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冬の夜、母をお見舞いに行った帰りに考えていたこと

Image by Olia Gozha

母の間もなく一周忌になります。享年74才でした。

この時期になると思い出すことがあります。

母は脳の難病疾患で治療法のない病気でした。


ご参考まで。

https://storys.jp/story/31965

以前、書いた通り、医療知識のない一般のご家族の場合、かなり厳しい状態になるまで受診しないことが多く、あっという間に亡くなってしまい、家族に「もっとできたことがあったのではないか?」と後悔が残るとある医師から聞いたことがあります。

母は以前より特養などいろんな施設を巡って、最終的にたどり着いた病院が「長期慢性療養病棟」です。この病院はほぼ寝たきりの方が入院されていて、コミュニケーションもままならない方がほとんどで、院長先生も「どの患者さんもいつ急変してもおかしくない」と仰っていた場所でした。

今から6年前に施設から介護タクシーにて母はこの病院に入院しました。

(ちなみに国はこの長期慢性療養病棟を縮小していく考えです。在宅介護にしていくと。このような病態で在宅介護していくことは家族の負担も非常に大きいと考えています。)

同じ月に祖母も同じ病院に介護タクシーにて入院しました。

この病院は私の家からは電車を乗り継いで1時間半以上かかり腰が重たかったです。一時期は病院の近くに部屋を借りようと本気で思っていたこともありました。

まだこの頃の母は少し話すことができ、意思の疎通ができました。

しかし毎週、お見舞いに行く毎に「できない」ことが増えていきます。

小さな変化でしたが、私はわかっていました。

「あー、この1週間で〇〇ができなくなっている。」と。

しかし治療法が無いため、どうしようもないのです。


冬は寒く、夜は街灯も少なくひっそりしています。

駅を降りて、住宅街を歩き、病院までたどり着くまで、7、8分ほど。

会社帰りに行くことも多かったため、自身も疲れていました。

そして、また母の「できなくなっていること」を考えると足が重たくなるのです。

でも母の顔を見に行かないと・・・との強迫観念。

一方で「会いたいな。」という思い。

いろいろ気持ちが矛盾していました。

病院に着いて母と会う。

この病院では患者さんがこのような状態のため、お見舞いに来る家族も非常に少ないです。

看護師さんが「お疲れさまです。」と言ってくれることが救いでした。

そもそも看護師さんがここまで言ってくれる必要もないのですが。

とてもありがたかったです。

母に会うと、「会いに来たよー。」と声に出しても何も返してくれない母。

会えた反面、つらかったです。

母の姿がいたたまれなかった。

でも「会いに行った」という自分を認めてあげる自分もいました。

そうでないと私の心がもちません。

入院した当初は病棟の違う祖母にも会いに行っていました。

そして病院から帰る時の足取りの重たさ。。。

とぼとぼ下を向いて歩きながら、寒い中、いろんなことを考えていました。

「あんな元気な母親がどうしてこんなふうになってしまったのだろう?」

「人のために一生懸命生きてきた母がどうしてこんな目に遭うのだろうか?」

「若い頃、私が母に苦労や心労をたくさんかけていたからか?」

罪悪感、答えのない質問を自分にしていました。つらかったな。

でも目の当たりにするとどうしても考えてしまうワケで。

家に帰るまでの電車の中、そして家に帰ってからもしばらく考えてしまうのです。

涙を流したことも何回もありました。

「どうして?どうして?」の繰り返し。

「母はいつ、どうなるの?」の繰り返し。

数年、ずっとそんなことを考えてお見舞いに行く日々でした。


今、考えると、とてもつらかった数年でした。

まだ社会的にもそうですが、職場でも介護を経験している人はまだまだ少ないです。

やっと最近になって国や企業は介護をする社員の制度を検討していっていますがまだまだです。

一番思ったことが、「介護休暇」をいつ取るか?です。

結局、私は取得しませんでしたが、これは他の人も同様で、当然のことながら、「いつ介護休暇を取ったら良いか」の時期がわからないです。

休暇日数は決められていますが、人はいつ死ぬかわからないのです。

今は分割で取得できる企業もあるようですが、この見きわめは困難です。

例えは悪いですが、「がん」疾患で余命宣告によりある程度の期限がわかったとしても難しいです。

これから介護が必要な人がどんどん増えていく日本です。

国や企業はどのような対応をとっていくのでしょうか。

「介護離職」の問題も取りざたされていますが、いったん退職してしまった後の復職も年齢的にかなり厳しいのが現状です。


私自身は「起業」も考えていましたが、「介護離職」という側面も抱えていました。

私は医療職なので他にも働く先がありますが、そうでないと厳しいのが正直現状です。


育児の時にも経験しましたが、介護も大変な人が多くなり、声が大きくなってきた時に制度が変わってくるのだと思います。

そして介護に理解を示してくれる人も多くなっていくのだと思います。


私の介護生活はひと段落しました。

これから懸念していて問題になると思っていることは、介護が女性に押しつけられることです。

「ワンオペ」という言葉を使いたくないですが、これからは介護のワンオペです。

育児のワンオペより介護のワンオペはつらいです。

女性ばかりが押しつけられない社会になってほしいです。

育児と介護を通して思ったことは、「仕事のほうがよっぽど楽だ」ということです。

仕事は相手はほとんどの場合、コミュニケーションができる大人ですし、自分の時間管理で、ある程度、自分のペースでできます。

介護では夜中に呼ばれるということも多々ありました。

このように「自分ではどうしようもないこと」に向き合っている人たちに寛容になれる社会になってほしいものです。












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