新社会人の頃、自分がみた映画やテレビの感想をブログを書いていて顔も知らない相手に批判コメントをされ、そういう意見もありますよね、と肯定して返信したものの、この記事は私に向かって書いてるのか?!と喧嘩ごしにこられたのですが、なぜ?Why?あんたなんか知らんがな!知らない人に向かって書くわけないだろっ!!個人の意見だ、と冷静にみれない人もいることを知りました。

とぶっちゃけ思った話です。なんで顔も見知らぬ、貴方に向かって個人を指して書くのよ。
これ、LINEのタイムラインに、自分が読みたい記事をクリップしたつもりでタイムラインにシェアして残していたときも、この記事、私に向かって言ってるの?!と、とある人に聞かれたこともあるけど、だから、なんで?!え?なんで私があなたに向かってタイムラインでこの記事を読めよ!ってなるの?っておもったら
タイムラインってLINEの友人たちに全体公開設定していると全員見えるらしいことを知らなかったです。そうか!LINEいまだによくわからん。無料通話が魅力的だけど。私も良くなかった。ただ、本当に不思議なのだが、この世には自分が当てはまるとこの記事は私に向かって書いてるの?!って思う人がいることだ。
私は、いろんな本や記事を読むけど自分が当てはまる記事を読んで私の事書かれたみたい、とは思わない。思わないからわからないのかもなんだけど、書いた人に喧嘩は売らない。
たまたま当てはまっただけだろうし、図星だと確かに傷つくけど、自分が誰かに向かって相手を傷つけようと思って書いたことがないせいもあるけど、そんなこと考えない。
私は人を騙したりするほどのテクニックも持ち合わせておらず、嘘も下手だから、嘘は最小限、上司への社交辞令程度で、自分があまり嘘をつかないから、相手も嘘をついてる、と考えがあまり至らず、騙されやすい、という欠点は、ある。
とにかく、LINEのタイムラインといい、Facebookといい、SNSには情報が溢れている。
私はstorys.jpを書くために、Facebookのアカウントを作っていますが、去年までプライベートの自分のFacebookアカウントを持っていました。
小中学校の友達や地元の友達、旦那の親戚なんかと繋がっていましたが、後半は長男のママ友達と繋がるようになり、たくさんの相手の日常をみるうちに、コメントしなきゃ!いいね!しなきゃ!と
変に真面目な自分の性格が災いし、そのうち面倒くさがりな一面が顔を出し、放置!
旦那のFacebookアカウントが一時乗っ取られたりもして、放置の怖さを知り、お知らせをして、アカウント削除しました。
緊張する人、なかなかLINEするのも緊張するほど憧れていた1部の人には、私なんぞがFacebookいなくなるなどどいちいち知らせるのも自意識過剰か、と思ってLINEのステータスメッセージに退会しましたとだけ書いてるのか、これ読めばわかるかと、連絡せずに削除したところ、心配されてしまいましたが。
相手の日常を知り過ぎると、妬みを買います。私も嫉妬してしまうことも、あるかもしれない。

知らぬが仏
というけど、いまは、なんでもインターネットで情報が溢れかえっています。噂がたつ芸能人なんて、どこまで事実で真実かなんて本人じゃない限りわからない。私生活がわからないから、ああだこうだと推測して話すから、尾ヒレついて話も膨らんだり盛られたり。
私は、学生時代からの気の合う友達には、なんでも話すし、プライベートも話すけど
SNSで、インターネットは全世界に発信されるのに、私生活を赤裸々に書いたり、芸能人でもないのにお子さんの顔をスタンプで消さないで出してしまう人もいる。
これは、もう価値観が違うからそれが悪いとは言えないけど
私は自分の子どもが犯罪や誘拐に巻き込まれたくないし、知り合いのお子さんをSNSに無断で載せたりもしないけど
動画だったり、写真だったり、我が子だけ撮ったつもりでも誰かのお子さんが映り込んでいることも、ある。
それをインターネットにアップするリスクは、理解しているのけど、誰かのSNSみて、あれこれ考えるのも心配するのも、自分が疲れてしまうので
思い切って辞めた。
知らぬが仏、この世には知らないほうが幸せなこともある。
知らなければ、幸せに生きていられることも、ある。
私は、戦争の記事や虐待のニュースをみると、怒りがこみ上げたり、悲しくて泣いてしまったこともあり、どうも、そういう情報も苦手で、自分が見る、読む情報は厳選します。
何を読んでもみても、冷静でいられるひともいるけど、悲しくなる情報は、あまり知りたくない。
虐待も、自分の子供じゃなくても、ニュースをみると胸が張り裂けそうにつらくなります。
HSPという、敏感に感じてしまう性質なのか、感受性豊かすぎるのか、自分も守らないと、ただのニュースでボロボロに心が傷ついてしまうのです。
そういう人間も、います。
ただ、少数派の変わり者と分類される側にいるので、あまり理解してもらえない。
情報も、友達も、付き合う人も、選べる。
見ないことで、自分の心を安全に保てるなら、みないほうがいいことも、ある。
貴方は、インターネットで誰かのSNSやブログや記事をみて憤慨したり、不快になったりしてませんか?
わざわざみて、これは自分のことを書いてるのか!と喧嘩を売ったりはしていませんか?
みなくても、いい。
わざわざ、自分でみて、不快になる。なぜ?なぜ、見るのか?見たくなるのか。私なら、自分が見て心が掻き乱されるなら、見ない。
イライラするとき、その対象物と自分の距離が近すぎる。
見るのも、見ないことも、出来ることを、お忘れなきよう(謎解きはディナーのあとで風に)。
