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母が亡くなって、アイドルになった時のハナシ。2

Image by Olia Gozha

前回の投稿へのコメント等々、ありがとうございました。

どんな反応が返ってくるかなと思っていたのですが、真摯に、親身に受け止めてくださる方が多くて有り難かったです。

少しずつになりますが、たぶん時系列の方がわかりやすいと思うので、まずは私の幼い頃の話からしていこかと。



たいして面白い話でもないけれど、多分ここを書かないと本題に入れないという、土台のような部分ですね。何事も、基礎は大事。



とはいえ幼少期の記憶ってあまりなくて、断片的な記憶と周りから聞いた話を組み合わせる形になるから、ちょっと曖昧です。


幼い頃の私は、身のこなしが軽くて、3歳で跳び箱から一回転して降りるなどという、ちょっと今からは想像のつかないスーパー運動神経を発揮する一方、幼稚園という集団生活の中では内向的でどんくさい子供だった、らしい。


おゆうぎ会でかぐや姫を演じることになった時も、3人もいるかぐや姫の端っこに座り、ずっと手に持った扇で顔を隠してそっぽを向いていたという。そもそもかぐや姫はまさかの立候補制だったそうですが、一体何を考えて手をあげたのですか?当時の私よ。


 そして幼稚園帰りに体操着から園服に着替えるお着替え競争ではいつもビリ。誰もいない教室で一人モタモタノロノロやっていたと聞きました。

大人になって母の気持ちを考えると、もうこの時点で病む。うん、病むよ。子育てって本当に大変です。


そもそも母は、幸せな家庭を作るということに強い夢を持つ人でした。

というのも、母が幼い頃、母の母親(私の祖母なので、以外祖母と書きますね)が美容院を経営していたため家庭にあまりコミットせず、幼い弟の面倒を見たり、家事をしなくてはならなくてそれなりに苦労したそうです。

詳細はわかりませんが、母自身は東京出身ということで、本来であれば祖母が色々フォローしてくれるような関係性も作れたと思うのですが、おそらく年に1.2度会うか会わないかくらいでしたし、とにかくもう、母は祖母が嫌いでした。

北九州生まれ、大阪育ち。東京の出版社で編集者として働く父と結婚。

埼玉に家を買い、そこで温かい家庭を築く。これはいつまでも少女のような母の夢で、いずれ私はその夢にとって"不要"であるという判断をされることになりますが、それはもう少し後のこと。

ひとまず父、母、私、妹、という小さな一般的な核家族は、この時点では幸せを保っていたのです。

そして、いよいよ小学生、私の人生の長い暗黒期へと進んでいきます。




喜屋武ちあき

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