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キャッシュで2億円持っていた母と自分のせいで2000万円以上のローンを抱えた私

Image by Olia Gozha

このお話は長くなるので、何回かに分けて書いていきます。


今日は、なぜ母がキャッシュで2億円持っていたかを書きたいと思います。


私、ある意味、世間知らずというか、「うちにあるなら他の家の人も持っている」という思いが強いため、普通に他の家でも億単位の資産を持っていると思っていました。(^^; まじめに。


でも、よく考えたら、働いてお金を稼ぐことは大変なことで。さらには、貯蓄をすることは大変なことで。ようやく気づきました。エへ。


でも、まだ私、たぶん、浮世離れしたところがあると思うんです。


自分がこれから起業してお金を稼いでいくので、その大変さがやっとわかるような気がしています。



わが家は、東京下町の庭付き一軒家であるものの借家で、家族が集まるのは、4畳半の掘りごたつのある部屋でした。中学生になって、私には間借りの勉強部屋は与えてくれたものの、弟には勉強机はあったものの部屋はありませんでした。


父は、中小企業のサラリーマン。とても不器用な人でした。晩年になって、「話し方講座」に通うくらい愛想が無いというか。転職もしょっちゅう。当然、出世もできませんでした。


うちのちょっと違っていたところは、婿養子だったこと。父は長男でした。母は、生まれた時から、父親知らずの境遇。苗字を絶やさないために婿養子を取ったそうです。


生活もとても裕福とはいえず(でも少し裕福だった?!また書きます)、質素でした。

母は、「うちはお金が無いから」が口癖でした。

小学校の給食も給付金を受けていました。


母は生活費を稼ぐために、内職からパートと家事をしながら懸命に働いていました。

母の姿は今でも忘れません。愛情にあふれた一生懸命な母でした。


そして私は私立の大学には行かせてもらえませんでした。


母:「うちにはそんなお金が無いから」


でも、弟は私立の大学に行けました。


私立に行けるお金はひとり分しか無かった、男尊女卑が理由ですね。


ちょっと恨んだこともありましたが、今はそんなふうに思っていません。


結果的には幸せな人生を歩めているわけですから。



まだ母も弟を私立大学に通わせている頃には、2憶円も持っていると気づいていなかったと思います。



月日は流れ。。。今から20年近く前でしょうか。母が50才半ば、私が30前ぐらいです。


母:「景子!景子!家の中の貯金を整理したら、2憶ぐらいあったの!昔、定期預金で預けていた  

   郵便局のお金が増えていて!」


昔は、定期預金の金利が10%ぐらいだった時もあったようですね。


わが家は、「ザ・女系」で、曽祖母は若くして夫を亡くし、家事専業、その娘の祖母は、助産師・看護師としてバリバリ働いていました。戦時中も背中にガラスの破片が刺さるようなケガをして、バリバリ働いていました。話からすると、本当に男働きです。曽祖母と祖母は、役割でいうと夫婦のような関係で、その環境で、母は育てられました。

曽祖母や祖母にとっては、母の境遇を申し訳ないと思ったのでしょう。彼女たちができる精一杯なことをしたのでは、と思います(ご先祖様なのに、こんな言い方、ごめんなさい)。


祖母は、本当に働く人で、家事は全くできず、お味噌汁の作り方もわかりませんでした (笑)


祖母は多少、お金の自由があったので、旅行など楽しんでいました。私もずいぶんあやかりました。


でも、ずっと一貫して質素な生活だったんです。間違いなく派手ではない。


きっと2憶円になっていたのも、曽祖母や祖母がしっかり貯蓄してくれていたからなのです。


けっして、生活を派手にせず、質素に。



冒頭にも書いたように、私は2憶円がすごい金額とは思っていませんでした。

「ふ~ん」という感じ。


気づいた母は、お金を俄然使い出しました。

・自分たちが住むマンションを一括払いで購入

・弟の新築戸建てを援助

・私名義のマンションを購入

・両親で20か国以上、リッチな海外旅行(クルーズも!)


まあまあその使い方は見事でした。男前。


父も婿養子でしたが、結果的にはいい思いしたと思うんですよね。

質素ながらもお金には不自由しなかった訳ですから。


母も生まれた時から父親がおらず、苦労したことと思います。

そのことがあったから、金銭的には恵まれたのかもしれません。



そんな母がこの10年ほど、病気に苦しみ、今年2月に亡くなりました。

母を介護していた父は5年前に亡くなりました。


母が亡くなり、残してくれた遺産はわずか。

わずかといったら申し訳ないですね。


私にも弟にも持ち家があるので。


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私は、この間に2000万円以上のローンを抱えることになりました。

間もなく返済が終わります。


この続きは、また書きますね。


読んでくださった方、どうもありがとうございました。

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