こんなネットの海にうんこの話題を書くのは、
僭越かつ大変恐縮なのだが、負けてはいない。
そしてニートにもなっていない。
うんこ、社会人になってから3回は漏らしている。
なんなら、物心ついてから、漏らした記憶は3回しかない。
社会人という圧倒的社会的地位をもった状態でのうんこ漏らしなわけだ。
うんこ漏らしって何度も書くのもあれだから、UMって呼ばせて。
今だけで良いから、流行らなくても良いから、UMって呼ばせて。
(しまった、もっと早く定義づけて置くべきだった)
自分よりも壮絶に戦い、散っていった猛者たちが多いこのUMの話題。
これまた僭越ながら、自分のUM奮闘記を書かせていただきたい。想い出として。
UMは、常に自分との戦いなのである。
予兆がある場合、
突発性の場合、
外圧によって起こる場合、などなど、UM事象の発生の起源は様々だ。
(筆者は上記3つを経験している)
予兆がある場合、
これはかなり悔やまれるケースが多い。
朝家を出る時、
「あ、もしかしたらこれ、途中でもよおすかもなぁ。でも遅刻したくないしなぁ」
と思いながらの出勤のケースである。
予兆通り、到着予定駅の2駅前に到着する前にその症状はあらわれる。
わかりづらいと思うので、下記簡単にイメージを。
3駅前 →運転中→ 2駅前 →運転中→ 1駅前 →運転中→ 到着駅
『3駅前 →運転中→ 2駅前』の運転中に症状が発生。
ここで冷静な分析が必要になってくる。
Y/自分を信じて耐える
N/速やかに降車、トイレに駆け込む
Nを選んだ時は、そこからも戦いになるのではあるが、
たいていの場合、Yを選んでしまう。
それは、遅刻したくないという思いと、それ以上に自分への期待と成長へのあくなき欲求である。
「そう、この波を乗りこなすことができた時、俺は次のステップに進むことができるんだ」
そんな少年ジャンプが過去数十年にわたって啓蒙してきたロールモデルを
ヒーローでもなければシチュエーションも違う自分に当てはめてしまうのである。
『2駅前』のドアは閉まる。駆け込み乗車の人間がどこかにいたのか、
一回閉まって、またちょっと空いて、また閉まる。
「駆け込み乗車はおやめください!!!」
誰よりも声高に叫びたい衝動を抑えながら、ヒロイズム継承中の自分は、
自分との戦い、UMとの戦いに全神経を集中するのだ。