それは突然の宣告でした。
僕がまだ中学生だったときに
脳腫瘍になったことがあります。
それは今後の僕の人生にとって、
大きな転機になりました。
僕が体に違和感を感じたのは、
中学一年生の五月頃でした。
そのときは、
「なんか頭痛いな。ほっといたら治るでしょ」
とくらいにしか思っていませんでした。
しかし、しばらく経っても治らず、
学校に行っても吐いたりしまったり、
学校を休みがちになってしまいました。
近くの病院に二・三回行くも、
点滴のみで改善がなく
頭がガンガン痛み、苦しんでいました。
最終的には右半身が動かなくなって、
自力で歩くことが難しくなりました。
自分の体はどうしたんだろう・・・
歩くのも左側の壁にもたれながら、
右足を引きずって移動していたので、
親も「これはやばい」と思ったでしょう。
後日、通っていた病院の紹介で、
大きい病院でMRI(精密検査)や身体検査
などで診てもらいました。
その時のことです。
検査の一つに、
目を閉じて両手を前で揃える検査をしました。
先生に、
「目を閉じて前にならえをするように、
両手を前に出してください」
と言われてやりました。
「なんで!?」と突然、親が驚きました。
僕は、目を閉じていたので
「なんで驚いているんだろう」
と僕も驚きました。
後で聞いた話ですが、
僕の右手が
全然上がっていなかったそうです。
右半身の動きや感覚が
おかしくなっていたのです。
僕は目を閉じていたので
気づきませんでした。
MRIで脳の画像を見ると、
頭の左側に卵位の大きさの腫瘍が
見つかりました。
腫瘍が左の脳を圧迫していたことにより、
体が右麻痺になっていたそうです。
「今すぐ入院してください」
検査当日、即入院が決定し、
1週間後に手術予定となりました。
「すごいことになってるけど
実感がないな・・・」
入院中は右腕がもう全く動かなくなり、
自力で歩くことはもちろん
右手で食事することもできませんでした。
右腕を動かせなくなっていたので、
「この機会に左利きの練習をするわ」
と楽観的に家族に言ってました。
実際に不思議と楽観的でいられました。
手術前に医師から
本人・家族へ手術説明が行われました。
手術内容については何も覚えていないけど、
「これで死ぬんだな」
と思いました。
なぜか恐怖よりも諦めの方が
強かったです。
手術当日も思いは変わりませんでした。
全身麻酔と聞き、子供のような考えで
「絶対寝ない」と思っていましたが、
いざ手術となるとすぐに眠ってしまいました。
後から聞きましたが、
どうやら約十二時間にも及ぶ
大手術だったそうです。
手術は無事成功でした。
目が覚めたときには、
家族の心配そうな顔がみえました。
僕はすぐに
集中治療室的なところへ
連れていかれました。
そこにはおそらく僕以外にも人がいて、
いろんな機械の音がしていました。
その機械音などうるさく、
麻酔で長時間寝ていたのもあってか、
全く眠ることができませんでした。
看護師さんにそのことを伝えると
周りとは違う別室へ連れていかれました。
後日、普通の病棟へと戻っていきました。
病室での抜糸の時のことです。
ここで人生最大の痛みを経験しました。
「ん。ここだけくっついてないな」
突然、頭にホッチキスみたいなもので
バチンとされました。
「痛ったーー!!」
病室中に声が響きました。
これで、術後の処置が終わりました。
無事に終わりましたが、
もしかしたら再発の危険性があるかもしれない
ということでした。
手術した左頭部に放射線治療を
八月の約1ヵ月(夏休み中)
受けることになりました。
そのときは中1の夏休みが
全部潰れて最悪だ
としか思っていませんでした。
また、右半身の麻痺を取るために
リハビリが始まりました。
脳を圧迫していたものを取ったためか
すぐに右半身の機能は戻っていきました。
自分で歩けたり
食事を取れるようになるのに
時間はかかりませんでした。
「あっという間に良くなるとは思ってなかった。
二ヶ月苦しんでいたのがすぐに消えるなんて」
と思いました。
歩けるようになって
日常生活ができるようになると、
病院と併設している養護学校に
放射線治療を受けながら通いました。
放射線治療はかゆかったりしたものの
痛みは全くなかったし、
一回の時間もそんなにかからなかったから
苦痛ではありませんでした。
ただ、放射線治療の副作用として
左側の髪毛が徐々に抜け落ち、
最終的にはなくなってしまいました。
事前に治療の副作用は聞いていたので
「仕方ないか」と受け入れられました。
そんな生活を九月中旬ごろまで送りました。
放射線治療も終え、
体が元気になった僕は、
地元の中学校へ戻ることになりました。
髪がないことが恥ずかしかった僕は、
学校に黒い帽子着用の了承を得て
学校へ行きました。
正直学校へ行くのに
少しは抵抗がありました。
それは、髪の毛のことで
なにか言われるのではないか
と恐怖心があったからです。
そんな心配をよそに、
同級生の半数は小学校から付き合いで、
復帰しても昔と同じように
接してくれました。
もし、ここでいじめだったり、
変な距離感を作られていたならば、
今の僕は存在せず、
引きこもりになっていたかもしれません。
この時期が今の人格形成を作る上で、
大きな転機となっていたと思います。
明るいままの自分でいれたから
勉学に励み、高校・大学へと行けました。
今でも頭部の状態は変わっていませんが、
さほど、気にはなりませんし、
気にしても現状は変わりません。
今は、理学療法士として仕事をしていて、
人の体を良くする方面で頑張っています。