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19歳でうつ病になったわたしが10年かかってようやく未来を考えられるようになった話(21~24歳 大学卒業まで編)

Image by Olia Gozha

退院しても通院は続く

4ヶ月の入院を経て、どうにか退院できるまでには落ち着いたようでした。

ですが、入院して退院したからこれで完治、通院もおしまい!とはならない病気もあります。

うつ病もそのひとつです。


わたしの主治医はしばらくして病院を移ることになり、後任の医師に診てもらうこと数か月ほどだったでしょうか。

その医師も異動となり、さらに後任の医師が決まりました。

不思議なもので、退院してからしばらくは時間の感覚がなくなっていたのか、

それとも思い出せないほど心が疲れていたのか。

記憶が曖昧になっていて、あまり期間についてははっきり覚えていません。


ですがこの後任の後任の医師、とは上手く関係が築けず、

わたしは当初の主治医を追って、今度は病院を転々とすることになります。


休学、そして大学へ戻る

ところで入院当時19歳だったわたしは大学生でした。

実は半ば自棄になりながら退学届を所属ゼミの先生に提出していたりもしたのですが、

1年休学して大学へ戻ることになりました。


1年休学するということは、元の学年のひとつ下の学年になるということ。

サークルのひとつ下の学年には、話の合う後輩もいたので、それはさほど怖くはありませんでした。

サークルで集まることが2年生以降のキャンパスではあまりなかったこと、

そして別れた彼とはそもそも通うキャンパスが別になっていたこと。

この2点に救われた場面は多かったと思います。


復学して以降、ほとんど記憶がないのは今となっては情けないのですが、

おそらく友人の支えがあってどうにか通学できていたのでしょう。

幸運なことにわたしの高校から同じ大学、同じ学部へ進学した友人もいました。

大学で知り合った友人も、わたしの話を聞いてくれた。


それでも、わたしは寂しかった。


どうあっても話のできない別れた彼、離れていった友人たち。

話を聞いてくれるひとたちより、自分のそばにいないひとたちを求めてしまっていました。

今になってようやく思えることですが、それではいつまでも寂しいのも仕方のないことです。

だって、「その場にいないひと」でしか満たされない気持ちなのだから。


また向き合わなければいけない、負の感情

入院していたときには恋人たちのイベントごとから離れて過ごせていましたが、

退院して大学に通うとなると、一日でそれはもう様々な人とすれ違います。

そして、離れられていた様々な感情がまたむくむくと湧いてくるのです。


楽しそうなグループ、寄り添うカップル、彼や友人と過ごした場所。

何かを見ては何かを思い出し、悲しくなって寂しくなって、ただ泣いていました。

自分を傷つけることは少しずつ減っていっていたような気もしますが、気持ちが完全に落ち着くことはなかったのです。


わたしには学祭で偶然見かけてしまった別れた彼と新しい彼女の姿がよほどこたえたのか、

大学近くの駅前や、学生の多い繁華街などでは特に、

いつかまた意図せずその姿を見かけてしまうのでは、とあまり人を見ずに歩くようになりました。


もう病院はわたしと世の中の間に立ってはくれません。

そこでわたしがどうしたのか。

狭い視点で生きていたのがよくわかりますが、わたしがとった行動は、思い出のない場所へ旅に出ることでした。



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