところで、またバックアップしてみますね。やっぱりダメだ。どうしよう??

 結局諦めて、夕食を食べに下に行き、今戻ってきたところです。時刻はというと18:25ぐらい。上書きされないから、一回ゴミ箱に捨ててコピーし直したら書き込まれたみたい。と書いたところで、またバックアップしてみますね。やっぱりダメだ。どうなってんの???さっぱり分からず。困ったものだ。ちょっと別なDVDを入れてみますね。こっちは大丈夫みたいだ。ってことはDVDそのものがおかしくなっているのかも・・・。

 というわけで、一枚DVDをフォーマットし、様子を見てみようかと・・・。ちなみに今19:40になろうかというところ。これが上書き出来たらOKとするか、しょうがない。でも、一枚余計にバックアップとっておいて本当によかった。ここに「心配性の危機管理能力」が現れているのかもしれません。

 

 

 

71.8月13日(月)、午前中

 今朝は3:30ぐらいにトイレに起きて、そのままこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」の編集に入った。だから、今8:00をちょっと過ぎたところなのだけれども、眠いこと眠いこと。何度もファイルを起動しては閉じ、起動しては閉じ、いい加減眠った方がいいのではないかと思いながらも、何とかこらえて書いている。今日は新聞の休刊日なのかな。新聞入ってないや。そして“定例のお祈り”が始まる。昨日の夜、DVDダメになったけど、もう大丈夫だろうなぁ、また同じこと起きないよな?・・・心配だ。何々している、というところを、何々してると記述すると、Wordが緑色の波線を返してくるのだが、それをいちいち直したというものの、バックアップファイルを上書きしてしまったのか、元に戻ってしまっている。他にミスってないかなぁ・・・心配だ。いよいよ便秘が本格的になってきたぞ・・・心配だ。こんなに眠い状態で書いていて、色んな意味で大丈夫なのか・・・心配だ。前にも書いたけど、何だか焦げくさいにおいがするんだよなぁ・・・心配だ。それでも、あからさまにこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」に感情をぶつけていることもあってか、以前ほど心配事はなくなってきたように思う。とここまで書いたところで、現在8:11。12分になったところ。ようやく目が覚めてきたけど、特に書くことは、今のところは思い当たらない・・・いいことなんじゃないの?実は。そう思っているところである。

 そうこうしている間に、やはり眠くてしょうがない自分は、結局眠ってしまっていた。時刻は現在10:12、13分ぐらい。先ほどトイレに行ってみたら、立秋を過ぎたというのに猛暑日か、と思うほど熱気がムンムンとしている。エアコンなしでは、とてもこうしちゃいられないだろうに・・・。

 眠る前に、ちょっと疲れをとるために、とか何とか言って、おはぎを一つ、ごちそうさまでした。しかし、昼食前に測定する血糖値が心配だ。200を超えてしまっているかもしれない。以前だったらバカスカ、インスリンを打って無理やり血糖値を下げていたろうに・・・今じゃ、きちんと4単位を守ってしっかりと記録を残している。もうK先生にお任せだ。水曜日に行ったら、今度は何て言われるのかな?と考える。またおろおろうろたえてしまうかもしれないけど、何となくちょっと楽しみでもある。

 暑いこともあって何気にWeather Newsのサイトを訪れて、台風情報を見ると、何と14、15、16号と既に発生しているうえに、沖縄付近ではまた熱帯低気圧が発生する可能性あり、との情報が・・・何ということなんでしょう、おさるさま、おへびさま、どうかこれ以上、苦しめないでくださいませ。お願いします。と手を合わせて合掌。本当はJRAのサイトを訪ねて、今度の重賞のレース分析なるものを見てみようと思っていたのだが・・・心配だ。もう暴れてから1ヶ月が経とうとしているのに、右手の指が痛む。このまま治らないのか?・・・心配だ。

 間もなく11:00、母親が「お昼、何にする?」と聞きに来る。「何かパンでも・・・惣菜パンと菓子パン1個ずつとか、あまり食べてもしょうがないし」と答える。それにしても眠いや。ちょっと寝たのに、まだ眠い・・・。

 ふと、ウインアイスバーグのことを思い出して、残っている未勝利戦ってどのくらいあるのだろう、とJRAのサイトでレーシングカレンダーを見ると、中1週で使えるのであれば、まだ芝1,500m戦のレースが残っている。体調さえ無事ならば、もしこの馬に持っている運があるならば、出走させて勝たせてあげたい、と思ったところだ。またドキドキが始まってしまった。

 

 

 

72.Club JRA-Netの成績(8月12日まで)

 毎週月曜日、楽しみにしていることがある。それは、午後に入って間もなく表示される前にも述べたClub JRA-Netの成績だ。この土・日の成績を反映して最新版のデータが公開される(公開される、とは言っても個人情報のため、あくまでも個人対象だが)。早速、開いてみますね。すると、大負けこいたはずの土・日の成績であったが、トータルの成績を見ると、まだ回収率80%を維持し続けている。単勝・複勝の払い戻し率は80%なので、ある意味、回収率80%というのはお相子、引き分けとでも言おうか。残りの20%は、JRAの売上金として、胴元に渡ることになる。前にも述べたが、開催別、競馬場別、騎手別、払戻金別の4パターンで、購入代金に対する回収率だの的中率だのを表示してくれるのだが、気になるのは、その中でも騎手別の回収率。結果だけ、先に羅列しちゃいますね。購入代金が多い順にまずC.ルメール、回収率99%、M.デムーロ98%、武豊70%、川田将雅105%(ちなみに川田騎手は現在海外滞在中のため、成績は前回から据え置き)、福永祐一84%、横山典弘102%、内田博幸66%、戸崎圭太71%、岩田康誠69%、石橋脩65%、松岡正海90%、蛯名正義54%・・・以下続く、とある。やはりと言っては何なのですが、C.ルメール騎手がとうとう100%を割り込んでしまったこと。これが一番印象に残ります。前に述べた節でも書いた通り、いかに自分がC.ルメール騎手を頼りにしているか伝わったかと思いますが、頼りすぎて横倒しになってしまったというか。代わって躍進したのが横山典弘騎手。回収率が100%を超えたうえ、何と的中率は52%と他を寄せ付けない働きをしてくれている。今度の日曜日は札幌記念(GⅡ)が行われる予定ですが、横山典弘騎手から入ってみますか!ここはひとつ、と言っても乗るかどうかも分からないので、何とも言えないのですが・・・。競馬ブックを立ち読みしていたころは、そういう情報も簡単に入って来たからよかったのだけど、ここ最近は家にこもりっぱなし。自転車も乗っていない。と、ちょっと話が横にそれてしまったので話を元に戻して、開催別の成績を見ると、現在行われている第2回新潟第2回小倉開催は先週までは100%を超えていたけれど、89%に下がってしまっている。まぁ、しょうがないわな。1番人気で単勝1倍台の馬を買っているのに、あんなにはずれてしまっては、どうすることもできない。だったら、そんなの買わなければいいじゃん?という声が聞こえてきそうですけど、自分はやっぱり本名党。なかなか穴に手を出すことができないんです。それと思い入れの強い馬は、どうしても買っておきたい。この前の土・日でいうならウインアイスバーグのような馬が出るときは、間違いなく買っていることでしょう。また騎手別の成績に話を戻して的中率を見てみよう。サンプル数が少ない騎手(購入した回数が少ない騎手)を除いて見ていくと、横山典弘52%、C.ルメール38%、戸崎圭太35%、川田将雅33%、M.デムーロ同じく33%、福永祐一27%、武豊23%・・・以下続く、とある。数字を見なくても、何だか当たりそうな気がする騎手っていうのは、もう感覚的に肌に馴染んでしまっているもので、どうしようかなぁと迷ったとき、やっぱり買っておこうと思うのか止めておこうになるのか“感じる”ものなんですねぇ、これが。それにしても、C.ルメール騎手とM.デムーロ騎手の勢いの止まらないこと。一時期相撲界でもモンゴル勢が明らかに優勢を示していましたが、外国には上が居るんですよ、やっぱり。とにかく日本のレースは賞金が高いこともあって、来日したがる外国人騎手はたくさん居るようなんです。C.ルメールもM.デムーロも記憶に間違いがなければ4年目。リーディングジョッキーの1位と2位を常に2人だけで争っている状態。そこに日本人騎手が割り込んで入ってくれれば、もうちょっと面白くなるんだろうけど、まったくと言っていいほど足元にも及ばない。他のスポーツと違って、騎手というのは体が小さいほど有利なもので、体格差がどうこうは全く関係なく、やはり技術なんですよね。ぎ・じゅ・つ。競馬学校出身の輩だけが騎手になれる時代。みんなこじんまりとした優等生で、個性がない上に、一体何を学んできたんだか、最近の若手騎手で上位に食い込むなんてことはあり得ない。もっと騎手界も自由にやりたいようにやらせて、それこそ天才だか荒くれものだかが現れてくれないと、競馬界全体がこじんまりとしてしまって面白くなくなる気がしてしょうがない。ま、一競馬ファンとしての感想なので、これぐらいにしておきますが・・・。

 こうやって眺めているのが楽しいんですよ。週末の自分の成績。それこそ回収率80%を下回ることがあると心配になりますが、80%いってれば、ま、いいじゃないですか。趣味として。

追記:あとどうしても書いておきたいことがひとつ。関東と関西に分かれている組織なのですが、美浦のトレセンを中心に活動する関東勢は、栗東のトレセンを中心に活動する関西勢に押され気味。我が家から程近い、美浦の馬には是非とも負けじと頑張ってほしいのです。だから調教師さんもお願いします。関西に負けないような馬を是非とも育ててやってくださいませ。よろしくお願いいたします。

 

 

 

73.片付けと掃除

 この節は、どうも気が乗りません。でも触れておかなきゃいけないタイトル。だって、片付けとか掃除とか大の苦手、大っ嫌いなのだ。これも強迫性障害の症状のひとつかもしれないのだが、物を捨てるという行為そのものに抵抗を感じる。今、ある状態そのままになっているのが一番安心なのです。だから「こんなもの、とって置いてどうするの?」と母親によく言われるのだが、どうしても今ある状態の方が安心してしまう。だから、自分の部屋といったら、散らかっていること極まりなし。おまけに掃除機も大っ嫌いときてるものだから、ほこりもすごい。客観的に見れば、明らかに片付けて、掃除もしてという方がいいんじゃない?というのは分かるのだけれども、どうもいじりたくないんですよねぇ。と書きながら、部屋を見渡すと、ほこりが積もってきったないたらありゃしない。これじゃ、大事なものだってダメになってしまうんじゃないか、と思うんですけど、でもやっぱり触れない。

 S.S先生にもそういう話をしているのだが、「まずは一つ捨てることを目標に」と言われている。現在のところ毎週火曜日に通院しているから、1週間の間に何でもいいから、とりあえず一個捨てることをやってみる、って大したことないように思うでしょ?それがダメなんですよねぇ。困ったものだ。「断酒するということができたのだから、習慣を変えることはできるはず」と言われているものの、周りにあるものは皆大事なものに見えてしまって、どこから手を付けたらいいものか分からない。ほこりをかぶってしまっているものも、そうじすればいいのになかなか手を出したくならない。ね、困ったもんでしょ?

 その昔、自分は2LDK+S(実質は3LDKなのだけれども、なんでも部屋に入る光量が少ないとかでS、つまりサービスルームと呼ばれた部屋が一部屋ある)のマンションをローンで買い、一人暮らしをしていたのですが、これが一人で住むには広いものだから調子に乗って、サービスルームをほとんど物置代わりに使ってしまっていて、「いざ結婚だ」となった時の片付けのエラく大変だったこと、ノイローゼになりそうだった。一人じゃとても手に負えなくなって、両親にも手伝ってもらったっけ。何でもかんでも、「もしかすると後で必要になるかも」と捨てられずに、そのまま置いておく。結局、どこに何があるかよく分からなくなってしまい、ほこりもかぶってしまうのですが、それでも積み上げていく。これはここ、あれはあそこと理解しているつもりで、もしそこになかったときの焦ることったらありゃしない。必死になって探し回って、見つけてはホッと一息、みたいな生活を送ってきてしまって・・・いまだにその状態から抜け出せていない。

 もう一度、部屋に目を向けて、グルっと見渡すと、ハァァとため息が出てしまう。もうこの辺でいいでしょうか?何だか気持ちもガクンと萎えてきちゃった。ハァァ・・・。

 

 

 

74.激しい雷雨

 現在2018年8月13日(月)16:00を少し回ったところ。外ではものすごい雷の音と雨が叩きつける音が響き渡っている。本当に近くで雷鳴が聞こえる。雨の音も尋常じゃない。先ほど買い物に出かけた父親はどうなっているのだろう?しばらくすれば落ち着くかもしれないが、今はとにかくとてつもないほど自然の力強さを感じている。雷の音のでかさといったら、ハードロックコンサート会場の爆音のようだ。そこへ叩きつける雨の音。大気が不安定だから雷に注意して、と言われても、雷をどう注意したらいいのか知らない。教えて欲しい。結局のところ、こうやって家の中に居てやり過ごすことしかできない。

 “大事なもの”のある自分は、それこそ“大事なもの”がなくなってしまったら、生きる気力を失ってしまう。だから、ローンで買った自宅マンションに住んでいたころには、火災保険、地震保険の他にも、家財保険にも加入していた。父親に聞いたところによると、この土浦の実家は家財保険に加入していないらしい。どうも心配になる。何しろ“大事なもの”があるのだ。それが何かと言われると、“Summer Eternity Named by Takashi Komori”の記念の盾とそれからそれから・・・何もかもだ。この自分の生活に関わるすべてが重要な貴重品だ。

 「だって、止めようがないものをどうすんの?」と母親に言われながらも、やはり心配は心配だ。気象を操作することってできないのかなぁ。どんなに文明が進んでも、天候や自然災害は予測することはそこそこできても止めようはない。受け入れるしかない。と書いていると、地響きがする。雨の叩きつける音も、先ほどよりひどく強くなっているように感じる。またまた、A.A.のミーティングの最後に行う小さなお祈りを思い出す。

 

                            神様、私にお与えください

                            自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

                            変えられるものは、変えてゆく勇気を

                            そして、二つのものを見わける賢さを

 

今、パソコンが悲鳴を上げた。“ピッポッパ”という音を出している。マウスの操作ができなくなる。恐らくは雷が影響して電位差が生じていることによるものだと思うのだが・・・。壊れないでくれよ、我が相棒よ。少なくとも、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」を書き終えるまでは。どんなに愛情を持って使っているPCでも、ソフトウェアが古くなるとお払い箱だ。このPCだって、現在Office 2010を使っているが、2020年にはサポートされなくなるという。いや、それよりも前にハードウェアのスペックが世の中についていけなくなるかもしれないし、壊れて動かなくなってしまうかもしれない。まるで壊れやすいガラスでもいじっているようではないか。

 まだまだ雷雨は続きそうだ。ちょっとこの辺りでパソコンにも休んでもらうか・・・。たった今、「しょうがないでしょうよ」と言っていた母親が、困ったような顔をして「すごいよぉ、雷・・・」と言っている。「だって、しょうがないでしょうよ」。今度は自分が言い返す立場になってしまった。繰り返す。

 

                            神様、私にお与えください

                            自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

                            変えられるものは、変えてゆく勇気を

                            そして、二つのものを見わける賢さを

 

現在16:40ぐらい。この節を書き始めたのが16:00頃だったから、もう40分も激しい雷雨が続いている。まだ止まりそうにない・・・。そして17:00頃、ようやく小康状態になりそうだ・・・。

 

 

 

75.夜中に書くこと

 現在、8月14日(火)0:20である。トイレに起きたところだ。昨日は忙しくしておられるであろう松井先生からメールをいただいた。恐れ多い。そしてまた最新版なるこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」を送ってしまった。とてもじゃないが、自分の与太話に付き合っておられるほど、お盆で忙しくて余裕はないであろうが・・・。それでも、感情のやり場やらその日の出来事やら、書いては送り書いては送りしてしまっているうちに、何だか送らないと気が済まない状態になってしまっている。これもアディクションを抱える人間の特徴なのだろうか?迷惑かかってなければいいんだけど。とりあえず、適当に放っておいてもらえればそれで自分は満足。ただ、先生のパソコンの容量を食ってしまっている分、迷惑がかかっていることは間違いない。とにかく松井先生はこの困ったちゃんを受け止めてくださっている。ウザいことに対して一つも文句を言わずに。

 さて、それはそうとこの節のタイトル、夜中に書く文章とか、他にも曲を作ったりとかしたときって、S.S先生が言うように「エキセントリックな状態」になりやすいっていうのは、どういうメカニズムによるものなのでしょう?ちょっと不思議。今こうして書いていることも、明日読み直してみるとエキセントリックな状態で書いたように思うのだろうか?幸いにも今のところ夜中に起き出して書いていても、そんなにエキセントリックな状態で書いたように思われるものはないのだが・・・。でも、確かによくあった。夜中に起き出して書いたときは、何だかちょっとハイテンションになっているようなこと。何だか自分でも不思議なくらいスラスラと言葉が出てきては、こんな文章書けるなんて、自分も何だかちょっとした才能あるんじゃない?とか勘違いして書いて、朝になって読むと、うぅ、恥ずかしいとなったことも。

 現在0:40になろうとしている。また寝不足になるといけないので、ベッドに横になろうと思うが、朝になってから、今書いている文章を読み直すと、エキセントリックに思うのだろうか?ちょっとそのメカニズムを解明してくれる人いないかな?と思っているところである。

 

 

 

76.早稲田大学への寄付

 眠ろうとは思うんだけど、今水を汲みに行って思い出したことが一件あったので、こうして書いてしまっている。早稲田大学からの寄付金の“せびり”である。昨日届いた郵便物、私立大学の宿命とでも言おうか、お金を集めたくてしょうがないのであろう。が、こちらは障害年金をいただいて何とかやっている身、とてもじゃないが、寄付の要請に応えられる状態ではない、いやむしろこっちが寄付してほしいほどだ。その昔、元気であったころ、記憶に間違いがなければ125周年を記念して、大隈講堂の改装をするとかで、80,000円以上寄付した方には、大隈講堂に記念の銘板を刻みます、みたいなことをやっていた。まだ、働いていて余裕があったのだろうが、自分は80,000円を寄付した。何回かに分けてではあるけれど。今じゃとても信じられない。80,000円も寄付するなんて。だから自分の目で確かめた訳ではないのだけれども、早稲田大学の大隈講堂のどこかには自分の銘板も刻まれているはずである。東京都・小森隆と。今じゃ茨城に帰ってきてしまっているから茨城県・小森隆に修正してもらいたいのもやまやまなのだが。と書いてしまっているうちに1:00を回ってしまった。早いところ寝なくては。そういう訳で、おやすみなさい・・・。

 

 

 

77.我ながらしがみついて

 そうこうしている間に、何を書こうと思ったんだか忘れたけど、3:30頃、目を覚ましパソコンの前に向かい、そのままマウスを持って・・・居眠りこいてた・・・それこそ居眠り運転ではないが、誤操作でもしてしまって、この原稿消してしまったりしたら後悔することになるだろうに・・・何を書こうとしたんだか、確か夢を見ていて2次方程式の解について、何か書こうとしていたような・・・。どうでもいいことでしょ?そんなことって。それでも、こんなになるまでしがみついてしがみついて、何かネタがあったら書かないと、となってしまっている。前の方にも書いたけど、苦痛じゃないんです。ただ産みの苦しみというかそういうのはあって。やっぱり、うつ病だのアルコール依存症だのになるぐらいだから、その気になったときの勢いのすごいこと。我ながら自覚しているところです。そうして書いているところで、現在2018年8月14日(火)の5:10、もう起きてもいい時間。母親も今さっき起きて下に降りて行ったようだ。さて、自分もちゃんと起きるとするか。

 ついでながら書いておくと、今度の土・日に行われるレースのハンデ(ハンディキャップ競走の各馬の斤量)が発表されている。火曜日に発表されるものと思っていたら、もうホームページには掲載されている。早起きな人がやっているのか、それとも月曜日のうちにもう決まっていたんだか、下に降りていく前にながめていたら、もう5:30になろうとしている。またちゃんと見るとして、降りて行こうっと。

 

 

 

78.出版社さんに電話

 本気でこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」を本にしたい自分。その昔、元気をもらった斎藤健次さんの裏表紙をめくり、小学館さんの電話番号を調べてみると、あるではないか。電話番号が。早速、居ても立っても居られない自分は、小学館さんに電話。誰も出ない。まだ8:30前だからなのか、それともお盆休みで休業中なのか。早まるな、焦るんじゃないと神様に言われているようだ。そして、9:00になろうとしている今、もう一度電話してみますね。10回ほどコールを聞いたところで、電話を切る。やっぱりお盆で休みなのかなぁ。どうせ出版するなら、その昔元気をいただいた小学館さんからと思って電話をしたけれど、誰も出ない。ということは、まだ自分の準備不足なのか?神様教えてください。先ほど、小学館さんの販売の方に電話をしてみたところ、営業は9:30からと留守録に入っていたから、9:30になれば誰か出てくれるかなぁ、そんなモヤモヤ感の中で過ごしているところである。そもそも自分のような素人を相手にしてくれるのかも分からない。なのに電話している。客観的に見ればクレイジーな状態だろうに。それでも、誰かに聞いてもらいたい、本を出したいという思いだけは強いものだから電話してしまっているのだが・・・誰も出ないということは、まだ自分の準備が足りない、もっと具体的に言ってしまえば、文字数が足りないよ、と神様に言われているような気がして・・・。いずれにしても、すっかりライフワークになってしまったこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」、文字数だけは増やせる自信がある。ってなんか変な話ですか?かと言って、もし仮に出版できるとなったとしても自分の気力と体力が持つかどうか心配だ。

 9:30までは、あと20分、その間JRAのサイトでも見て過ごしているか。ハンデも決まったようだし・・・。

 そして9:30、制作の部署に電話しても誰も出られないので、販売の方に電話をする。するとSさんと言う女性が丁寧な応対をしてくださったのだが、こちらからご案内できる部署というのは特にありませんので、時期的に作品の応募なども行っておりますから、そちらから応募されてみてはどうですか?という話だった。諦めの悪い自分は9:40、再度制作の部署に電話を入れる。やはり出ない。ガックリする自分なのでした。それでもさらにさらに諦めの悪い自分は、他の会社ならどうだろうと手あたり次第に電話しまくる。まずは集英社さん。読書サービス室のSさんという女性が出られて、開高健賞というのが2月末に募集しているが、それもいろいろ規定があるらしく編集し直さなければならないらしい。次、PHP文庫さん、電話番号間違えてないよな。間違えてない。「こちらはNTTドコモです。おかけになった電話番号は・・・」出るわけもない。次、講談社さん。講談社では企画というのを募集しておりますが、一般の方からは受け付けていないんですね。あぁ、そうですか。分かりました。というわけで、次、青春出版社さん。編集部の方が出てこられて、「持ち込み企画」ということで「企画書」を2,3枚送ってもらえれば検討して折り返し返事しますけど、とのことだった。とりあえず、一つ引っ掛かりは見つけたぞ。次、光文社さん。ちょっと新書という形では難しいですが・・・。分かりました。次、筑摩書房さん、8月11日から8月15日までは休業しております。次、サンマーク文庫さん。段々アドレナリンが分泌されまくってくる。誠に申し訳ありませんが、8月10日から8月15日まで夏季休暇をいただいております。次、三笠書房さん、すみませんが、弊社では持ち込みの原稿というのは一切お断りしておりまして。そうですか、分かりました。次、明日香出版社さん、やったー、やったぞ、Fさんという編集部の方がお出になって、メールに添付してもらえれば拝読させていただきますよ、との返答!こんな嬉しいことはない!

 まだまだ、それこそ出版など決まったわけではないが、少なくとも検討はしていただける、とのこと。ということは、単純に考えても4,5人の方には読んでもらえるんじゃないか?過剰に期待はせず、待ってようっと。でもドキドキするなぁ・・・。ウインアイスバーグの次走とどっこいどっこいかな?

 

 

 

79.明日、8月15日(水)の東京医大外来について

 明日8月15日(水)は東京医大茨城医療センターの外来に訪れる予定。8:00に採血、9:00~9:30に診察の予約が入っている。この前、確認したことを再確認しておいた方がいいかもな。

 

①    便秘の薬をたんまりと飲んでいるのだけど、便秘していること

②    血糖値がやはり心配で、こんなにゆるゆるな状態で本当にいいのか?

③    尿酸値を下げるための薬を合わせて出してもらうこと

④    血糖値測定の機器、現在はO内科から借りているものを使っているのだけど、今後どうするか?料金はいかほどになるのか?

⑤    それに合わせてアルコール綿もくれるのかどうか

⑥    第一生命の診断書の作成依頼をしたが、その後どうなっているか

 

他に何かあったかなぁ?とりあえずそんなところかな。インスリンは昼間の分が4本、寝る前に打つのが1本余ってるし・・・あ、注射針を出してもらわなきゃいけないんだ。

 

⑦    注射針を次回までに足りる分、出してもらうこと

⑧    それよりも何よりも検査結果がどうなっているか、今後の治療方針は?

 

メモっておかなきゃ忘れちゃいそうだから、メモ帳に書いておかないと。と思って今メモ帳に書いたところ。時刻は8月14日(火)16:00。

 それにしても、やっぱり気になるなぁ。検討していただくとは・・・どうなるんだろう?何とかお願いします、と言いたいところではあるけれど、言えないよなぁ。

 

 

 

80.モヤモヤが止まらなーい!

 先ほど、明日香出版社のF様に検討します、と言われたものの、何だかモヤモヤしてしまって・・・それで今こうして書いている。

 母親にも言われたのだが「それって実名出しちゃっているんでしょ?」と首をかしげて。そう。確かに、モロに実名出してしまっているし、何だか愚痴っぽいことはたくさん書いてあるし、いざ出版なんてなったら、自分、耐えられるのか心配になってくる。それがモヤモヤ感の原因なんだろうなぁ、多分。最初は検討していただける、と聞いただけでも、うれしかったのに、時間が経つにつれてモヤモヤ感が増している。ハァ、と今ため息一つついたところ。あんなに出版に憧れていたのに、何だか読み直すとまるで子供のじゃれごと、というかバカにしているのか!と怒られそうなことばかり書いているみたいで・・・反省しています。それが正直なところです。もうとにかくこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」には、何事も包み隠さず、開けっぴろげに心の中を反映させているのだが、今はとにかくモヤモヤ感でいっぱい・・・。検討中止のお願いをした方がいいのか、それとも心の中を覗いてもらった方がいいのか、分からなくなってしまいました。

 どうすれば、このモヤモヤ感が消えるだろう?どう転ぶにしろ、結局はモヤモヤしたままになりそうで。折角書いてきては心のやり場を探してきたこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」、どう取り扱ったらいいのか分からない。出版はもちろんしたい。だけど人を傷つけることにもなりかねない、と思うと空恐ろしくなってくる。じゃあ、出版諦めるの?と聞かれたら、それはそれでものすごーく残念になるだろうし・・・。

 あぁ、分かりません。神様にお任せします。なるようになる、それしか考えられないや。もう。あぁ、でも出版したいなぁ。まぁ、とにかく検討してくださると言われているのだから、その結果でまた考えればいいか・・・。我ながら自分自身を慰める術が分からない。

 8月15日(水)の0:00過ぎぐらいに目を覚ましてからというもの眠れなくなってしまった。パソコンに向かう。何も思い浮かばない。ボーっとしたまま起きていると3:00ぐらいに母親が「ちょっと、あんた。寝てないの?先生からは寝ろって言われているでしょ」、「うん、分かったから」。そう言ってもまだ起きている。3:30か4:00ごろだったかに、照明もパソコンもつけっ放し、メガネもかけっ放しで横になったら、いつの間にか眠っていた。朝5:00すぎぐらいに目が覚め、東京医大茨城医療センターの外来に行く準備をしなきゃ、と思い行動を開始。したのはいいが、やはりボーっとしていて何かミスっていないか気になる。実際、インスリンの注射を間違えて、別なものを打とうとしてしまったり。モヤモヤ感が消えない。そうだ、実名じゃなくて特定されるとまずい人にだけは、イニシャルを使えばいいんじゃないか?そうだ、それでダメならそれで仕方がない・・・。

 

 

 

81.8月15日(水)、東京医大茨城医療センターの外来検査・診察

 ボーっとしたまま準備をし、7:30ぐらいに東京医大茨城医療センターに送ってもらって到着。お盆のためかすいている気がする。採血の順番は6番目。相変わらず母親にはべったり付き添ってもらっている。採血・採尿が終わり、外来診察受付に診察券と外来受付の紙を提出。血圧と体重の測定をしてください、と言われて血圧と体重の測定。血圧99/7〇、体重67.9㎏、緊張しているのか脈拍は118と出ている。もう一度、今日聞くことを確認のために見直す。頭がボーっとしているため、どうも頭に入ってこない。K先生の外来診察1番目に呼ばれる。前回に引き続き、ボーっとしているため、自分の中に居るもう一人の自分ががんばってくれている。がんばれ!自分の中のもう一人の自分!「前回よりもよくなっている。うんうん。まぁ順調で・・・」、「それでも血糖値200とか超えると心配になるんですが・・・」、穏やかな声でK先生は「大丈夫」と言ってくれた。準備していった8項目のうち、診断書の件に関しては聞きそびれてしまったが、まぁ、このボーっとした状態なら仕方がないだろう。打つインスリンの量を4,4,4,6単位に、またビクトーザという注射は0.3から0.6に増やしてみて、ということになった。次回は8月29日(水)に検査・診察ということで、診察終了。ハァ、疲れた。寝不足が効いているのかやたら疲れを感じる。それでも母親のヘルプを仰ぎながら、何とか会計、薬の調剤までやり遂げた。

 

 

 



82.8月15日(水)、その後

 一度家へ帰った後、昼食を買うのと、検査結果をコピーするためにセブンイレブンに出かける。ついでに、“競馬ブック”を売っていない理由を聞くと、オーナーによれば新聞屋さんが、自動販売しているとかで、勝手に置いていっているものでセブンイレブンの方では特に管理はしていないらしい。今、夏競馬だから置いてないのかもな、とボーっとした頭で思いを巡らす。

 家へ帰って、明日香出版社・F様に電話。ちょっと実名をモロに出すのはどうかと思って、イニシャルに変更したい旨申し上げた。早速、イニシャルに直して送信し直す。これと決めたらやり通さないと気が済まない・・・。15:55ごろやり遂げた。もう一度、同じことをやれ、と言われてもできない。それほどまでに疲れてしまった。

 郵便配達がいつもより遅く到着。河崎様(さまさま)に依頼してあった原稿のコピーが到着。それと合わせて、なぜか請求書が届く。請求書?何も思い当たる節がない。気持ち悪い。開封してみると、何でも入院していたときの病衣代らしい。そんなの病院で精算しているはず、と思いながらもまたまたセブンイレブンに振り込みに行く。帰ってきてからも気持ちが悪いので、「病院に確認してみようかな?」と言ったところ、「間違いない、と思うよ」と言いながら、入院費の明細に目を通す母親。父親は、イライラしながら、ツッと舌打ちをしてテレビに向かう。もうどうでもよくなってきた。それぐらい、疲れている。「いいや、いいよ、もう・・・」と母親に言う。この「死ぬ準備(生きるプロセス)」、壁にぶち当たってしまった。それがショックで、疲れも倍増しているのかもしれない。

 夕食が済んで、もう一度読み直す。途中、文脈がおかしくなっているところもあったが、直している余裕なし。タイトル「死ぬ準備(生きるプロセス)」のくせに、書いてあることは競馬のことばかりじゃねえか。やはり壁にぶち当たってしまった思いが強くなる。まぁ、検討していただいたとしても、これじゃとても“物”にならない、と言われるだろうなぁ、そう思うと悲しくて・・・。疲れているし早く寝ようと思っていたのだが、一通り目を通さないと気が済まない自分。「もう私寝るよ」母親が言う。「俺も寝ようっと」と言う。

 

 

 

83.8月16日(木)、朝を迎えて

 というわけで、8月16日(木)3:30頃に目は覚めたのだが、気になっていた「死ぬ準備(生きるプロセス)」を書き続けなきゃ、と思い80節の後半から81節、82節と書き終えたところ。現在、時刻は4:45。壁にぶち当たってしまって、それこそ何を書いたらいいのか分からなくなっていたのだが、変に「検討してくださる」、と言われたことが自分をおかしくしていたのかもしれない。思いつくまま、書いて行けばいいんだ。採用されてもされなくても、自分の思いをぶつけるのが本来の「死ぬ準備(生きるプロセス)」を書く目的ではなかったか、と思い直しているところである。また心配ごとが出てきたら、定例のごとく“お祈り”を始めればいいのだし・・・何を気取って書こうとしていたんだか、素のまま、書けばいいんだ。それが、この「死ぬ準備(生きるプロセス)」の目的。一晩眠り、トイレにも行かずに3:30まで眠ったら、やっと気が晴れる思いがしてきた。

 5:10頃、母親が顔を出す。「起きていたの?」、「3:30頃」と答える。「はぁん」と言って戸を閉めて行ってくれた。今日は風が強いようだ。先ほどからビュービュー言っている。

そろそろ自分もちゃんと起き出すか。そう思っているところである。

 体重計に乗ったら66.6㎏。なかなか減らないな。朝食を軽めに済ませ、2階にある部屋でWeather Newsのサイトを見ると、また、“日本の南で新たに熱帯低気圧が発生しました。今後は発達して台風になる可能性があります。”とある。勘弁してください。何卒よろしくお願いします。寝不足がたたって疲れ気味な自分は、正直お祈りするのも面倒になってきた。“・・・心配だ。”と書くのも面倒くさい。とにかく一回寝てみるか?それでも何だか眠たくはないし・・・。あぁ、もう、何かスカッとすることないかな?と今のけぞって思ったところである。

 「今日の予定は、何かあるの?」と母親に聞いたところ「18:00からKクリニック」と心療内科の予約を言っていた。自分の病院通いが影響して、そんな遅い時間になってしまっている。いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ない。その原因は何かというと、自分の糖尿病、うつ病・アルコール依存症の診察。で、その原因は何かというと、アルコールの飲みすぎと強迫性障害、その原因は何かというと、もともと持って生まれた性格によるものか、それとも親の育て方が何か間違っていたのか?結局のところ、自分が生まれたことによるものだ、と考えられる。そう考えると、ま、しょうがないわな、となってしまう。誰かの言葉じゃないけど、生まれてきてしまってごめんなさい、なのだ。でも結局、生と死は(自殺は別として)自分じゃ決められないものだし、受け入れるしかない。そうすると、やっぱりしょうがないわな。18:00にKクリニックに行かなきゃいけないことは、しょうがないことなのだ。

 

 

 

84.小学校3年生、奥沢先生の思い出

 昼食を父親、母親と自分の3人で摂ったとき、ふと小学校3年生のとき担任だった奥沢治夫先生(確か、こういう漢字だったと思うが)の話になったので、ここで思い出を書こうかと思った次第。ちなみに波崎町には4年生の夏休みに転校したので、当時の藤代小学校でのことである。

 自分の記憶に間違いがなければ、新任でやってこられたばかりの先生だったと思う。体当たりでぶつかって行っても、それを文字通り受け止めてくれる先生だった。抽象的な意味の体当たりではなく、本当に体当たりというかじゃれ合いなのだが、「クッソー、お前ら、散れ、散れ」と寄ってはたかるハエのような自分たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ(別にけがをさせるようなことをしている訳ではない)。

 暑い日の授業、お前ら暑かったら脱いでいいぞ、と言い、先生も上半身裸。それを真似して自分たちも上半身裸。それを見たんだか、聞きつけたんだかした父兄から苦情があったそうな。

 放課後、校庭で野球をやっている自分たちに加わり、もしホームラン(プールまで届いたとき)が出たらアイスをおごってやる、と言い本当にアイスをおごってもらった。

 まだまだある。遠足か何かでバスに乗って出かけたとき、気分が悪くなって戻してしまったやつが居たのだが、その戻してしまった“お好み焼き”を足でぐちゃぐちゃ片付けていたっけ。汚いとも思わずに・・・。

 日本シリーズに巨人が試合をやるときは、授業は中止。みんな揃って、テレビの前に座り野球観戦。当時の巨人・河埜選手がエラーをしたか何かしたとき、クラスに居る河野が、あまりにもみんな揃って「何やってんだよ、こうの」、「だめじゃん、こうの」と言ったもんだから泣いてしまったことがあった。優しく気遣う先生。当時のテレビだから途中でザーッとノイズが入ってしまったとき、履いているサンダルを取り出し、テレビの上を一発、バシッと。テレビ復活。

 あの頃流行っていた女子プロレスのビューティ・ペア、ならぬヒロシ・ペアを作り出し、♪ひろ~し、ひろ~しぃ、ひろ~しペア♪という歌を担いできたテーブルの上で、肩を組ませて歌わせていたっけ。

 大体、どんな先生かイメージ沸いたでしょうか?その奥沢先生、なんと赴任してきて、たった一年で異動になったんだか、お辞めになったのか不明なのだが、送別の会があって、転任される先生や退職される先生が壇上に上がり、その中に奥沢先生も居た。はずなのだが、結局現れずじまいだった。子供心に辞めさせられたのか、異動になったのか分からないが、どうもそりが合わなくて去って行ったのだと思った。

 結局、それっきりなのだが、先生!今どこで何をしていらっしゃるのですか?まさかとは思いますが、野垂れ死んでないでしょうね?

 どんな姿になっているのか興味あるけど、ちょっと今更会うというのも怖いような感じがする、というお話でした。

 

 

 

85.天候の心配

 何でこうも台風が発生するだ?まったく。8月16日(木)、台風19号まで発生した。何回も書いているけど、もう分かりましたから!何とか、ご勘弁願えないでしょうか?誰に言えばいいんだか。今年の夏は、これからもずっと語り継がれる夏になるかもしれない。例えば・・・2018年の夏は、台風がこれだけ発生していたんですね、とか。2018年の記録には及びませんが、今年は雨の量が多くなっていますから注意しましょう、とか。2018年の猛暑に比べたら、まだまだ今年は大したことないですね、とか。

さらに、Weather Newsの熱帯低気圧情報を見ると、19号が発生したばかりなのに、次の熱帯低気圧が発生しそうな情報が・・・ホント勘弁してくださいよ。お願いしますよ。「日本のはるか東の海上には元台風17号の熱帯低気圧があります。また、日本のはるか南東の海上で熱帯低気圧が発生する可能性があります。」

しつこいようだけど、またA.A.の最後にやる小さなお祈りを思い出すよ。

 

                            神様、私にお与えください

                            自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

                            変えられるものは、変えてゆく勇気を

                            そして、二つのものを見わける賢さを

 

その前に神様にお願い。どうか、もういい加減、台風とか止めていただけませんか?いくらお祈りしても聞いてくれない神様なんて、いんちきもいいところだ!神様なんて辞めちまえ!ってんだ。と頭にきたけど、やはり神様は怖い。すみません、神様。馬鹿なことを言いました。どうかお許しくださいませ。それで、台風の方もそろそろ中止ということで、一つ何とか・・・よろしくお願いしますよ。本当に・・・。

 

 

 

86.あぁ、サマーエタニティよ・・・

 (株)ウインさんのホームページは会員じゃない人にも情報を提供してくれるので、とってもありがたい。感謝しています。代表の岡田義広様の「ごあいさつ」の一部を抜粋すると、「今年はウインブライトが中山記念を制しました。
G2を勝つと、海外から国際レースに招待される、海外競馬のレーシングマネージャーが直接営業に牧場へ来るなど、日本馬のレベルの高さが評価されていることを実感させられます。このような輝かしい勝利をあげてくれたウインブライトと騎手、厩舎、牧場関係者には感謝しかありません。そして、その高いレベルの中で結果を出すことの難しさと、厳しい競走の中で結果を出し続けないと生き残れないことへの緊張感を、3歳馬達の成績不振を含めて感じています。

しかし、今、その緊張感を上回るぐらい、今年のラインナップに気持ちが高揚しています。
G2を2勝している前述のウインブライトの半弟で、父オルフェーヴルの「サマーエタニティの17」、・・・以下続く」とある。嬉しい言葉なんだけど、わが娘「サマーエタニティ」が遠い存在に感じられてしまって、ちょっとさびしい気もする。娘を嫁に出してしまった父親の心境とでも言おうか・・・。

 そして、ウインアイスバーグの今週の近況を参照すると、「先週の札幌では、不利な大外枠から中団で進み、直線もしっかりと脚を使ったものの、勝ち馬には僅かに及ばなかったウインアイスバーグ。レース後は、本日16日(木)から乗り出していますが、脚元などに問題はなく、次走は中1週で来週の札幌土曜4R芝1500mへ向かう予定です。
 畠山吉調教師は「1500mの大外枠はかなり不利ですし、その中でコンマ1秒しか負けていませんからね。枠順が内目だったら勝っていたかもしれません」と悔しそうにレースを振り返り、「テンションに関しても、パドックではチャカつきはありましたが、札幌に行ってからは普段は落ち着いてきており、以前より精神面でも成長を感じるんです。中1週続きで楽ではありませんが、芝1500mの条件は次が最後の鞍になりますから、なんとか勝ち上がりたいですね」と話していました。」とある。ありがとうございます。(株)ウイン様。

会員でもない我々にも情報を公開してくださっていることには、ホント感謝感謝です。ウインアイスバーグはいよいよ最後の1,500m戦に向かう予定のようだ。いやが上にも鼻息が荒くなってしまう。あぁ、サマーエタニティよ。君の生涯成績こそ3勝のみだったけど、母親になってこんなに活躍する子供たちを産んでくれるなんて・・・涙が出てきそうだよ。そして、ブラッド・スポーツと呼ばれる競馬で、自分にどれだけ夢を与えてくれているか。エタニティ(永遠)と名前を付けさせていただいて感謝しております。ちなみに、ウインファビラスの近況は「北海道・新冠のコスモヴューファームにて調整中。坂路をキャンターにて2本~3本というメニューを消化しています。
 担当者は「坂路の追い切りではしっかりと動けていますし、カイバもよく食べてくれています。良い時に見せるうるさい仕草も出てきましたし、状態は良さそうですよ。いつでもトレセンに送り出せる状態にあります」と話していました。」と書かれている。こちらも秋競馬が楽しみだ。本当に本当にありがとう、サマーエタニティ。やっぱり“Summer Eternity Named by Takashi Komori”の記念品はとてもとても大切な宝物だよ。なんとかしていい保存状態を保たないと、それこそ古くなって劣化しようものなら、大ショック受けること間違いなしだし。(ふと、その昔、競馬への造詣が深かった寺山修司さんのことを思い出す。)既に父オルフェーヴルの「サマーエタニティの17」の募集は満口になっている様子。それだけ期待度が大きい事を意味するのだろう。実際まだ1歳だというのに馬体重は480㎏もあるとの情報が、やはり(株)ウインさんのホームページに掲載されていた。本当に楽しみだ。こんなにかわいい“孫”たちを残してくれたなんて。トイレに起きたついでに(株)ウインさんのホームページを訪れただけなんだけど、ちょっと夢でも見ているかのような思いだ。夢じゃないよな(頬っぺたを引っ叩く)。痛い。夢じゃない。興奮して眠れなくなるかも・・・。どうか“Summer Eternity Named by Takashi Komori”の記念品が今後いつまでも無事でありますように・・・。そう願わずにはいられない。

 

 

 

87.よかった、夢で・・・

 バンドの練習をすっぽかして(そもそも自分のベースのパート、まったく練習していない)、中学校の時の友人T君宅に河崎(さまさま)と遊びに出かけて夜中までお邪魔してしまった自分。学園祭も今日か明日にせまっているというのに・・・楽器屋さんやら、部室やらに放ったらかしにしてあるはずのベースが何本か、一体自分は何本ベース持っているんだっけ?でもいいや、壊れかけてしまっているし・・・学園祭に参加する別なオジー・オズボーンのコピーバンド、ギターが何ともうまい。本当にランディ・ローズのような雰囲気。そうこうしているうちに我らがバンドのギター担当Fが文句を言いにやってくる。「いつだと思っているんだ?もうすぐそこまで本番がきているというのに・・・」、「何言ってやがる、そんなにベースが必要なら別なやつを探して入れればいいじゃないか」と言って逆切れする自分。申し訳ない気持ちもどこへやら、今度は仕返しが怖くてオロオロ・・・。そこで目が覚めると2:30。昨夜、8:00頃に床についてしまった分、目が覚める時間も早まってしまったのかもしれないが、あぁ、よかった、夢で・・・。現在3:00すぎ。ホントよかった夢で・・・。ちょっと怖くなって寝るのも気が引ける。そしてこうして書いているところです。ちょっとJRAのサイトでもながめてから、もう一度ベッドに入ろうっと。

 

 

 

88.押し売りじゃないの?

 Microsoft Edgeが何かメッセージ出している。と思って起動したら、新しいドライバーが入ってないようだけど、どうする?(英語)みたいなメッセージを出してきた。何しろ機械音痴な自分は、それはどうしたことか?でも、ちゃんと使えているんだしいいんじゃない?と思いつつも、素直にはい(Yes)とか同意します(I agree.)とかやっているうちにクレジットカードで5,026円なりのソフトウェア・パッケージを購入させられてしまった。誰に相談したらいいものやら。消費生活センターにでも相談した方がよかったのかもしれないが、こっちがわけわからないのをいいことに、しかも英語でいつの間にやら誘導して購入させる、とは押し売りと一緒じゃないか。まったく困ったもんだ。で、結局新しいドライバーをインストールしたからといって、何が変わるわけでもなく、バカみたい。何だかつまらない買い物させられちゃったな。本当は、ふざけなぁー!と大声で怒鳴りたい気分なんだけど、インストールしてその後の最新のドライバーソフトを入れて、ってなことをやっていたら、疲れてしまって・・・もうへとへとです。

 やめてくださいよ、こういう商売の仕方。許せない。ちなみにslimwareのDRIVERUPDATEという商品です。皆さま、お気を付けを・・・。

 

 

 

89.8月18日(土)、S.S先生の診察予定

 明日は11日ぶりに、S.S先生の診察がある予定。なので話すことを準備しておこうと思っているところです。

 

①    生活記録表のこと。この「死ぬ準備(生きるプロセス)」を書いている時間が長いこと

②    河崎(さまさま)に印刷してもらったドラフト版「死ぬ準備(生きるプロセス)」を読んでもらえるように提出すること

③    8月15日(水)の東京医大での内科の検査結果について

④    便秘が結構ひどくなっていることの相談

⑤    ノンアルコールビールは飲んでも構わないかどうか?

⑥    運動をまったっくと言っていいほどしていないので、筋力が弱ってしまっているかもしれないこと

 

とりあえずは、こんなところかな?また次回は来週の21日(火)とか言われるのかな。結構大変なんだけど。疲れているの分かります?言葉数がやたらと少なくなっているでしょ?前節のセットアップやら新しいドライバーのインストールやらで、本当に疲れているんですよ。

 

 

 

90.8月18日(土)、朝、我ながらどこまで執念深いんだか・・・

 現在2018年8月18日(土)の、4:00ちょっと前、何を書こうとしていたんだか分からないが、パソコンとそれを置いてあるテーブルとに頭を押し付けて眠っていた。イテテテ・・・と思って目が覚めたら、頭にコブができちゃっている。我ながら、どこまで執念深いんだか・・・それにしても痛い。頭が変形しちゃっている。昨夜、19:00過ぎに一旦居眠りしてしまって、それから20:15ぐらいに起き出してインスリンの注射をして、それから前売りの馬券を購入して、とかやっていたらもう耐えられなくなって21:00過ぎにはベッドで眠っていたはずなのに、いつの間にやら無意識にパソコンの前に座って、そんな変てこな状態で眠っていた。一体何を書こうとしていたんだか、今となっては分からないが、できる限り開けっぴろげに何でも書いてしまおうと思っているうちに、そんな状態にまでなってしまった。

と書いていたら、4:00を少し回っている。何だか分からないうちにエアコンが止まった。恐らく自分で止めて、エアコンが内部乾燥をしていたのだと思うが、それさえも覚えていない。まぁ、とにかく今日はS.S先生の診察に行く日だし、オッズの確認でもしたら、行く準備でも始めようかな、と思っているところである。

 

 

 

91.8月18日(土)、S.S先生の診察

 結局、父親も母親も早めに起きてくれて、6:45頃に家を出発。7:40頃に到着。やった、一番最初か?とか思っていたら、何と一人、座布団を敷いて座って待っている人がいるではないか。上には上がいる。それでも2番目。仮にその人の主治医がS.S先生だったとしても2番目は確保できたぞ。よしよし。

 待っているとき、右手人差し指を見たら角質何とかというもの(イボのようなもの)ができてしまっている。子供のころはよくできたけど、最近大丈夫だったのになぁ。老化現象なのか、右手の甲にも軽いイボのようなものがちまちまとできてしまっている。

 S.S先生が診察を早めに始めてくれたようで、1番目の人が8:45ぐらいに呼ばれた。そして、あまり時間が経たないうちに、「小森さーん、どうぞ、おはようございます」。準備していった6項目を順番通りにではないが、淡々と進める。まずは内科の検査結果を手渡し、そして河崎(さまさま)に印刷してもらった印刷物を渡す。続いて生活記録表の話、「相変わらず、“書く”、“書く”、“書く”、こればかり多くて、それで外にも出ないものだから運動不足になって便秘もひどいんです」と話が“まとまった”ではないか。先生からは「書きたい衝動みたいのは、前と比べて収まってきたように見えるけど」と言われたが、「まぁ、自分ではよく分からないですけど、今、出版社の方に検討いただけるという話なので・・・」、すると先生、「ハリー・ポッターですら何度も却下されてきたわけだし、相性みたいのもあるからね。本当に書きたいのならば自費出版もできないことはないし・・・」と言われた。「ま、いずれにしても一日一度は外に出て欲しいな」とのこと。ここで両親と交代。何を話しているかわからないが、そうだノンアルコールビール飲んでいいかどうか聞くの忘れた、と思い出し、3人揃って締めの話のとき、「あのー、先生はノンアルコールビールは飲んでもいいと思われます?」、「本当なら、あまりお勧めはできないけど、それでもコントロールできるならば、つまらないことで対立するよりいいと思いますよ」とのこと。よしっ、先生のお墨付きをいただいた。「次回は8月21日(火)ということでお待ちしておりますので」、って、結構朝起きるの早いし、疲れるからホントならゆっくりしたいんだけどなぁ、ということで診察終了。その次は8月25日(土)とか言われるかもしれないけど、ウインアイスバーグの出走があるから、どうしてもそちらに集中したい旨申し上げようかと思っている。

 

 

 

92.8月18日(土)、19日(日)、競馬

 現在8月19日(日)の8:30、ここで昨日の競馬の結果を書いておくと、ズッポシ外れの連発で大きなマイナスをこいてしまった。とにかく買うのがガンガンはずれるわ、単勝買ってたら惜しい2着に負けちゃうわ、で何もいいことがなかった。そして今日19日(日)は札幌記念(GⅡ)が行われる日。札幌記念は最もGⅠに近いGⅡと言われているレースで、それなりに「覚悟」を持って勝負するには絶好の場面。来週のウインアイスバーグの馬券を買う分だけは、予算を確保しておいて、ほとんど月額5万円の上限に達しようかというところまで購入してしまった(と言っても先週、先々週と合わせての話ですけど)。内訳札幌記念は5,600円。まぁ、いいじゃないか。これではずれるならはずれてもしょうがない。競馬って宝くじとかと違って、自分で選択して購入できるから同じ賭け事でも自分で買ったんだからしょうがない、と諦めがつく(本当は、そんなきれいに心の整理はつきませんが・・・)。とにかくこう来たら嬉しいな、と買い始めて、ん、待てよ、こういう可能性もあるな、で2回目の購入。そんでもって、どうせなら何が来てもとりあえず当たればいいから買っておくか、となり3回目の購入。これでJRAダイレクトの3回/1日の制限により、もう購入はできない。来週はとりあえずウインアイスバーグの単勝・複勝馬券を購入できればいいや、と思っているが、果たして来週はどういう心境で土日を迎えているだろうか。今日のところは、とりあえず競馬に集中して、また結果が出たら書きますね。

(追記:結果です・・・無念です。3回目にちょろっと買ったのが当たっただけ。大きなマイナスでした。それにしても、自分の予想と全く違う結果になるとは・・・ここまで負ければ気持ちいいもんだ、ってか。という感じで来週のウインアイスバーグに期待しようっと。いや、あんまり期待しちゃいかん、プレッシャーになってしまう。落ち着け落ち着け。)

 現在8月19日(日)の9:00、暑かったこともあって今までほとんど雨戸も開けてなかったのだが、今日はさわやかなちょうど心地よい天気、久々に雨戸を開けて網戸にしているところ。さて、雨戸を開けながら思ったのだけど、馬体重の発表、レースの1時間ぐらい前にならないと発表されない。これはいかがなものでしょうか?自分のようにJRAダイレクトなどを利用している人にとっても、前売りを実際に買う人にとっても馬体重を内緒にしておいて、ふたを開けてみてびっくりなんてことがよくある。JRAに改善願いたいところだ。馬の調子は馬体重と密接に関係している。なのに、ほれ、と発表されるのは1時間ぐらい前になってから。それこそ+-10㎏以上ある場合なんて、どうして教えてくれなかったんだよ、と言いたくなる。

 と書いたところで話変えてもいいでしょうか。網戸にしたら、やたら煙くさい。どこかでまたバカたれが燃やしているに違いない。これも何とかならんもんでしょうか。ここら辺は農家や畑、田んぼなどが多くあることもあって、昔からの風習なのかもしれないが、やたらと煙くさい。本当なら条例違反だと思うのだが・・・。一応、愚痴っておかないと気が済まないので書きました。

 

 

 

93.ウインブライトのその後

 ここで(株)ウインさんのホームページに掲載されているウインブライトの最新情報を書くと、「2018年8月17日(金)

 北海道・新冠のコスモヴューファームにて調整中。普通放牧を消化しています。
 担当者は「北海道は涼しくなり、馬もだいぶ過ごしやすそうにしています。放牧を続けながら歩様もスムーズになってきましたし、今のところこれといった問題もなく順調です。来週には試し乗りを行う予定で、その感触次第で今後の方針を決めていきます」と話していました。」

 本当だったら札幌記念(GⅡ)に出走していたであろうウインブライト。輸送に失敗して体調を崩し、次走は白紙の状態らしい。秋競馬には間に合ってくれるといいのだけど、毎日王冠(GⅡ)とかに・・・。とにかく無事でいてくれることが、まずは何より。

 

 

 

94.サッポロ+(プラス)、効果のほどは?

 今日は2018年8月20日(月)、夜中起きていたこともあって(またこの「死ぬ準備(生きるプロセス)」を前にうとうとしていたところを母親から、「ちゃんと寝な」と言われた)起きたのが7:30ぐらいと少々いつもより遅くなってしまった。そして、夜中ちょっと甘いものが食べたくなり、プリンを食べたのだが、血糖値が上がるのが怖くて、特保のサッポロ+(プラス)(糖の吸収を抑えるのだとか)というノンアルコールビールを飲み、朝になって血糖値を測定したら135。ちなみに昨日の血糖値が昼食前は210だったものの、その特保サッポロ+を買って飲んだ後、110が夕食前、寝る前はなんと101まで下がった。まるで普通の人並みではないか。軽く尿失禁をしたみたいだけど、そんなことより「いいもの見つけた」思いが強い。が、それを母親に言ったら、「インスリン打っているのに、そんなに下がっちゃっていいのかどうか、先生に聞いてからにしなよ」とサッポロ+当面棚上げの措置を受けた。なんだかなぁ、折角いいもの見つけたと思ったのに、と思いながらも冷静になって考えてみると、確かにインスリン打っている人間を想定して作った商品とは思えない。健康な人がちょっと血糖値高めなのを気にして飲むぐらいがちょうどよい商品だと思われる。つまらないことで、また低血糖騒ぎを起こすのは何だし、ちょっとやめておくか、と納得したところである。

 

 

 

95.カルバン・クラインのサングラスからサマーエタニティ

 2018年8月20日(月)、カルバン・クラインのサングラス、レンズの交換が終わって受け取りに行ってきた。サマーエタニティよ、カルバン・クラインのサングラス、レンズ交換したよ。何のことはない。カルバン・クラインの商品にエタニティサマーというのがあるらしく、それを見た自分は、何となくレンズの度の強さが変わってきてしまっているし、ちょっとバージョンアップしたいなぁ、と思ってレンズの交換だけをした。その辺は既に前述したとおりだが、今日も帰りにKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)に寄って、フィレサンド1つと骨なしチキン3つを購入して帰宅。ここまでは、何とも満足。ついでにコスモヴューファームに電話して、サマーエタニティの調子はどうですか?と聞いたところ、今日はセリに出かけてしまっていて、分かる人がいませんので、また明日にでも連絡もらえますか?とのことだった。ホームページを訪ねたところ、「お問い合わせ」なる欄があり、送信すると返事がもらえる様子。ただし時間は要するかもしれませんが・・・とのこと。とりあえず、自分、サマーエタニティの命名者で、その後の近況はいかがなものか知りたいのですが・・・?みたいなことを書いて、送信をクリック。いつ返事が来るのかなぁ。楽しみだ。

 

 

 

96.マイクロソフトめっ!

 そんな感じで流れていた一日、またマイクロソフトに一発かまされた。今となってはどこでどうなってそうなったのか思い出せないのだが、Office 365を試用してみませんか?1ヶ月無料ですけど・・・みたいなこというものだから、しょうがない、そのうちOffice 2010もサポートされなくなるらしいし(別にバージョンアップされなくても事は足りているのに)、入れてみるか、と嫌な予感はしたのだが、インストールしてみてガックシ。さっぱり何のこと言っているか分からない言葉の羅列を説明として、自慢げに、どうですか?使い心地は?みたいなこと言いやがって。全然気持ちよくないやい!どうしてくれるんだよ、まったく・・・。またマイクロソフトだよ。このクソ会社、何とか黙らす方法ないのかなぁ。ほんとあったまくる!

そんなこんな悪戦苦闘しているときに、東京医大茨城医療センターから依頼してあった診断書ができたとの連絡あり。じゃ、ちょっと息抜きがてら行ってくるか、と母親にお願いして連れて行ってもらうと、今度は診断書、必要な事項が書かれていないではないか。ボーっと生きてんじゃねえよ!と言いたくなったのだった。帰ってきてからも、また悪戦苦闘。もうほんとに勘弁してくださいよ。マイクロソフトさん。こんなに弱いものいじめしてどこが楽しいんだろう、ふざけんなー!おかげでPCは重たくなってしまうし、使い方はわけわからんし・・・。あぁ、何という一日か。全部マイクロソフトのせいで台無しだよ、ったく。お金?金なんてこっちがもらいたいぐらいだよ。何ふざけたことぬかしてやがるんだ?もう書き出したら止まらなくなるからこの辺でやめておくけど・・・とにかくあったまきてんだよっつーんだよっ!!

 

 

 

97.松井先生からのメッセージ

 8月20日(月)、一年で最も忙しくしておられたであろう松井先生からメールをいただいた。恐れ多い。「暑さにまいっていましたが、17日から急に涼しくなり、18日の施餓鬼会法要も汗をかかずに終えることができ、やっと一息つきました。これも仏様のご加護と、有り難く思っています。「死ぬ準備」ぼちぼち読んでいます。体調も変わらない様子なので安心しています。無理をせずにお過ごし下さい。」

 自分は今高校生なのかもしれない、そんなことを考えている。大学に行ったことは、前述したとおり、強迫観念によるもの。本当に何をしたいのか50も近くなって悩んでいる。いいではないか。死ぬ前に気づいたのだから。やっと人並みの高校生になれたところなのだ。だから高校生諸君に言いたい。しっかり悩むときは悩んでおいた方がいいよ、と。自分がどう生きていくか、どんなことがやりたいのか。まじめに悩んでおくこと。さもなければ、自分同様、後になってからオロオロすることになりかねない。たどり着いた先がうつ病にアルコール依存症、それに糖尿病だよ。折角立派に健康に産んでもらったというのに・・・(体こそ小さいが、それこそジョッキーを目指せばよかった・・・それが無理でも厩務員や調教助手という選択肢もあったはず・・・漁師でもいいな・・・)。

 

 

 

98.8月21日(火)、S.S先生の診察

 今日はS.S先生の診察の日だ。夜中の2:30頃に目が覚めてからというもの、またマイクロソフトのソフトウェアに悪戦苦闘。結局5:00を回ってしまっていた。いかんいかん、このままじゃまた混んじゃうよ。取り急ぎ朝食を摂り、荷物をまとめて出発する支度に取りかかる。両親とも早く起きてくれて、この前よりも早く6:40ぐらいには出発。7:35頃には着いただろうか。それでも既に3番目。まぁ、よしとするか。S.S先生の診察には1番最初に呼ばれた。若干先生遅れて現れる。9:10ぐらいに「小森さーん、お待たせしました。どうぞ」。今日は話すこと、

①    PCの件で悩んでいること、おかげでボーっとして何かミスってないかきになる

②    8月25日(土)はウインアイスバーグのスーパー未勝利戦があるのでパスできないか?

③    「死ぬ準備(生きるプロセス)」を読んでくれたかどうか?

④    例によって生活記録表のこと

 

とは一応メモをして行ったけど、ほとんどアドリブ。8月25日(土)はちょうど先生自身が休みだそうで、来週の火曜日8月28日(火)が次回となった。

「死ぬ準備(生きるプロセス)」については、まだ目を通してないとのこと。生活記録表に関しては、“書く”、“書く”、“書く”が相変わらず並んでいるけど、以前のように強迫的に書かなきゃ書かなきゃと思っていたころに比べたら、だいぶ落ち着いてきたんじゃないか?という話になった。確かに、吐き出したいことはもうほとんど吐き出したし、また吐き出したいことが出てきたらそのときはそのとき、また吐き出せばいいんだ、という気持ちに落ち着いてきている。節も98まで来た。100ぐらいでまとめたらちょうどいい具合に落としどころを見つけられそうな気がしてきた。

 

 

 

99.サマーエタニティの近況

 結局メールを見てもらえていなかったそうだが、電話してコスモヴューファームのYさんに、実は私、その昔サマーエタニティの命名をさせてもらって、離婚して子供もいないので、まるで自分の子供のように思ってしまって・・・と説明を加えて、近況を聞いた。元気にしているとのこと。何よりだ。噂に聞いたところでは、今年はディープインパクトを種付けしたそうですけど、留まってます?と質問したところ、まだ妊娠したかどうか検査していないので分からない、とのことだった。我が希望としては、ディープインパクトの芦毛の牝馬で、そのまた次の世代にバトンタッチできるような仔が生まれたらなぁ、なーんて勝手に妄想を膨らませて楽しんでいる、というかどちらかというと心配の方が強いかな?また何かあったら教えてください。とは言ったものの、やはり人の家の子になっちゃったんだなぁ、と思うとさびしさも結構あり・・・。“Summer Eternity Named by Takashi Komori”の記念の盾は大切に大切に取って置こうと思った次第です。

 

 

 

100.ということで、まとめ

 ちょうど第100節までたどり着いたことだし、自分の言いたい放題書かせていただいたし、区切りのいいところ、これで終わりにしようと思います。

 この文章読まれた方、結局何が言いたかったの?となってしまいますけど、うつ病に強迫性障害、アルコール依存症、糖尿病(慢性膵炎)になった自分でも何とかやっている毎日を、開けっぴろげにさせていただくことによって、実は自分自身の心のやり場を探していたというのが正直なところなのです。ですから最後まで読んでいただいて、付き合っていただいてありがとうございました。文中の松井先生のメッセージの中でも紹介がありましたが、言葉で伝えることによって、気持ちの整理なり、心の準備なりできるのであれば、本当に言葉ってありがたいものだなぁ、と思った次第。これからも言葉を大切に、うまく自分の生活に利用できたらいいな、と思います。ありがとうございました。

 






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