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いらない子2 幼児の頃

Image by Olia Gozha



母は30代で結婚相談所で紹介された私の父と結婚した。

母と父は同じ県内とは言え、かなり離れた地域に住んでいた。

それでも母は有名人で、「あの人とは結婚しないほうがいい」と言われていたそうである。

母は姉が結婚し家を継いだため、実家にいられなくなり結婚した。

最初は私を妊娠し喜んでいたようであるが、暴飲暴食で妊娠中毒症になってからは、母体を苦しめる胎児に怒り、怒りのあまりに自分の腹を殴ったり、腹筋を繰り返し、出来るだけ胎児が苦しむように過ごしていたと物心ついてから聞かされた。

本当であれば、ここで流産か死産であれば、私はこの世に生を受けることもなく、これだけ苦しむこともなかったと思う。しかし私は不運にも産まれてしまった。

産まれた瞬間から私の苦しみが始まった。

私の最初の記憶は一歳半の時。車内で怒る母と動揺する父。

その後、父は自殺を試み、車を車道に体当たりさせ、私は足を複雑骨折した。その後遺症や傷跡は深く、母から受けた虐待の跡とともに私の身体に刻まれている。

父も出て行き、幼稚園にも通えず、人との交流もなく、ただ母から殴られるだけの毎日。唯一話を交わす大人は母と祖父母、あとは時々母に迷惑をかけられ文句を言いに来る近所の人たち、あとは母が他人への暴行で警察に呼ばれた時に警察官から事情を聞かれるだけ。

たった4、5歳で、警察の個室に入りひとりで事情を聞かれることもあった。

私に話をしてくる大人たちは警察官も含めて、みんな「あの女の娘…」と冷ややかだった。

母の気分がいいときは、祖父から巻き上げたお金でなんでも買ってもらえる。そして数日後にそれらは全て壊され捨てられる。

部屋はゴミ屋敷で、その中で食べるご飯。当時はコンビニもなく、毎日何を食べていたのかも思い出せない。

動物を飼っては面倒もみられず死んでいき、その死体が何日も置き去りだったこともある。

数日に一度、私たちが住む貸家を訪ねにくる祖父母は近所に住んでいたが、外で会っても外孫なんだから挨拶しないでと釘をさされていた。

そういう毎日を過ごし、私は小学校に入学する年齢になっていた。

※次回に続きます。


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