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同じアパートの女子留学生に挨拶したら結婚までいってしまった話

Image by Olia Gozha

私が大学生の時、今どき珍しいくらいボロいアパートに住んでいました。

お風呂と洗濯機が共同で、トイレも水洗ではありません。

とても寒い地域で、冬には部屋の中でコップの水が凍ったこともあります。

学生向けのアパートで、全室が同じ大学の大学生が入居していました。

そんなアパートですが、私は2Fに暮らしながら、大学生活を満喫していました。


ある日のこと、部屋にいると、真下から女の子の声がしました。

どうやら下の部屋から聞こえてきています。


彼女いない歴=年齢の男子大学生とあっては、嫌でも気になってしまいます。

思わず耳を畳につけ、聞き耳をたててしまいました(笑)


すると、女の子2人の話し声が聞こえてきますが、

何を話しているかが聞き取れません。




それから度々、真下の部屋から話し声が聞こえてきて、

その度に私の意識はそちらに向けられていました。




夏になったある日、私はアパートの駐車場でバイクをいじっていました。

免許を取った直後に手に入れたバイクで、私の相棒と言うべき存在でした。


そんな時、私の真下の部屋のドアが開き、人が出てきたのです。

真下に住んでいる人でしょうが、その住人を初めて見ました。


…かわいらしい女の子でした。



これは挨拶しなければ!

と、私の頭は声をかけるタイミングを見計らうことにフル回転し、

バイクの整備(をするフリ)をして機を待ちます。

…今思えば、挙動不審全開だったのでしょうけど…。



そして彼女が、しゃがんでいる私の横を通り、

目が合った瞬間に、挨拶をしました。


「こんにちは~」


「……こんにちは」


彼女は少しびっくりしたように、挨拶を返してくれました。

この時から、私の中で彼女という存在が

大きなものになっていったのでした。




そこから奇跡的に彼女と仲良くなっていった私は、

大学でも会えば話すようになっていました。


そこで驚きの事実を知ることになりました。

彼女は留学生だったのです。


でも見た目は全然日本人と変わらず、

それは現在でも、初対面で見た人全員が日本人と思っています。




彼女の祖国は日本から南へ遠く離れた常夏の国で、

四季を経験したのも日本に来て初めてでした。


日本語も少したどたどしいところがありましたが、

会話は普通に出来ます。

アルバイトもしていました。



私はここぞとばかりに

「困ったことが合ったら何でも言ってね!」と、

日本生活のサポーターのように振る舞いました。


もちろん、彼女と仲良くなりたかったからです(笑)





アパートが同じということで会うことも多く、

車も持っていた私は(イナカなので車を持つ学生がほとんどでした)、

彼女のアルバイトの送り迎えも手伝うようになりました。



彼女がアルバイトをしていたのはカラオケと居酒屋で、

彼女は田んぼの中の道を30分歩いて行っていました。

夜になればもちろん真っ暗で、カエルの声が大合唱しています。


私のオンボロ車でも、歩くよりはマシだったようで、

彼女も喜んでくれていました。





やがて季節は変わり秋。

大学の学園祭に、私は彼女にアプローチをかけることにしました。


その頃、私はバンドをやっていて、ドラムを担当していました。

やった演目は、MONGOL800(モンパチ)の

『小さな恋のうた』『あなたに』といった、

当時大ヒットしていた青春バリバリの曲です。


でも彼女はその曲を全く知らず、

そもそも学生バンドのライブすら初めて観るのでした。


彼女は同じ祖国から来た留学生の友人と観てくれましたが、

むしろその友人の方がノリノリで、肝心の彼女の反応が今一つだったのです。



「結構失敗したからかな…」

「こういうノリは苦手だったのか…」



と、ライブに誘ったことを後悔し始め自己嫌悪に陥ってしまう始末…。




数日後、大学で彼女と会った私は、

ライブに来てくれたお礼を言い、率直な感想を聞いてみました。


すると彼女はこう言いました。

「…よくわからなかった」


私、大ショック。


しかし、彼女はこう続けました。

「でも、恰好良かったよ」


私、天にも昇るような気持ちに(笑)





そして数週間後、今度は私と彼女が所属する学部のみの

小さな学園祭がありました。


一学部でやるので規模は小さく、まったりとした雰囲気で、

お店の半分が居酒屋かバーというとんでもない学園祭です。

それが金曜夜から日曜夜まで続きます。


もちろん私もサークルで出店した居酒屋で、

ひたすらツマミを作っていました。



土曜日の閉店後、サークルのみんなでまったりと打ち上げを行い、

私と友人達は酒を飲みながら、色々な話に興じていました。

もちろん恋愛話も。



ある時、私から切り出しました。

「…こういうわけで、これってもう告白するしかないよな?」


すると友人たちも、

「おー、いけいけ!」

「当たって砕けてしまえ!」

と、ノリノリでした。


正直誰かに背中を押してもらいたかった私。

実は、1年前に他の女の子に告白して、

砕け散っていた過去がありました。


フラレた後、2~3か月は落ち込んでいたのですが、

その中で出会ったのが、階下の彼女だったのです。




そして翌日・日曜日の夜、学園祭が終わった後、

帰宅して彼女の部屋のドアを叩きました。

運よく彼女は在宅していました。



「学園祭も終わったし、余ったお酒を持ってきたんだ。

一緒に飲まない?」


この提案に彼女は快諾し、部屋に入れてくれました。

そして、彼女にお酒を注ぎ、色々な話で盛り上がりました。



1時間くらい経ったころ、私は思い切って切り出します。


「実はオレ…〇〇さんのことが好きだ。付き合ってほしい」


彼女の言葉を待つ間、ボロアパートの空気が張りつめていました。



彼女はこう返事をしました。


「私は日本人じゃないし、日本人の方がいいんじゃないの。

それにあなたは酔っぱらって言っているんじゃないの」



私はこう返します。


「オレ、今日は1杯も酒を飲んでいないんだ。

今だってほら、飲んでいないんだ」



これは私なりの作戦でもありました。


酔っていては真剣さが伝わらないと考えた私は、

彼女に飲ませはしろ、自分では飲まないと決めていたのです。



必死さか、真剣な気持ちが伝わったのか、

彼女から待ち望んでいた返事が…。


「本当に私でいいの?ずっとそばにいてくれるの?」


…彼女は私を受け入れてくれました。





この夜の出来事は一生忘れられません。

秋も深まってきたイナカのボロアパートが、

私たちを引き合わせ、結んでくれた気がしました。



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それから7年後、

私たちは日本と彼女の祖国の両方で

結婚式を挙げました。



大学卒業後、そのまま日本で就職した彼女は、

私と職場が離れて長距離恋愛を経ながらも関係が続き、

とうとう結婚するまでに。



外国人と国際結婚するとは夢にも思わなかったのは、

私以上に、私の両親でした。


私も、彼女の両親に結婚の許しをもらいに実家へ

行ったときは緊張しましたが、私のたどたどしい英語も

何とか通じ、許しをもらうことが出来ました。



よく考えてみると、

私は日本人と付き合うこともなく、結婚してしまいました。

ですから、日本人同士の恋愛や結婚は未経験です。


ですが、留学生との恋愛経験は、

まさに「異文化交流」そのものです。

考え方も文化も、日本とまるで違います。

そのことは、マイナス面でも作用しました。



ケンカも散々しました。



別れようと思ったことも何度もありました。



でも、やっぱり私には彼女しかいないという結論に、

最後は至ってしまうのです。



結婚した翌年には娘が誕生し、

その後、彼女の祖国へ家族で移住しました。


海外移住は旅行で行くよりもずっとエキサイティングで、

体験したすべてが新しく刺激的でした。


日本の方が良い面ももちろんたくさんありますが、

それを差し引いても、面白さが余りあります。


この経験をそのまま自分だけで持つのはもったいないと思い、

ブログにも挑戦し、現地に住まないとわからないことも

積極的に発信してみました。





思えば、普通の日本人が経験できないことを

たくさんさせてくれたのは、まさに彼女のおかげです。


でも、お互いあのボロアパートを選ばなかったら、

出会って知り合うこともなかったのかな、とも思います。


縁とは不思議なものだと感じました。



私たち家族は、日本と海外を行ったり来たりする生活を

送っています。


『人生は一度きり。やりたいことをやらないと損!』


と教えてくれたのも彼女です。



彼女(奥さん)に大感謝!





…しかし、ある疑問が頭から離れず、

思い切って聞いてみることにしました。

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…ちなみに、

私の告白を受け入れた理由を後から聞いたら、

彼女はこのように答えました。





「憧れの日本の大学に期待して来日したら、

とんでもないイナカで冬は寒くて、

友達もいなくてとても寂しくて、

もう大学を辞めて帰国しようと思った。


そこにあなたが現れて、告白されたから、

そばにいてくれるならこの人でもいいやと思った」





…つまり寂しかったから誰でも良かったの…??


と聞いたら、


「うーん…、少しそうかも(笑)」



このストーリーの続き、海外での暮らしは下記ブログにて

https://ani-malaysia.com/



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