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毎日が未体験。 投資家として飛行機なしの世界一周 その3

Image by Olia Gozha

 けたたましいチャイムの音で目が覚めた。船から一緒だった瀬野のチャイム音だったが、彼は一向に起きず、時間がきて自動的に音が鳴り止んでも起きなかった。僕は起きて準備をし、別れの挨拶をしようと声をかけたが、それでも起きなかった。彼も中国を南下して東南アジアに向かうということだったので、そのうちどこかで会うだろう。仕方なく僕は瀬野を残して上海駅に向かった。寝台列車で桂林に向かうのだ。

 寝台で横になりながら窓をずっと眺めていると、建設中の高架や、ゴミであふれた村をよく見た。村全体がゴミで埋め尽くされて、そのまま捨てられたような村もあった。こんな場所を放置して、しかも増やしていったら、この国はどうなってしまうんだろう。当時の中国では、公共の場所をきれいにするという意識はかなり低く、特にトイレのひどさは有名だった。長距離列車のトイレも例外ではなく、表現するのもはばかられるほどのもので、僕はなるべくトイレを我慢するようにしていた。立ってするだけの男でもキツイのに、女子は本当に大変だろう。

 車内は車内で、雑然という以外にないような環境だった。いびきのうるさいおじさん。何かクリームのようなものを宣伝するために、30分近く演説する車掌。自分はうるさくないのだろうかと言うほど甲高い金切り声で電話するおばさん。悲しい音調の古い民謡を歌い続けるおじいさん。そして机の上に山盛りになるひまわりの種の残骸、床に散らばるゴミ、そういったものに囲まれて、公衆マナーなんてものはあったものではなかった。僕は二段ベッドの上の段だったのだが、トイレを我慢するのもあってあまり下に降りず、寝てばかりいた。


 翌日桂林に着き、ユースホステルのドミトリーで荷物の整理をしていると、中国人の青年がつたないやさしい笑顔で話しかけてきた。

「ニーハオ。あなたは日本人?」

「そうです。日本人です。」

「私の名前はリウです。あなたは?」

「僕の名前はリュウヤです。発音が難しいのでリウと呼んでください。」

「おお。同じ名前ですね!桂林は初めて?

「初めてです。今着いたばかりなんです。」

「そうなんですね?僕も初めての桂林で、初めての一人旅なんです。良かったら一緒に近くをまわってみないですか?」

「え?どうしようかな?ちょ、ちょっとシャワーを浴びてくるね。寝台列車の後だから。」

 突然の申し出に驚いた僕は、咄嗟の答えに困って、シャワー室に駆け込んだ。

部屋に入るなりいきなり誘われるなんて、あまりないことなので驚いてしまった。

「どうしよう?なんか英語もあまり伝わらなそうだし、一人で自分のペースで歩いた方が楽かな?」

 シャワーを浴びながら迷っているうちに、まだ日本にいた時の感覚から抜け出せていない自分に気づき、何をしに旅に出たんだろう、と思った。

「せっかく誘ってくれたんだから、とりあえず歩いてみるか。」


 シャワーを浴び終えると、リウが部屋で待機していて、散歩を待っている犬のような雰囲気で

「早く行こう」

と言った。


 リウは22歳の大学生で、学校の休みを利用して旅に出たばかりだという。中国でよく見る細長い長方形の眼鏡をかけて、笑顔の優しい若者だった。

 彼はオーストラリアに短期留学したことがあるということで簡単な英語が喋れた。お互いつたない英語で喋っていたが、わからないときは筆談をした。僕も大学で中国語を習っていたので、会話をするのは難しいけれど、中国語独特の漢字や文法には理解があった。

「名前は竜也って書くんだ?也はどう言う意味?中国では英語で言うとalsoとかtooって意味で、名前にはあまり使われないけど。」

「文章では断定の意味だけど、今はほとんど使われない漢字だね。でも名前の最後に使われることがあるよ。でもそういえばよく考えると名前に使われるのも変な漢字だね。リウは劉って書くんだ?劉備の劉だね。」

「劉備なんて何で知っているの!?」

「三国志は日本でもメジャーな題材で、漫画とか小説にもなっているんだよ」

「そうなんだ?知らなかった」

「ねぇ、中国ではこれをどうやって読むの?」

 ノートに書いては見せ、書いては見せの繰り返しだったが、筆談は少しも面倒ではなく、むしろ親近感を湧かせ、会話を弾ませた。

中国人と日本人は、世界で唯一、声を使った会話ができず、発音の仕方さえわからなくても、文字を見ただけでその意味を汲み取り、意思疎通が出来る民族同士なのだ。

 僕らはそんなことを話しながら、桂林中心地の近くにある渓谷を見ながら散歩していた。まさに水墨画に描かれるような景色だったが、観光客が多く、まだ浸りきれるような雰囲気ではなかった。日が落ちて暗くなった後、宿に帰る途中、リウが一緒に旅をしないかと誘ってきた。

「大きい船に乗って観光するんじゃなくて、小さな漁船を乗り継いで、普通の外国人達がいかないような小さな村々を訪ね歩きながら、川を下って行くんだ。」

 それこそ僕が求めていたものだった。現地の人と、現地の人しか行かないような場所を巡る旅。僕はまだ見ぬ行く先を想って高揚した。


 宿に帰ってこれからする旅について話していると、日本語で話しかけられた。

「自分たちで川下りをするんですか?面白そうですね。私も参加していいですか?」

 小柄な可愛らしい女の子だった。彼女は名前をオンといい、タイ人だった。日本の大学で学んでいて、日本語と英語とフランス語が喋れるという。

 僕たちは意気投合し、一緒に旅をすることになった。


次の日、最初の船着場に行く途中、乗り合いタクシーの荷台の中で、3人組の女の子と出会った。2人の中国人と1人のカナダ人だった。彼女達も僕らとは違う宿で一人一人偶然知り合い、一緒に旅をすることになったという。僕らは行き先が同じだったので、また自然と一緒に旅をすることになった。とんとん拍子で、いつのまにか6人のパーティーで旅をすることになった。


 船着場に着くと、こちらのリーダー格であるリウと、女の子側のまとめ役のヤオが漁船と交渉しだした。申し訳ないが僕たちはただ彼らの交渉を待っているだけだった。

 交渉がまとまると僕たちは船に乗った。オンボロでスリルがあった。川の水はスルスルと流れていった。僕らは止まっていて、川が動いているようだった。ハサミを開いたまま紙を切る時のように、舳先が水を切り、景色が後ろに流れていった。

 霞みがかった空に波打つ山の稜線。それが迫ってくると林立する山々の、一つ一つの姿が露わになってくる。仏塔のように細長くそびえる山、作られたように美しい三角錐の山。台形のどっしりとした無粋な山。それらが無数に乱立している景色は、違う星のように、幻想的なものだった。

 その世界は船を降りた後も続いていて、麓を歩いていると、また違う迫力を見せた。リウが地元の人に道を聞き、皆で地図を確認しながら歩き、牛の群れとすれ違い、竹林を抜け、皆で和気あいあい、談笑しながら進んでいると、村が見えてきた。


 村に着くと宿を取り、荷物を置いて皆でレストランに出かける。

 レストランでは主にリウと話していた。

 リウは日本の漫画が大好きだと言った。ナルトやワンピース、そしてスラムダンクが大好きだと言った。これはリウに限ったことではなくて、若い中国人には日本の漫画を読んでいる人が結構いて、特にスラムダンクは人気があるという。ヤオミンというNBAで活躍していた中国人バスケットボール選手がいて、バスケ自体が流行っていたのも関係している。


 僕は三国志が好きだったので、そういう系の漫画やゲームが好きだということを話した。蒼天航路という漫画の曹操が好きだというと、「リウは曹操は悪者じゃないか」言って驚いていた。


 僕らは伝統的なものも、現代的なものも、多くの文化を共有している。儒教や朱子学など、考え方の根本的なところも共有している。遠く離れていると政治的な対立のニュースや、マナーの違いなどにばかり目がいきがちだけど、近くにいて実際に話すと、兄弟同然、多くのものを共有していることがわかる。そしてもちろん、歴史的には彼らが僕らの兄貴分となる。色々あっても、兄弟が仲良くした方がいいことは当然のことだ。


 ちなみに中国ではAVがご法度なので、日本のAVがよく見られている。蒼井空が中国で大人気なのはそのためだ。

 外に出るともう暗くなっていた。

 石畳の道には、時代がかった木造の中国古民家が並んでいる。それぞれの家には、入り口の近くに赤い提灯が釣り下がっていて、仄かな光で足元を照らしていた。人々は木の扉を開け放していて、その奥に年老いた夫婦や、小さな子供たちの、静かな生活が見えた。閉ざされた扉には、福の字を書いた大きな赤い紙が、上下逆さまに貼られている。「倒福」といい、「福が到る」ようにとの願いを込めた、中国では一般的な文化なのだが、僕はまだその意味を知らず、なんだか不思議な気持ちになった。古い中国の世界に来てしまったような感じがした。

 そして日本人の僕がそんな石畳みの道を一緒に歩いているのは、カナダ人とタイ人と、中国人なのだ。

 毎日が未体験で、明日何が起こるか、誰と会うか、まったく分からない。 まだ一週間ほどしか経っていないことが信じられず、日本の生活が遠い昔のようだった。僕は古い中国の世界を歩きながら、トリップ感に酔っていた。

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