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14歳でイギリスに単身留学したら色々あったよ☆というお話 第10話

Image by Olia Gozha

ついに第10話

長いこと放っておいたので、中断なければ多分今頃60話くらいになってたと思うんですがw

で、前回の終わりに書いたこと。London近郊、Readingという町の森深くに存在したboarding schoolでの生活、周りと隔離された学園生活は約3年で終わりを迎えます。その経験の中でどうしても書きたかったことは、

その生活での心理描写

というか。ちょっと今回は今までと違う雰囲気でお届けいたします。。。

最近、よく「子供を留学させようと考えている」とか、「ワーホリ行こうかと考えてる」という話とともに、当時のことをよく聞かれる事が多く。まあ行く場所にもよるし、年齢にもよるし、単身か家族かにもよるので、自分の話しかできないからあんまり役にたってないと思うのですが。。。

それでもこの手の感情的な問題は、留学という人生の大きなイベントを語るにあたって避けては通れないトピックだと思ったので。ちょっとだけ長くなりますが、思い出しながら書いてみます、どうぞ。



逃げ場がない

1話目~2話目あたりでも少し触れたかと思いますが、自分は家族ではなく個人で単身留学、なので寮=家なわけで。
そもそもがやはり留学に向いた性格ではなかった自分、ですがどんなことがあってもそこで生活をしていかなければならなかったわけです。

最初のほうはやはり特に言葉の壁がまだまだ高かったので、
恥ずかしい英語の間違え方をしては顔を真っ赤にして寮の部屋で発狂してましたw 

唯々プライドが高かった、といえばそれまでですが。

絶対「間違えちゃった!えへへ☆」な性格のほうが、
留学はあっていると思います。

今だったら携帯やPCは持ってて当たり前だし、今あの寮がどういうレギュレーションになっているかわかりませんが

おそらく日常的に家族とスカイプや、放課後はノーパソでHulu観る、みたいな事はある程度は許されてるんじゃないかと。当時はそんなもんなかったので、友人とは手紙、家族とは週に1回できるかどうかのコレクトコール。。。。コレクトコールって今でもあるのかねw 


ホームシック・・・・というとだいぶざっくりした表現だと違和感があるのですが、今まで書いてきたような、だいぶエキサイティングな体験の裏には
粘り強くくっついてくる孤独と虚無感が、その生活にはありました。

ほかにも、まだあまり書いていませんが
多国籍な環境であるが故のいざこざは日常茶飯事でしたし。精神すり減らす事件は本当によくありました。まあ言い方変えると、ただの国際ケンカなんですがw

それに加えて、いわゆる思春期男子のグチャグチャした焦燥感みたいなものに、自分どっぷり浸かっていたのでw そりゃもう、、、、とんでもなく
無駄に哲学的な16才だったんじゃないかと。


壊せなかったサイクル

毎朝ベルで起床し、ブレザーに着替えて食堂に朝食へ。

見慣れた揚げトーストとベイクドビーンズを紅茶で流し込んで

火曜と金曜は朝食後にチャペルで歌い、各自授業へ。

トレイをもって昼食をピックアップし、食べ終われば午後の授業。

放課後はサッカーやったりジムいったり勉強したり。

夜間は寮の机で自習。そして寝る。。。。


どう説明しても何か足りないような説明しか出来ませんが、自分はそんな生活が当たり前のroutine workになった後、そこから抜け出せないままその学校を卒業したというか。

閉鎖された寮という環境、そして、TVや観光ガイドブックでは決して語られないracism溢れる環境に、慣れてはきていたとはいえ、色んなものがすり減っていたんだと今となっては思います。

今置かれている環境と時間の尊さ、こんな経験は滅多にできないという
ありがたみは、とっくに何処かに消え去り、頭を渦巻いていたのは
また同じ明日が来ることへの恐怖。

言語の壁がある程度なくなった後、
今度はそんな、さらにややこしい感情に苛まれていました。

もしかしたら、これを読んでいる方の周りにも海外からの留学生だったり海外から働きに日本に来ている方がいるっていう人いるかと思いますが、、、今や異国とはいえITの発達により、どこにいても母国を近くに感じられるとは思いますが、やはり少しはこのわけのわからない感情を秘めているんじゃないかと。そう思います。



ふと夜中に目を覚まし、耳が痛くなるような沈黙の中、

窓から見える森の木々の隙間を埋める闇を見つめていた時間を今でもよく思い出します。

この時間はいったい何なのだろうか。
何かが前に進んでいるのか?
死ぬときにこの時間を思い出し、後悔することがあるんじゃないのか?

こういった類の事は、別に留学とか関係なく思春期のエモいイベントとして国問わず誰でもあると思います。ただ、当時の寮生活の中では本当に

そのはけ口がなかった。

同じ寮の友達には、この感じの話はなかなか話せませんでした。
イギリス人が多かったというのもあるし、スペインや中国や韓国からきている友達もいましたが、どうやってもうまく伝えられないというか。

多分、時を戻してもう一度再チャレンジできたとしても同じ問題を抱えたような気がします。今振り返っても、あの時の時間は今の自分の核になっている、そしてその核を作ってくれたかけがえのない時間だと思いますが、それと同時に後悔していることでもあります。


文学と音楽

そんな生活の中で、気を紛らわす、、、、というか
とても支えになっていたのが、日本からたまーに送ってもらっていた食料品とともに同梱されていた文庫本。そしてやはりギターですね。

人生の中であれほど本を読んだ時間はなかったです。ジャンル問わず日本から送られてくる本を片っ端から読んでました。村上春樹、森博嗣、花村萬月、馳星周、山田詠美、鈴木光司、宮原中也、寺山修司、、、、、
わかる人だけわかってくれればいいですが、今思えば
ほんとめちゃくちゃなチョイスですねw
ハードボイルド&パンクがちょい強めですねw

おかげさまで、一時期とんでもないクソ思想家になりましたよね・・・
(遠い目)


そしてギター。上記に書いたフラストレーションやストレス、孤独や虚無感を全てギターにぶつけていたような気がします。とにかく空いてる時間は弾き狂っていたし、勉強しなきゃいけない自習時間にも弾き狂っていたから
当直の先生に没収されたのはいい思い出ですw

その後日本に帰って、音楽で事務所入って、CDデビューして、、、、
そんな経験が出来たのもこの時間があったからです。間違いなく。

音楽は、、、なんだろう。Brit Pop終わりかけの時代だったとはいえ
あの時代にイギリスにいたっていうのは、今思えばとんでもなくすごいことだったんですが、普通にめっちゃハイスタ聞いてましたw
UKでも1.2の大きさを誇るロックフェスReading Festivalていうのがあって、寮から車で40分くらいのところでやってて、当時Rage Against The Machineとか出てたんですが、それにも行けず、部屋で普通に
Sublimeとか弾いてました (わかる人だけでいいですほんとにw)


今思えば

ひっさびさに当時の感じを思い出して、だいぶズシンと来てますがw

そんな苦い思い出でありつつ、一つ言えるのは・・・・
先述通り、当時はスマホもなくPCあってもネットがないような時代で
今よりも情報源がなく、今よりも目に見えるものだけが全てだった時代で。隔離された寮生活なんてなおさらですし。

だからこそ、人生で一番自分とはなにかというものを、余計なフィルターを通さずに見つめていた時間だったような気がします。現代ではなかなか味わえない、すごい尊い時間だったんではないかと。。。。


と、


ここまで書いても、多分ほとんど言語化できていないと思いますw
それほどややこしい自分の、ややこしい時期だったわけで。冒頭にも書きましたが、例えばこれを読んでいる方が、今後子供を留学させようと思っているのであれば、まあ、いく年齢にもよりますが

留学は、楽しいことも嬉しいことも悲しいことも寂しいことも盛りだくさん。人格形成の時期にそこで見れる景色、得る経験は一生もの。それからの人生の核になります。だからこそ、自分みたいに一寸の後悔も持って帰ってこないようにサポートしてあげてください。


閉め方が完全にわからなくなりましたw

次回はついに約束通り、いまだ愛してやまないCambridge編!

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