その昔、看護師をしておりました。
看護学生時代に受け持った患者さんで、
どうしても忘れられない人がいます。
もうかれこれ20年以上も前に受け持った人で、
受け持ちを外れてから一度もお会いしていないので、
今どこで何をされているのか、
はたまた生きておられるのかどうかも
私には分かりません。
それでも、私の記憶にはしっかり残っていて、
忘れたことはありません。
彼の名を、例えて、T君とします。
T君と出会った時の私は、19歳。
そして、T君は12歳で、本来なら中学生になっていた5月でした。
自力で寝返りを打つことができず、
手や足を動かせるのはわずか数センチ。
でも、たまにぐんと動かせるときもありました。
言葉はかろうじて「うー」「あー」と、
発語できる時がありましたが、意思の疎通は難しかったのを覚えています。
私の言葉に反応できなくても、彼は私の言葉を理解していると
私は感じていました。
T君には双子の弟と妹がいたのですが、
お母さんはまだ未就学児のその二人のお世話と
T君の介護に、すっかりやつれていました。
実習生である私が代わりにできることがあればするので、
ちょっとでも休んでくださいねと、常々お声掛けをしていました。
私がいる間は、お母さんは、双子の子どもたちを連れて、
休憩室に行かれたり、自宅に荷物を取りに行かれたりされていました。
お医者さんや看護師さんは忙しく病棟内を回っていても、
私は看護実習生。
受け持った患者さんと、ゆったり過ごせます。
私は、T君に、
「今日の空は真っ青で、ぐんぐんぐんと大きな雲がでてきたよ。なんだろう、あの形。そうやなぁ、言ってみたら、べたやけどアイスクリームやな。そういえば、T君、アイス好き?何味が好き?私は、やっぱりチョコレートが好きやな。T君もチョコレート好き?目大きくなったな、それは合図やんな。分かったで、私。T君もアイスクリーム、チョコレート味が好きなんやね。」
とか、
「空に虹がかかってるよ。青、赤、黄色に、オレンジに・・・。そういえば、T君、何色が好き?青?赤?オレンジ?あ~、青か。青が好きなんやね。私は、情熱の赤が好きや」
と、私の周りの風景を言葉にして伝えたり、思いつくままに、T君とおしゃべりしていました。
ある時、
「私、知ってるよ。T君、私の話しっかり聞こえているでしょう」
と、話した時です。
T君の目から大粒の涙が流れました。
T君が、病気を発症したのは、そのたった2~3か月前の2月下旬。
なんかいつもと違うとおもったT君は、お母さんに伝え、
近くのクリニックを受診しました。
「風邪ですね~」
と、診断されたものの、
その数日後に、縄跳びをしている最中に、
急に飛べなくなり、
クリニックを再受診。
またまた、風邪だというお医者さんの言葉に納得できなかった
お母さんが町の大病院に受診に行かれました。
原因不明で突然発症した疾患。
その数日後には、食事中に、お箸を落としたT君。
お箸が指からすり抜け、それ以来、お箸も持てなくなりました。
本当だったら、この春から、中学生になっていた彼。
真新しい中学校の制服が届き、着るのを楽しみにしていた。
桜の咲く入学式で、同級生に囲まれていたはずだった。
でも、今、彼は病院のベッドの上に横たわっている。
それが、私の見たT君でした。
看護学生で大きなことはできないけれど、
せめて何かできることはないかと試行錯誤していたら、
ある時、T君のお母さんが
「T君、あなたが来るのを楽しみにしているのよ」
と、教えてくれました。
お母さんには分かるそうです。
T君は、日本でも数件しか例がない疾患で、
幼き頃に体内に入ったウイルスが10年近くかけて
脳に入り込み、それによって突然に症状が出てきたそうです。
でも、治療法がないからどうしようもできない・・・。
看護学生の実習には終わりがきます。
「個人的に患者に会いに行ってはいけない」という学校のルールを
きちんと守って、T君のことが気になりながらも、
それ以来、一度もその病棟を訪れたことはありません。
今思えば、自分の心に従って、会いに行ったら良かったと思う反面、
実習生でもない私が病棟を訪れて、いったい何ができたのかとも、思います。
20年という月日を経ても、忘れることのなかった出会い。
T君、大切なことをたくさん教えてくれて、本当にありがとう。
(個人的なことは、事実と少し変更して書いてあります)


