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サバゲーをしていたら、ペーパードライバーが首都高を攻められるようになった(ただし、軽自動車)

Image by Olia Gozha

私は、「サバゲー」を7年ほど楽しんでいます。スマホゲームではなく、リアルのサバゲー。


始めたきっかけは、とある日の朝、年下の男性友人が、


「今日、サバゲ行かない?」


と誘われたことから。


私:「こんな服装だし、何も持っていないよー。」

友人: 「必要なモノは貸すから、大丈夫ー。」


私のいいところは、フットワークが軽いところ。言ってしまえば、軽いノリ。(笑)


2つ返事で、「行こう」と決まったのでした。


(サバゲの魅力は、またいつか書きますね。)


軽いノリで行ったサバゲ。たった1日にして見事にハマりました。


そこからどうでしょう。毎週末に一時期、行っていました。




話は変わって、車の運転。


免許は、18才の時に取りました。当時は、マニュアルで。。。


エンスト、しょっちゅう。空間認識の無い私は、まともに駐車もできず。。。


運動神経もゼロ。


なんとか免許は取れましたが、車の運転はキライでした。キライというか怖かった!!


父の車も、おもいっきりベコらせたりして。


何度か運転しましたが、恐怖のなにものでもありませんでした。ムリーーー。


生前の母には、


「あんたにせっかく免許取らせたんだから、運転してよ。どこか連れて行ってよ。」


何度、言われたかわかりません。耳にタコができるほど。


でも、私は頑なに拒否しました。


(今、お母さんが生きていたらね。温泉でもどこでも連れて行ってあげられたんだけど。申し訳ない)



そして、月日は流れ、免許取得から約30年経った昨年梅雨頃。


私は、サバゲ、キャンプ、釣りなどの趣味があるので、


「車で、自分の行きたいところへ行けたらなー。」


と、ふと思いました。


それまでは、東京オリンピックまでに、自動運転車ができるっていうから、早くそれに乗りたい。


と心待ちに考えていたのでした。


私は、決断をします。


「今の車はオートマだし、安全機能も付いてるし。軽でいいから、買ってしまえ。」

「買ったら、乗るわけにいかない。」


自分を追い込みました。


めでたく7月に納車。新古車です。車はかわいい。気に入った。


でもそこから、1か月。自分では運転できませんでした。やっぱり怖くて。怖くて。


友人に運転してもらっていました。


「うーん。このままではいかん。」


決意したのは、8月のお盆頃。おそるおそる乗ってみました。


そうしたら、自分の中で、何か「パーン!!」とはじけました。


運転本能覚醒の瞬間です☆


闘争本能の強い私(← あまり関係ない!?)。


「わあー!運転って楽しい!!」


そう思う瞬間がやってきました。



駐車とかで、少し凹ませたりしましたが、気にしない。初めての車だし。


そこから、ガンガン走っていけるようになるのでした。


首都高は、苦手で、乗らない主義という方もいるそうです。


首都高は分岐が激しく、右も左も容赦ない。


今は、ナビがあるから安心。


遠くまで、自分の行きたいところへ行けるようになりました☆



サバゲで得たスキルは、「俯瞰」です。


極端な話、サバゲでは、360度、注意していないと撃たれます。


森フィールドであれば、葉っぱが少しだけ動いたことにも気づかないと撃たれます。


全体を注意深く見る目が鍛えられました。



車の運転も一緒で、全体を見渡していないと、ぶつかる危険があります。


全体を見ていれば、回避できます。



若い頃にできなかったことができた!



それが今の喜びです。


読んでくださった方、ありがとうございました。​



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