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バツイチ。ただいま独身。もう結婚しません。

Image by Olia Gozha

私は、30才代前半に離婚しました。

一人息子の親権は父親がもつことになり、息子とは別の生活になりました。


今年になって、やっと息子ともLINEで連絡がとれるようになり、私にとっては夢のようなうれしい出来事です。いつかこんな日が来るとは思っていましたが。


離婚の原因は、私が「育児と仕事の両立」がうまくできなかったことです。


元夫、私ともに近くに両親が住んでいて、いろいろ協力してもらいましたが、それでもうまくできませんでした。


30才代は男性にとって気力もあるし、まさに「働き盛り」の時期です。


そして私は、まだ「女性の活躍」や「育児と仕事の両立」の時代ではありませんでした。

職場でも育児をしている人は、1人とまだまだ母親の立場である私が踏ん張らないといけない時期でした。


スーパーも夜遅くまで営業しているわけではなく、延長保育も無しで、17時シャープに仕事を終える毎日でした。


元夫は、0時過ぎの帰宅。


私は、仕事が終わって夕飯のメニューを考え、スーパーに行き、保育園のお迎え、息子を連れて帰り、夕飯の支度をして、ご飯を食べさせて、お風呂に入って。


仕事が終わってからが、バタバタの生活でした。


元夫が帰宅後に夕飯を食べるのですが、食べた後のお皿がシンクにそのままになっていて、毎朝、私は怒っていました。


保育園では、よく病気をもらってくるので、息子が熱を出したりすることはしょっちゅうで、小児科へもよく連れて行きました。元夫とどちらが休むかもずいぶんもめました。

両親の協力もたくさんありましたが、やはり私の負担は大きかったです。


職場でもまだあまり理解がなく、上司には睨みつけられたりすることもよくありました。



今、思うのは、「少しでも誰かにほめてもらいたかったな。」ということ。

自分の子どもを育てるのにがんばるも何もないのですが、正直、「よくやっているね」ぐらいの言葉は欲しかったです。


今どきは、「ワンオペ」と言うらしいですが、私はこの言葉はキライです。

「育児」が「業務の1つ」になっているような響きがあって理解できません。


そんな状況で、私の頃は、「育児と仕事の両立」のはしりの時期でした。



30代は離婚と息子との別離があり、とにかくずっと「闇の中」でした。


毎日、涙が止まらない時もありました。


その時に自分を励ましていた歌が、「上を向いて歩こう」です。


上を向いて歩こう

涙がこぼれないように


あふれ出てくる涙を拭うこともはずかしい時もあり、上を向いて涙を流さないようにしていた時がよくありました。


女性は、30才代に2回、厄年があります。

もう私は、毎年が厄年のようにどっぷり浸かっていました。

息子への罪悪感など、ひたすら自分を責めていました。

自殺を考えたこともありました。


40才近くになってでしょうかね。

息子は大きくなっていく。息子が大きくなった時に会っていろいろ話せたらいいな。

と、やっと思えるようになりました。


今、振り返ると、息子との別離は、私にとって「試練」だったと思います。

息子にはとても気の毒な思いをさせましたが、これから息子にはいろいろ返していきたいと思っています。正真正銘の親子なんですから。性格も私に似ているところがあります。


30才代は闇。40才代は家族の介護にシフトして。


もう大変過ぎて、「再婚」は、ほとんど考えていませんでした。


40代半ばぐらいに、ちらりと「婚活」をしたことがありますが、知り合う男性が自身を「盛り過ぎて」いて、かつ、「カラダ目当て」の人も多かったので幻滅しました。


その後も、「専業主婦」でいいからとガチのプロポーズも受けましたが、お断りしました。


40代になると相手の年齢にもよりますが、「介護」が浮かんでくるんですね。


あまり年上になると自分がその人の介護要員、もしくは相手の親御さんの介護要員だと考えるとげっそりします。


もう自分は、家族の介護をやりきったので、やりたくないです。


自分が介護されたい。 (笑)



今は特段、不自由はありません。

趣味の関係で年下の男性友人もたくさんいるので、飲んだり食べたり全く困りません。

同級生の男性だとごちそうしてくれます。(嬉)


たぶん自分はこれからの人生もこんな感じでいくのだと思います。


結婚して姓を変えたりとか、もうめんどうでイヤです。

今の自分の字画が良いので変えたくないです。(笑)


これからは、息子に金銭的援助ができるぐらいと自分が生活していけるお金があって生活できれば充分と思っています。


「看護師」という職業は、男性に好かれますね。(笑)


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