家族4人で旅に出ます。
世界を1周か2周か、まぁ、気ままに回ってきます。
理由は、私も夫も旅が好きだから。
なぁに、他に理由がいりますか?
って、強気に言っていますが、それはそれは考えました。
いやいや、小学校にあがる娘がいますし、学校どうするの?
息子は2歳でまだオムツとれていないし、旅の荷物は多くなるし、それより言葉がまだあまり話せない息子が海外の路地で誘拐されたら、どうするの?
夫は、数年前に、まさに彼のドリームジョブに転職して、毎日ハッピーに趣味か仕事か分からないような仕事をしていて、それでいて高給で待遇もいい。それを、全部、捨てていくの?
私は私で、オーストラリアでの教員の仕事も楽しい上に、午後3時前には授業が終わるので、自分の時間もあるし、充実した日々を送っているよね???
でも、心に嘘はつけないんですよ。
約1年前に、オーストラリア国内のロードトリップを約2週間しました。
私にとっては、久しぶりの旅です。
友人の結婚式参加のために、1000キロ以上離れた会場まで数日かけて車で行きました。
夫と私が交代で運転し、娘と息子は後部座席でチャイルドシートに座っていました。
車が動き、車中から景色を眺めているだけでも、私の体にどくんどくんとアドレナリンが流れ始めるのが分かるほどに、うきうきとわくわくが止まらなかったのです。
これはもう、論理的には説明できないってやつです。
好きなんです。旅が。
好きなんです。家族で、いろいろな体験をするのが。
「疲れてきたね」「じゃ、休憩しようか」
「お腹すいたね」「じゃ、どこかで何か食べようね」
「遊びたい?」「じゃ、公園で止まろうか」
「おもしろそうだね、行ってみようか」
他愛のないこんな会話を家族と交わし、
車中から景色を眺めているだけで、
つーっと頬に涙が流れてきました。
幸せすぎて。
そういえば、私、旅好きだった。
ママになって、ご飯だ、お風呂だと、忙しく子どものために動き回っていた私。
出張の多い夫の分も、子どものことしっかり見て、掃除や洗濯がんばらないとねと、あれやこれやと動き回っていた私。
仕事も責任もって頑張らないとと、学校の先生として、教材研究や授業準備をしていた私。
誰に、そうしろと言われたわけではないけれど、
ママだから、妻だから、先生だからと
自分で自分に言い聞かせ、
自分で勝手に、そうしなきゃいけないと思い込んでいた。
自分が理想とするママや妻や先生でありたいと、
自分で勝手にハードルあげて、
言い換えると、目標を高く持って、
自分で自分を追い込んでいた。
あくせくして、自分の大好きなこと、忘れていたな。
20代の頃は、女一人、バックパッカーでヨーロッパ回ったり、
タイのNGO団体で何でもできることお手伝いさせてもらいながら、現地の人と共同生活したり、
新聞社の企画でアメリカ大陸を歩いて横断したり、
それがご縁となり、日本全国をウォーキングリポーターとして回ったり、
オーストラリアに住むようになってからも、オーストラリアを旅して記事書いたり、
とにかく、飛び回るのが、新しい体験をするのが、大好きな私だった。
でも、よくよく思い返してみると、
ただ旅するだけじゃ物足りないと感じていたのも事実。
20代でバックパッカーとして、アジアからヨーロッパ、
その後はアメリカやメキシコ、グアテマラなど旅する中で、
ただ単に、国を移動して、観光地を訪れるタイプの旅行は、
今の日本人ならだれでもできるし、それだけでは私には確実になにかが足りなかった。
このまま旅を続けても、ただ国を移動するだけになってしまう。
タイで見た、腕も足もない当時20歳くらいの同じ年位の女の子。
その子の隣には、険しい顔をしたおじさんが立っていて、
道行く人にあの女の子の為に寄付をしろと言いまわっていた。
彼女の前には小銭を入れてもらう箱が置かれていた。
一瞬、彼女と目が合った。
目が合って、彼女は視線を下した。
当時、聞いたことがあった。
子どもをさらった人が、
子どもを見世物にするために、子どもの手や足をわざと切り取る。
そんなことを思い出し、20歳の私は泣いた。
なんにもできない自分の無力さと自分勝手な大人に苛立った。
ただ国を回る、観光地を回るだけでは、もう満足できない。
せっかくの機会、旅を通して、社会に貢献したい。
私にしかできない旅の在り方で旅を続けたい。
そう思ってバックパッカーを辞め、日本に帰国した時に、
新聞社がアメリカ大陸を歩いて横断し、
その様子や出会った人を記事にする隊員を募集していた。
旅、プラス社会に貢献できる何かを求めていた私は、
旅、プラス取材して記事にするという仕事はあまりに魅力的で、もちろん、即決、応募。
そして、幸運にも2600名の応募者から、合格した13名の一人に選ばれ、渡米。
日中は、アメリカ大陸をひたすら歩き、
有名無名を問わず、出会った人々にインタビューをして、
夜は、必死に記事にまとめる。
そんな生活を半年送る中で、さまざまな人に出会うことができた。
あるアメリカ人のおじさんは、刑務所に勤務しているという。
刑務所なんて、行ったことない。
「ぜひ見学させて頂き、何か記事にさせてもらいたい」
気が付いたら、おじさんにお願いしていた。
はじめて踏み入れる刑務所。
日本でも行ったことない刑務所に、アメリカで訪れる。
そこでの一番の衝撃は、刑務所の教育制度。
まずは、挨拶からはじまり、テーブルの拭き方。窓の拭き方にトイレの掃除の仕方。
私にすると、親から自然に習ってこれたことが、自然に習うことのできなかった人たち。
しばらくして伺ったのは、アメリカの児童更生施設。
子どもたちに取材をすることができた。
10歳の男の子は、妹に性的なことをしたのが見つかり、この更生施設に送られてきたそうだ。
「なんで、そんなことしたの?」
聞くしかなかった。
「お父さんがいつもしてたから真似したんだ。でも、その日はパーティーでいろんな人が家にきていた。その人たちが通報して、僕はここに来た。今は、もう知ってるよ。それは、いけないことだってね」
それって、この10歳の子のせいですか?
父親なにしてんの!!!!!
父親許せない。許せないんですが、刑務所やホームレスの保護施設など様々な人に出会い、取材に訪れ分かったことは、この父親も、その親から学んできたことを繰り返している可能性が大きいということ。その父親も、元被害者だった可能性も高いということでした。
教育が世界を創る。
教育が世界を変えていく。
教育しかない!
誰の教育に携わりたいかと言えば、私にとっては未来を担う子どもたち。
子どもたちの教育の場と言えば、
そう、それは学校だ。
心の赴くままに、アメリカの任務を終えたのち、
看護師をしながら、通信教育で教員免許を取得し、
その後、小学校の教員として働きはじめました。
それはそれで、学級崩壊を経験したり、学級を立て直したりと、
まぁ、さまざまなドラマがあったのですが、
気が付けば、今年で教員になり14年経ちました。
旅、プラス社会に貢献できる何かを見つけられたら、
また旅に出ようと考えていましたが、
そう簡単に、自分の好きな旅が社会貢献につながる案が思いつくわけでもなく、
私は教員、夫はジャーナリストとして好きな分野で働き充実もしていて、
家族も増えて、子どもたちの生活もあり、
お給料も割に良く、海辺の町に大きな一軒家も購入し、
物質的にも、精神的にも、
何不自由なく、日々を暮していました。
しかし、約一年前に久しぶりに2週間の小さな旅をして、
旅の感覚を思い出してしまいました。
そうそう。
これこれ。
ひとまず、行先だけ決めておき、
あとは自由に、心のコンパスを信じて進んでいく。
私の人生で求める幸せって、
「家族仲良く一緒に過ごし、旅をし続ける」
ことなんだ!
そして、それが、社会の役に立ち、
未来を明るいものしていけたら、そんな嬉しいことはない。
世界中の絶景を肌で感じたい。
世界中の歴史を肌で感じたい。
世界中の街並みを、高台から眺めたい。
世界中の人々に出会って、友達になりたい。
世界中の絶品料理を味見したい。
20代の頃、バックパッカーで世界を回っていたころは、
誰かと一緒に旅をするのは苦手だった。
できれば、一人が良かった。
限られた人生の時間、自分の行きたい場所に、行きたいときに行き、
食べたいものを食べたいときに食べる。
誰かに気を遣って、自分が本当にしたいことを我慢しながら
誰かのために生きたくはないと、思っていた。
しかし、夫に出会い、
この世界のすばらしさや感動をともに味わう喜びを知り、
ママになって、自分を想うように愛しく想える子どもが産まれ、
この世界をともに感じたい、
どこに行かなくとも、あなたの笑顔が私を心から幸せにする
そんな存在に出会え、そんな存在の我が子だからこそ、
世界中の絶景を、子どもたちと一緒に見て、その歴史を一緒に学びたい。
世界中の建築物を回って、そのデザインを、歴史を、家族とともに感じたい。
世界中の街並みを、家族とともに感じ、歩きたい。
世界中の人に出会って、私も友達になりたいし、娘や息子も友達を作ってほしい。
世界中の食べ物を、家族とともに、美味しいも不味いも体験したい。
世界は近くなり、世界を訪れる機会は山のようにあるのに、
学校という時間と場所の不自由さをそのまま受け入れ、
本当は実際に行って学べることなのに、
教室の片隅で、教科書片手に、先生の話を聞いて学ぶ。
その地理も歴史も、科学も語学も、
学校という施設の椅子に座って勉強する必要は、もうないのかも知れない。
その時代は、もう終わりに近づいているのかも知れない、と思う今日この頃なのです。
日豪の公立小学校に14年間勤務し、
公教育を学校の中から見ていると、
良いも悪いも見えてきます。
テストって、業者から送られてくるんだ。
そして、これを元に通知表つけるの?
英語の知らない先生が英語教えるの?
パソコン使えない・使わない先生が情報教育?
若者が職員会議で発言したらブーイング?
男性が育休とったらあかんの?
会議や事務作業が多くて、先生は授業の準備をする時間がない!
でも、学力上げろって、矛盾だよね?
早ければ朝は6時から、夜も0時を過ぎても働く先生達。
多くの先生は、自分の生活も家族も顧みず、
子どもたちの為になればと、ひたすら働き続ける・・・。
さぁ、私の娘も、もうすぐ6歳。
小学校にあがる歳が近づいてきました。
日本で学校に行く?
オーストラリアで行く?
はたまた、ホームスクーリング?
いやいや、私たちは
ワールドスクーリングだ!
って、そう簡単に思いついた訳ではありませんが、
旅好きな私たちには、ぴったりの私たち夫婦らしい我が子への教育の在り方を見つけました。
生活スタイルが変わって、仕事のスタイルも変わっているのに、
学校だけが変わらないなんてねぇ。
学校も、いろいろなスタイルがあって、
子どもや親も、選べるようになったらいい。
従来の学校の形も、
世界を旅して学ぶ「ワールドスクーリング」も、あったらいい。
選択肢は多い方が良い。
小学校で大切なのは、まずは好奇心。
そして、読み書き計算。
旅をしながら、親と一緒に学んだらいい。
親も一緒に学んだらいい。親子で成長するのが鍵。
親子でいろんなプロジェクトを考えて、創りだして、発表する。
考えただけで、わくわくします。
私や夫が旅の計画を練るように、
5歳の娘が行きたい場所リストやしたいプロジェクトを自ら考えています。
オーストラリア生まれ、育ちの娘の行きたい場所は、まず日本で、それからアフリカにキリンを見に行くそうです。
道中では、絵本を作って、写真も撮って、あと、動画でミニムービーを作るそうです。
なので、私たちの旅の目的地に日本とアフリカが入りました。
旅は、行く前から、私たちを結び、一つのチームにしてくれています。
AIが発達して、現存しているさまざまな職業がなくなるというのに、
今の大人を創ってきた教育を、
これから未来を創る子どもたちに同じようにしていて、それでいいのだろうかとも思うのです。
新たな発想は、新たな教育で学んだ子どもたちが生み出していく。
「ワールドスクーリング」を通して、子どもたちがどう成長し、何を社会に生み出していくのか、本当に楽しみです。
大好きな旅が私たちの明るい未来につながる道を、ようやく見つけることができました。
旅自身が、大人へも子どもへも教育であり、
旅で出会った国々の人々と強い友情を結ぶことが、世界の平和の第一歩であると信じています。
あなたも、「ワールドスクーリング」の輪に入りませんか?


