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Santiago de Compostela 巡礼の旅(6)【旅と自転車】

Image by Olia Gozha

今、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かって乗っている自転車はとても古い。もう40年も泣笑い劇場を共にしている。部品構成は、妥協しなかったのでこんなに長持ちしている。

中高一貫して石材店と土方(どかた)のアルバイトで稼ぎ、買い集めた高級部品で自作した自転車である。

フレームは大阪の城東輪業(じょうとうりんぎょう)製。パイプの材質は、石渡社クロームモリブデン022鋼、シングルバテッド、ラグ有り、フロントフォークは当時フランスで流行っていたお洒落なボカマ肩。色はチョコレート・メタリックである。

サイクリング車の中でもランドナーという車種に分類され、2、3泊のツーリングを目的としている。

ランドナーは、本来小径で太いタイヤを履くが、私は走行性能を上げるためにスリムなタイヤである700x25Cに変更している。この選択は、世界の僻地(へきち)での部品供給にも貢献する。例えば、アルゼンチン南部のRio Gallegos(リオ・ガジェーゴス)でもなんとか手に入る部品である。

ドイツ、コンチネンタル社製の超高圧タイヤ(空気圧9kg/㎝平方)を履けば、未舗装路も走破できる。乗用車は同2kg台だからどれだけ高圧でカチカチのタイヤであるかがお分かりいただける。ここヨーロッパの市街地は石畳(いしだたみ)がありタイヤへの負担が大きい。

軽量で高性能、堅いタイヤでの走行感覚は誠に素晴らしい。まさに鳥肌ものである。

変速は12段。昨今の自転車と比べるとかなり少ない。但し、極めてワイドレシオに設定している。

ワイドレシオとは、荷物を積んでの登りもこなし、下りやTail wind(追い風)時の高速走行でも足の回転を抑えて体力を温存する、という魅惑の設定である。

母校、高槻第二中学のちかくにやぎサイクルという店が今もある。そこで自転車を通してメカニズムの基本を教わった。発揮する場面はあまりなかったけれど、ロジカルな思考法、真贋の見分け方などを叩き込んでもらった。これから自転車をとお考えの方には、是非お勧めのサイクルショップだ。

小学校の高学年から鉄道模型と蒸気機関車の撮影を趣味にしていた私は、北海道まで足をのばしていた。本州では見かけなくなったSLが頻繁に走っていたからだ。SLと は、Steam Locomotiveの略で蒸気・機関車のことだ。

北海道へは、大阪21時10分発、青森行きの急行北国号で行く。その車窓に過ぎゆく東北日本海沿岸の景色や町並みは、都会育ちの私にとって全く未知の世界で心が大いにざわついた。ついこの間まで小六だった少年が、一生旅をして暮らしたいな、と思った瞬間だ。

新潟から青森の間は行商のおばさんたちが乗り込んでくる。そしてよく話しかけられた。大阪弁が世界の全てだった当時の私はそこで方言の魅力にとりつかれた。旅日記はいちめん方言辞典となった。言語の道を行くことになったのも遡(さかのぼ)るとこの時である。

中三で鉄道マニアをやめた。電車の窓から観ていた日本海沿岸の景色の中に行ってみたいと痛切に思ったからだ。

旅の手法を自転車に変え、それからは、漁師のごはんを食べさせてもらったり、泊めてもらったりという事が増えた。

学生運動も終盤の頃で退学処分になった大学生たちが北海道に来ていた。行動した真のインテリジェンス達だ。彼らが読み終わった本をくれた。思想や法律、自然農法の本だった。どれも中学生には難しかった。

私にすんなり入って、旅の友となったのは、「アナーキズムについて」と「世界一周自転車旅行」の二冊だった。

ドロップアウトした大学生らの話はどこまでも魅力的であった。今から思うと19やはたちのお兄さんお姉さんたちだったが、とても輝いていた。

あの歳であんなに難しい本を多くの若者が読んでいた時代だ。ずるい大人になりたくないと思い、理想を探し求めていた。

周りに流されながら生きることはいつの時代にももったいない生き方だ。親から授かった命を活かさなければならない。命を燃やしながら生きなくてはならない。

そのようして自転車野郎としての旅がはじまった。

つづく

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