「女の子の幸せは‘お嫁さん’になる事」
出席名簿は、男子から始まり〜後に女子の名前がくる。
ランドセルの色も男子は「黒」、女子は「赤」
家庭科の時間。
男子は「技術」、女子は「将来、お嫁さんになるから‘家庭科’」
そんな、嘘みたいな現実が「当たり前」と思って育った
昭和生まれの最後の世代の私達。
いわゆる「76 ナナロク 世代」
高校、短大、大学…いずれの年も就職氷河期の洗礼をモロに受け
「正規採用」での仕事が決まらない。
‘お嫁さんにしたい職業’
ナンバー1は、保育士(当時は‘保母資格’)。
どんなに勉強の出来る子も
「お嫁に行きそびれる」と、二年制の短大に好んで進学した。
「お見合いの世間体が良い」と、女子大(主に短大)へ進学し
婿を貰う為に、二世帯住宅や、家の建て増しを考える。
決して地方都市の話ではない。
寧ろ、都心まで30分〜1時間の首都圏での話。
「女の人は夜、コンビニでバイトができない」と最近まで思っていた実母。
‘男女雇用均等法’が現実としてイメージできない。
‘一億総中流’時代から取り残されたままの専業主婦。
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あれから、二十年経った今。
お嫁さんにしたい職業NO.1の「保育士」資格を取った。
就職難の中、正規採用され「腰掛け程度」に、三年働いた。
四年制大学を出た年上の男性と結婚、出産。
絵に描くような「幸せのレール」に私は乗った。
乗っていた筈だった。
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そう遠くない過去
そんな時代があった事を話すと
「何かの冗談」か「笑い話」「作り話」かと思われる。
実際、娘が高校三年生。
大学受験という年齢になった今。
私は、
シングルマザー(しかも、離婚歴二回のバツ2)
実父母との出戻り同居
フリーランスで出張に駆け回る。
趣味は、プロレス観戦とお酒。
どこからどうみても‘幸せなお嫁さん’には、程遠い。
どちらかといえば男勝りな気質もあり‘おっさん’のようだ。
「保育士」の勉強しかした事がない私が、
イベントや、営業、司会業までこなして
何とか「喰いぱぐれないように」生きている。
母親であり
父親であり
大黒柱
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「保育士」として働いていた事もあった。
しかし‘起立性調節障害’を患っている娘は
小学校高学年から、高校生の今も一定の配慮と理解を要する。
「サボりたくて、朝起きない」と烙印を押される。
進級・進学する度、学校に理解を求め、
同居している実父母にも病気なのだと説明する生活は、
保育士として働くには時間帯がかぶり過ぎてしまう。
「みんなができて、どうしてできないの?」
「学校に遅刻せず行く事は当たり前の事」
「母親として思春期に向き合うべきだ」
「甘やかせ過ぎ」
「気合が足りない」
そこで、学校のない週末や、長期休みに如何に稼げるかと考えた結果が
今の就業スタイルなのだった。
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「女の子の幸せはお嫁さん」
私自身が「嫁不適合」というのもあったかもしれない。
しかし、
姑の言いつけもお小言も堪え、
夫の作った借金は嫁の管理が悪いとされ、
蹴られようが殴られようが「ご主人様」は夫。
「それも夫婦の乗り越えなくてはならない道」と思い込むようにする。
‘結婚は人生の墓場’
しかし、流石に、包丁を向けられて
「借金が返せないから、一緒に死んでくれ」
と、命を追われた時は、裸足で娘を抱え逃げ出した。
DV
「お前なら、風俗のNO.1になれる。
女は良いよな、カラダを売れるから。」
仕事の付き合いと言う名の風俗店通い。
「娘を妊娠してから、自分を一番に考えなくなった事がいけないんだ!」
「誰のお陰で生活をさせて貰っているんだ!」
「女は家で子ども守り育てるもの!」
そんな理不尽な理由の借金は全て私の妻としての器量不足。
そう言いながらも、肝心の暮らしができなくなる。
家賃39000円の安アパートでも限界はある。
本業以外に副業を持った夫。
切り詰めた生活費のやりくりで何とか日々暮らす。
保育所に預けるにも空きはないので私は娘を育てる事が仕事。
知らない町で、乳幼児期の子育てを一人で何とか乗り越えられたのは
「保育士」としての経験と言うのが皮肉だったが。
「イクメン」何の事でしょう?
「24時間子育て」で母親には休みがないのは当然。
たまのお休みの息抜きも、夫は副業でいない。
考えてみたら、二十代半ばの色んな可能性のあった年齢の頃
私は、ひたすらに毎日の生活「生きる事」に追われていた。
1000万円返済。
返したと同時に離婚届を突きつけた。
「もう、二度と私の目の前に現れるな」とシングルマザーの道を選んだ。
粘着質な夫がストーカーになりうるのを懸念して
慰謝料も、養育費もいらないから
とにかく、一生、顔を見たくない事が何よりの願いだった。
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シングルマザーの道を選び、
幸運な事に実家に住む事ができた私と娘。
しかし、満足な貯金もない。
「ご両親と同居なら保育園は無理」と役所で突き放される。
娘が幼稚園に行っている短い時間に稼ぎたい。
実父母も、その当時は仕事を持っていたものの
定年退職までは、そう長い期間はない。
何の因果なのか、
私は、昼間だけ働く事のできる風俗店に足を踏み入れた。
別れた夫が、1000万円も使いたくなる風俗店とは
どんなに魅力のあるものなのか。
10時に出勤し15時には退勤できるシフト。
90分20000円
そのうち60%から70%が私の手取りとなる。
何も分からなかった乳幼児期を過ぎて
お金の価値がわかってくる娘に
金銭的な苦労は絶対にかけたくないと思った。
欲しい物は何でも買ってあげられる
習いたい事は何でもさせてあげられる
そんな余裕が欲しかった。
実父母には、未だに知られていない。
若さ故に、無茶もできたし稼ぐ事もできた。
馴染みのお客様もついて通ってくれた。
「再婚しよう」と言ってくれる人もいた。
お金はたくさん手に入れた。
しかし、それと同じ位の満たされない罪悪感。
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共同経営ながらも自分で店を持ち経営にも回った。
関西から男性店長を呼び、
その土地で商売をするにあたって不都合がないように
予めの策も打ち、経営に専念できるように配慮した結果。
私の手腕が活かせるよう段取りを組んだ。
社交(女性従業員)を集め、一円でも多く稼げるように。
女同士腹をわって様々な話もした。
女同士色んな事情も知った。
女同士助け合い時には救いの手も差し伸べた。
それぞれが、何らかの「訳あり」で
それでも、「生きる」為に
‘女’を武器にして働く。
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「お嫁さんになる事が幸せ」という女性のへの認識。
「お嫁さんになりで‘逞しくなる事’を強いられる現実」
「お嫁さんになった母親から生まれてきた子ども...
お嫁さん=良い母親になれる事とはイコールではない現実」
幼い頃から、それを悟り知り成長した先には、
「自らの力で自立する」事を早くから考え、
「男の人に頼る」という選択肢は、後から
‘付随するかもしれない’期待を持たない曖昧なもの。
「お嫁さんになるの意味が理解できず
自分の身を守るものは‘お金’しかない現実」
その為に、手っ取り早いのは‘女’を武器にする事。
とりまく環境は様々だったけれど、
「お客様と過ごすその時間を、その人なりの精一杯のサービスをして
対価に見合ったお金を貰って帰る」
心と心でどんなに語り合っても結局は「お金」
その日が、その子に会う最後の日になる事もないとは言えない。
一通り稼いで気がついたら男性店長もどこかに消えていた。
気持ちの赴くまま、今、進もうと思う道へ誘われていく。
お金を稼ぐ方法なんていくらでもある。
「元気で生きていてくれたらいい」そんな世界。
そんな中でも、私を「結婚式」に呼んでくれて
その道から足を洗った人もいた。
「子どもも授かり、小さな小料理屋を経営して幸せにしている」
と、便りがきたのも数年で、今は店を畳んでどうしているだろう。
深追いはしない。
結婚のように「一生を添い遂げる」という種の仕事ではなかったから。
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風俗時代、あるキッカケで出会った男性とは
娘が5歳の頃に出会った。
彼には妻がいたが、結婚後、「統合失調症」発症し救急車で運ばれ
一緒には暮らせる状況になかった。
私が、経営をしている間も
自らの仕事の片手間に手伝ってくれていた。
紙切れこそ出さなかったものの、
出会った時から娘と一緒だったので
「事実婚」状態であった。
その後、妻と別れ、私と直ぐに再婚する選択肢もあった。
子どもが嫌いで一人しか生んでいない訳ではない私は
まだ、子どもが欲しいと思えて、産む事も出来る年齢だった。
しかし、それが上手く進まなかったのは、
初婚の時に受けたDVからくる精神的な不安定さ。
彼の別れた妻の家は、お金には困らない地主の富豪。
別居中だった夫のお見舞いは拒否し、
妻の父親が急に亡くなった原因が自殺だと聞かされず、
夫としての役割を三年以上も奪っていたのに...
「妻はもう再婚はできないから、できる限りのお金を貰おう」と、
探偵をつけて素行調査をしていた。
→
そこに出てきたのが私。風俗の女。事実婚。
慰謝料として大きな金額を請求してきた事。
彼の父(義父)も、その一件で私の職業を知る事になる。
そうなると一筋縄では「再婚」は認められない状況だった事。
「お嫁さんになれば幸せになれる」事は
とっくに夢物語で、そんなに甘いものではないと悟ってはいた。
だから、結婚に執着するつもりもなかった。
だんだん、そんな流れの中、
娘が職業の意味をわかりつつある年齢に達してきていた。
景気や、私も三十代を超えて自然と風俗からは身を引いた。
なんの苦労もなく大人になった私が
踏み入れる事はないと思っていたその世界は、
案外、すぐ側の手の届く場所にあった。
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娘も小学生になっていたので保育士に戻った。
私自身は、一人しか子どもを産めなかったが
保育園ではたくさんの子ども達が待っていてくれる。
実際に、自分で子どもを持ってみて保育観も変わり
何より、余裕を持って接する事が出来るようになった。
毎日、保護者にお渡しする「お便り帳」も
乳幼児期の一年を通してやりとりしていく中で
ただ「伝達」のツールとし手ではなく、
その時の悩みや、考え、出来事...何でも伝えて下さるようになり
心からの信頼関係を築けた事は、
この仕事でしか達成する事のできない喜びだった。
上司とも上手くつきあう術も、新卒時代のように肩肘張らず
心地よい疲れが、充実した毎日だった。
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保育士という世間体を手にした私は、
彼の父親からも、ようやく再婚を進められるようになった。
しかし、「すぐにでも!」と思えない事情も迫っていた。
「起立性調節障害」で娘が、朝起きられず毎日遅刻の日々。
学校からの電話。
保育園には事情を伝え送り届ける毎日。
「お嫁さん神話」が脳裏に残る実父母に頼る事はできず
だんだん、担任を持って保育士の仕事を続ける事が厳しい状況になった。
彼の父親は「お嫁さんなんだから働かなくていい、専業主婦になればいい」と
おっしゃって下さった。
そこを素直に受け入れられれば良いのだが
血の繋がらない娘の教育費などを出してもらう事が
私にはどうしても考えられなかった。
加えて「血の繋がったお世継ぎも産んで欲しい」と。
その頃には、付き合い始め長くなっていた。
いつ子どもができても良いと思ってはいたので避妊はしていなかったが
一向に妊娠する気配はみられないという懸念もあった。
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「まずは、現状出来る事」
私は、保育園を辞めた。
娘の小・中・高 とことん「起立性調節障害」に付き合った。
結果、「紙切れ一枚」と思っていた再婚をした
3人の暮らしは、ごくごく自然だった。
一緒にお風呂に入るような年頃から一緒に過ごしてきたのだ。
血の繋がった父親なんかより、ずっと本当の父親になっていた。
しかし「紙切れ一枚」が増える事に寄って
お互いに家族が増える、
色んな考えの人と付き合う、
不自然な物を自然としようと皆が皆努力した。
子どもも欲しいと思った。
時は流れて、今から産む事は高齢出産。
母体としての状況を調べて貰うと
「大きな子宮筋腫 数個」
「卵巣の腫れ (現状は良性)」が見つかった。
彼にも子どもが欲しい意思があるのならば
カラダを調べて欲しかったが頑なに拒んだ。
私の勘ではあるが、
よくない結果である事をすでに知っているようだった。
40歳の誕生日を迎えようとする時、
彼の父親から
「血の繋がったお世継ぎが産めないのなら別れて欲しい」と
手切れ金100万円と、離婚を促された。
娘の高校受験の真っ只中。
彼は父親に口答えをしない。
ADHDで個性的な性格の彼には
時々、私の本当の気持ちを察する事ができない。
口には出さなかったが
彼は父親と会うたび
「お世継ぎはまだか」と
ノイローゼになる程言われて
疲れてしまっているようでもあった。
もう、これ以上、彼のそんな顔は見たくない。
二度目の「お嫁さん」も、私には幸せなものではなかった。
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あれから三年
フリーランスで仕事をし、なんとか18歳まで娘は育った。
彼とは紙切れ上では別れたものの「事実婚」は続いている。
‘女’であった事で私は母親になれた。
‘女’であった事で効率的稼ぐ事もできた。
‘女’でなくては経験しない心の移り変わりも感じた。
もしも…という言葉は好きではないが、
今の時代に若い頃を過ごしたらどんな人生になっていたか。
躍起になって「お嫁さん」という形にはハマらなかったであろう事は察する。
「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
子どもや、夫の帰りをまな板を叩きながら待つ母親にはなれなかった。
そのかわり「運」なのか「さだめ」なのか
仕事に溢れた事がないのは良かったけれど。
娘が、この先自立して、両親の介護も考える年齢になり
新たなステージに経ち
気がついたら自分もお婆さんになっているのだろう。
添い遂げる苦労をしていないのだから
添い遂げる相手を求めるなんて虫が良すぎる。
「お嫁さん」になる事は、最期の時一人にならないための保証みたいなものなのか。
皆、その保証の為に「お嫁さん」になって「幸せ」と感じるのか。
「‘女’らしさ」という言葉は好きだけど
「‘女’だから」という言葉が私は大嫌い
「‘女’だから」が通用しない時、女であっても‘男’になる現実を知ってしまったから。
くわばら、くわばら