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家族の崩壊 3 「母は捨て子だった」

Image by Olia Gozha

母は恐らく長野県中野市で生まれ、15才まで長野県中野市で育った。 
恐らく…と言うのは、はっきりと生まれた場所が特定出来ないのだ。ただ、捨てられていた場所が長野県の、ある民家の軒先であり、そこの家で育ててもらったからだ。 

母は捨て子だった。 

この家には母の他に何人か子供がいたそうだ。確か全員女の子だったと思う。 

育ての親の話はほとんど聞いた事がなかったが、母がたまに『ふじこねえちゃん、ふじこねえちゃん』と、電話で話していたのを聞いた事があり、この『ふじこねえちゃん』なる人が、育ての親の実子だったと思う。 
電話で話すくらいなのだから、比較的、この『ふじこねえちゃん』とは仲がよかったのであろうか…。 

育ての親からはひどい虐めや差別を受けたそうだ。洋服から学校で使う鉛筆などは他の姉妹のお下がりや余り物。ノートは買ってもらえなかったそうだ。どうしたのかは知らない。 
食事のおかずも他の姉妹と差別されたらしい。ご飯に味噌汁、あとは少量のおかず。 
食事の度に嫌味を言われたそうだ。 

『誰のお陰でメシ食えると思ってんだよ! お前なんかメシ食えるだけ有り難いと思いな!』 

『中学出たらとっとと出て行っておくれよ!? こっちはお前なんかを育てる義理はないんだ!』 

毎日のように言われたらしい。 
この話を何回も聞かされた。 
辛い幼少期だったろう…と思う。 

寂しい子供時代だったと思う。 

だからこそ思う。 

(だったらアンタ、何故実の息子である俺に対して、同じように虐待したんだ!?) 


そして母は中学を卒業すると、逃げるように長野県をあとにし、兵庫県尼崎市にある会社の寮に、住み込みで就職した。 
そこで俺の親父と知り合う事となる。 

ある時母はこう俺に洩らした。 

『全くお父さん(親父の事)には騙されたよ…。お母さん、真面目だと思ったから結婚したんだよ…。処が大間違いだったよ。こんなロクデナシ…。お母さんお前達育てたらこの家、出ていくからね!』 

この時は、まさか本当に出ていく事になろうとは思いもしなかった。親の蒸発や離婚なんて、テレビドラマの中の話しだと思っていたから…。 

やがて母は真面目に見えた親父と結婚。 
しかし結婚当初から親父のギャンブル、借金、様々な問題に直面、俺の兄になるはずの子供は処分した。 

千葉県柏市のアパートは追い出され、祖父母に泣きついた親父は、二世帯住宅に改築した実家の二階に住む事になった。 

母は、隣近所に挨拶に回った。 
その時、うちの左隣に住む芝崎さん(仮名)にこう言われた。 

『アンタ、大変なとこに嫁にきたね!』 

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